ニトラム NITRAMのレビュー・感想・評価
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理不尽と不条理
ポート・アーサー銃乱射事件に至る過程を、事件を起こした「NITRAM」の人間模様を映画にしています。これが結構重いので以下、雑感を箇条書きで。
・人は誰しも不幸になりたくないし、不幸にしたくもない。しかし、個々人は独立した人格であって、立場もあり、思いは様々。それぞれの接触が常に意図した方向に実現するわけでもないし、実現しない方が圧倒的に多い。その実現しないストレスが行動に影響を与えていくが、実現してもいい方向に動くとも限らない。
・人はやさしさを求めている。与えるかいただくかは問題じゃない。が、やさしさに人は満足するわけでもない。
・実は、MARTINと呼んでいる人はいなかったことに気づいた時の衝撃
・「からかい」「いじり」がストレスになり、暴発するのは人の性。どこでも一緒。今回はいじめられっ子の暴発なんだろうけど、大好きな父が失意で弱ったこと、両親以上に心を触れあえることができたヘレンを失ったことが混ぜこぜになっちゃったか。
・NITRAMを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、どっかで観たようなでもなあ、と後で調べたらアウトポストで配属されたきた彼じゃないか!化け方がすごい。なんだよ、あのだらし無い身体の作りは。大変だったろうなあ。それから、発達障害者の演技が秀逸。
・たぶん、事件を起こした本人自身がどうしてこうなったと思っているんじゃないかな。
映画自体は非常に興味深く良作ですが、自分自身、消化し切れず胸糞ということもあり、あまりお勧めはしないかな。
実際の事件
1996年にオーストラリアで実際に起きた銃乱射事件の犯人の事件を起こすまでの映画。
なかなか周りに馴染めず、孤立した青年マーティン。イジメにもあっていただろうし、大人になっても、近所の子供にまで揶揄われてしまっている。同年代にも相手にされず、仕事にも就いていない。
たまたま出会ったヘレンという女性と仲良くなり、お金持ちでもある彼女から車をもらったり、お金も残してくれた。それで銃も買えてしまった。彼のことは街中が知っているだろうから、銃を買えてしまうことがよくないし、免許もないのに車の運転を許している父母や他の大人たちもどうしたものか?
ヘレンのお金で海外は行ったのか?パスポートは取れたの?と疑問が残る。
ラスト、この事件をきっかけにオーストラリアでは全ての銃を政府が買い上げて破棄したと伝えていた。他の国も見習ってほしいものだ。でも、現在は当時を上回る銃が出回っているとのこと。なかなか銃のない世の中にすることは難しいようだ。
ニート病む
1996年オーストラリアのタスマニア島で起きた銃乱射事件を基に、単独狂行に及ぶまでいたった青年の心理に迫っている。監督は、これまでにも凶悪犯罪者を主人公にした映画を多く撮っているオーストラリア人ジャスティン・カーゼル。ガス・ヴァン・サントの『エレファント』をはじめ、乱射事件の被害者をあつかった作品は意外と多いけれど、その犯人を主人公にした映画というのはあまり見たことがない。
社会からの疎外、孤独、嫌われ者、奇行、性的異常....他人との接点がほとんどないという共通点を持つ犯人たちを主人公に物語にしても、観客の共感を呼べないとわかっているからだろう。そこでジャスティン・カーゼルは何をどう演出したかというと、犯人の青年に神の選択肢=偶然の出会いをもたらし、ラストの犯行へと導いているのである。オーストラリア州政府による銃規制の甘さをエンドロールで糾弾したりして予防線をはってはいるが、おそらく主題はそこではない。観客に犯人の“深淵”を覗き込ませることにあったのではないか。
タイトルの『NITRAM』はマーティン(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)の逆さ読みで、“シラミ野郎”という意味を持つ蔑称らしい。小さい頃から花火が好き、騒音をたてるため近所中から怒鳴られまくっている大の嫌われ者だ。この“NITRAM”、精神科の病院からクスリを処方してもらっているが病名がよくわからない。発達障害なのか躁鬱かそれとも知的障害者なのか、本人友達を作ろうと一生懸命なところを見ると、どうも引きこもりや自閉症とは違うようなのだ。
ただでさえ観光ぐらいしか仕事が無いタスマニアで、そんな厄介者のNITRAMを雇ってくれるところなどあるはずもなく、甘々の両親のもとで3食昼寝付きのニート暮し。民宿経営を夢見る親父はそんなダメ息子を一切叱りつけることもなく甘やかし放題で、母親(ジュディ・デイヴィス)は口うるさくNITRAMを管理しようとするがあくまでも世間体から、(映画ラストに示されるように)基本的には出来の悪い息子に無関心なのだ。この甘やかしと無関心が怪物NITRAMの基礎を作ったといっても過言ではないだろう。
サーファーに憧れ金髪を伸ばしているNITRAM、金をためてボードを買おうと芝刈りのバイトを始めたのがいけなかった。雑草が延び放題のお化け屋敷で犬猫たちと暮らす孤独な大金持ちヘレン(エッシー・デイヴィス)と出会い、さらに人生甘やかされてしまうのである。食うに困らない生活と自分に懐くペットたち、口やかましい母親のいない広々とした住居スペース、そして大量の銃を買い込む資金源を得たこと、これらがNITRAMの凶行を物理面からサポートしたのである。
しかし、不慮の事故(っておまえのせいだろ!)で唯一の理解者を失ったNITRAMはまたもやボッチ生活に逆戻り、神はこの変人に友人だけは決して与えようとしないのだ。途中で挟まれた(よくパスポートが発行されたなと思うのだが)NITRAMのハリウッド一人旅の模様を自撮りしたシークエンスが、抜群の“孤独”演出効果を発揮しているのである。ポート・アーサーでも殺戮シーンをおさめるためハンディカムをセットしていたNITRAM。つまり誰かに見てもらうために犯行に及んだのではないだろうか。
小さい頃花火の火の粉を浴びて大やけどをおってTVニュースのネタにされたり、近所の大人たちから「うるせぇこのガキ!」と怒鳴りつけられたり、小学校のガキどもからやんやの(バカにされた)喝采をあびたりした時の快感が、生涯忘れられなかったのではないだろうか。「みんなが俺のことを見てくれている」そこにいてもまったく無視される“シラミ”のような存在の自分にみんなを気づかせる唯一の手段、それがNITRAMにとっての“ドンパチ”だったのではないだろうか。
主人公の内面を掘り下げるケイレブの態度
202303 454
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MARTIN
時々僕は自分を見て分からなくなる
誰を見ているのか
何ていうか、そいつに届かない
皆と同じになるようそいつを変えたいけど
方法がわからない
だから結局僕はここにこうしてるしかない
MOTHER
あなたが何を言ってるか分からない
MARTIN
別にいいよママ。僕も分からない
胸糞悪すぎる
気分を下げたい時に見る映画
犬かわいい
猫かわいい
母の「あなたの言ってることはわからない」悲しい
銃乱射のシーンないのが逆に残酷
言うたら
リアルジョーカー
無敵の人になるまで
闇が強すぎて閲覧注意
主人公の無力感半端ない
父親もつらい
10年前の自分がこの映画を見ていたら、意味がわからない。ただただ主人公が怖い。と言った感想を持っていたと思う
ケイレブの怪演
孤独、喪失、心の疾患?
正直彼の内面が理解しきれず共感しづらい。
事件を起こした理由もわからん。
だが、その難しい役のニトラムを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズは流石の一言。
また、ニトラムの母親役のジュディ・デイビスの演技も凄く良かった。
ラストの銃乱射直前で場面を切り替えて母親とテレビのシーンを写すとこ好き。
じりじりと緊迫感に包まれて
主人公を演じた人、うまいですねえ。肉がだぶついた大きな子供。いつ、どんなことするかわからない感じでヒヤヒヤ。でも、時折見せる優しさにちょっとほっとしたり。
1996年、実際にオーストラリアのタスマニア島で起こった銃乱射事件がベースになっている、というのは映画を見てからわかったのですが、残忍な事件そのものを描いた映画ではありません。
主人公マーチン(二トラム)の事件に至るまでの日常生活と心理描写が繊細に語られていき、観る人に<想像させてしまう>映画といってもいいかもしれません。エンディングでは銃規制のことがテロップで淡々と流れます。しかし、「銃規制」という社会問題だけを扱ったものではなく、やはり、主人公の周囲の環境やら持って生まれた性質など、いろんなものをイヤでも考えさせられて、緊張感に飲まれながらラストへと導かれていきます。
親の育て方が悪かったか?
私にはそうは見えませんでした。オープニングで花火で火傷をしたところをインタビューされる、小学生?のときの主人公が登場するところからして、幼少の時から、両親は苦悩の連続だったと思います。母親はクールで威圧的な感じはしますが、深い葛藤もあったでしょうに。父親だって自分のこと以上にマーチンのことが気がかりで、母親が追い詰める分、優しく(甘く)接するしかなかったでしょうに。
若くはない女性ヘレン、存在感がすごくミステリアス感たっぷり。ヘレンがマーチンのことを「おもしろいし、心がやさしい」(という表現だったかな?)と認めているので、マーチンも素直でうれしそう。マーチンがパンツ一丁でヘレンのベッドに飛び込んで、はしゃぐシーンが印象的。マーチンにとって、一時の心のオアシスだったのかも。
もちろん、銃乱射したマーチンは悪いのですが、誰が悪い、あれがいけなかった、ああすればよかった、などと、答えは出ないですね。それをうまく感じさせてくれる映画です。哀しさ、虚しさ、やりきれなさをたっぷり感じてしまいますが。
映画「JOKER」とテーマは同じ
1996年オーストラリア・タスマニア島で起きた銃乱射事件を題材にした映画「NITRAM」を観て、最初に頭に浮かんだのが米映画「JOKER」です。シチュエーション、人物像は違うが、内容的には共通している部分が多い。
この映画の主人公MARTIN(NITRAM)は、軽度の障害のため社会に馴染めないので、大人になってもニートで、親にパラサイトしているし、障害手当ももらっている。そんな彼が、元女優で金持ちのヘレンに会い、恋愛関係になっていく……(後は映画・ビデオを見てください)。
欧米では、毎年のように銃乱射事件が起こっているが、日本では、刃物で切り付けたり、自動車で跳ねたりする事件が毎年のように起こっています。各国で事情は違うかもしれないが、ほとんどが男です。
「全てのことがどうでもいいや!」と人生を投げた男が起こす事件が多い。「事前に○○すればよかった」、「事前に○○できなかったのか」などの後付け評論をしても、人権のこともありほとんどできません。安倍元首相の狙撃事件を見ればわかります。
残念ながら、このような事件を未然に防ぐことは、民主国家ではほとんど不可能です。
もう(花)火で遊ばない?
冷たい社会の抱える様々な問題点を浮き彫りにしながら、しっかりと丁寧な描写で疎外感や劣等感、負の感情を積み上げていく。変に脚色されたり、作品自体が過多になることなく、ものすごくパワフルに掴まれるドラマ。自分をおかしいと思わざるを得ない環境を作った親や周囲からすれば、あるいは傍から見れば一見支離滅裂に映る(ような)ことも、本作を見ればなんだか少し解ってくるよう。拒絶されてバカにされて、見返したくて一目置かれたくて、あるいは人の輪に入りたい、認められたいと思って。嘘はつかない。
ジャスティン・カーゼル監督と(オーストラリアの)実際の殺人事件。一方は連続で、もう一方は無差別。彼の出世作『スノータウン』の方は主人公の少年を導くヤバい男の直接的な影響という存在が大きかったので、それと本作では同じにはできないけど、陰鬱な空気や何処かドキュメンタリータッチな演出然りやはり通ずる部分もあるだろう。そして何より、恐らく体も増量などいわゆるだらしなくしているであろう、"普通"になれないケイレブ・ランドリー・ジョーンズの熱演が見る者を強烈に引っ張る。今までも大作というより様々な小規模かつ良質インディー(アート)形の助演というイメージだった彼が体を張って周りに打ち解け馴染むことの困難大変さを体現するよう。ウスノロやニブい、知恵遅れなどと蔑称/差別用語で形容され、呼ばれ罵られて。ニトラムとは呼ばせない、呼ばれたくない。みんな絶望的な気持ちで毎日を生きてる。だから、こうすべきなんだ。
そんな彼を真っ直ぐあるがままに受け止める女性との出会い。自動車販売店の常連となっているのも、車自体が別に欲しいわけでなく、その購入の過程でのコミュニーケーションが目的。人々の抱える孤独。けど、その出会いによって奇しくも得た大金や場所が、軍資金となり銃の練習場所となる。お金のために後から来た人に勝手に売っている不動産、いとも簡単に凶器を買えてしまう銃社会。凶行/犯行に至るまでの瞬間、なにが彼を"そうさせたのか"?…という表現にしてしまうと語弊が大いにあるが、間違ってももちろん起こした犯罪を擁護するわけではなく、その背景にあった要因を紐解いていく。なぜこれだけ人々が亡くなっても、銃乱射事件は無くならないのか?犯行理由/原因は謎のまま…か?根本から無くすためにはどうすればいいのかということを今一度考える契機となるだろう。そして無音エンドロールまで圧巻の余韻…うむ。
芝刈り
チッチ、チッチ
勝手に関連作品『エレファント』『タロウのバカ』
P.S. 公開当時、映画館で絶対に見ようと思いながら、同時に絶対気分沈むだろうな…と思って行き損なっていた作品
これは、えぐい
かなりアウト寄りな映画
でも、心の奥ではこんな映画を求めていたのかもしれない…
ニトラム
Matinを反対にしたNitramという蔑称で呼ばれていた主人公
彼がどうして完全にニトラムになってしまったのか
そして、誰が彼をニトラムたらしめたのか。
そんな映画でした。
彼が悪いのは、大前提なんだけどさ、
やっぱりこういう映画を見るとそれだけじゃないというか
まあそういう造りになっている。
銃を購入するシーンなんて本当ゾッとするよ。
こんな時だけは、日本に生きてて良かったと思いますな…。
本当、幼児のいる部屋での売買とか、
普通に銃の店行っても余りにも簡単に買えてしまったり、
奥に購入客がちらほら当たり前のようにいるんですよね。
演出の妙だな、と思うんですが、余りにもグロテスクだった。
全体的に役者さんが素晴らしかった。
父も母もヘレンも。
そして、主人公。
どっかで見たことあるなーと思ってたら、スリービルボードの彼か!!
すげえや!ケイレブ・ジョーンズ、とっても良い役者さんですな…。
静かなのに、緊張させられるシーンが多く、
一時間くらいでもうお腹いっぱいでしたよ…。
それほど凄い映画ってことなんですけど。
うろ覚えだけど、「ブルーリベンジ」ってこんな雰囲気あったような。
後半にかけてヒートアップするような映画のはずなのに、
中盤もしっかり面白いんだよなあ…。凄い。
ラスト、露悪的に銃撃シーンを見せることもなく、
各所への配慮が行き届いてるなと思いました。
ただ、こういう映画を観たとて、
やはり私には恐怖を感じることしかできないんじゃないか。
と無力感を感じてしまいますね。
最低限のことは、していかないといけないです。
やっぱり最後の文章の恐ろしさは、現代に続いているし、
銃規制のない国に住む事の恐怖をまざまざと感じました。
孤独な青年の病んだ心に迫った野心作
自分は本作を観るまでこの事件のことを知らなかった。ただ、アメリカなどでは今でもこうした発泡事件は頻発しており報道などでよく目にしている。そこには人種偏見や貧富の格差といった社会的構造が大きく関係していると思っていたが、しかしそんな一面的な捉え方をして知った気でいるのは大変な間違いであったということに気付かされた。今回のケースは社会的な要因というより私的な事情から犯行に及んだように見える。
映画はニトラムの荒んだ日常生活を淡々と筆致するシークエンスで構成されている。母親との軋轢、周囲に馴染めない不器用さ。そうした鬱屈した感情が克明に記されている。そして、そんな荒んだ心は近所の裕福な独身女性ヘレンとの親交によって、少しだけ潤いを見せていく。しかし、その幸福も束の間。”ある事”によってニトラムの未来は再び暗く閉ざされてしまう。
映画冒頭でニトラムの幼少時代のニュースフィルムが出てくる。花火で遊んで火傷を負ったということでローカルテレビ局のリポーターが彼にインタビューするのだが、これを見る限りすでに彼はこの頃から問題児だったということがよく分かる。青年に成長してもその性格は変わらず、映画を観る限り自分はADHDのような印象を持った。実際にカウンセリングの治療を受けるシーンも出てくる。
ただし、だからと言って病気のせいだけにして、今回の事件を片付けてはいけないような気がした。
厳格な母親との衝突が彼を追い詰めてしまったのかもしれない。幼い頃から虐められっ子で、その反動が積もり積もって爆発したのかもしれない。あるいは、彼のことを唯一理解しようと努めていた父を襲った”ある悲劇”が関係しているのかもしれない。愛するヘレンの喪失感から自暴自棄になったのかもしれない。
このような様々な問題が複雑に絡み合って今回の事件が起きたように思う。
いずれにせよ、事件で命を落とした犠牲者にとっては正に理不尽以外の何物でもなく、どこかで防ぐことはできなかったのか、と思ってしまう。強制入院させるべきだったのではないか。周囲にもっと手を差し伸べる誰かがいなかったのか。いくらでも方法は思いつくが、現実にはそう簡単にいかないのだろう。
本作を観て一つだけ違和感を持ったことがあった。それはエンドクレジットで流れる銃規制に関するテロップである。その内容についてはまったくその通りだと思うが、ただ犯人の心のうちに迫るという本作の趣旨を考えると、いささか唐突な感は拭えない。どうしてもそれを訴えたいのであれば、また別のアプローチでこのドラマを描くべきだったのではないだろうか。例えば、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」のような銃社会に対する徹底したリサーチがあってしかるべきであると思う。
キャストではニトラムを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演が印象に残った。スマートなイケメン俳優として売り出していたが、今回は体重を増やして非モテな自閉症気味なキャラを独特の風貌で作り上げている。時折見せる冷徹な眼差しがシーンに見事な緊張感をもたらしていて目が離せなかった。
尚、実際の事件についてはwikiにも掲載されているので興味のある方は読んでみることをお勧めする。本作とは大分異なる内容で驚くかもしれない。自分も後から調べて分かったのだが、今回の映画は多分にフィクションが混じっていることに驚かされた。エンタテインメントとしてはこういう作り方もありかもしれないが、事件そのものを曲解しかねない危険性もあるので、ある程度は慎重さも必要だった気がする。このあたりは観る側のリテラシーが試される所だ。
よかった
映像の空気が古くて60年代か70年代の雰囲気なのだが、96年の物語で、え?と思う。
主人公がとんでもない疫病神なのだけど、ビデオ屋や蔦屋によくいるタイプで心配になる。主人公もよくないし、両親もよくないし、武器屋も悪い。ありとあらゆる要素が負の方向にドライブしていく。親切なおばさんも結果的にとてもよくなかった。もたらされた経済でモンスターとなってしまう。
子ども部屋おじさんでニートで童貞映画でもあった。殺人シーンははしょられている。
無差別銃乱射 ポート・アーサー事件
事実に基づく映画で、オーストラリアで起きた無差別銃乱射事件を描いてます。
殺害のシーンは描かれておらず、犯人が事件を起こすまでを、
どんな家庭に生まれ育ち、どんな人生を歩んできたのか、人間ドラマで描かれます。
当然、観たあと気分が悪いです(笑)
発砲しはじめる前に、
「今日は白人ばかりだ、ジャップはいないんだな」と言ってから、無差別に発砲した
と言われてますが、
監督いわく、確固とした証人もおらず、本当か確証が取れず、思想も不明瞭な部分が多かったので、描かきませんでした
特定の民族を狙った殺しではなく、明確に分かっているのは、無差別だった事
だそうです。
パンフレットに興味深い事が色々と書いてありました。
銃が無ければ乱射事件は起きようが無い。とは言うものの。
AR-15やBenelli M1014が、許可証も無くアッサリと市中で買えてしまう恐ろしさ。ガンは売れないと言いながら、密売屋からコルト・パイソンまで手に入れてしまうし。
銃乱射事件後、一時的な増税で原資を捻出したオーストラリア政府が回収した銃器は64万丁。未登録銃の保持は、当時のレートで最大2,640万円の罰金、14年の懲役と厳罰化しましたが、数年で規制前のレベルを超えました。
理由は簡単。登録さえすれば良いんで。一旦、銃社会になってしまうと、後戻りする事の難しさを教えてくれます。
映画本編は、終始不穏と恐怖を抱く描写の連続。軽い知的障害と鬱を抱え、予測不能な行動を取り、時に暴力的になるニトラムへの怖さが付き纏います。
父親にプレゼントされたエアガンが好きなニトラムは、知り合いの好意を得る目的で銃を買い、手渡そうとしますが拒否されてしまう。ヘレンと父親とを立て続けに喪くし孤独に苛まれる日々にダメ押し。TVのニュースで見た銃乱射事件に触発され、模倣するつもりになったのか、更には銃を買い足し弾丸も揃えて、凶行に及ぶ。ヘレンから贈られた50万ドルも、最後には使い果たしていた様です。
狂っていると言えば、その通り。ニトラムを止められなかった責任が誰かにあるのか。考えても、詮無い話であり。
市中に銃がある限り、悲劇は繰り返されるであろうよ。ってのが、映画の結論。
日本じゃ、包丁による切り付け事件・大量殺人も起きてますから、銃社会特有の問題でもないよ、ってのはあるにせよ。現実的には、結局は銃対策しても、程度問題にしかならないよ、って事に帰着してしまう。
怖かった。
下手なホラーより、遥かに。
動機がわからず、銃規制のきっかけになった事件だと知れたくらい
1996年4月28日、オーストラリア・タスマニア島・ポートアーサーでの無差別銃乱射事件を映画化した作品。
父と母と3人で暮らしていた27歳のマーティン青年は小さなころから周囲に馴染めず孤立し、同級生からは名前を逆さに読みしたNITRAM(ニトラム)という蔑称で呼ばれ、バカにされてきた。ある日、サーフボードを買うため芝刈りのバイト先で、ヘレンという50代の女性と出会い、気に入られ同居させてもらった。しかし、ヘレンが運転する車の助手席からハンドルをいじり車は横転してヘレンはその事故で亡くなった。ヘレンの財産をもらったニトラムは銃を買い求め、父の買いたかった別荘地に住んでる夫婦を皮切りに35人の死者と15人と負傷者を出した無差別銃乱射事件を起こしたという話。
ニトラムは近所迷惑な花火を打ち上げたり、無職でブラブラして親にお金を無心するような、元々おかしな行動をとっていたから、何がきっかけなのか?無差別銃乱射事件の動機は観終わってもよくわからなかった。
ヘレンを殺した事は追求されず、父親の死にも関係してたのかとも思い、頭のおかしな奴に近づいちゃいけないという教訓なのかな?
ロシアのプーチンはもっと多くの人を殺してるので、コイツよりもっと頭がおかしな奴だと改めて思った。
レビューを書くのに少し時間がかかった。
このオーストラリアの事件はリアルタイムで覚えているが、海外の話だからどんな背景だったのかまでは知らなかった。
銃の乱射、無差別殺人事件はなぜそこまで犯人が追い込まれたのかを描き僕らが見過ごしといる事、気づかずに彼らを追い込んでいることを白日の下にさらす。この映画もそうだ。そしてポートアーサーの事件は犯人が発達障害であった事を私ははじめてこの映画で知った。
その事が話を難しく、重くしている。
発達障害のお子さんを持つご両親のご苦労は日本でも問題になっている。両親が居なくなった時、社会はかれらをどう許容していくのだろうかがドキュメントのテーマになる事も多い。
もう一つの問題は銃所持で、日本の場合は幸い規制が強いので助かっているが欧米、エンドクレジットにも出るがオーストラリアでも大問題だ。
淡々と真綿で首を絞めるようにニトラムが追い込まれて行く様子は発達障害があるから役者も監督もかなり役作りや見せ方を悩んだだろう。ニトラムの行動が障害のせいなのか、健常者でもそうなるのか、、、どちらか一方のせいにする事が許されないからだ。こんな難しい題材に挑んだ主演の子と監督の勝利だと思った。
たぶん今も世界の片隅で誰かが追い込まれて、引き金に指がかかっているんだろうな、、、それは案外自分の近くかも知れない。
なぜ、主人公を途中で『別人』にしてしまったのか
実際に起きた『ポートアーサー事件』を題材にした映画。主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ氏はこの作品でカンヌの男優賞を取っていますよね。演技としては本当に文句なし。素晴らしいです。
なお演出についても、実際に銃を乱射する場面を省いたり、BGMを自然界の音に任せるなどした結果、シンプルに主人公の孤独感に共感できる見せ方になっていたと思います。
本来であれば星4です。
ただし、一箇所どうしても腑に落ちなかった部分があったため、3にしました。
理由についてはただ一点のみですが、犯人:マーティン・ブライアントは知的障がいの疑いもあったようです。知能検査を行った結果はIQ66、11歳レベルだったと言及する記録もあるようです。
実際にこの映画の冒頭では、主人公のマーティンが もしかしたらそうじゃないかな? と客に思わせるような描写がいくつも出てきます。
火傷をしても花火をやめなかったり、運転中に妨害行為を働いたり、大切な人の葬式で祝いの格好をしたり。
ただ、ある瞬間に突然それが《治る》。
まるで今まで、彼自身苦しみ続けていたことが嘘であるかのように。
実際の事件でも、障がいの疑いはあったが冷静に判断して犯行に及んだと見なされているようです。
恐らく、この映画の方向性としては、銃のある社会NGという点に重点を置きたかったのでしょう。
あるいは……障がい者に対する偏見の目を産まないために、このような解釈にしたのか。
ちょっとひどいな、と思いました。
もう二度と同じことを繰り返さないためにも、周囲がダメなことはダメなんだよ、と理由を添えて伝える必要があるよな。と。
それを伝えずに、トラブルとなりそうなものを排除する。
それはつまり、私達も彼を「ニトラム」と呼んだ人々と同じじゃないのか、と。
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