コラム:若林ゆり 舞台.com - 第13回
2014年8月8日更新
第13回:菅田将暉が、蜷川演出・男性キャストのみの「ロミオとジュリエット」で「不純」なロミオに挑戦!
映画「共喰い」や「そこのみにて光り輝く」などで卓越した演技力と存在感を見せ、若手俳優のなかでもひときわ注目される菅田将暉。その彼が、蜷川幸雄演出によるシェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」でロミオ役に挑む。それも、シェイクスピア時代と同じオールメール(男性俳優のみ)で、しかもキャパシティたったの300という小劇場で! これは、快進撃が続く菅田にとってもエポックメイキングな1作になるに違いないと、稽古中の彼に話を聞きに行った。
「なんだか混乱の日々でした」と菅田が振り返るのは2010年、マキューシオ役で初めて「ロミオ&ジュリエット」に出演したときの話。それまで「タイトルは知っていても、どういう話か知らなかった」この作品を少しでも自分のものにしようと、出演が決まってから上演中の舞台や映像化されたもの、「見られるものはほとんど見た」という。
「その中ではフランコ・ゼフィレッリ監督の映画版で見たオリビア・ハッセーのジュリエットがとてもかわいくて。ものすごくときめいてしまいました(笑)。10年のときは演出家も本場イギリスの方で(ジョナサン・マンビィ)、ディスカッションをしたり勉強になったとは思うんですけど、必死だったのであまり記憶がないんです」
今回は、事前にあえて何も見ずに稽古に臨んだ。「1回ゼロに戻して、ただ台本と向き合ってロミオをやろう」という思いからだ。そうして向き合った菅田のロミオ感の中に、こんな意外な言葉が飛び出してきた。「不純」。「ロミオとジュリエット」といえば純愛物語であり、美しい悲劇。これが一般的なイメージだと思うが、確かによくよく考えてみれば、そうとも限らない。ロミオはジュリエットに出会う直前まで、ロザラインという別の女性に夢中だったのだから。
「ロミオを見ていくと日に日に、単に性欲の塊って言うとアレだけど(笑)、そのへんの16歳と変わらない感覚の持ち主だなあと思う。みんなロミオとジュリエットを神格化しすぎなんじゃないかな。僕は自分が『共喰い』という映画をやったときの感覚に近いものを感じているんです。あれを見た人はみんな、芥川賞っていうネームもあるし、純文学だし、『難しかったんじゃないんですか?』なんて、腫れ物に触るように聞いてきた。でも青山(真治)監督も僕も、作者の田中(慎弥)さんもそんな風には思ってなくて。僕は『全国の高校生、こうですよね』というくらいの気持ちでやっていました。世の中の見方って、実際やってることと違うなあって。海外の映画祭では、見た人はげらげら笑ってる。『あ、やっぱりそうだよな』と思ったんです。だから周りの先入観とか、ネームに負けたくないなというのはありますね」
蜷川幸雄も、シェイクスピアを大衆に向けたエンターテインメントとしてとらえている演出家だ。
「蜷川さんもおっしゃっていましたが、とくに『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアがエンターテインメントとしてやっていた時期の話なので、聞いていると下ネタだったり、お金の話、恋の話、みんなを喜ばせる要素がいっぱいなんですよ。だってみんな、バカですよ(笑)。いわゆるまともっていうのが何かわからないですけど、僕はバカは好きですし、バカになりたいと思いますけど、なんだかどこか、自分に素直にバカができるやつの集まりだと思うんです。しかも殺し合うわけだから、どこかロミオもマキューシオもティボルトもみんな少し狂ってる。若いっていうのもあるけれど。理屈じゃ説明できない感情がわく瞬間っていうのが、人間にはあるんだなって思います」
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筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka