コラム:板尾創路の脱獄映画万歳! - 第5回
2009年12月24日更新
第5回:自分が目指したものが撮れた「板尾創路の脱獄王」
>>前のページから続くへ
――初監督ということで、演出の面で苦労したことはありますか?
「やる前は大変なのかと思ってたんですが、皆さん達者な役者さんばかりだからすぐに理解してくれたこともあって、それほど大変ではなかったです。撮影期間は3週間弱で何しろ時間がなかったんですが、キャスティングは自分のイメージ通りだったので、その役者さんが演じれば問題なんてほとんどないんですよ。それに自分が出てるシーンは誰かに指示されるわけでもなかったですからね」
――自分の演技をチェックするのは難しくなかったですか?
「僕の役はスタンドインの子がおったんで、彼が代わりに指示通り動いてくれたんです。だからそんなに大変じゃなかったです。お芝居に関しては特に問題はなかったんですが、音や映像など技術的なところはプロの方に聞きました。照明やCGが入るシーンなど僕が全然分からない部分は、現場の皆が最終的にOKを出したらOKという感じでしたね」
――その期間はTV等の仕事はどうしていたのですか?
「撮影がないときはやってましたよ。撮休も2日くらいあったんですが、けっこうキツかったですね。12月だったので午後4時過ぎには外が暗くなって撮影できないんですよ。これはもう仕方ないんですけどね。でも、もし撮りこぼしてたら役者さんのスケジュールが合わなくなってたので、運も良かったんだと思います。お陰さまで何もかも良い方向に転がった感じです」
――今回の撮影のために見直した脱獄映画はありましたか?
「画の雰囲気や焼き方、色などは、撮影部の人たちと同じ意識を持ってた方がいいと思い、内容どうこうではなく『硫黄島からの手紙』『ミッドナイト・エクスプレス』の画の質感や世界観を共通の認識として見ました」
――長編映画を撮ってみて、初めて映画作りで気づいたことはありましたか?
「自分が信頼するプロのスタッフと一緒にやるので、信頼できる人が集まればそれほど問題なくできるものだと感じました。予算やスケジュールなど限られた中で、何とかやりくりするのが映画製作なので、現場でスタッフのアイディアを聞きながらワンシーン、ワンカットずつ埋めていきました」
――監督するなら意表をついた作品を撮ろうとか、人と違うものを撮ろうという意識はありましたか?
「あまり見る人のことを意識して作ってないんですよ。自分が見たいものを作ろうと思ってただけで、脚本も編集も好きにやらせてもらえて、本当に自由に撮った作品です。本来劇場公開する場合、配給会社があって、宣伝の人がいて、劇場を決めて、というプロセスがありますが、この映画はそういう立場の考えは一切反映せずに、とりあえず作りましたって感じなんです。実際、撮り終えた段階では配給会社も公開日も決まってなかったですから。吉本が100%お金を出してくれて、好きなものを撮らせてもらえるやり方は、従来の映画の作り方とは全然違います。今、こういう形で映画は作れないですよ。そういう意味で僕はラッキーだったと思いますね」
――まもなく公開を迎えますが、最後にメッセージをお願いします。
「見てもらうまで何とも言えない作品ですが、撮ることになった経緯や製作過程も含めて、今の商業映画とはまったく違います。僕が映画を撮ったと聞くと、コメディだと思って見に来る人が多そうですが、アナーキーでつかみどころのない映画になりました。これはちょっとした“事件”だと思いますよ。見て損はないはずです。僕自身、自分が目指したものが撮れたと感じているので、たとえ映画がヒットしなかったとしても悔いはありません」