コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第41回
2016年8月25日更新
第41回:アンソニー・ロビンズ あなたが運命を変える
アンソニー・ロビンズというのは、自己啓発セミナー業界における世界の最高峰である。このNetflix限定公開のドキュメンタリー作品は、彼がセミナーでどのようなことをしているのかということをあますことなく描いたものだ。観る人は、自己啓発セミナーの真髄がどのようなものかを詳細に知ることができる。
ロビンズは10代の終わり、ビル清掃のアルバイトをしながら独学でコーチングの技能を積み、世界的に著名な自己啓発セミナー主宰者として人気を集めるようになった。これまでに100か国以上、5000万人以上の人の前でセミナーを行っているという。その彼が毎年、フロリダで行っている6日間の高額セミナー「Date with Destiny」に初めてカメラが入り、撮影したのが本作。大音量の音楽とともにロビンズは会場をうごきまわり、2500人の参加者に熱っぽく語りかける。
少し紹介しよう。夫と離婚したという参加者の女性ハリと、会場全員が見守る中でやりとりする。
ロビンズ:「お父さんは?」
ハリ:「父? この世界で一番の人よ。愛情深くて献身的。お茶目で優しくて素敵な人」
ロビンズ:「君を“僕のお姫様”って?」
ハリ:(黙ってうなずく)
ロビンズ:「ゲス野郎だ」
ハリ:「(泣きながら)そんな…」
ロビンズ:「彼に悪気はないが、結果は悲惨だ」
ハリ:「父が描いた理想像に近づけるかわからなかった」
ロビンズ:「何もせずとも、愛されると教えたんだ。望むものすべてを与えた。その寛大さが君をダメにしたんだ。君は自分を特別だと思い、そう扱われないと困惑した。愛をくれない人には与えない。いつでも父親の愛を得られたから。君の夫に勝ち目はなかった」
19歳の女性、シエナ。
ロビンズ:「子どものころ、両親のどちらの愛を切望した? どちらが“好き”ではなく、どちらの愛を求めてた?」
シエナ:「愛をくれなかったパパです」
ロビンズ:「なるほど。お父さんにどうあろうとした?」
シエナ:「どうしよう……ふう」
ロビンズ:「彼女は必死に答えを見出そうとしている。本当はイヤなはずだ。何を言うべきかわからないからね。たいていの人は逃げようとする。でも彼女は逃げてない。拍手でたたえよう」
(会場から大きな拍手)
ロビンズ:「受け入れられるためどうした? 前向きな答を探さなくていい。真実を言ってくれ」
シエナ:「見て見ぬふりを」
ロビンズ:「何を見て見ぬふり?」
シエナ:「薬物濫用」
ロビンズ:「そう。それでも君はお父さんを愛しているんだろう?」
シエナ:「ええ」
ロビンズ:「本当は違う?」
シエナ:「迷うけど愛してます」
ロビンズ:「お父さんを愛している自分が嫌いなんだ。だろう?」
シエナ:「はい」
ロビンズ:「彼女は父親の愛を切望した。拒絶されると強迫観念が生まれる。拒絶とまでいかないが、求める愛を父親から得られず、さらに望んだ」
この後のやりとりの展開はとても感動的なので観ていただければと思うが、ロビンズはまず相手の思い込みを否定し、心の中には別の本心が眠っているのだと揺さぶる。彼は本作の中のインタビューでも、こう語っている。「挑発して現実に引き戻して初めて変化が起きる」。
そうやって参加者は精神をひっくり返すように揺さぶられ、大音量のダンスミュージックともに踊り、歌い、参加者同士でハイタッチし、大声を出し、最後のカタルシスへと突入していく。ある種の典型的な自己啓発セミナーの手法なのだろうが、ロビンスの圧倒的な話術は驚異的で、参加者たちが乗せられていくのがよく理解できる。
音楽とダンス、説法。こういう情景は、テレビ伝道やゴスペルソングといったアメリカのキリスト教を思い起こさせる。びっくりするほど巨大で派手なメガチャーチの礼拝堂で、ボディランゲージたっぷりの説教者が熱弁を振るい、人々が熱狂する。こういう傾向はもとを正せば、リチャード・ホフスタッターが指摘した反知性主義の伝統につながるのだろう。
「聖霊から直接にあたえられる感動によって心のなかに思考の長い連鎖が生まれ、ことばが口をついて出る」(『アメリカの反知性主義』ホフスタッター、みすず書房)。知識や教養、ややこしい教義のようなものは、聖霊との直接のつながりを遮断するものでしかない。聖霊とつながるためには、情熱こそが大事なのだ。そういうパッション至上主義。
しかし「宗教国家」と呼ばれるアメリカでも、若者を中心として「教会離れ」は進んでいるとされる。カナダの哲学者ジョゼフ・ヒースはその理由を、伝統的な教会が現代人を救えないからだと指摘している。
キリスト教の伝統的な機能は、道徳を教え、結婚と家族を認可し、信仰、儀式、制度の共有によって社会の安定を支えることだった。しかし21世紀の現代人が求めているのはそうした社会の安定ではなく、そういう社会が引き起こしている抑圧にどう対処するのかという治療的なものだというのが、ヒースの説明だ。
「聖職者が個人と組織の対立を解決できないのは、彼らこそ問題の原因と考えられる組織を代表しているからだ。たとえ教会が道徳を教えるとしても、道徳とは抑圧的な規則と規定にほかならず、よって教会にできることは何もない。教会の救済とは、その裏にさらなる抑圧的な社会化が待つばかりの、偽の救済でしかない」(『反逆の神話 カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』ヒース、NTT出版)
こういう中で、カウンセラーの治療にも似た自己啓発セミナーが人気を集め、それが参加者同士のコミュニティをもつくりだしている。ロビンズのセミナーは決して宗教ではないが、人々が宗教に本来求めているものをうまく提供しているということなのだろう。
■「アンソニー・ロビンズ あなたが運命を変える」
2016年/アメリカ
監督:ジョー・バーリンジャー
Netflixで配信中
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao