TITANE チタンのレビュー・感想・評価
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これはクローネンバーグの系譜か?
なんとも言いがたし。。
昨日観たのはご子息のポゼッサーで、今日はチタン。なにやら今週末はクローネンバーグに縁があったらしい。と、言ってもコチラの作品はクローネンバーグとはなんら血筋もなにも関係性はないんだろうけど、どうしてもクラッシュが頭をよぎり。またあちらは難解だったと思ったから、また観てみようかなともふと思った。
映像美、音楽、オサレ。近未来パンク的に。だが最後まで観ても自分にはいまいち良さが分からなかった。他のレビューサイトで若い男性が解説しているのを散見し、何となく納得はしたが、学のない自分にはそこまで深い作品とは読み取れず。RAWは観てみたい作品だけど未だに観れず。
改めて何となく、デビッド・クローネンバーグの偉大さを再確認したこの週末でした。
〜劇終〜
痛い、酷い、…
カンヌ、2021年パルム・ドールってことで、期待して観たのですが …サスペンス?ホラー?SF? なんでしょう?
いずれにしても凡人の私には理解不能。マニア向け(何マニア?)の作品だと思われます。
クラッシュと牛頭
たとえば園子温や蜷川実花のバイオレンス/グロテスク描写に恐さを感じない。過激化は彼/彼女の“どや”を絵にしたものだ。すげえだろ──と見せられる絵にすげえはない。
Julia Ducournau監督のバイオレンス/グロテスク描写は恐い。“どや”がないのはもちろん発想の根拠がわからないから。どうしてそうなのかわからないのでアドリアン(Agathe Rousselle)の凶暴が恐い。
かつてRaw(2016)のレビューにこう書いた。
『何年も映画を見ていると、どんなに突拍子もないアイデアにも、そう驚かなくなる。発想の出発点から、映画に仕上がるまでの内的プロセスに、ある種の納得を得られるのが普通。それができなかった。』
Titaneにも共通するところがある。
車と交尾して身ごもったアドリアン。衝動型の殺人鬼。じぶんの痛みも他人の痛みも関知しない。近づいた人を発作的に殺傷し、かんざしを膣へ刺して堕胎をこころみ、顔面をシンクへ打ち付けて鼻を折る。人間感覚がない。そして人間感覚がないことに、理由をみつけることができない。→恐い。
映画は頭にチタン製のプレートをはめた女──というだけで科学的ロジックはまったくない。ひたすら感覚だけで持っていく。その生理感とレイブのようなポップスタイルが並立していた。
クリティカルレスポンスは高評価寄りだが、かんぜんな否定派もいた。
何人かの批評家がクローネンバーグのクラッシュ(1996)を引き合いにし、Varietyのレビュアーはクラッシュと三池崇史の極道恐怖大劇場牛頭GOZU(2003)の融合である──と評していた。(外国人はあんがい日本人があまり知らないひとくせある日本映画を知っている)
一方、否定派はスタイリッシュだったRawに比べての粗雑感やトランスフォビア(トランスジェンダーにたいする嫌悪や恐怖)やミソジニー(女性憎悪・嫌悪)の気配を批判していた。
じぶん的にはそれらの中間点の印象をもった。
Julia Ducournauの感覚は奇抜だが、Rawとくらべると洗練度は落ちる。
狂的なアドリアンが、パパ(ヴィンセント・リンドン)と出会って、ヒューマニズムに目覚めていくような展開には常套性を感じた。また子の誕生によってなんとなく光明がさしこむようなエンディングへ落としたのは白けた。
本作はカンヌ映画祭(74回、2021)でパルムドール(最高賞)を獲っている。
審査委員長はスパイクリー。
雑感だが、カンヌ映画祭は、ズバ抜けた映画がある回と、佳作が横並びする回とがあるが、74回はなんとなく後者だったように思う。が、チタンをほめちぎったスパイクリーの目からは前者だったのかもしれない。
(カンヌ映画祭は審査委員長の裁定権がとても大きい。コンペにはドライブマイカーも出品されていたがスパイクリーがドライブマイカーを選ぶわけがない。)
とはいえこんなヘンな映画はJulia Ducournau監督しかつくれない。
子宮感覚という言葉がある。子宮感覚とは無能な女性クリエイターが低品質な作品への辛辣な批評を回避したいときに使う言葉だ。(かんたんに言うと「女なんで許してね」と言いたいときに使われる)オムニバス映画「21世紀の女の子」に名を連ねている女性監督なんかが好んで使う。
ただしJulia Ducournau監督には子宮感覚を感じる。明瞭に“女がつくったもの”を感じとれる。
なお女性のパルムドールはジェーンカンピオン監督(The Piano、1993)に続いて史上二人目だそうだ。
ちなみにバイオレンス映画ではないがバイオレンスをつかって映画をつくる河瀬直美氏はグランプリ(次点)なので含まれない。
映像的にも物語的にも優れていることは間違いないが、かなり心の準備がいる一作。
女性の成長を、「性」と「痛み」を手掛かりとして描き続けるジュリア・デュクルノー監督の最新作。映像面でも物語面でも、高度に練り上げられた作品であることは間違いないのですが、デュクルノー監督が追及する「痛み」表現は本作でも容赦なく、かなり直接的な描写が頻出するので、鑑賞するにはある程度の心積もりが必要でしょう。実際のところ、劇場でも途中で席を立つ人がちらほら見受けられました。
性別どころか、生物としての境界線すらも飛び越えてしまったようなアレクシアは、本能と欲望の赴くままに破壊的で場当たり的な行動を繰り返しているように見えますが、中盤以降、その状況、心境に大きな変化が訪れます。
結末は冒頭のどぎつい演出、映像からは想像もつかない着地点に落ち着くのですが、この、「性」「現実」「道徳」といった、序盤から中盤にかけて様々に張り巡らされていた要素が、終盤にかけて次々とひっくり返されていく構成の巧みさには驚かされると共に妙な高揚感を覚えました。もっとも、非現実的な状況に対して、自分の願望を反映させて高揚する行為そのものが、しばしば第三者の視点では受け容れがたいほどに奇妙であることを、ある人物の口を通じて示しているところが、デュクルノー監督の絶妙なバランス感覚なのだけれど。
これはブッ飛んでる‼️
この監督の脳を絶ち割りたい‼️
どんな才能なのか‼️
しかも女性じゃん‼️
凡人にはない発想でグイグイ引き込まれます‼️
こういうアートチックな作品をかたちに出来る才能に感服しながらキモチよく観賞出来ましたん🧡
第一印象は「なんじゃこりゃ?」だったのですが・・・
オープニング以降しばらく観ていると、クローネンバーグの「クラッシュ」を彷彿させるテイスト。むむむ?倒錯ワールドかなぁ?苦手だなぁって思いながら鑑賞し続けてましたが・・・・。
・・・違いました。確かにぶっとんだ表現です。きっと万人受けはしないと思います。だってとってもとっつきにくいんですもの。なぜこのような表現に至ったのか?僕の想像は追いつかないです。しかし鑑賞後、作品を思い起こす程に味わい深くなっていくんです。見終わった直後の切なくも救われたような感情が日に日に大きくなっていくのです。エキセントリックな表現ではあるものの、心の救済を描いた寓話なんじゃないか?と。
結局、人は血につながり云々ではなく、どんな理由でも良いから「絆」ができれば救われていくんだなぁと。主人公はじめ人は何かしら「欠けている」いや「欠けてしまっている」だからこそ、人は共に受け入れ、理解し合い、補い合っていくのだろう。それが絆となり心を支え、救済に繋がっていくのではないでしょうか?
主人公は事故で欠けたものをチタンプレートで補ったわけだが、それが起因のように「人の心」を持ち合わせていないような女性。それだけではなく冷め切った家庭(愛情なさそう)が産んでしまったという側面もあるかもしれません。まさに機械のような心の持ち主。そんな彼女が内に育んだものは一体何だったのか?絆が生んだ心の救済の先にある新しい命、そこに愛情は芽生えているのだろうか?主人公の心の成長(というか修復かな?)を望みたいところです。
金属製だから心が無いわけじゃない。心が生まれて育つ理由はあるのです。温もりがある金属だって、機械だってあるはず。
オープニング画面に出るタイトル名の「TITANE」と、エンドロール前に出る「TITANE」の文字。何となく見え方の印象が変わったと思ったのは僕だけなんでしょうか?考えすぎかな?
弱点を凝視せよ
ムリムリムリ
めっちゃ怖かった〜
聞いてたから覚悟して行ったんだけど
何度も目をつぶって耳を塞いだ、、、
説明を求めたり、考えたりしない
諦めて身を任そうとするが
強張るばかりで疲れた
枠にはまらない映画は◯
だけど暴力と殺人の映画はno good
黒い体液とどんどん大きくなるお腹
そして産み落としたもの…チタンの子
【”抜かれるのなら、度肝だよね!”物凄くエロティックで、物凄く痛そうなシーン多数。冒頭からラストまで、”私は一体何を観ているのだろうか・・”と思いながら一気に引き込まれたアドレナリン大放出作品。】
ー ”監督が「RAW ~少女の目覚め」の人だからなあ・・、”と思いながら、劇場へ。
で、1時間50分後に、余りの奇想天外な内容と衝撃映像の数々に、ヘロヘロになってしまった作品である。あー疲れた・・。-
◆感想<Caution! 内容に思いっきり触れています。>
ー 冒頭の幼きアレクシア(アガト・ルセル)のヤンチャな行動で、走行していた車は道路癖に激突。で、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれ・・。ー
・新車のモデルショーでアレクシアが、物凄くエロティックな踊りを新車の上で踊るシーン。
ー ”そんなことはやらないよ!普通・・。”だが、車に執着する彼女の異常行動が始まって・・。-
・”鋭く長い髪留めの使い方が、間違っています!”と思わず脳内で叫んでしまった、あれだけはやられたくない物凄く痛そうなシーンから、物語は急上昇。
ノンストップエロティック&痛そうなシーンがてんこ盛り・・。
・攻撃性を抑えきれないアレクシアは、次々と犯罪を繰り返し、逃亡の為、自らの鼻を折り(もう、痛そうだから止めて!)行方不明になった息子を長年探し続ける、消防士バンサン(バンサン・ランドン)の家に息子に成りすまして共同生活を始めるが・・。
ー このお父さんも、可なり変な人物で、尻に注射してから激しい運動を繰り返したり、どこかおかしい・・。-
・途中から、アレクシア腹部が異様に膨れ上がり、黒い液体が・・。
ー あれは、何?ガソリン??。車とあんなことをしたから?
モウ、ナニガナンダカワカリマセン。
けれども、この奇想天外な展開にドンドンドンドン魅入られていく、私。-
<冒頭から、ラストまで何が何だか分からないが、物凄い吸引力でスクリーンに引き込まれた作品。鑑賞後、非常に疲弊したけれども、面白かったなあ。正に、アドレナリン大放出作品である。
暫く、この奇想天外な映画の各シーンは、脳内を駆けずり回るだろうなあ・・。>
<2022年6月4日 刈谷日劇にて鑑賞>
純文学のような映画
純文学のような映画というか純映画とでもいったほうがよいのでしょうか。
自分のようにドラマを追いかけるタイプには全然理解できないようです。
人を見れば殺してしまうアレクシアがなぜ隊長には心を開いたか
そもそも何故逃げるのか
車と交尾するが、黒い血は悪魔という意味?車は悪魔なのか
隊長の元奥さんが隊長の妄想についていっているが自分の子供は死んだというようなことをいっているが矛盾してないか
などなど
攻めの姿勢は大いに買い!なのだが…
う〜ん… テーマも大枠の展開も、とてもチャレンジングなのだが…
ちょっと脚本の詰めが甘いというか…
振り切り具合がイマイチ弱かったというべきか…
特に一番の肝となるキャデラックとのセックスシーン、アレはもっと出来たと思うけどなあ。
アレだけじゃ、女を孕ませるほどの性的な濃密さに欠けるし、オルガズムの演技や演出も全く物足りない。
伏線として、オープニングでのマシーンとしての車(だよなアレ)をもっと官能的に描くとかしないとアカンよ。
そもそも前フリとして「キャデラックが女を妊娠させる映画」なんていう前情報が無かったら、激しい自慰行為の最中、脳内が異常な世界へトリップしてるだけにしか見えなかったと思う。
というか殆どエロいコントだった。
いっそのこと、殆ど有り得ないコメディとして振りきって、あのラストで突如としてシリアスに昇華させた方が良かった気もする。
性衝動と殺人衝動がリンクする根拠付けが無いのも物足りなかった。
これにより、衝動的な行動の必然が見えにくく(埋め込まれたチタンの影響かもしれないが、それを匂わす描写が無い)リアル感は薄れ、どこか与太話のようで(どこかコメディ的ですらある)逃走後も無理筋な展開が続いていく。
ならば、これはある種の寓話として観るべきか?と思ったりもしたが、それならそれで、もっと寓話らしい演出(作品の核の部分の心象風景を各所の要所でインサートするとか)して欲しかった。
あと嘘の家族生活が始まってから冗長なテンポになってしまったのも失敗だったと思う。
出来れば、消防署の隊長も、もう最初の夜の段階で息子の裸体を見てしまって、普通なら騙された!となるところ、無理筋と分かりつつも、長期の誘拐中に強制的に性転換させられたのか?と無理矢理にでも強引に思い込むとか…
そんな自分自信を騙し騙し、異常な妄想の中に生き続ける男として、もう最初の方から描いてしまった方が、それ以降のプロットの類推も広がりが出て、色々と面白くなったと思う。
まあラストは、ああなるんだろうなと思っていたら、本当にそうなって、そのままクローズを迎えてしまった。
愛の力によって、最後の最後で主人公は自由に解放されたと言えなくもないが…
あのストレートな終わり方も、ちょっと物足りなかったかな。
尚、この作品は、監督のインタビューによるとクローネンバーグやヒッチコック『めまい』の影響により、作られているらしい。よって、どちらも苦手な人には正直お勧めできない。
が、しかし、
この作品がエポックメーキングになったのは間違いないだろう。
好き嫌いは別として、まさに同時代感覚をリアルタイムで味わいたい人は、一度は劇場へ観に行った方が良いかもしれない。
身構えて観たんだけど、それでも想像を遥かに超える映像とストーリーが...
身構えて観たんだけど、それでも想像を遥かに超える映像とストーリーが待っていた、ひたすら驚愕108分。ジュリア・デュクルノー恐るべし。
実は愛について語られた美しい映画なんですが、絶対デートには使わない方が良いですね。パートナーがクローネンバーグ「クラッシュ」を愛しているというレアな場合を除いて。
独創的な世界観をラストまで貫徹した凄さ
車に異常な愛着を持つ女性が辿る戦慄のサスペンススリラー。
機械と人間の融合という意味では塚本晋也監督の「鉄男 TETSUO」を連想させる。また、車をモティーフにした異常性愛という意味ではD・クローネンバーグの「クラッシュ」の要素も見受けられる。まるで意志を持ったかのように展示車がアレクシアを犯すシーンにはJ・カーペンターの「クリスティーン」のような恐ろしさも感じられた。おそらく意図的な拝借ではないかと思うのだが、いずれにせよこの手のジャンル映画好きな自分にとっては、こうしたオマージュも含め、本作は中々楽しめる作品だった。
そして、ただのオマージュ映画に堕していないところも特筆すべき点である。物語後半から本作ならではのオリジナリティの要素が強く打ち出されていくことで、唯一無二の作品となっている。それは昨今の潮流とも言える多様性の肯定である。純粋にジャンル映画を楽しみたい人にとっては賛否あるかもしれないが、個人的にはそこに見応えを感じた。
監督、脚本は「RAW 少女のめざめ」で鮮烈なデビューを飾った新鋭ジュリア・デュクルノー。
序盤から急展開の連続でグイグイと惹きつけられた。どうしてこうなった?という疑問に対する答えがないまま話がどんどん進むので、人によってはこの時点で乗れない人もいるかもしれないが、個人的には先の展開の読めなさもあってかなりスリリングに観進めることが出来た。
また、要所のバイオレンス描写が痛々しく撮られているのもこの監督らしい。中には目を覆いたくなるようなシーンもあった。前作でも感じたことだが、明らかに監督の特異な性癖から来ているものと思われる。ゴア描写を売りにしたホラー映画とはまた違った生理的不快感が感じられた。
ただ、映画を観終わってみると、脚本全体の作りは前作「RAW」に比べるとやや粗いという感じがした。論理性に欠ける部分があり今一つスッキリとしない。
例えば、アレクシアがどうして殺人を犯すようになったのか?その経緯がまったく語られていない。ただのサイコパスと安易に片付けられない問題であり、そこは観る方としてはどうしても気になってしまう。
アレクシアが車に異常な愛着を持つに至った経緯も明確に説明されていない。おそらく幼少時代の自動車事故が原因でそうなったと思われるが、事故を起こす前から彼女はエンジン音を口ずさんでいた。だとすると、生来的なものなのかもしれない。これも今一つ判然としなかった。
父親との冷え切った関係の原因についても明確に描かれていないので想像するしかない。映画後半の展開を考えると、ひょっとしたら児童虐待的な行為が日常的に行われていた可能性も考えられる。
こうした不明瞭な点が幾つもあり、今回の脚本は個人的には余り感心しなかった。敢えてドラマに不条理性をもたらせるべくそうしている節も感じられるが、少なくとも普通の観客が観たらサッパリ分からないということになりそうである。
もっとも、後半に入ってくると徐々にドラマに芯が立ち始めていくので、そのあたりから大分理解しやすくなってくる。暴力性に溢れた前半からは想像もつかないような抒情性も見せつけ、このギャップには良い意味で期待を裏切られた。終盤にかけてテーマも上手く醸造していたと思う。
キャストではアレクシアを演じた女優のインパクトが際立っていた。前作「RAW」のヒロインもそうだったが、今回も演技経験のない新人というから驚きである。
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