男の顔は履歴書
劇場公開日:1966年7月15日
解説
「大殺陣 雄呂血」の星川清司がシナリオを執筆、「骨までしゃぶる」の加藤泰が監督したアクションもの。撮影は「運が良けりゃ」の高羽哲夫。
1966年製作/89分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1966年7月15日
ストーリー
ビルの谷間にあるみすぼらしい雨宮医院に、車にはねられた男が運びこまれた。雨宮院長はその男を知っていた。瀕死の男は本名を崔といい、柴田という日本名を持っている韓国人だった。--昭和二十年、沖縄戦線で指揮をとっていた雨宮は柴田上等兵らと共に、米軍に最後の総攻撃をかけた。雨宮は柴田とはぐれたままやがて終戦を迎え、内地に帰ってきた。だが、虚脱状態の敗戦国日本では、その混乱に乗じた外国人たちが思うままに暴れ回っていた。雨宮が地主として参加しているマーケットも例外でなく、九天同盟の劉成元に乗っ取られようとしていた。マーケットの有志たちは雨宮に助力を求めてきたが、彼は無関心だった。彼の心も、敗戦を迎えて虚ろだったのである。劉は全国のマーケットを武力で支配しようという野心を抱き、到る所から人を集めていた。その中には沖縄ではぐれた柴田、今は本名に戻った崔がいた。三年振りの再会に喜んだ二人は、しかし、いま二人が置かれている皮肉な立場に、敗戦がもたらした苛酷な現実をみるのだった。そうした現実に雨宮や、弟の俊次、雨宮の恋人で看護婦の倉本マキたちは直面していたのだ。ある日、血気にはやった俊次は仲間と共に、九天同盟に殴り込みをかけた。だが、俊次は同盟側に捕えられてしまった。それを見て心を痛めていたのは李恵春だった。崔は雨宮のために同盟を裏切ることを決心し、俊次を救い出して李恵春と三人で逃げた。しかし、俊次と恵春は折重なって射たれてしまった。いまや雨宮も立ち上がる時だった。そして、それは戦争そのままの激しい市街戦だった。数時間後、夥しい死体を残して同盟は壊滅した。だが八年間の刑期を終えて出所した雨宮の前から崔とマキが消えていた。--それから十八年、日本人の誇りのために立上った雨宮を知る者は一人としていない。