コラム:若林ゆり 舞台.com - 第106回
2022年5月1日更新
第106回:歌舞伎界のハイブリッドな新星・尾上右近が情熱を注いだ「弁天小僧」で新たな伝説になる!
歌舞伎界にいま、新たな風が吹いている。その風を巻き起こしている張本人、尾上右近(二代目)をご存じだろうか。知らない? 知らざぁ言って聞かせやしょう。清元(歌舞伎の三味線伴奏・唄を奏でる浄瑠璃の流派)の宗家に生まれた彼は、曾祖父に演劇の神と謳われた伝説的名優、六代目尾上菊五郎を持ち、母方の祖父は昭和の映画スター、鶴田浩二という逸材。歌舞伎俳優(女方も立役も)と清元(七世栄寿太夫を襲名)の二刀流のみならず、翻訳劇にミュージカル、バラエティまでこなす、ハイブリッドな若手有望株だ。
歌舞伎は見たことがないという人も、バラエティ番組で天衣無縫な彼を見たことがあるかもしれないし、大河ドラマ「青天を衝く」の孝明天皇を覚えているかもしれない。映画デビューを果たした「燃えよ剣」の松平容保役では第45回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、いま、ノリにノっている男。そんな右近が、五月の歌舞伎座で河竹黙阿弥による人気演目「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」の弁天小僧菊之助という大役に抜てきされたのだ。これは事件!
「決まったと聞いたときは『うぉー!』って、ベッドの上に体育座りをしながら、うれし泣きにむせびましたね(笑)。長年憧れていた人に振り向いてもらって『今夜の何時に待ち合わせね』って言われたら、超有頂天じゃないですか。で、うちに帰ったら『ヤッベ、何着よう?』ってなって、『店、どういうのが好きなんだろう?』『絶対に嫌われるわけにはいかないぞ、この一発目がめちゃくちゃ大事だぞ』みたいな葛藤が始まる。いまは、それにすごく似ています(笑)。オファーをもらったときは手放しで喜べるけど、いざ準備を始めたらいろいろ苦悩するし、やっている最中もきっと苦悩すると思う。でもとにかく楽しめなかったら相手にも好きになってもらえないから、毎日楽しくやることを目指します」
歌舞伎の門閥(大きな名跡のある本家)生まれではないケンケン少年(本名・研佑からついた右近の愛称)が「歌舞伎俳優になりたい!」と思ったのは、3歳のとき。祖母の家で曾祖父・六代目菊五郎の「春興鏡獅子」を記録映画で見たときのことだった。
「いまでも覚えているんです、西日の差す祖母の部屋で、そのとき聞いた三味線の音、白黒映像で映された六代目(菊五郎)の迫力。最初は女方で始まって、『あれ? 女なの?』と思っていたら獅子に変わって、バーッとアップになってね。そしてあの毛振り。『あれ何なの? ひとりでやってるの? どうやったらあれができるの?』『どうしてもこれがやりたい!』って、そこからすべてが始まったんです」
そして4、5歳のとき耳にして、たちまち魅せられたのが、六代目が弁天小僧を演じている「弁天娘女男白浪」の音源だった。有名な「知らざぁ言って聞かせやしょう」を含む名調子に夢中になった幼いケンケンはすべてのセリフを覚え、稽古場で大人たちに披露をしたという。
「僕は清元という音楽の家に生まれていたので、江戸弁の七五調のセリフが歌みたいに聞こえて、リズムとメロディが気持ちいいっていうのが子ども心にまず来ました。そのときは何を言っているのかなんてわからない、筋だって後からわかったし、初めて見るお客さんってこういう感じなんだろうなって思うんです。もちろん理屈はわかった方がもっと歌舞伎を好きになれていいんだけど、まずは理屈抜きで楽しめるのがこの作品なんですよ。だから僕も、お客さんにそこを魅力として感じてもらいたい。これまでの伝統がありますから、自分のやりたいようにだけでは演じられないんだけど、自分なりの自由さをものにしなくちゃ。救いは、弁天は17歳の小僧ですから、若いということが説得力になること。初演で高祖父(曾祖父母の父のこと)の五代目菊五郎(当時は十三代目市村羽左衛門)が演じたときは19歳。僕はいま29歳ですから、10年遅れをとっているんですけどね」
これは盗賊五人組を描いた芝居「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」から弁天小僧の見せ場を抽出した演目。弁天小僧はお稚児上がりの不良美少年で、女装して呉服屋に乗り込み仲間とゆすりを働こうと画策。わざと正体を見破らせた弁天が、振り袖から片肌を脱いで居直り、啖呵を切る名場面がとにかくカッコいいことで有名だ。実はこの役、右近が舞台で演じるのは初めてではない。3年前に自主公演「研の會」で挑んだ経験があるのだ。さぞかし気持ちよかっただろうと思いきや、そのときは「楽しむことができなかった」という。
「周りの先輩たちやお客さんたちをガッカリさせたくないと思ったし、『ちゃんとやんなきゃ、認められなきゃ』ってプレッシャー、窮屈さに敗北した部分はあると思うんですね。楽しむって余裕はなかった。実際、肌脱ぎひとつにしても、手ぬぐいの扱い、煙管の使い方にしてもやることが多くて、気になっちゃうことが多いんですよ。『これでいいのかな』って疑問を感じているところは、お客さんには違和感として見えてしまう。だから今回はとことん、『自分のもんだ』と思ってやります。まあやっぱり生意気な役ですから、自分のなかにもある生意気さは大事にしたい。舞台の上では生意気爆発で、そのプラスマイナスを回収するには楽屋でペコペコと腰を低くしときます!(笑)」
ゾクゾクするような“悪の華”を咲かせる弁天小僧。その内面を、右近はどうとらえているのか。
「弁天はいかにも『早く死んじゃいそう』っていう、危うい感じがしますよね。刹那を生きるその感じが、尾崎豊に通じるって僕は思うんです。『15の夜』という曲にある『やり場のない気持ちの扉破りたい』というような思いを抱え、ピカッと光ってパッと消えていっちゃいそうな。桜もそうだけど、『ああ、もう散っちゃう、その一瞬の美を見とかなきゃ』っていう心ざわめく感じ。潔くてカッコよくて、粋でワルくて勢いもあるんだけど、滅びていく者の哀愁もある。その陰影を魅力だと感じています。でも一方で、僕にしか出せない弁天の魅力と言ったら『明るさ』だとも思っている。どんどん明るくなっているから、僕は(笑)。弁天小僧は調子に乗っているし達観しているし、恐れてない。僕は『いい』じゃなくて『とんでもなくいい!』って言われたい。想像の斜め上を行く、『この令和に、新たな伝説になったな』ってくらいのものをお見せしたいんです」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka