劇場公開日 2015年12月18日

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「期待通りの一作」スター・ウォーズ フォースの覚醒 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0期待通りの一作

2016年12月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

興奮

スター・ウォーズの第1作は 1977 年に公開された Episode IV で,既に 38 年も前のことになる。私は幸運なことに,これまでの全作を公開時にリアルタイムで見て来ているのだが,これは,70 年間一度も戦争を経験せずに日本で暮らすことができたのと同じくらい幸運なことではなかったかと思えてならない。IV → V → VI → I → II → III という物語進行であったため,今回の Episode VII の直前の話となる VI でも 32 年前である。いかに1作1作に時間と金をかけて作っているとはいえ,ちょっと間隔があき過ぎではないかと思う。特に,後述するように今回のような物語の飛躍を見せる場合は深刻であると思う。

初作の Ep IV の当時,パソコンはまだ 8 bit の時代で,デススターの表面の溝に入って排気口に向かう作戦の説明場面で使用される僅か 10 秒ほどのワイヤフレームの CG を作るのに,プログラミングまで含めると3ヶ月も要したというのは,いかに陰線処理を行っていたとはいえ,現在では信じられない話である。64 bit CPU が主流の今なら,表面に何らかのテクスチャーをレンダリングしたとしても,リアルタイムで表示できる程度の CG なのである。Ep IV では,浮上式の乗り物の下部の仕掛けを1コマ1コマ手作業で消したために,得体の知れない煙のようなものが乗り物の下に見えてしまったりしていたが,当時の客は文句一ついわずに熱狂していたのが昨日のことのように思い出される。

Ep I 〜 III は,ダース・ベイダーの成長物語という性格上,アナキンに振り回され過ぎた感があり,CG の発展はむしろ世界観を破壊する方向に働いてしまったような気がしてならない。コピペで増やした CG のドロイドなど,何万台出て来ても全く驚くに値せず,ドロイド以外の CG キャラもウザいのが多くて閉口してしまった。率直に言って,このままの方向性でいいのかという疑問が拭い切れない時期であった。今でも,I 〜 III を見直してみたいと思うようなことは全くない。

その点,今作の映像表現においては,実に Ep VI 以来の満足感を得た思いがする。CG が表立ってドヤ顔するようなことがなく,あくまでも縁の下の力持ちに徹して,帝国軍の戦艦の残骸など,見たくても見られなかったものを見せてくれたのは嬉しかった。タイ・ファイターやX-ウィングのコックピットを手抜きせずに何度も見せてくれたことにも感謝したい。これによって,戦っているのはコンピュータではなくて,敵も味方も生身の人間だと言うことが肌で感じられたのである。

脚本には,文句を言いたいところがかなりある。今作には新たな登場人物が沢山出て来るのだが,何一つと言っていいほど説明をしていないところがまず不満であった。各キャラがどういう出自で,何故そのような行動をとるのかが,それぞれ全くと言っていいほど説明されないので,見ている方は疑問符が溜まって行くばかりになり,見終わってもそれが解消されることはない。つまり,疑問が山積した状態で放り出されるという感覚に近いものがある。アメリカで癌宣告を受けて封切りに間に合わないと知らされた熱狂的なファンが,特別に前倒しで上映してもらい,それを見て数日後に亡くなったという話があったが,彼は疑問を増やしたまま亡くなってしまったのではないか,などとふと気の毒に思ったりするほどであった。

脚本の穴も数え切れないほどあって,光線銃の銃弾をフォースで止められるような人物が,後の方で普通に被弾したりしているのは何故なんだろうと思ったし,フォースの訓練を長年受けて育った人物と,フォースという言葉さえ初めて耳にしたような人物が,ライトセーバーで互角に戦ってはダメじゃないかとも思った。特に後者は,あの最悪な実写化といわれたハリウッド製「ドラゴンボール」で,主人公が話を聞いただけでカメハメ波が出せてしまったというのと同程度のとんでもない設定ではないかと思った。あと,ミレニアム・ファルコンに積んであったという積み荷は,数年間も放ったらかしにされた割に元気過ぎるのではないかと思った。:-p

役者は Ep IV の3人が元気な姿を見せていたのには本当に懐かしさがこみ上げて来た。ずっと出来の良い出演作が絶えなかったハン・ソロ役のハリソン・フォードと違って,ルーク役のマーク・ハミルは出演作に恵まれず,かなり前に見た出演作のいくつかではかなり顔や体型がふっくらした印象を拭えなかったのに,今作では見事に精悍さを取り戻していたのには感服させられた。同じことをレイア姫役のキャリー・フィッシャーに求めるのは酷と言うものだろう。見慣れたこの3名に比べると,今回のニューフェイスの中では,ヒロインのレイ以外にあまりオーラを感じなかったのが残念だった。特に,カイロ・レンの人物設定には非常に不審感と失望を禁じ得なかった。なお,R2-D2 や C-3PO や チューバッカの中に入っている人も Ep IV からずっと代わっていないことは,特筆されるべきことである。

音楽は,実に素晴らしかった。このシリーズは,どんな場面でも音楽が止むことなく流れ続くのが特徴である。いわば毎作2時間を超える交響詩を書くのがジョン・ウィリアムスに与えられた仕事であり,しかも,場面に合わせて秒単位で表情を変える必要があると言うのであるから,演奏者も含めて神業のようなことを求められていると言っても過言ではないと思う。長大な音楽を飽きさせずに構成するためにワーグナーが 150 年ほど前に編み出した手法が「ライトモチーフ(性格動機)」を使って音楽を構成するというもので,近現代の劇音楽の作曲家はほとんど全てその手法を踏襲しており,ウィリアムスもその例に漏れないのだが,各人物に当てて書かれたモチーフの中で,私が最も素晴らしいと思っているのがルークのライトモチーフで,これまでのシーンで特に印象深かったのは Ep VI でダース・ベイダーの亡骸に火をつける場面で流れたものである。ルークが登場しない I 〜 III では,従って例外を除いてこのモチーフが聞こえることがなく,非常に寂しい思いをさせられたのだが,今作では遂にこれが蘇ったので思わず目から汁が流れたほどであった。このシリーズにおけるジョン・ウィリアムスの業績は,25 年かけて「ニーベルングの指輪」4部作を書き上げたワーグナーに匹敵するものであると私は思う。特に,今作のエンドロールで流された音楽は,様々なモチーフを組み合わせて作り上げた走馬灯のような音楽で,これを最後まで聞かずに席を立つ客は,一体何を考えているのかと思わずにはいられなかった。

今作の監督はミッション・インポッシブルのシリーズで演出の確かさを伺わせていた若い人で,旧作に対する思い入れと愛情がこれでもかと感じられて頼もしかった。例えば,ミレニアム・ファルコンの銃座でタイファイターと交戦する場面で,Ep IV の時の貧弱な照準の CG をそのまま使っているあたりには本当に痺れたし,いろんな場面にシリーズに対する敬意が感じられて,ファンの気持ちを大事にする姿勢が有難かった。それだけに,ニューフェイスの人物設定と,行動背景の説明が不十分だったのが非常に惜しまれた。このエピソードの前に,カイロ・レンが何故ああなってしまったかを描くのに1本くらい作れそうな気がするのだが,Ep IV の3人がここまで老けてしまった以上,無理だと思われる。返す返すも,本当に残念でならない。Ep VIII は 2017,最終作の Ep IX は 2019 年公開予定だとの話なので,何とか生き延びて全部見たいものだと思うばかりである。また,今作の日本語字幕は,遂に戸田奈津子が放逐されて林完治に代わっていたのが非常に嬉しかったが,時々違和感のある字幕が出るのが惜しまれた。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出5)×4= 96 点

アラカン