PLAN 75のレビュー・感想・評価
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こんな世の中ぜったい嫌
設定は近い未来でもない、この時代。日本の高齢化社会の抜本的対策として、75歳以上は死を選択できるPLAN75が国会を通過した。78歳の主人公は友達3人と仲良くホテルの清掃の仕事をしている。みんなで健康診断に行くと「長生きしたいみたいで申し訳ないわねぇ」などと話すが「高齢者を働かせて可哀想」というクレームが入ったという理由で突然仕事をクビになる。いたって健康で若々しくても78歳という年齢は変わらず再就職が難しい。
PLAN75を市役所?で担当するヒロムは炊き出しの場所に説明の机出しをして希望者に説明する。ある日、申込者が音信不通だった父の兄弟であると気づき、アパートを訪ねて交流が始まる。
磯村勇斗を映画で観たのは初めてだったが、公務員の普通っぽさがとても自然だった。
普通にしていればまだ生きられる命を、終わらせる制度PLAN75。テレビでは「今後65歳まで引き下げることも検討されています」と言っている。もう生きなくて良い、若い人に譲る、との想いがあって申し込んでいても、それは本心か。こんな制度が存在する社会を見限って申し込んでいるようにも見える。PLAN75のコールセンターの女の子が気付いているように、申込者には75年以上の人生があり、平凡であったとしても無意味ではない。
制度はあくまでも「希望者に寄り添って」というが、いかにも政治家や役人が使いそうな耳障りの良い言葉だ。それだけにリアル。こんな発想があり得る社会にしてはいけない。
人って本当に死ぬ時はひとりだろうか。
開始5分の引き込み方が容赦ない。まるでこの先起こる出来事を見届ける覚悟を試されているかのような気持ちになる。75才になると「自らの意志のみ」で死を選択できるPLAN75法が施行され3年経った日本が舞台。超高齢社会を地でいくこの国ならではの着眼点といえる意欲作。
登場人物それぞれの立場、視点からこの制度の是非を考える。正直フィクションとして見ることができなかった。働く世代の負担は増し続け少子化は加速する。そんな国の未来にPLAN75など存在するはずがないと言い切ることは果たしてできるのだろうか。
人生を全うするということが長生きすることとは限らない。全ての人間に訪れる老い、そして死。この重厚な物語に静かに向き合いながら私も将来の事を考えたいと思った。
私の母も映画好きですが、個人的にこれは観て欲しくないと思ってしまいました。70越えてますけど働いて、趣味があって、よく愚痴言って元気な人です。制度自体を否定するつもりはないけど、母が使うって言ったら泣き叫んで止めます。きっと。
挑戦的
すごく挑戦的な映画でした。
極力、セリフやナレーション、音楽をなくしているのか、それがよりリアルさを感じさせているのだが、ストーリーを理解するのに観ている側の想像力がフルに必要になるので、それが疲れてしまった。
この題材の着想が…
出だし、ふと頭をよぎったのは数年前の事件。障害者支援施設を襲った悪夢の事件。
社会的な弱者を排除するために(守るという名目で)、命の選択を迫るなど想像を超える。
しかも、まるでアウシュビッツではないか。
自ら死を希望するとはいえ、こんな社会が許されるはずもなく。
それでも、この映画は身近な関係の濃密さ、希薄な血縁を炙り出しているのかも。
プラン75に近い年齢となった今、身につまされる。気持ちは30代と変わらないのに、年齢で線引きされるんだ。
考えさせられたけど、なにを?
まだ生き続けていいの?
そんなことを考えるの、意味あるのかな。死を目前にしないと、触れ合った人間にしか情がわかない時代なのか。
早川監督の強烈な右ストレートにやられる。
冒頭の先制パンチ。若者の衝撃的な告白に、この映画は嘘をつかないぞ。真っ直ぐ直球で投げ込むぞ。覚悟をしろ!と言われてるようだった。
話の流れも軽くない、軸もぶれてない、詰めも甘くない。
なんでますます「どうなるの?この話をどうやって終わらせるの?」とワクワクした。
この映画の「ワクワク」は特殊で、映画にリアル感があるので実際の現実の政府政策の渦中にいるような。私達、どうなるの?と一瞬錯覚してしまうリアリティだった。
早川監督、スタッフの方々、よくぞ最後まであきらめずに世に送り出してくれました。
その凄まじい精神力と勇気を讃えたいです。
世界は日本の少子高齢化社会の行く末を見つめています。
映画の答えは観た人それぞれが考えるのが一つの答えだと思います。
ずっとこの映画を観た後から考えています。
子ども、若者、高齢者が利益や、便利さ、効率を省いたものに最後は救われるのだろう。救われると信じたい。
私は現時点での答えとして、単純に人の体温が感じられる事が重要なんじゃないかと思います。お互いの体温が生きてる実感を感じ取れるのは手を握ること。
生前の私の祖母の手を握った時、夏なのにとても冷たくて、手を温めてあげました。その時の笑顔が忘れられません。もっとたくさん手を握ればよかった。
高齢者は若者に優しくされると、自分の話を聞いてくれると、触れ合ってくれると、単純に嬉しいのですよね。逆にその嬉しい気持ちが相手に伝わるとお互いが嬉しい。
自分も高齢者になりつつあるのでわかります。
まずは選挙に行きましょう。
私達の日本の未来を考えるために、大事な一票を自分の手で投じる事が大事なんだと、この映画が背中を押すきっかけになればいいな。
日本文化
高齢化社会で老人は不要というようなタイトルイメージだったが
みてみると 日本の文化だった 昭和の時代の日本人をよく描いている 真面目で働き者で清潔で、いい人、古き良き日本人 老人になったって頑張って働いてた 困っても生活保護は受けないわってセリフがまた古き良き日本人らしい。 いじらしく可愛い、老人は日本の文化だと思う。
金融リテラシーが全くないところも日本人らしい。 そのために生活に困窮するのだが。。
海外の人が見たら他人を思いやる日本人のいじらしさ、美しさに感動すると思う。
君はプールの床底に寝て後方の視界を見たことはあるか?
それは静寂で孤独な無の世界だ。クレマトリウムが併設された旅立ちの施設、その並んだベッドはブルーのカーテンで仕切られ簡素で無機質な作りだ。その淡いブルーを想起させるのがプールの底で見た光景。続けて空を見上げる。すると水面に反射した太陽がゆらぎながら視界に入る。映画の前半、ミチが脚を引きずりながら団地の自宅に帰り着いた時、あがり框の玉すだれが揺れた。偶然なのか?作為的なのか? 私は意図的だと思った。やけにその揺れ方が記憶に残ったからだ。
この映画の通奏低音はナチスの国家社会主義だ。彼らのプロパガンダ、彼らの絶滅収容所、彼らの優生思想は合理的で無駄がない。その一つの帰結点がアウシュビッツだった。
物事が直線的に進むわけがない。迷い、行きつ戻りつ、揺れながら、また迷い、戸惑う。その繰り返しがあるから、暴力の暴走に歯止めがかかる。風の中の自転車、最後のエンディングロードの背景音、こもるような悲しみの音、画一性や無機質の対義語が揺れ、ゆらぎだ。ミチが選択した光 夕日にかすかな希望のヒカリを見た思いだった。
設定のおもしろさ
75歳以上の高齢者に死という選択肢を与える制度。現実には成立しそうにもないが、未来の話としてありえなくもない。星新一や藤子・F・不二雄が描きそうな設定だ。
その制度を担っている側と制度を使って死のうとする人間が描かれる。たしかに面白そうではある。でも、個人的には映像というか間みたいなものが合わなかった。ゆったりしすぎ。なので結構寝てしまった。だから評価としては正しくないかもしれない。
それにしても磯村勇斗という俳優の幅の広さには驚くばかり。凄みさえ感じてしまう。
リアルなシステム?
医療現場にいる自分としては、なんとも言えない問題。
ただ、この手の映画は「ソイレントグリーン」など、以前よりある話題なので凡庸かな。
賠償さんは演技とはいえども、老けた役が上手でした。
送り出す者への静謐な鎮魂歌
人生75歳選択定年制と言うショッキングなテーマで、ディストピア系のSFかと思ったら、非常に抑制の効いた心理ドラマでした。お話し自体は淡々と進み、登場人物のセリフも絞り込み、場面ごとのカットも状況説明が最低限であっさりしています。その分、観客は行間を読み込む必要があるんだけど、非常に上手く作ってあります。とは言え、老人役の皺の多い表情を執拗にアップで捉え、老いの現実を情け容赦なく映し出すのは、彼らの諦念につなげる狙いがあるかもしれないけど、ちょっと引きます。むしろ、彼らを送り出す三人の若者達が、個としての死を意識したことによる心境の変化が重要で、残酷なまでに描いていく監督の腕前はすごいです。役者では、倍賞千恵子が圧倒的な存在感ですが、オペレーター役の河合優実の無言の演技も素晴らしかったです。
とても深いんじゃないのかな?
この映画、少子高齢化社会への問題提起としてみるだけでいいのだろうか?
映画のタイトルや予告から想像して映画館に足を運ばれた皆さん。その多くが高齢者でしたが、どんな気持ちでみたのだろうか?
とても切なくなった。この映画のテーマは「人間不要論」ではないか?世の中で役に立つ人間とそれ以外の人間へと区別すること。
映画の中では、区別することによって役に立つ側にいる若い世代が壊れていく。
人は周りに歓迎されて生まれ落ち、感謝されながらあの世へ旅立つ。その風習があったからこそ、人の尊厳は守られてきたのではないだろうか?
浅い
良かった点は、まず、テーマ、題材。高齢社会の日本の中で今後ありえるんじゃないかと思うような、ファンタジーではなくリアルに描いていた点。
そしてオープニング。すごくインパクトがあり引きこまれて、印象に残るオープニングだった。
残念な点はオープニング。後々「え?このオープニングいらなくない?」ってなった。そしてどの事件をモチーフにしているのかが容易に想像出来る。オープニングと本編の差がある。オープニングのインパクトからの前半が中だるみし過ぎて、席を立ちそうだった。
そして、人間関係が浅すぎる。磯村くんとおじさんの関係性も、倍賞さんとコールセンター女子の関係性も浅過ぎて、そんなにお互いに情が湧いているように見えない。死体持ち帰るほどおじさんに思い入れあったの?これから死ぬ人に泣きながら電話するほど?その関係性を感じなかった。磯村くんもコールセンター女子もドライで仕事として淡々と業務をこなしてる方が良かったかなって思ったり。
予告が全てて、申し訳ないが予告の方が良かったです。
切実なテーマについて問題提起
後期高齢者75歳になったら自ら死を選べる制度「PLAN75」が導入された近未来の日本。冒頭のシーンからショッキング。制度導入のきっかけが、若者が高齢者を殺害する事件が多発するからとは…
倍賞千恵子演じる主人公の暮らしぶりや、高齢者仲間との交流、仕事や住まいを探す様子など、丹念かつリアルに描写している。じっくり時間をかけるところと、あえて省略するところの緩急の付け方は、是枝監督譲りか。「PLAN75」のロゴやPRビデオもすごくリアル。公園での出張サービスは、昨今見かける「マイナンバーカード」のブースのよう。
倍賞千恵子の登場シーンと、コールセンターの河合優実で繰り返されるカメラ目線は、観客に自分事と考えさせる問題提起として、強いインパクトを残す。
ただし、物語展開として不満はある。磯村勇斗と叔父とのシーンは、サブストーリーにしては結構時間をかけていたが、本筋とうまく絡んでいなかった。フィリピン人の介護士のエピソードも。問題提起に力点を置いているためか、ラストもあえて決着をつけずに、すべて観客に委ねている感じ。
倍賞千恵子は素晴らしかった。老いを晒しつつ、上品で、劇中でも触れられていたが、何より声がいい。
「姥捨て」「安楽死」という切実で重いテーマと真正面からデビュー作で取り組んだ早川監督の心意気を称えたい。次は、さらに自分の思いを表出するような作品づくりを期待したい。
ほんとにありそうで参った…
私は反対派。監督もこんな制度が出来ないように
考えた物語と。。
しかし妙にリアル。
来月からやってそうなくらい。
大人は観たほうが良いかも。。
そして、そして、
倍賞千恵子、磯村勇斗、河合優実の演技に
脱帽。
河合優実さん知らなくて、
大発見でした!
彼女のギリギリ涙声がやばい!
こんなスレスレの感情をキープできるなんて、、
女優さんて、やっぱりすごいですね!
昔話にも姥捨て山はあった
以前[護られなかった者たち]を観てから老後は、お金が尽きたら自殺するのがベストかなぁと考えてました。PLAN75はその答えかもと感じました。
奇しくも倍賞姉妹の映画でした。
年金を潤沢支給して、老後貯金不要または、貯金を制限すれば、経済が廻って税収入上がって景気回復する気がするのだが、、、、。
「少子高齢化」をテーマにしているのですかね? 高齢者の「孤立死」、...
「少子高齢化」をテーマにしているのですかね?
高齢者の「孤立死」、「就職事情」、「不動産の賃貸契約問題」、これらの様々な問題があることはわかりますし、この映画を観て改めて気づかされたところもあります。
しかし、政治的思想が入っているのか?
映画としても、社会の問題提起としても、正直面白いとは思いませんでした。
75歳以上の人が死んでもいいという法律で、高齢化問題を解決すること自体が、とても不愉快だし、無理があります。
これがアメリカ映画で、西暦3000年という設定だったらちょっと感想は違ったかもしれませんが、あまりにも非現実的すぎて、感情移入されませんでした。
そして、とにかく暗い。
前半1時間は、退屈で眠かったです。
これは、テーマが「尊厳死」をテーマにしていていれば、「安楽死」に賛成派も反対派もきちんと考える時間になったように思います。
ただ、「死ぬ側の気持ち」と「残される側の気持ち」が描かれていたこと、倍賞美津子さんがやっぱり素敵だなぁと思ったところは観に行って良かったです。
最後のシーンに果たして希望はあるのか
まず観客がほぼ満員というのに驚く。そしてその多くがPLAN75適用対象となる年齢層なのにさらに驚く。
もしかしたら老人会などで招待券でもバラまいているのか。だとしたらそんなブラックジョークはなかなか無いぞ。
「残りの生」を「年金」に置き換えたら、そのまま現在の日本の話になる。要するに現代版の姥捨山。
市役所とサポートセンター、2人の若者が疑問を持ちながら、この流れには逆らえない。
当然デストピア譚なのだが、画面から放たれるのは諦観というか達観というか、何かに抗おうととするものが無いのがひたすら怖い。
それにしても10万円が1回のみ支給とは驚いた。日本国民も安く見られたもんだなww
倍賞千恵子の圧巻の演技は、実年齢80歳だからこそ奇妙なリアリティがある。
貴方はカラオケで何を歌うだろうか?
本作を「高齢者問題」と捉えているうちは、まだ心のどこかに「他人事」という視点があるのではないだろうか。
PLAN75に申し込む人物に、自分自身、或いは自分にとって大切な誰かが重なった時、初めて本作を充分に味わう事が出来る気がする。
本作の最重要テーマは
「他者の痛みを感じる想像力」と「寛容さ」だと考える。
そして、それは鑑賞者自身の人生における実体験からしか生まれないと思うのだ。物語を読み解く時、幾らかの経験があれば同カテゴリーの追体験は読書からでも可能となる。しかし、最初はある程度の「実体験」が不可欠だ。
私は現在、義父の介護問題で東奔西走の日々を送っている。闊達で豪放磊落できっぷの良い大好きな義父が突然脳梗塞で倒れた。嚥下機能の低下で口から食事が摂れず胃ろう手術をし、排泄も自分では処理出来ない。義母も小脳変性症の障害で、義父の自宅介護は不可能。また、義父はせん妄が出る時には無意識のまま介護者に暴力を振るってしまうのでリハビリ病院や老健施設でも受け入れが難しい。
この数年で、福祉事務所や老健施設、特別養護老人ホームの見学や申請に必要な家族面接に幾度となく足を運んだ。
この映画はあまりにもリアルだった。
PLAN75ではないが、行政サービス、民間委託、相談やら申し込みやら散々経験している真っ最中だが、本当に書類だのトークだの、色々と受ける印象がこの映画の通りだ。東南アジアや南米から働きに来ているスタッフも見かけた。
また、生活費問題など誰だって突然苦境に陥る。義父も持ち家だし、私個人もそれなりに収入はあるにも関わらず、医療措置を常に必要とする義父が心地良く過ごせる環境を用意するには余りにもお金が足りない。
年金だけでは暮らしていけず、セーフティネットなんざ実際には穴だらけなんだ。
義両親の心の問題もある。西に呼び寄せ同居したいと考えているが、住み慣れた街や家を離れたくないという固い意思を尊重したくもあり、やるせない。
また、あの世代には「生活保護受給だけは絶対に嫌だ!」という方々が多いのも上手く描かれている。
PLAN75が導入されたら、実際のメインターゲットになるのは、義父のような状態の患者であろう。脳梗塞後遺症の高次機能障害で覚醒しない時間が多い。コロナ禍で会話の機会が少ないから滑舌が回復しない。私は義父の言葉が聞き取れるが、技量の未熟な医師に当たると「まともに会話が出来ない」と思われてしまう。認知症ではないのに能力の低い行政書士に当たってしまえば意思能力を欠くと見做されかねない。彼らが聞き取れないというだけなのに。
義父がPLAN75の存在を知ったら、きっと申請してしまうと思う。家族は必死でそれを防ごうとする未来が瞼に浮かぶ・・・。
事実は小説より奇なり。
PLAN75が導入される未来なんか、簡単に現実化すると思う。
貴方はコロナ対策にはマスクすべきと思うか?
マスクの効果は低くく、むしろ有害と思うか。
コロナワクチンは有効と考えるか?
それとも得体の知れない毒だと考えるか?
どちらの考え方だとしても、ほとんどの人は自分の意見を曲げず、反対する奴らの方がおかしいと思う事だろう。
誰がウクライナの悲劇を予測したか?
そして、それが明日の日本の姿になる可能性がどの程度高いと思っているだろうか?
同調圧力や絶対的暴力の前に、法律や倫理観は案外 無力だ。
PLAN75は、導入当初はミチや岡部のような「まだまだ働ける人物の自己申請」からスタートするだろうが、すぐに介護度の重い老人や住所不定の人々を掠め取るシステムに変貌していくだろう。
多摩川河川敷や大阪西成でPLAN75の受付をすれば短時間で多くの申請を稼げるのではないか。本作にも排除アートが登場していた。ヒロムが屋外受付設営を指示されたのは所謂「そういう場所」なのだろう。
やがては年齢関係なく「生産性が低い」とレッテルを貼られた人々に、罪悪感を植え付けて希死念慮を誘発するシステムに成長するだろう。ご丁寧なマニュアルも開発されて・・・。
(映画冒頭のショッキングなエピソードが物語っている。モチーフはもちろん「例の」K県殺傷事件である事は言うまでもない)
安楽死を行う施設は行政にとってゴミ焼却工場に等しい。設備もセキュリティもその程度だろう。金をかけるわけがない。
本作は、鑑賞者に「他人事」ではなく「自分事」と捉えて貰う為の努力に満ちていると思う。
どの世代にも、自己投影しやすいメインキャラクターが設定されている。
若い世代はヒロムや成宮。子育て世代はマリア夫妻(国際電話の向こうにいたって、経験と想像力があれば自己投影可能だ)。
世の中を回す中堅どころはフィリピンコミュニティのリーダー的女性・成宮のコールセンターで指導側の女性・ヒロムの上司等が相当する。
高齢者世代はもちろんミチや同僚達、ヒロムの叔父などだ。
彼らに共感できる人もいれば、同世代の友人・知人に近いと感じる場合もあるだろう。(どちらにしても自分の身近な現実を投影しやすい。)
寛容さの低下している日本と、寛容性を維持しているフィリピンとの対比も実に良い。
まだ5歳のマリアの娘の命。87歳のミチの命。河井醉茗(かわいすいめい)の詩「ゆずり葉」が浮かんだ。
「電話先の相手」や「ネットのハンドル名しか知らない相手」は自分にとって「記号」でしかないものだ。
心地よいやり取りをしているウチは親しいと錯覚しているが、一つ不快感を抱けば途端に「者」ではなく「物」と化す。他人を害する事が出来るのは、怨恨以外ならば、相手を「物」としか感じていないからだ。自分にとって血肉の通った大切な人間ではないからだ。
ヒロムも成宮も、相手が「記号」から「生きた人間」に変わった時、PLAN75に疑問を抱く・・・。
日本人は優しい・・・。
しかし昨今、優しさと平和と便利さに浸りきってしまって、痛みを経験する機会が激減していないだろうか。
だから過剰なほど「自分の痛みには弱い」し、その割に「他人の痛みには鈍感」だ。
若いうちは、老人になると痛みに鈍くなるとでも思っていやしないか?
私も子供の頃はなんとなくそう思っていた。
でも、ある時期から「歳を取っても自分の中身は10代の頃となんにも変わらないなー!」とつくづく思った。
好きな音楽も、趣味も嗜好も何一つ変わらない。そして、痛いものは変わらず痛いし、苦しい事は同じように苦しい。
きっと60になろうと、70になろうと、80になろうと、人の中身や感じ方は何にも変わらないんだ。
そう考えたら、高齢者に対する見方がガラリと変わった。彼らは自分の明日の姿だ。身体は衰えても、中身は自分と何一つ変わらないのだ。
自分にとって本当に大切な人を、自分は殺せるか?
もし、貴方を大切に思ってくれる人が誰もいないと感じるならば、PLAN75に申し込む前に「大切な人々」を得る努力をしてみないか?
本作には余白が多いという監督の言葉だそうだが、まったく感じなかった。どのシーンにも、これまで体験した事や印象に残る本の一コマなどがオーバーラップして思索を刺激してくる。ボーリング場の場面のように見知らぬ若者達と心通じた時。路上生活者の皆さんと酒盛りして身の上話を聞いた時。
山の上で満天の星空や、荘厳な峰々を眺め「世界はなんて美しいのだろう!」と心打たれ涙が止まらなかった時。
とことん憂き世に打ちのめされ、いつ命が消えても構わないと感じた時。紫色の夜明け前の清冽な空気と深煎り珈琲が生きる意欲をくれた時。
無駄なシーンは一つもなく、費やされる時間(これを余白と呼ぶのか?)は記憶の再生に丁度良い。
もし、本作の説明が不十分だとか不要なシーンがあると感じたならば、自身の経験が増えた時、再度鑑賞してみてはどうだろうか。(或いは己れの知性に自負がある場合はロラン・バルトの物語の構造分析でも読んでみてはどうか)
例えば主人公は10万円を本当に使いきれないはずがない。そう言ったのは謝礼を受け取って貰う為の方便だ。鑑賞中の疑問を脚本非難に直結させるのではなく、今までの認識と違った観点を知る為の手がかりにしたいものだ。
個人的には、非常に深く練り込まれた素晴らしい脚本だと高く評価したい。
具体的に細かく描く事ばかりが深掘りではない。テーマが大きければ大きいほど、抽象度を上げる方がかえって深い表現が可能となる。
マリアの娘がどうなったか?
ヒロムはあの後どうなったか?
ミチはどうしたのだろうか?
そんな事はむしろどうでもいい。
娘は助かったかもしれないし、亡くなったかもしれない。
ヒロムは処罰を受けたかもしれないし、逆に警官が火葬施設まで送ってくれたかもしれない。
ミチは長生きしたかもしれないし、孤独死したかもしれない。
個人の命運なんてサイコロの目程度の違いで簡単に変わる。
しかし人類の歴史は、私達一人一人が傍観者から主体者となる事で変える事が出来るはず。
美しい太陽を眺め、ミチが歌った吉田日出子の「りんごの木の下で」(ディック・ミネじゃないよな?その頃に青春時代なら100歳過ぎてる)
もし、これがアリスや山達、サザンにユーミンにみゆき、YMOや千春や元春なら?
もし、これが尾崎や氷室や米米なら?
もし、これがB'zやプリプリやミスチルやドリカムなら?
もし、これがスピッツやpuffy、宇多田やGLAYやELTなら?
MISIAやCHEMISTRYやケツメイシや倖田やラルクなら?
福山やEXILEやきゃりーや米津玄師なら?
貴方ならカラオケで何を歌うだろうか?想像して欲しい。
ラストシーンのミチは、未来の貴方自身かもしれないのだ。
「りんごの木の下で」が貴方のカラオケ十八番だったならと考えてみて欲しい。
自分事と捉え、主体者として生きたいものだと、気を引き締めさせられる映画であった。
※ここからは蛇足。
現行の法律に細かく照らし合わせて本作をマイナス指摘するレビューが散見されたが違和感を覚えた。
ちなみに撮影監督・浦田秀穂氏のご家族には非常に優秀な弁護士がいらっしゃる。
私も大変お世話になっているが、まったく杓子定規ではなく「車」と「食」に大変造詣の深い、気さくで面白い人物だ。
東京・大阪の名だたる弁護士達をどれだけ当たってみても「難易度の高い案件」と断られたり法外な見積りを出されたりして困りきっていた折、浦田先生にご縁を頂き、要介護5の老人を救って頂いた。我が家の民事問題などは難易度は高くとも些細だが、先生は日本中の誰もが知っている重大な事故の案件にも携わっておられる。
そんな浦田先生から「家族が撮影しているので」と本作をご紹介頂き、公開を楽しみにしていた次第だ。
つまり、浦田監督も早川監督も、そんな超一流のプロフェッショナルが大変身近にいるのだから法律に疎いはずがなく、脚本制作上の必要があればいつでも気軽に助言を貰えるのだ。
敢えてそれをしないシーンは、現行法律などまったく不要だからに他ならない。(法学書もいいがロラン・バルト読めやw)
枝葉末節に捉われ木を見て森を見ずの鑑賞はすまいと、己れの戒めにしたいものである(笑)
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