コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第71回
2024年7月23日更新
トランプが副大統領候補に指名。J・D・ヴァンスの映画をNetflixで見た
アメリカの大統領選が俄然、熱気を帯びてきました。2024年7月13日にトランプ候補が銃撃を受け、流血しながら拳を突き上げる写真がまたたく間に拡散。世界中に衝撃が走った数日後、トランプは共和党の正式な大統領候補に選出されました。
一方の民主党は、7月22日にバイデン大統領が選挙戦線からの撤退を表明、カマラ・ハリス副大統領(あるいは他の候補)に後続を託すというカウンターで対抗。民主・共和両陣営の動きは風雲急を告げる展開を見せています。
そんな中、トランプが銃撃を受けた後に副大統領候補に指名した、J・D・ヴァンスの存在がとても気になりました。バイロン・ドナルズ、ティム・スコット、マルコ・ルビオなど、これまで噂されていた候補の中にあって「ベストセラー作家」というのがヴァンスのプロフィールの筆頭にあったからです。
そのベストセラーは「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」という題名。ヴァンスはこの自伝的小説で、ラストベルトの白人貧困層のリアルな暮らしをヴィヴィッドに描いていますが、その内容は、同じ年に誕生したトランプ大統領の支持基盤を理解する上で重要な洞察を提供するものだったと。
「ヒルビリー・エレジー」は映画にもなっていました。2020年にNetflixが映画化し、劇場公開もされています。翌年のアカデミー賞で、助演女優賞(グレン・クローズ)と、メイクアップ&ヘアスタイリング部門の2部門でノミネートも。そう言えば「何度もノミネートされているのに受賞できないグレン・クローズが、またしてもオスカーを逃した作品(今作で8回目のノミネートでした)」として、私の記憶にも残っていました。
作品情報を改めて見直したら、監督がロン・ハワードじゃないですか。これは見ないわけにはいきません。早速Netflixで本編を鑑賞しました。
「ヒルビリー・エレジー」は、J・D・ヴァンス自身の波瀾万丈の物語でした。オハイオ州の貧しい家庭に生まれ、シングルマザーの母親に育てられましたが、その母が薬物依存に陥ったこともあり、非常に不安定な少年時代を過ごしたこと。イジメなどもあって闇落ちしそうになっていたところ、祖母によって救われたこと。猛勉強してオハイオ州立大学に入学・卒業後、イェール大学の大学院で法律を学んだこと。母、祖母、そして後に妻になる女性など、ヴァンスの人生に大きな影響を与えた人々との、固くて、時にもろい関係性が物語をドライブしていきます。
テーマは暗いのですが、ちゃんと救いもあります。そして、オスカーにノミネートされたグレン・クローズを筆頭に、母親役のエイミー・アダムス、ヴァンス役のガブリエル・バッソなど、俳優たちが名演を見せています。ヴァンスの少年時代と大学生時代、2つの時代を行ったり来たりするロン・ハワードの演出も巧みです。大きなカタルシスは用意されていませんが、スタジオはガチでオスカーを狙った案件だと思います。
見終わって改めて驚くのは、映画が公開された時よりも、ヴァンスが副大統領候補になった今、この映画の価値が爆上がりしている事実でしょう。2022年に初めて選挙に当選し、今年(2024年)は副大統領候補になったヴァンスですが、それより前の2020年に自身が主人公の映画が作られている(原作は2016年)。まるで、どんどん伸びていくレールの上を走るトロッコのようです。その一番前に乗っているのがヴァンス。
トランプとの関係性はさておき、J・D・ヴァンスのどん底から這い上がった経験値は並じゃない。強烈なナラティブを身にまとったヴァンスは、ひょっとしたら歴史に残る政治家になるんじゃないかとさえ思います。
この映画もさることながら、ヴァンスに関するもう一つの大きな驚きは、シリコンバレーとの接点です。彼はイェールの大学院を出た後、ベンチャーキャピタルの社長を務めていた時期がありますが、この会社のオーナーがピーター・ティールなのです。ティールは、いわゆる「ペイパルマフィア」の最重要人物で、イーロン・マスクの盟友のひとり。ヴァンスが上院議員に立候補した際にも、ティールが1500万ドル(約24億円)もの献金を行っていたそうです。
イーロン・マスクもつい最近、毎月4500万ドル(約70億円)をトランプ陣営に寄付すると発表しました。トランプ=ヴァンス陣営は、シリコンバレーの2大ビリオネアのバックアップを受けたことになります。
2024年のアメリカ大統領選の投票日は11月5日。あと3カ月以上あります。これから何が起こるかまったく分かりませんが、共和党サイドはトランプの相方となったJ・D・ヴァンスの動向に大注目となりました。個人的に、今年(2024年)下半期の最重要人物のひとりです。
アメリカ大統領選挙に興味をお持ちの方は、是非Netflixで「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」をご覧になってみてください。私は、これから小説の方(「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」)も読んでみようと思います。
筆者紹介
駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi