逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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権力が自然発生する過程
権力についての鋭い洞察を見せてくれる作品だった。豪華客船が沈没して無人島と思しき場所で漂流生活をすることになった連中の権力構造が逆転する。サバイバルスキルを持ったトイレ掃除の女性が権力者となり、資本主義社会では権力者だった連中がひざまずくことになり、性的な搾取も行われる。
人は誰しも権力に溺れるといえば簡単に聞こえるのだけど、あの状況では彼女に付き従うのが生存戦略として最も正しいことは確か。人は結局のところ、一人でサバイバルできない存在なので、あのように寄りあいながら生きるしかなく、そうすると権力のヒエラルキーはどうしても発生してしまう。
リューベン・オストルンドは人間の生態観察の達人だ。しかも現代の人間の奇妙な矛盾を突くのが上手い。「フレンチアルプスで起きたこと」のきまずい人間ドラマも『ザ・スクエア』の現代アートをめぐる滑稽な状況も、どうにも人間社会が複雑化しすぎておかしくなっている様をあぶりだすのが抜群にうまい作家だ。一体全体、我々は何をしているんだろうみたいな気持ちになるんだけど、このおかしな状況に慣れてしまっている僕らは相当に狂っているんだろうな。
社会の実験劇場、あるいは思考のテーマパーク
147分の作品なのに全く長さを感じない。いざこの乗り物に乗車したなら息つく暇もないほど翻弄され、これまで考えもしなかった境地へ連れていかれる。その意味で、オストルンドの手がける作品のことを思考のテーマパークとでも呼びたいほどだ。冒頭のレストランでカップルが交わすダイアローグほど間に挟まりたくないものはないし、階級社会を凝縮させたあの豪華客船にだって絶対に乗りたくない。嫌だ嫌だ、と部屋に引きこもるハレルソン船長のことが本当によく理解できる。しかしそんな連中の勘違いの生態や悪趣味を皮肉り、最高のディナータイムをご用意したかと思えば、さらに価値観の軸をちょっと変えるだけで革命のごとき逆転現象が起きるのだから痛快である。現代社会にはびこる不条理や居心地の悪い状況を俎上に乗せ、さながら実験劇場のようにじっくり観察、吟味するこのひととき。終映後は見慣れた世の中がガラリと違って見えるから不思議なものだ。
人が本性を露わにしていく姿を見るのは楽しい。
人が本性を露わにしていく姿を見るのは楽しい。
見た目がすべてでこの世の中で数少ない"女尊男卑"が罷り通るモデル業界に身を置く、モデルカップルの相手に対する差別意識。
豪華クルーズ船内で展開するブルジョワによる労働者差別。
状況の変化を受けて反撃に出る清掃員の恐ろしいほどの冷徹さ。
これまでも、『フレンチ・アルプスで起きたこと』や『ザ・スクエア 思いやりの聖域』で同じテーマを設定し、人々の本音を炙り出すことで問題提起してきたリューベン・オストルンド監督だが、最新作ではドス黒い笑いの量を増やすことで作品にエンタメ性を付加。ある事件をきっかけにした階級、性別、立場の逆転という既視感がある世界を豪華にアップデートしている。
登場人物は皆んなどこか病んでいるが、唯一まともなのは終始飲んだくれているウディ・ハレルソン演じる船長なのではないだろうか。そこにも、オストルンド独特の逆転の発想が生きているような気がする。
格差社会を過激に風刺。事前情報がないほど楽しめる
いやはや、圧巻の2時間27分。スウェーデンのリューベン・オストルンド監督の過去作「フレンチアルプスで起きたこと」や「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観て面白かったと感じた人なら、もう事前情報も予告編もチェックしないまま「逆転のトライアングル」を映画館で観た方がより満足度が高いはず。この作品に限らないが、あらすじの半分から3分の2ぐらいまで前もって教えてしまうのは常々疑問に思っている。本作の3章構成はおおむね起・承・転に合致するが、「転」の筋まで知らされると、それだけ驚きが半減してしまう。
ともあれ、オストルンド監督は、どの作品でも登場人物の当惑や居心地の悪さを観客に体感させるのが実に巧い。富裕層がひどい目にあったりするのを見ると、気の毒だなと思いながらもどこか「いい気味」と思ってしまう自分に気づき、それで自己嫌悪してまた居心地が悪くなるような。
ちなみに原題は「Triangle of Sadness」で、直訳すると「悲しみの三角」になるが、美容用語で「眉間にできる皺」を指すのだとか。男性モデルのオーディションのシーンで眉間と口元がどうのこうのというやり取りがあるし、主人公カップルのカールとヤヤ、それに第3章でからんでくるもう一人を加えた三角関係にもかかっていると解釈できる。もちろん、富と美と力に翻弄される人間の悲哀を描く三幕構成を示唆してもいるだろう。
最後に悲しいトリビアをひとつ。モデルのヤヤ役のチャールビ・ディーン(彼女自身もモデル出身)は以前交通事故の怪我で脾臓を摘出していて、腹部を露出している場面ではその手術痕を確認できる。脾臓がないと感染症のリスクが高まるそうで、昨年8月、細菌性敗血症により32歳で亡くなり、「逆転のトライアングル」が遺作になってしまった。本作のパルムドール受賞にも間違いなく貢献し、映画界での将来が大いに期待されていたのに、残念でならない。
I love you. Give me fish. 愛している、だからアジの開きをくれよ
そういえば名作とされるかの「十五少年漂流記」。
あれは、漂流した十四人の白人少年と、一人の黒人召使いの、“動かせぬ差別社会"を、白日の下に晒した物語でした。
階級社会を逆転させて、主客を入れ替えて彼らを戦わせてみたいという妄想は、けっこう根深く世の中に潜んでいるのでしょう。類型の作品は、古今たくさんあります。
しかしこの作品、監督の育ちがわかるし、
小学生の作文みたくて、まあまあ、オモロかった。
撮影のスタッフたちもノリノリで、アイデアを出し合いながら、悪ふざけ映画のコンセプトに便乗したのでしょうなぁ。
カンヌ映画祭に集まるセレブたちは、
一握りの王族や貴族、そういう世襲のモノホンの大金持ち以外は、たとえブラックタイをしていたとしても、総じて下働きの鬱屈した中産階級のはず。
そもそも「役者業」とは、その発生からして低層階級のなりわいでした。
だから積もり積もった不満を武器に、溜飲を下げるためにも、こうやって庶民のルサンチマンを小出しにする“プチ・フランス革命"を民衆は求めているのかもしれませんね。
プレートの弛緩。マグマの放出という訳です。
ところが本作の「革命」=「遭難のドキュメント」の、このとんでもないチープさは何だ!
監督が観客の期待をわざと外して、観客を蹴落としてせせら笑う仕掛けであったように思う。
つまり、本当のセレブがどこにもいない。漂流者たちはひとり残らず低層だったから。
漂流してたどり着いた孤島でも、けっきょくそこで生まれてくるのは底辺同士での上下関係の再構築と、マウントの取り合い。
そして手揉みしながらの懐柔作戦でしたね。
役者が二流だから、ストーリーに現実味がないのです。どこにもセレブがいないから下剋上にリアリティが無い。だから観客には驚きも戸惑いも、そして快哉も生じようがないのです。
ギャラをケチって本当のセレブリティを起用しないからこうなる。
たぶん監督は、そこ、わざと狙ったんでしょうが、彼の思惑どおりに安っぽい映画でした。
「神様メール」ではカトリーヌ・ドヌーヴがゴリラとのベッドシーンを演じ、
「おとなのけんか」ではケイト・ウィンスレットが盛大に嘔吐して吐瀉物をぶちまける。
大物を使うからテーマが明確になってくるものを。
「逆転」をさせたいなら、アビゲイル以外の出演者はすべてアカデミー賞の常連にしなきゃダメなんですよ。
カップルにはブラピとナオミ・キャンベルが良き。
ロシアの成金も貧相でしたから、あれやらせるにはマーロン・ブランドを連れて来なきゃあ。
掃除婦アビゲイルはロレックスには興味がない。アビゲイルが欲しかったのは男。
セックスを満足させてくれたら食い物を作ってやっても構わないって、・・配役もストーリーも、とことん貧相な干物でした。
・・・・・・・・・・・・・
女とは戦え。戦わないと奴隷になるぞ!
と尻を叩いたタクシー運転手 ―
きっとあれはオストルンド本人のカメオ出演。
溜飲りゅうべん・オストルンド?
お金が出来たから、彼は次々と話題の新作を出すけれど
彼の敵はセレブリティではなく、映画を観にきてくれた観客なんでしょうな。
そろそろ僕は飽きたかもしれない。
最後の様子から
なかなか観るのに忍耐を要しました。
最後どうなるのか気になって、見届けました。
カールの様子は緊迫していたのですが、どうなったのかは想像するしかない!
ヤヤを始末したところで、いずれは誰かが見つけるでしょうしね。そんな浅はかなことはしないと思いますけど。
ヤヤ役の女優さんは亡くなったそうですね、ご冥福をお祈りします。素敵な女優さんでした。
好みの問題
第1章で腹立たしかったヤヤが最後にはとても可愛く見えて1番好きなキャラクターになっており、第3章序盤でめちゃくちゃ応援してたアビゲイルが結局は理性も生理的にも受け付けない嫌いなキャラクターになっていたというのが正直な気持ち。
個人的なキャラクターの印象も最初と最後では見事に逆転しまったわけです。ヤヤ役のチャールビ・ディーンさん、本当に残念でなりません。ご冥福をお祈りします。
物語ですが、「面白かったー!」とはならず、「この散らばった感情どうすれいいの!?」と困惑したのが観終わった直後の感想。そして第2章で気持ち悪くなった。船で私も見事に酔った。実はこれに似た経験をしたことがある。
ただ、いろいろ解説&考察のサイトなどを見ると理解が及ばなかったところが補完され「なるほど」と思った。
少しテーマが被っているということで、小日向文世主演の『サバイバルファミリー』を思い出しました。
ブラックジョークでshit
導入でめんどくさい主人公だと思ったが、周りも大概で、それでも豪華客船であんなに酷い展開になるとは思わなかった。
島編はナディアばりに要らなかったのではとも思いつつも、金持ち、権力の移り変わりとかの皮肉な演出にはやはり必要だったのか。。
それでも船爆破で終わっといても良かったような。。
カンヌの“間”
物語が展開するまでたっぷり時間をとる(間を取る)感じがカンヌ。物語が展開するまでが長い気がした。ただこの間を待ってられるのがカンヌ。ハリウッドなら30分は短縮してたはず。オチはスタイリッシュな音楽で誤魔化された感じがするが、後半の設定は映画「OLD」とさほど変わらない。
人物像(個人)の心理描写が少ない(表面的な事柄のみ、掘り下げない)ので、なんとなくオチも読めた。映画評論家ウケのよさそうな映画。
船の中という世界で、各々の業界で「1番」を目指す・自負する金持ちの注文に、船のクルーはすべてイエスと応える。その「資本主義/社会主義/マルクス主義のせいで不幸が訪れ、原始的な生活を人間が強いられるようになる!」…とでも言いたかったのだろうか。鑑賞者にとってはどうとでも取れる。
船の中ではチップがもらえるから従うだけで、島の中では食料があるから従うようになる。お金を持っている=お金持ちの人らへの戒めのような映画。なので、セレブが見てセレブが(あぁこんなふうになるのはやめよう)と思うための映画で、セレブが評価した映画。
お金を持たざるものからすると「いけすかない」とも思ってしまった。でも映画は映画。おもしろいです。
ラストシーンの後はどうなるのだろう?
カンヌのパルムドール受賞作品で観たいと思っていたが封切りの時に見損ねていた作品。少し長過ぎるとは思うが中々面白かった。この監督は色々な人達(軍需産業で儲ける英国人とか売春してるのと変わらないモデルとかインフルエンサーとか)をコケにするのが好きなようだ。現代が何故"眉間の皺"なのかは(台詞で一度出てきたが)僕はピンと来なかった。寧ろ邦題の逆転のトライアングル(三角関係の意味で)の方がしっくりくる。ラストシーンの後はどうなるのだろう?色々なシナリオが考えられるが。
こんな作品…初めて観ました
<映画のことば>
あなたの島での行動力にマジ感心しているの。女のリーダーが誕生するなんて。大富豪を飼い慣らした。めちゃ格好いい。
例えば、デート代はどちらが払うべきか。彼・彼女のちょっとした仕草が、どうしても気に入らない。
セレブと言っても、必ずしも名家の出とは限らず、一代成金にはありがちなな振る舞いのオンパレード。
迎える接客スタッフにしても、チップ以外に関心なし。
果ては、動力船にも帆があると確信している(自分は正しいと思い込んで譲らず、スタッフ=船長を見下す)セレブ客等々。
お上品ぶっている彼・彼女らも、海が時化(しけ)て船が揺れると、トイレに駆け込むでもなく、ところ構わず、その場で嘔吐の嵐―。
日常の生活で起こる人間模様を、真正面から事細かに取り上げて、こんなにも映像化・ストーリー化した作品って…評論子には寡聞にして、本作の他に思い当たりません。
ネットの評では「人間に対する鋭い観察眼とブラックユーモアにあふれた作品で高い評価を受けてきた」と評されているリューベン・オストルンド監督は、その手になる作品は初めての鑑賞でしたが、こんな作風の作品を撮る方なのでしょうか。
登場人物の細かい所作から、その心の動き(考え)を紐解いてゆかなければならないのは、どうかすると映画はざっくりと観てしまい、周囲に「えっ、そんなシーンもあったっけ?」とピントを外してしまいがちな評論子には、少しばかり辛いものがありましたけれども。
内容的には、第3部が、もちろん圧巻!
「進化論」を著(あらわ)した著名な自然科学者・ダーウィンのものとされる次の言葉が脳裏に浮かびました。評論子には。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一、生き残るのは、変化できる者である。」
それなりの教育を受け、それゆえに、それなりの知性と教養とを身に付けていたであろう(?)豪華クルーズ船の乗客だった紳士・淑女を差し置いて、最後の局面では、アビゲイル(作品の前半ではトイレの掃除を怠らないよう、廊下越しにきつく言い渡されるシーンがあるだけで、映像には姿すらまったく現さない)か、彼・彼女らに対してリーダーシップを執ることができたのは、彼女が、当該の局面に応じて変化する(いち早く考え方を切り換えて行動する)ことができたから、ということなのでしょう。
長らく「下積み」に耐えてくることで、彼女には逞(たくま)しい生活力が身についていたということなのだと思います。
その生活力にモノを言わせて、平時においては、絶対に揺らぐことのないトライアングル(社会のヒエラルキー)を、いともあっさりと「逆転」する…。その鮮やかさに目を見張ります。
その意味で、邦題は「いい得て妙」だと思った次第です。評論子は。
賤吏の身に甘んじていても、人生においては、こんなふうな「変化できる者」としてありたいものです。評論子も。
他に類例の少ない奇抜な作風の一本として、佳作の評価に値するものと思います。
(追記)
評論子が参加している映画サークルの「映画を語る会」でお題作品として取り上げられていた一本でした。
今は地方暮らしをしている評論子には劇場公開時に観ることができず、当時は「聴講生」として悔しさを抑えながら、話し合いを聞いていたものでした。DVD化がなり、ようやく観ることのできた作品でした。
話題に取り上げられていなければ、おそらくは観ていなかっただろうと思います。
教えられて佳作に当たる―。
映画を観ることの楽しさは、そんなところにもあるように思います。評論子は。
映画的に日常の「嫌なこと」を。
いやあおもしろい。
147分が食い入るようにみてしまう
漂着してからの権力構造の変化、はもちろん、
冒頭の食事代をどっちが払うか、という考え方も。
パルムドールはあたりまえだ。
汚いの苦手な方は注意
長かった〜。冒頭のバレンシアガとH&Mの比較は面白い!汚いのが苦手なので、中盤はキツかったです。どんな理由で島に漂流するのかと思ったら、予想外!皮肉だらけであんまり笑えなかった。ロシアのおじさんが1番マシだったかな。
トレイラーでアピールされた痛快さよりはなかなか一考すべき作品
数年前に監督の前作『スクエア』を観て、今よりも圧倒的にあまり深く考えずに映画を観てきていた自分は
「これはなんだったんだ?」と疑問だらけになった記憶がある。
やはり人間臭さの表現と万国共通の気まずさを直視させる演出は一級品。眉をひそめつつ爆笑させてくれる皮肉に満ちた会話は素晴らしい。
パート2の遭難までが冗長に感じるが、それらは遭難までの振りなので仕方なしと思う。そこでの船長の振る舞いや会話は特に"逆転"の要素にも絡んでくるのでやはり仕方なしと思う。
ラストに関しては、「ヤヤは殴られずに2人でキャンプに帰り報告を聞いたカールは喜び急いで島の反対側へ向かう」といったものだと思った。そう感じた後に他の可能性、パターンも考えたが直感的に思った上記の感想は揺るぎなかった。
ただこれは一見"どのキャラクターに感情移入するか"ということがラストシーンの捉え方に影響するようにも見えるが、モデル2人には冒頭のやりとりなどからも不快感を与える構成になっているため感情移入はしづらいので、どうしてもアビゲイル側に立った視点になってしまいがちとなる。だが「あの特定のシチュエーションでは逆転していたが、それ以外のこの世ではすべからく富や名声が支配する側に立っている」という事実を理解している以上は一種の諦めとして遭難メンバーが脱出することをゴールに映画を観ており、このままサバイバルしてアビゲイルがキャプテンのままいて欲しいという気持ちのままエンディングを迎えるのは私は難しいように思った。
チャールビディーン、むっちゃかわいい 船の女性スタッフがちょっとセ...
チャールビディーン、むっちゃかわいい
船の女性スタッフがちょっとセクシー格好をしてるのも良かった
展開が遅過ぎ
小気味よく進めて欲しかった
逆転島で起きたこと
学校や会社は社会の縮図とよく揶揄される。
世の中皆平等と言っときながら、悲しいかな人間って必ずピラミッド型になる。
それを豪華クルーズ船の中に置き換えて。
ピラミッド上部はイケメンモデルやインフルエンサーの美人恋人や裕福な乗客たち。
中部は船長や客室乗務員たち。
下部は料理や清掃などのスタッフたち。
これには国籍や人種も絡む。
上部はアメリカ人やイギリス人やロシア人ら世界の大国。中部は専ら白人。下部は黒人や有色人種が多い。
結局世界ってこんな感じ。覆る事はない。
が、もし、ある状況に置かれた時、このヒエラルキーが“転覆”したら…?
皮肉や風刺をたっぷり乗せて。
イケメン&美人カップルはたかだかレストランの支払いで言い合い。
“クソ”で大金持ちになったロシア人富豪。彼の妻が死んだ時、泣きながら亡骸を抱きつつ、身に付けていた宝飾品をちゃっかり取る。
穏やかそうなイギリス人老夫婦は、武器商人! 二人がある物で爆死するシーンは何ちゅー皮肉。
船長はまともに働きもせず飲んだくれ。白人客室乗務員たちは如何にしてチップを貰うか熱心。
そんな中、料理や清掃のスタッフたちはせっせせっせと仕事。
嵐で船がゆ~らゆら。豪華ディナーがとんでもねー場に。
揺れやアルコールやなまものに当たってゴージャスセレブたちはゲロゲロ祭り。
チップを期待した客室乗務員たちは空回り。
そんな中、清掃スタッフは汚物をせっせせっせと処理。
嵐に加え、海賊の襲撃。もはや漫画だ。
船は難波して生き残った面々は無人島へ漂着…。
言うまでもなくサバイバル能力など皆無のセレブたち。
魚も取れない。火も起こせない。出来るのは少ない飲食を恵んで貰ってボケ~ッと助けを待つ事だけ。
客室乗務員はこんな場でも仕切ろうとする。
そんな中驚くべき能力を見せたのが、トイレ清掃員の中年有色人女性。
魚も取れる。火も起こせる。類い稀なサバイバル能力を見せる。
よし、船の中同様コイツを働かせて…なんてのはここじゃ通用しない。
ここじゃ私がキャプテン。食べる物を餌にわざわざそれを言わす。
食べ物を恵んで貰う為、皆彼女に媚びる。
まるで犬に餌をやるように食べ物を投げ与えるトイレ清掃員。それにがっつくセレブ。
自分や女性たちは救命ボートで寝る。男どもは火の番。
それをすっぽかして見つけたスナック菓子をこっそり食べる。その姿が何と情けな…。無論バレて翌日は食事抜き。
女王のような力握るトイレ清掃員。まあ、分からんでもない。
魚を取ったのも私。火を起こしたのも私。私は何でも出来る。じゃあ、アンタたちは何が出来るの?
何にも出来ない役立たずども。働かざる者食うべからず。
でもどんどんどんどん独裁者になっていく。救命ボートで寝るのも最初は女たちだったのに、いつしか若いイケメンをお呼びに。
シュール過ぎるラスト。あのエレベーターは何…?
ここから助かって、またヒエラルキーの下部になるよりかは、ここで女王様として君臨していたい。
人はここまで醜態堕ちるのか。
遭難や漂流やサバイバル映画数あれど、絶対にこんな状況になりたくないトップレベル。
最初は退屈だったが、船の揺れが始まってから~無人島サバイバル辺りはそれなりに。
滑稽なハリス・ディキンソン。
美しい肢体を披露しつつ、癖ある役所のチャーリビ・ディーン。経歴調べたら、事故で脾臓摘出、感染症で急死とは…。合掌。
知名度あるキャストはウディ・ハレルソンくらいだが、一際存在感放つのはドリー・デ・レオン。
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に続き2作品連続でカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたリューベン・オストルンド監督の目の付け所は奇才ならでは。
その『ザ・スクエア』よりかは面白く見れたと思う。
でも、本当に心底面白かった/良かったかと問われたら…。
作品は人間やヒエラルキーを風刺したテーマやメッセージこそ訴えているのかもしれないが、どうしてもゲロゲロゲロゲロやトイレ逆流の汚物シーンが干からびるほど脳裏にこびりつく。見ていてかなり辟易…。セレブの醜態を失笑するには充分だけど、あんなに胸糞悪く見せる必要あったのか…? 何だかかなり趣味が悪い。
意味はあるのかもしれないけど、はっきり言って中身なんてない。これで2時間半…。
それがカンヌ受賞やアカデミーノミネート。批評家や業界人や通な人たちはこんなのが好みなのか…?
こんなのに面白味を感じて、理解してこそ、真の映画マイスターなのだろう。
きっとお偉い批評家様たちが選ぶキネ旬でもBEST10入りは間違いないだろう。
『マリオ』や『サンドランド』や『キングダム』などに興奮&感動する私なんぞ、お偉い批評家様たちから見ればそれこそ失笑ものなのだろう。
そんな低能無知アホバカな私に映画を語る資格ナシ!
私の映画を見る目って…。何かガッカリする。
今日は凹んで寝よう…。
下品なシーンが長すぎて最悪
個人的に下品なシーンが嫌いなせいもあるのか、
乗客がディナー中に船酔いして嘔吐しまくるシーン(トイレでさらに汚いシーンも)が本当に不快で最悪でした。
それがまた一瞬ならまだ仕方ないが、もう長くてしつこいのなんのって。終わるまで目と耳を塞ぎました。
ストーリー的にあんなにも汚いシーンを長々と観客に見せる必要性はないのに意味が分かりません。
監督の神経を疑いました。
DVDで観たのが不幸中の幸いで、これ映画館でポップコーンを食べながら観ていたらもう本当に最悪だった、と思います。
下品なシーンさえなければ伏線や細かい描写に皮肉や深い意味が込められていたりと、全体的に面白いストーリーでした。
ちょっと雑な時間配分と構成で下手くそな映画ではありましたが。
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