福田俊 : ウィキペディア(Wikipedia)

福田 俊(ふくだ すぐる、1996年12月14日 - )は、北海道札幌市手稲区出身「12球団全選手カラー百科名鑑2020」 (廣済堂ベストムック)のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。

経歴

プロ入り前

札幌市立手稲山口小学校1年で野球を始める。小学4年のときに神奈川県小田原市に転居し、中学時代は小田原ボーイズに所属。横浜創学館高等学校では3年春の県大会ベスト8が最高成績であり、甲子園出場経験は無し。3年夏は背番号10であり、チームは県大会ベスト16であった。

星槎道都大学へ進学すると、1年春から中継ぎで登板し、3年秋の札幌六大学野球一部リーグでは最高殊勲選手に輝き、チームを優勝に導いた。函館大学との北海道2連盟代表決定戦も制し、第48回明治神宮野球大会に出場すると、創価大学との初戦で公式戦初完封。これがチーム通算6度目の出場で同大会の初勝利であった。その後も勝ち進んで準決勝を突破し、日本体育大学との決勝戦では3連投となる先発マウンドに上がったが、4回1死から先制の2点本塁打を打たれ、直後に降板。北海道勢初の全国優勝とはならなかったものの、全国準優勝は道勢最高成績であった。同大会終了後の11月下旬に、左足小指付け根外側の遊離骨を除去する手術を受け、冬場の投げ込みができなかったことで4年春は不調が続いたが、夏場にフォームを修正し、4年秋には復調を見せた。大学4年間ではリーグ戦通算13勝4敗を記録。

10月25日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズからドラフト7位指名を受け、11月16日に契約金2000万円・年俸700万円(いずれも金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は40

日本ハム時代

は開幕を二軍で迎え、5月26日に出場選手登録されたが、登板機会は無く、6月3日に登録抹消。その後の一軍再昇格は果たせず、ルーキーイヤーは一軍登板なしに終わった。二軍(イースタン・リーグ)では51試合に登板し、2勝4敗5セーブ・防御率4.90という成績であり、オフに現状維持となる推定年俸700万円で契約を更改した。

は新型コロナウイルスの影響で開幕延期・120試合制の短縮シーズンとなり、6月19日の開幕は二軍で迎えたものの、二軍では3試合の登板で無失点を記録すると、7月4日に堀瑞輝が背中の張りで離脱し、堀に代わる左の中継ぎとして翌5日に出場選手登録。7月7日のオリックス・バファローズ戦でプロ初登板を果たし、11日の同カードではプロ初ホールドを記録した。9月27日に出場選手登録を抹消されるも、10月20日に再登録となり、この年は一軍で30試合に登板。0勝0敗2ホールド・防御率3.26という成績を残し、オフに550万円増となる推定年俸1250万円で契約を更改した。

は初の開幕一軍入りを果たすも、5試合の登板で防御率11.57と振るわず、4月9日に出場選手登録を抹消された。二軍では35試合の登板で防御率3.89という成績で一軍再昇格を果たせずにシーズンを終え、オフに150万円減となる推定年俸1100万円で契約を更改した。

は開幕を二軍で迎え、6月3日に出場選手登録。翌4日の阪神タイガース戦でシーズン初登板となり、1イニングを無失点に抑えると、この試合も含めて13試合に登板し、自責点1と安定した投球を披露していたが、7月18日に無症状ながら新型コロナウイルス陽性判定を受け、翌19日に特例2022により出場選手登録を抹消された。抹消後の一軍登板はなくシーズンを終えたものの、この年は13試合の登板で0勝0敗3ホールド・防御率0.87を記録し、オフに100万円増となる推定年俸1200万円で契約を更改した。

3月6日にトレードによる移籍で福田光輝が入団したことで、報道上の表記およびスコアボード上の表記が「福田俊」となった。開幕を二軍で迎え、開幕直後には右膝裏の肉離れを発症したが、二軍では11試合・13回2/3を投げて17奪三振・防御率1.32と結果を残し、6月9日に出場選手登録。翌10日の阪神戦、1点ビハインドの5回表二死満塁、右打者の渡邉諒を迎えた場面でシーズン初登板。渡邉が左投手を苦手としていることから抜擢され、空振り三振に打ち取った。その後はワンポイントやロングリリーフと多様な役割をこなしながら無失点投球を継続し、8月4日の福岡ソフトバンクホークス戦では同点の延長11回表に登板。1奪三振を含む3者凡退に抑えると、直後の攻撃でチームがサヨナラ勝ちを収め、福田にプロ初勝利が記録された。シーズン終了まで一軍に帯同し、東北楽天ゴールデンイーグルスとのレギュラーシーズン最終戦でも無失点に抑え、宮西尚生が保持する『開幕から29試合連続無失点』の球団記録に並んだ。この年は29試合に登板し、1勝0敗3ホールド・防御率0.00を記録。オフに1000万円増となる推定年俸2200万円で契約を更改した。

はオープン戦で7試合に登板するも防御率6.43と結果を残せず、開幕を二軍で迎えた。4月16日に出場選手登録され、翌17日のソフトバンク戦で同点の11回表、無死一・二塁のピンチを招いたマーフィーの後を受けてシーズン初登板となり、一死満塁から栗原陵矢をセカンドゴロに打ち取ったものの、内野が前進シフトを敷いておらず、勝ち越し点を献上。続く打者には適時打を打たれ、チームはこの回2点を失ったが、直後に同点に追いついて引き分けとなった。4月25日の楽天戦にも登板したが、この2試合のみで5月1日に登録抹消。7月27日終了時点では、二軍で22試合に登板して防御率4.09と抹消後は不調が続き、一軍へ再昇格することができずにシーズンを終えた。

選手としての特徴・人物

持ち球は最速149km/hのストレート、スライダー、フォーク。

身長は171cmと小柄だが、左のスリークォーターから投げ込むキレのある球で打者と勝負する。

愛称は「福ちゃん」。

詳細情報

年度別投手成績

日本ハム3000000002----13230.12941400271012113.261.42
500000000----254.2911003108611.572.14
1300000003----4510.1707001100110.871.35
29000010031.00010026.111010021940000.000.80
通算:4年77000010081.00030271.25653202606021182.261.23
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度球団投手
試合刺殺補殺失策併殺守備率
2020日本ハム3032001.000
202150000----
20221302001.000
2023290310.750
通算773710.909
  • 2023年度シーズン終了時

記録

初記録
  • 初登板:2020年7月7日、対オリックス・バファローズ1回戦(京セラドーム大阪)、8回裏に4番手で救援登板、1回1失点
  • 初奪三振:同上、8回裏にT-岡田から空振り三振
  • 初ホールド:2020年7月11日、対オリックス・バファローズ5回戦(京セラドーム大阪)、6回裏一死に3番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初勝利:2023年8月4日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)、11回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
その他の記録
  • シーズン無失点:2023年 ※29試合登板でシーズン無失点は史上最多
  • 開幕から29試合連続無失点:2023年6月11日 - 10月5日 ※史上3番目の最長記録、球団史上最長記録
  • 29試合連続無失点:同上 ※の宮西尚生に並んで球団史上最長タイ

背番号

  • 40(2019年 - )

登場曲

  • 「FIGHTING POSE」CHO-CO(2020年 - )
  • 「Heaven's Drive」(sic)boy,KM(2022年)

注釈

出典

関連項目

  • 北海道出身の人物一覧
  • 札幌市出身の人物一覧
  • 星槎道都大学の人物一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/20 09:30 UTC (変更履歴
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