無常素描
劇場公開日:2011年6月18日
劇場公開日:2011年6月18日
3,11東北地方太平洋沖震災にて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。そしてご遺族の方々、並びに被災された方々の、ご健康回復と復興を心から、お祈りさせて頂きます。
ネットによると、7月12日現在、この震災でお亡くなりになられた方は15555名。そして未だ行方不明となっていらっしゃる方は、5344名に上られると言う事だ。想像を遥かに超えた、正に想定外の突然の災難でありました。本当に心からお悔やみ申し上げます。
さて、ドキュメンタリー映画作家の大宮浩一監督が、震災の傷跡が、未だ色濃い僅か、震災後1カ月半余りの、4月28日から5月4日までと言う、早い時期に被災地を訪れ、その惨状をフィルムに納め、フルスピードで編集を仕上げ、映画を公開させてくれた。
歴史を、フィルムに残すと言う映画の大きな役割の一つを成し遂げてくれた。大宮監督の迅速な行動力と、その映画制作への熱意と勇気には、只々脱帽する。
しかし、私の個人的な映画観賞後の印象としては、被災者の心に寄り添った作品とは、感じられなかった点が残念であった。
映画では、英語の字幕が入っていた。この意味するところは、きっとこの映画を多くの日本語を母国語としない国の方々にも広く見て頂きたいと言う作者の思いがあったのだろう。
映像の中で、気仙沼出身の方が、現在は都心部で暮らしていて、この震災を経験していないが、ボランティアとして故郷に戻って来た事を告げている場面があった。そして彼は方言が強いので、標準語の通訳が、必要だと語っていた。事実その通り、お年寄りへのインタビューでは、お話されている内容が一部判別し難い個所が、数箇所あった。しかしその証言には、日本語の字幕は出て来なかった。そして、その取材が、何処の町で、何日に誰を取材しているのかが、意図的に出ていなかった。エンドロールでまとめて氏名が記されてはいた。確かに映画の中で、語られる人達の声は、被災された方々の代表した形であって、同じような震災の犠牲となられた方々が、何万とおられるのだから、敢えてインタビューに応じて下さった方々の名前を記す事をしない事で、そうする事が、話されている個人の問題では無く、もっと多くの方々が同じ思いの声を持っている事を伝えようとしていたのだろう。しかしインタビューに応じて下さった方が話終えるとシーンが直ぐに変わり、観客である私は言葉を噛み締める余韻もなく、置いて行かれた気になった。
功名な玄侑宗久御上人のお話しを軸に映画は、進行して行く.
この御上人の話しの中で、ラオスでのエピソードが出て来たのだが、お上人曰く、日本では、きっとこの震災を教訓として、防災を重視し、大震災に対して、耐震性の優れた町の復興をするだろうと話され、それが返って、今後の日本人に、今回の震災の記憶を忘れさせる事に繋がると指摘していた。ならば、震災後、日の浅い段階で被災地を取材し、その被災状況を、後世の人たちにわすれる事のないよう、知らしめる事が、映画の大切な使命となるだろう。
しかしこの映画は、見ていて、取材を丁寧に大切にされていなかった印象を受けるのだ。被災直後で、被災者に言葉を発してもらう事は、気持ちの整理がついていない被災者の方にとり困難な事で、マイクを向けても、映画製作者が納得できる取材が出来なかったのだろうか?もしそうであるなら、それを伝える事で、状況が明らかになる筈である。編集が上手くないのか、意図的にしているのかは解らないが、この困難な状況にある時に、証言して下さった、被災者のインタビューが、観客がその言葉を噛みしめる余韻を与える隙もなく、シーンが変わる。数少ない証言なのだから、その一つ一つをもっと大切に扱って欲しかった。余韻を残しても、全体の尺は殆んど変りは無いはずである。誠に残念としか、言えない。
在家で無い、例え功名な僧であっても、出家している宗教者の解釈で、震災の意味を語らせるのは、ナンセンスである。被災されている多くの方々は、在家の方である。その方々の生活を後ろ姿だけでも、カメラに納める事だけでも、十二分に、その惨禍は伝わるものだと思う。
言葉にだけ頼らない、映画としての、表現方法は他にも、考えれば、いくらでもあったと思う。