レブロン・ジェームズ : ウィキペディア(Wikipedia)
レブロン・レイモン・ジェームズ・シニア(LeBron Raymone James Sr.()、1984年12月30日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のプロバスケットボール選手。NBAのロサンゼルス・レイカーズに所属している。ポジションはスモールフォワードとパワーフォワード。愛称は「キング・ジェームズ」。NBA史上最高のバスケットボール選手の1人と称され、史上最も偉大なバスケットボール選手をめぐる議論では、しばしばマイケル・ジョーダンと比較される様々な信頼できる情報源からレブロンは史上最高のバスケットボール選手とみなされ、ジョーダンを超える偉大な選手となったかどうかについてコメントしている:
- 。4度のNBAチャンピオン、4度のNBAファイナルMVP、4度のNBA最優秀選手賞、NBA通算得点歴代1位、20年連続NBAオールスターおよび19年連続オールNBAチーム選出。在籍した全てのチームを優勝に導き、NBA史上唯一の異なる3チームでNBAファイナルMVPを受賞した選手である。また、数々の最年少記録、最年長記録、歴代通算記録等を保持している。2008年と2012年にはアメリカ代表としてオリンピック金メダルを獲得。NBA75周年記念チームにも選出されている。
背番号は幼少期の憧れから、マイケル・ジョーダンと同じ「23」を着用している。マイアミ・ヒートに在籍していた2011-2014の期間では「23」が永久欠番により着用できなかったため「6」を着用していた。
はスモールフォワードとされているが、全てのポジションをプレイ可能であり、5つ全てのポジションで登録されたhttps://www.basketball-reference.com/players/j/jamesle01.html史上唯一の選手である。
マイアミ・ヒートとクリーブランド・キャバリアーズでプレーした2011-2018シーズンにおいて、NBA/ABA統合後では歴代最長の8年連続NBAファイナル進出という記録を持ち、異なる3チームでのファイナルMVP受賞はNBA史上初の快挙である。また、史上唯一の40K-10K-10Kクラブに到達している。
日本時間2023年2月8日(現地時間2月7日)に行われたオクラホマシティ・サンダー戦でカリーム・アブドゥル・ジャバー氏が持っていた38387点を超えるNBA通算得点38390点を記録して、歴代1位となる偉業を達成した。また、2023-24シーズンから新設されたインシーズントーナメントの初代王者となり大会MVPも受賞している。
生い立ち
1984年12月30日、オハイオ州アクロンにて母グロリア・マリー・ジェームズと父アンソニー・マクレランドの間に生まれた。出生時16歳だった父のマクレランドは犯罪歴が多く、彼の人生には関与していなかったとされている。アクロンの荒れた地区にあるアパートを転々とし、グロリアは安定した仕事を見つけるのに苦労していた。彼女は、息子にはもっと安定した家庭環境が必要だと考え、レブロンが9歳の時にバスケットボールを教えてくれた地元の少年フットボールのコーチ、フランク・ウォーカーの家に居候させることにした。
レブロンは小学5年生のときに本格的にバスケットボールを始めた。新しい環境でさらにバスケットの腕を磨いたレブロンは、アマチュア・アスレチック・ユニオンの大会で頭角を現すようになり、友人のシアン・コットン、、ウィリー・マクギーが中心となり、地元や全国レベルで成功を収めた。彼らは自分たちを「ファブ・フォー(Fab Four)」と名付け、一緒の高校に通うことを約束し合い、白人の生徒が多いカトリック系の私立校であるセント・ビンセント=セント・メアリー高校に進学した。
学生時代
アメリカンフットボールでも1年のときにクォーターバック、2年、3年のときにワイドレシーバーとしてプレーした。
大学には進学せず、NBAドラフトにアーリーエントリーした。在学中にナイキと7年間で総額9000万ドル(他にもアッパーデック(Upper Deck Company)と5年間で総額500万ドル)という契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。
ドラフト直前のインタビューでは、インタビュアーにオールスター選出、オールNBAチーム選出はバスト(期待外れの選手)、さらにその先殿堂入りについて言及されており、18歳の選手に対してはあまりにも期待が大きかった事がうかがえる。
NBAキャリア
クリーブランド・キャバリアーズ
キャリア初期
セント・ビンセント=セント・メアリー高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳の若さでNBA入りした。
ルーキーイヤーとなった2003–04シーズン、レブロンはサクラメント・キングスとの開幕戦で25得点、6リバウンド、9アシスト、4スティールと、前評判どおりのオールラウンドな働きをしてみせた。その後も存在感を発揮し、11月から翌年の4月までのイーストのルーキー・オブ・ザ・マンスを独占。シーズン成績は20.9得点、5.9アシスト、5.5リバウンドだった。ルーキーイヤーに20得点・5アシスト・5リバウンド以上を達成したのは、オスカー・ロバートソン、マイケル・ジョーダンに続いて史上3人目であった。また、NBAオールスターゲームには出場できなかったものの、ルーキーチャレンジでは1年目選手のチーム最多の33得点を記録した。キャバリアーズは前年より勝ち星を18勝増やし、35勝47敗の成績を残すがプレーオフ進出は叶わなかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)の投票では得点、リバウンドで新人1位の成績を残しプレイオフに出場したデンバー・ナゲッツのカーメロ・アンソニーとの争いになったが、レブロンは508ポイントを獲得(アンソニーは430ポイント)し、新人王を獲得した。
翌2004–05シーズンにはそれまで苦手とされていたアウトサイドシュートを向上させ、さらに得点力がアップ。1月19日には最年少(20歳と20日)でのトリプル・ダブル達成、同年3月20日には最年少(20歳と80日)での1試合50得点以上を達成し、NBAオールスターゲームにも初出場した。シーズン成績は27.2得点、7.2アシスト、7.4リバウンドで、ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、ラリー・バード、マイケル・ジョーダン以来5人目の27得点・7アシスト・7リバウンド以上達成となった。チームも42勝40敗と前年から更に勝ち星を増やしたが、カンファレンス8位のニュージャージー・ネッツと同率の9位(直接対決の成績で劣っていた)となり、プレーオフ出場はならなかった。
スーパースターへ
2005–06シーズンは、レブロンにとってもチームにとっても勝負の年となった。レブロンはプロ入り3年目としてチームでの結果を求められ、チームはこのシーズン後にFAとなるレブロンと契約延長するためにも、より勝てるチーム作りをしなければならなかった。チームは補強に乗り出すが、目玉であったラリー・ヒューズは怪我でシーズンの大半を欠場し、その他の補強組も期待したほどの活躍を見せず、結局レブロンを取り巻くチーム状況にさして変化はなかった。しかしレブロンは自身初の決勝ブザービーターを決めるなど、これまで足りないと言われてきた勝負強さも兼ね備えるようになり、チームを勝利に導ける選手にまで成長。チームは大きく躍進し、50勝32敗の成績で8年ぶりにプレーオフに駒を進めた。自身も2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて史上最年少でオールスターMVPに輝き、レギュラーシーズンでは初の30得点オーバーとなる31.4得点、7.0リバウンド、6.6アシストという好成績を残した。またトッププレイヤーの証明であるオールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。初のプレーオフでは1回戦のワシントン・ウィザーズとの第1戦で、いきなり31得点11リバウンド11アシストのトリプルダブルをたたき出す。この勢いのままシリーズを4勝2敗で制すると、カンファレンス準決勝ではレギュラーシーズン1位のデトロイト・ピストンズ相手に3勝2敗とリードを奪うが、そこから2連勝されて敗退した。
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2007–08シーズンのレブロンの活躍はさらに華々しく、得点の分野では2月27日のボストン・セルティックス戦で通算10000得点を達成。史上最年少の23歳59日での達成は、これまでの最年少記録のコービー・ブライアントの24歳193日を大幅に更新した。また1シーズンでのトリプルダブル7回達成はチーム最多記録、2試合連続トリプルダブル2回達成は1988年のマジック・ジョンソン以来の快挙であった。3月5日のニューヨーク・ニックス戦では50得点、10アシスト以上を記録したリーグ3人目のプレイヤーとなった。オールスターゲームでは、2回目のオールスターMVPに輝いた。このシーズンの成績は30.0得点、7.9リバウンド、7.2アシストとこれまたMVP級の数字を残し、自身初のリーグ得点王にも輝いた。一方でチームはオフの補強が上手くいかず、シーズン序盤から苦戦を強いられ、45勝37敗とレブロンがキャブス入りして以来初めて勝率を落とした。プレーオフ1回戦ではウィザーズと3シーズン連続で対戦。このシリーズではウィザーズのデショーン・スティーブンソンによるレブロンへの挑発行為が話題を集めたが、チームは4勝2敗でウィザーズを退け、カンファレンス準決勝に進出した。準決勝の対戦相手はこのシーズンリーグ首位の成績を収めたボストン・セルティックス。レブロンはセルティックスの強力ディフェンスの前に苦しみ、得点が伸び悩んだが、チームはセルティックスを追い込み、最終第7戦まで粘った。第7戦でようやく本来の姿を取り戻したレブロンは、45得点を記録してセルティックスを追い詰めたが勝利は逃し、2シーズン連続のファイナル進出はならなかった。
2008–09シーズン終了時、レブロンはNBA最優秀守備選手賞の投票で2位となり、初のNBAオールディフェンスチーム入りを果たした。また、シーズンを通してチェイスダウンブロック23個を記録するなどトータルはキャリアハイの93ブロックを記録した。そして、1シーズンで得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックの主要5カテゴリでチームリーダーとなり、史上4人目の快挙となった。レブロンのプレーとオールスターガードのモー・ウィリアムズの獲得の背後に、クリーブランドはフランチャイズ記録の66勝16敗をマークした。1試合平均では28.4得点7.6リバウンド7.2アシストを記録し、リーグトップのチーム成績を収めたことから初のシーズンMVPを受賞した。プレーオフに入っても絶好調を維持し、1回戦、カンファレンス準決勝を共に4勝0敗で突破するなど優勝候補の最右翼と呼ばれるようになった。オーランド・マジックとのカンファレンス決勝では激戦の末、ホームでの第1戦を落としたものの、第2戦、2点ビハインドで迎えた残り1秒で、スローインからボールを受けたレブロンが劇的な3ポイントのブザービーターを沈め1勝1敗に。しかし、敵地アムウェイ・アリーナで計3敗を喫し、結果として2勝4敗でプレーオフを終えた。このシリーズでレブロンは平均38.5得点、8.3リバウンド、8.0アシストと獅子奮迅の活躍をしたものの試合後、マジックの選手の健闘を称えず無言でコートを後にし、試合後の記者会見も放棄して帰った事で批判を浴びた。レブロンはこの件について「チームは負けたかもしれないが、俺は勝者だ」という発言を残している。
2009–10シーズンの2月に、キャバリアーズのバックコートの選手が相次いで負傷したため、レブロンは一時的にポイントガードの役割を担うことを余儀なくされた。レブロンのリーダーシップの下、キャバリアーズは勢いを失わず、2年連続でリーグ最高の61勝21敗の成績でその年を終えた。キャバリアーズのメインボールハンドラーとして出場時間が増えたこともあり、レブロンは1試合平均29.7得点、7.3リバウンド、8.6アシスト、1.6スティール、1ブロック、50%のシュート成功率を記録し、2年連続でシーズンMVPを受賞した。プレーオフ1回戦のブルズ戦では、シリーズ4勝1敗で退き、2回戦でBIG3擁するセルティックスと対戦となった。レブロンはシリーズ第5戦で、14本のシュートを放ち、20%シュート成功率で15得点と振るわなかったことで激しく批判された。チームはフランチャイズ史上最悪の敗北を喫し、試合終了時にはキャバリアーズのホームの観客からブーイングが飛び交う中、レブロンはコートから立ち去った。第6戦目では27得点、19リバウンド、10アシスト、9ターンオーバーを記録したが、敗れてしまい無念のプレーオフ敗退となった。2年連続でレギュラーシーズン60勝以上しながら、どちらのシーズンもファイナル進出出来なかったのはNBA史上初の出来事であった。
マイアミ・ヒート
決断(The Decision)
シーズン終了後の2010年7月1日午前12時1分(東部標準時)に、レブロンは無制限フリーエージェントとなった。シカゴ・ブルズ、ロサンゼルス・クリッパーズ、マイアミ・ヒート、ニューヨーク・ニックス、ニュージャージー・ネッツ、キャバリアーズなど複数のチームから勧誘を受ける中、7月8日に「The Decision」というESPNスペシャル番組でヒートとの契約を発表した。このテレビ放送は、コネチカット州グリニッジのボーイズ・アンド・ガールズ・クラブから放送され、250万ドルの寄付金を集めた。さらに広告収入から350万ドルが集まり、他のチャリティー団体に寄付された。その前日、フリーエージェントのクリス・ボッシュとドウェイン・ウェイドもヒートと契約することを発表。後に、2006年にこの3人が2010年のフリーエージェントについて話し合っていたことが報道された。レブロンは、ボッシュやウェイドと一緒に組むことで、攻撃の負担を減らすことができ、キャバリアーズにいたときよりもNBAチャンピオンになるチャンスが増えると考えたようであった。ヒートのCEOであるパット・ライリーは、レブロンにボッシュやウェイドと一緒にプレーすることを売り込むのに、大きな役割を果たしたという。レブロンは得点の負担から解放され、オスカー・ロバートソン以来のシーズン平均トリプル・ダブルを達成する選手になれると思ったのであろう。
キャバリアーズを去ったレブロンは、スポーツアナリスト、経営者、ファン、現役やOB選手から激しい批判を浴びることとなり、この「The Decision」自体も精査され、全米放送してまでやる必要なかったと言われるまでになった。レブロンの決断を待っていたチームさえも、ショーの直前まで彼の決断を知らなかったため、多くの人がプロフェッショナル的ではないと思做、レブロンがクリーブランドに戻らないことを知ったキャブスのオーナーであるダン・ギルバート氏は、ファンに向けてオープンレターを発表し、レブロンの行動を積極的に糾弾した。怒ったチームのファンの中には、彼のジャージを燃やす動画を記録する人もいた。マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンら元NBA選手もジェームズを批判し、マイアミでボッシュやウェイドと一緒になり、「男」として優勝を目指さないことを非難していた。ジェームズは9月のCNNのインタビューで、「The Decision」の影響には人種が関係しているかもしれないと主張し、さらなる批判を浴びた。2010年のフリーエージェント期間中の行動により、それ以前とは打って変わって、アメリカで最も嫌われているアスリートの1人という評価を一気に高めた。また、会見での「サウスビーチで才能を発揮する(taking my talents to South Beach)」というフレーズは、批評家たちのパンチラインとなった。振り返ってみると、レブロンは「The Decision」への対応に後悔の念を表明している。
2010–2011:メディアやファンからの注目の年
2010–11シーズン、3人のスターが集まったヒートは大きな注目を集めたが、開幕1ヶ月は勝率5割前後と低迷し大きな批判を受けた。その後もチームプレーの完成度はそこそこであったが個々の圧倒的な個人技で勝ち星を重ねディビジョン優勝を果たした。3人のスターがボールをシェアすることから個人成績は低下すると予想されたが、レブロンは26.7得点、7.5リバウンド、7.0アシストとキャバリアーズ時代と変わらぬハイレベルのスタッツを記録し、新チームでもエースとしての役割を務めオールNBAファーストチームに選出された。
プレーオフでも存分に活躍。特にボストン・セルティックスとのカンファレンスセミファイナルでは、シーズン中は精彩を欠いていたウェイドの活躍もあり勝利。キャバリアーズに所属していた時から何度も煮え湯を飲まされてきた強敵へリベンジを果たし、男泣きする場面を見せた。シカゴ・ブルズとのカンファレンスファイナルでも、このシーズン史上最年少でシーズンMVPに輝いたデリック・ローズのマークをするなど、攻守に渡って充実したパフォーマンスを示し、自身4年ぶりとなるNBAファイナルに進出しダラス・マーベリックスと対戦することに。しかしファイナルは全体的に低調な内容に終わり、特に勝負所の4Qでの勝負弱さ、消極性にメディアからは批判が集中した。レブロンがファイナルで記録した平均17.8得点は、レギュラーシーズンの平均26.7得点からは実に8.9得点も下がっており、この落差はNBA歴代ワースト記録となった。また、第5戦の試合前、風邪を押して出場していたダーク・ノヴィツキーをウェイドと共に茶化すような仕草がカメラに捉えられて騒動となった。結局ヒートは2勝4敗で敗退し、またしても優勝には届かなかった。オフシーズン、ヒートに移籍した経緯やファイナルで期待された活躍が出来なかった事からも、自身の評価を大きく下げると共に、NBAファンや関係者、メディアからは激しいバッシングが巻き起こった。
NFL転向?
2011–12シーズンは、NBAのチームオーナー側と選手会の間での収益配分に関する労使交渉がまとまらず、プレシーズンゲームは全て中止となっただけでなく、当初11月始めに開幕する予定が少なくとも2週間以上遅延することが決定。このためオーナー側はチーム施設に対するロックアウトを行い、レブロンを含む選手はチームとしての練習が行えない状況となった。
この間にレブロンは、トレーニングを兼ねて高校のアメリカンフットボールの練習に参加したため、NFLへの転向が取りざたされたレブロンがNFL転向? 高校生とフル装備で練習 - NFL JAPAN・2011年10月6日。これを受けて、シアトル・シーホークスのピート・キャロルヘッドコーチが「NFL最低年俸でなら獲得しても良い」との意向を表明し、レブロンも「(ロックアウトで一銭も稼げない)今よりは良い」として同意シーホークスHCは本気? レブロンのユニフォーム用意 - NFL JAPAN・2011年10月13日。しかしその後11月末にNBAの労使交渉が妥結しロックアウトが解除されたため、NFL転向話も自然消滅した。
悲願のチャンピオン
オフシーズン、チームにローポストゲームが出来る選手が必要と感じると自らその役を買って出てアキーム・オラジュワンの下でポストムーブのイロハを学んだ。11–12シーズンはロックアウトの為、レギュラーシーズンが66試合となる短縮シーズンでの開幕となった。捲土重来を目指したレブロンは27.1得点・7.9リバウンド・6.2アシスト・フィールドゴール成功率53.1%と支配力を増し、通算3回目のシーズンMVPを獲得した。
インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス準決勝で波乱が。第1戦でBIG3の一角であるクリス・ボッシュが下腹部の怪我で離脱してしまい、その影響でチームに綻びが見え始める、大差で負けた第3戦ではドウェイン・ウェイドが試合中にヘッドコーチと衝突する場面もみられ、チームは1勝2敗、ホームコートアドバンテージを失う。しかし第4戦レブロンが奮起、40得点、18リバウンド、9アシストの超人的な活躍で敵地で貴重な勝ち星を上げ、ホームアドバンテージを取り戻すと共に、チームに流れていた暗雲をふりはらった。この第4戦のレブロンに対し、ウェイドも「こんなに試合を支配できる選手は初めて見た」と脱帽した。この試合をきっかけにウェイドが本来の姿を取り戻し、チームもその勢いのまま4勝2敗でシリーズを突破する。
カンファレンス決勝の相手はボストン・セルティックス、4年前の王者と手負いのヒートではさすがに前者に分があり2勝3敗で追い詰められる。しかし第6戦、またもやレブロンが敵地で45得点、15リバウンド、5アシスト、フィールドゴール成功率73%と完全に試合を支配し再びチームの危機を救う。このシリーズの第5戦から復帰したボッシュの活躍もあり第7戦を制し、2年連続ファイナル出場を決めた。BIG3結成以来、ヒートはレブロンとウェイドどっちのチームかと度々言われ続けてきたが、ファイナルまでの道のりで何度もピンチを救いチームを引っ張ったレブロンに対し、この時にウェイドは初めて「レブロンについて行く」とチームを譲るような発言をした。
ファイナル3度目の挑戦の相手は得点王ケビン・デュラント率いるオクラホマシティ・サンダー。同ポジションのスーパースターによるマッチアップに期待が集まったが、レブロンがデュラントにたびたびディフェンスを仕掛けた一方で、ディフェンスに難のあるデュラントはレブロンにマークできず。サンダーには彼に対抗できる個が他にいなかったため常にミスマッチが発生し、レブロンはその力を十二分に発揮できた。第4戦では足の痙攣を起こしてベンチに引いたものの、その後足を引きずりながら出場して勝利を呼び込む3Pを決めた。チームも4勝1敗でサンダーを下し、チームとしては6年ぶり2度目、レブロンにとっては初となる優勝を成し遂げた。ファイナル通して28.6得点、10.2リバウンド、7.4アシストと攻守に渡って活躍し、最終戦ではトリプル・ダブルも記録し満場一致でファイナルMVPに選出された。シーズンMVPとファイナルMVPを同じシーズンに受賞したのは2003年のティム・ダンカン以来。NBA歴代でも10人しかいない快挙である。
連覇達成
2012–13シーズン、悲願の優勝を果たし名実共に「キング」となったレブロンは、1月16日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦で史上最年少での通算20000得点を達成、さらにNBA歴代2位の連勝新記録となる27連勝、リーグ最高勝率の66勝16敗とマイアミ・ヒートのチーム記録を塗り替える大きな原動力になった。76試合に出場し、26.8得点、8.0リバウンド、7.3アシスト、FG成功率56.5%、3P成功率40%とキャリア最高のシュート効率を記録し、通算4回目のシーズンMVPを獲得した。これまでシーズンMVPに4回以上選出されたのは、6回のカリーム・アブドゥル・ジャバーをはじめ、5回のマイケル・ジョーダンとビル・ラッセル、4回のウィルト・チェンバレンだけで、レブロンはこの伝説的な選手達に続く5人目の選手になった。
プレーオフも順当に勝ち進んで迎えたファイナルの相手は、6年前若きレブロンとキャバリアーズをファイナルでスイープしたサンアントニオ・スパーズ。レブロンもファイナル前の会見でスパーズへのリベンジへ自信を見せたが、スパーズの組織的なディフェンスを崩すことが出来ず、2勝3敗で王手をかけられる。第6戦でもスパーズが優勢、4Q開始の時点で2桁のビハインドを負ったが、ここからレブロンが覚醒。トレードマークのヘッドバンドが取れても気にすることなく、なりふり構わないアグレッシブさを発揮しなんとか試合を僅差まで持ち込む。残り28秒5点ビハンドで大方スパーズの優勝が決まったかに見えたが、レイ・アレンが同点のスリーポイントでオーバータイムに持ち込み、その勢いで試合を逆転で制する。レブロンはこの試合32得点、10リバウンド、11アシストを記録、シリーズで初めて本来の活躍を見せ第7戦に持ち込んでみせた。
運命の第7戦、試合を決めたのはレブロンだった。スパーズがシリーズを通して敢行していた、レブロンのペネトレイトを封じるという作戦を逆手に取り、フィールドゴールのほとんどをジャンプシュートで決めてみせた。3P5本を含む37得点(NBAファイナル第7戦の歴代最高得点タイ記録)、そして4Q終了までもつれた激戦はレブロンのジャンパーにより幕引き。ヒートがチーム史上初の連覇を果たした。レブロンは昨年に続きファイナルMVPを受賞。またこのファイナルでは2回のトリプル・ダブルを記録しており、これはマジック・ジョンソン以来となるNBA史上2人目、2シーズン連続でシーズンMVPとファイナルMVPを同時受賞した選手はNBA史上マイケル・ジョーダンとレブロンの二人だけである。
スリーピートへ
2013–14シーズン、レブロンはシャキール・オニールとコービー・ブライアント率いるレイカーズ以来となるスリーピート(3連覇)を目指すこととなった。個人としては11月5日のトロント・ラプターズ戦において、500試合連続2桁得点を達成する。この記録はカリーム・アブドゥル・ジャバー、マイケル・ジョーダン、カール・マローン、モーゼス・マローンらに続き5人目である。3月3日のシャーロット・ボブキャッツ戦に自身のキャリアハイ、ヒートのフランチャイズレコードとなる61得点を記録(FG 22/33、3P 8/10、FT 9/12)した。
ファイナルは昨季と同じスパーズが相手となったが、それまで噛み合っていたオフェンスがリベンジを狙うスパーズの堅い守備によって封じ込まれ、さらに彼らの流れるようなパス回しにディフェンスも翻弄される。レブロン1人が奮闘する場面が目立ち、結局ヒートは1勝4敗で敗退し、スリーピート達成とはならなかった。
クリーブランド・キャバリアーズ復帰
オハイオの悲願達成へ
シーズン後、ヒートからFAとなっていたが、2014年7月11日にクリーブランド・キャバリアーズへの復帰を発表。ケビン・ラブ、カイリー・アービングらと『新生BIG3』を結成してチームを牽引、ゴールデンステート・ウォリアーズとのNBAファイナルまで導いた。キャバリアーズはラブ、アンダーソン・ヴァレジャオを怪我で欠いており、さらにアービングも第1戦で膝皿を骨折し戦列を離れたが、レブロンは第1~3戦で44得点、39得点、40得点と合計123得点(史上最高記録)を記録し、チームも2勝1敗でリードする。しかし第4戦から3連敗を喫し、2勝4敗で優勝を逃した。
2015–16シーズン前にはFAとなっていたが、残留が決まった。11月2日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で史上最年少(30歳307日)で通算25000得点を記録。11月23日のオーランド・マジック戦でNBA通算6395アシストを記録し、NBA歴代25位に浮上した。2月5日のNBAオールスターゲームにおいて13得点を決めたことでオールスター通算得点を291に伸ばし、コービー・ブライアントを抜いて歴代トップに浮上した。チームとしてもイースタントップの勝率を記録し、プレーオフに進んだ。
イースタンを制して迎えたファイナルの相手は、昨年敗れたウォリアーズ。レギュラーシーズンで史上最高となる73勝を挙げた「無敵艦隊」相手に、1勝3敗となった後の第5戦は41得点、16リバウンド、7アシスト、第6戦は41得点、8リバウンド、11アシストを記録して連勝し、第7戦まで粘ってみせた。第7戦でレブロンは27得点、11リバウンド、11アシストのトリプルダブル、そしてNBA史上最高のクラッチディフェンスとされるレブロンのブロックとカリー越しのアービングの3Pなどのスーパープレイもあり4勝3敗で勝利。史上初となる1勝3敗からの逆転優勝を果たし、自身も平均29.7得点、11.3リバウンド、8.9アシスト、2.3ブロック、2.6スティールと得点・リバウンド・アシスト・ブロック・スティールで両チームトップを記録し(ファイナル史上初)3度目のFMVPを獲得。
試合終了と同時に泣き崩れ、試合終了後のインタビューでレブロンは「クリーブランド、この優勝をお前にささげる("Cleveland, this is for you!")」と叫んだ。
キャバリアーズ初制覇以降
2016年8月11日、キャバリアーズと3年1億ドルで再契約。2016–17シーズンはリーグトップの3100万ドルの年俸でスタートすることになったLeBron James will sign a three-year, $100 million contract with Cavs。レギュラーシーズンは51勝31敗でフィニッシュ。プレーオフでは初戦ラウンドから危なげなくシリーズを突破し、7年連続NBAファイナルに出場を果たしたが、ケビン・デュラントが加入したウォリアーズのスーパーチームに1勝4敗で敗退し2連覇とはならなかった。敗れはしたものの、NBAファイナルでレブロンは平均33.6得点、12リバウンド、10アシストとNBAファイナル史上初となる平均トリプルダブルを記録している。
2017–18シーズン開始前に、チームメイトのカイリー・アービングがトレード要求し、ボストン・セルティックスに当時所属していたアイザイア・トーマス、ジェイ・クラウダーなどの引き換えに放出した。2017年11月3日のワシントン・ウィザーズ戦で、当時の球団タイ記録の1試合57得点を記録し、更に史上最年少の通算29000得点も達成した連敗を4で止めたキャバリアーズ、球団記録タイの57得点をあげたレブロン・ジェームズは「キャリア最高の状態」 NBA.com JAPAN。
2018年1月23日に行われたサンアントニオ・スパーズ戦で史上7人目の通算30000得点を達成した。33歳24日での達成は、レブロンと同じく高卒ルーキーとしてNBA入りしたコービー・ブライアントの34歳104日を抜き史上最年少での記録達成となった。また、通算30000得点・7000リバウンド・7000アシストを達成した史上初の選手になった。
2018年2月18日にロサンゼルスのステイプルズ・センターで行われるNBAオールスターゲームに先発出場することが発表された。ファン投票で最多となる263万8294票を獲得したことにより、レブロンはオールスターゲームの自チームのキャプテンとなり、今年のオールスターから実施されるオールスタードラフトで選手を指名する立場となった。オールスターでは29得点、10リバウンド、8アシストを記録しチーム・レブロンが148-145で勝利。試合後、レブロンはキャリア3度目となるオールスターMVPに選ばれた。2月27日に行われたブルックリン・ネッツ戦で31得点・12リバウンド・11アシストを記録、これにより自身初の月間平均トリプル・ダブルを達成した。更に史上初の通算30000得点・8000リバウンド・8000アシスト以上を達成した選手となった。フロントコートの選手が8000アシストを記録したのは史上初であり、通算アシスト数でも現時点で11番目に多い数となった。3月25日に行われたブルックリン・ネッツ戦で37得点、10リバウンド、8アシストを記録、試合はキャバリアーズが121-114で勝利した。レブロンはこの試合でキャリア通算10度目のシーズン2000得点を達成した。この記録を達成しているのはカール・マローン、マイケル・ジョーダン、レブロンの3人のみである。3月30日に行われたニューオーリンズ・ペリカンズで連続2桁得点試合記録を867試合とした。これによりジョーダンの記録を抜き歴代最多となった。2018年はレギュラーシーズン、ポストシーズン共にレブロンの孤軍奮闘が目立つ年となった。
レギュラーシーズンは50勝32敗と4位でフィニッシュし、上位シードに滑り込んだものの、1回戦では5位のインディアナペイサーズと対戦。第5戦では、44得点、 11リバウンド、8アシスト、FG60%さらにビクター・オラディポに対する残り3秒でのブロックとブザービーターを沈めるなど獅子奮迅の活躍であった。3勝3敗で第7戦までもつれ、レブロンはシリーズ平均34得点、9アシスト、9リバウンドを記録し辛うじて突破した。2回戦では、レギュラーシーズン東1位のトロント・ラプターズとの対戦になった。このシリーズでラプターズはレブロントラプターズと揶揄されるようになった。ジェームズは第3戦で3勝0敗にするブザービーターを沈め、その年3度目のブザービーターで史上最高レベルのパフォーマンスをしてスウィープした。一方でラプターズのエース、デマー・デローザンとカイル・ラウリーはシリーズを通して低調に終わった。レブロンがシリーズ合計136得点、33リバウンド、45アシスト、FG57-103に対し、ラプターズのデローザン、ラウリーという2人を合わせた合計スタッツが 138得点、30リバウンド、46アシスト、FG53-108 という衝撃的な比較が話題となった。第2戦では、第3Qから残り3分から第4Qの残り6分の間にゾーン入り、フェイダウェイのショットを連続8本沈め勝負を決めた。そして東のカンファレンスファイナルに進出した。キャバリアーズはテイタム、ブラウンという若手を中心としたボストンセルティックスに苦戦し、ここでもレブロンは孤軍奮闘を強いられる。2勝3敗と追い詰められた第6戦では、46得点、11リバウンド、9アシスト、FG55%を記録し、クラッチタイムに2本連続でテイタム越しに3ポイントシュートを沈めて勝負を決めた。第7戦でも自らの志願で48分フル出場し、35得点、15リバウンド、9アシストでチームを勝利に導き、チームを4年連続ファイナルに導いた。個人としては8年連続のファイナル到達という偉業であった。4年連続ウォリアーズとの対戦となり、王朝ウォリアーズをどのようにレブロンが倒すかというシナリオが期待されていた。第1戦のレブロンは51得点、8リバウンド、8アシスト、FG55%で史上最強と謳われるウォリアーズを追い詰めた。しかし、残り4.7秒でオフェンスリバウンドを取ったチームメイトのJRスミスが107-107だったにもかかわらず、勝っていると勘違いし、ボールをキープしてしまい、まさかの延長戦になり敗戦。この敗戦後レブロンはあまりの悔しさにロッカールームにあるホワイトボードを破壊。自らの左手を骨折させてしまうが、それを隠したまま第2戦以降も出場していたことが後に分かった。ウォリアーズはオールスター選手を4人揃える遥かに格上であった為、キャバリアーズは初戦の敗退で意気消沈。0勝4敗でスウィープの敗退となった。優勝こそ出来なかったらものの、この年のレブロンはレギュラーシーズン82試合とポストシーズン22試合全てに出場。平均出場時間はどちらもリーグトップであり、33歳にして現役最強を知らしめたシーズンとなった。MVPこそ逃したものの、かつてのチームメイトであるカイリー・アービングは「今季のMVPはジェームズ(ハーデン)かもしれないが、NBAのMVPはレブロン(ジェームズ)だ」とMVP、FMVPにを含めたMVPであったことを語った。MVPも優勝も出来なかったが、2018のシーズンこそレブロンジェームズの全盛期、信じられないレベルにあったというファンも多い。マイケル・ジョーダンとのGOAT論争がさらに白熱したシーズンであった。
ロサンゼルス・レイカーズ
2016年にキャバリアーズと結んだ3年契約の最終年はオプション契約、つまり選手側から契約を破棄できる契約となっており、2018年6月にレブロンは契約破棄を選択してフリーエージェントとなった。2018年7月1日、ロサンゼルス・レイカーズと総額1億5400万ドルの4年契約(4年目はプレイヤーオプション)を結んだ。5年連続でプレーオフを逃しているレイカーズに移籍したことにファンは驚いたが、本人はその理由について「挑戦したかった」と語っている。
2018–19シーズン
移籍初年度となる18–19シーズン、11月14日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で44得点を記録し、ウィルト・チェンバレンを抜いてNBA通算得点ランキング歴代5位に浮上した。11月18日のマイアミ・ヒート戦では、シーズンハイとなる51得点を決め、異なる3チームで50得点超えを果たしたNBA史上5人目の選手となった。しかし、12月25日のウォリアーズ戦で左の鼠蹊部を負傷すると、17試合連続で欠場した。これは自身最長である。2月1日のロサンゼルス・クリッパーズ戦で約1か月ぶりに戦列復帰し、この月で史上5人目となる通算32,000得点に到達し、3月6日には通算得点数がマイケル・ジョーダンを抜いて歴代4位に浮上した。翌々日、チームの成績は低迷していたこともあり、チームは残り試合のレブロンの出場時間に制限を設けると発表した。結局3月22日のブルックリン・ネッツ戦に敗れ、プレーオフ進出の可能性が消滅。レブロンがプレーオフを逃すのは04-05シーズン以来14年ぶりのこととなり、NBAファイナル連続出場も8でストップした。3月30日、股関節の負傷を完治させるために残り6試合を残してシーズンを終了した。これらの事情が重なり、オフに発表されるオールNBAチームではサードチーム止まりに。ファーストチームを逃したのは12年ぶりのことであった。
2019–20シーズン:自身4回目のチャンピオンリング獲得
2019–2020シーズンは、アンソニー・デイビスの加入により自身に掛かる負担が一気に軽減し、チームも開幕から破竹の勢いで勝利を重ねる。1月25日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦では29得点を決め、コービー・ブライアントを抜いて通算得点の歴代3位に浮上した。試合後にコービーが祝福コメントをSNS上で伝えたが、翌日に彼はヘリコプターの墜落事故により急逝し、これが最後の投稿となった。これに対しレブロンは自身のSNSに追悼メッセージを投稿したほか、1月31日のトレイルブレイザーズ戦前には追悼スピーチを行った。
シーズン終了後、キャリア17年目にして平均10.2アシストを記録し初のアシスト王に輝いた。新型コロナウイルスによるシーズン中断を経て迎えたプレーオフでも期待通りの活躍を見せ、レイカーズを10年ぶりのNBAファイナルに導いた。そのファイナルの相手は、かつて栄光をもたらしたマイアミ・ヒート。史上初の無観客での開催となったが、2度のトリプル・ダブルを記録するなど超人的な活躍を披露し、自身は平均29.8得点、11.8リバウンド、8.5アシストの成績で4勝2敗で勝利。自身4度目のNBAチャンピオンに輝き、さらにNBA史上初となる異なる3つのチームでファイナルMVPに選ばれた。今季のシーズン終了時点でレブロンのNBAプレーオフ通算出場時間は9370分の出場で歴代1位だったティム・ダンカンを抜き、NBA史上初となる1万分越えの10811分で歴代1位となった。
2020年12月26日、レブロンは史上最多タイとなる4回目のAP通信年間最優秀男性アスリート賞を獲得した(女性は日本人初の大坂なおみ)。
2020–21シーズン:連覇への過酷な挑戦
シーズン開始前にレイカーズと2年8500万ドルで契約延長した。COVID-19パンデミックの影響で各チームシーズン72試合に縮小され、2020年12月22日に開幕した2020–21シーズンは、NBA史上最短のオフシーズンを経てロサンゼルス・クリッパーズに116-109で敗れて幕を開けた。2020年12月31日のサンアントニオ・スパーズ戦にて、NBA史上初の1000試合連続で2桁得点を記録した。2021年2月18日のブルックリン・ネッツ戦では、カリーム・アブドゥル=ジャバーとカール・マローンに次ぐ3人目となる、キャリア通算35000点を達成した。また36歳50日での達成は史上最年少となった。4年連続オールスターゲームのキャプテンに選ばれた。同年3月20日のアトランタ・ホークス戦で相手チームと接触した際に足首を捻挫し、キャリア最長の20試合以上の欠場することになった。同年4月30日に復帰した。レブロンはトロント・ラプターズとの試合の後再び欠場することとなったが、レギュラーシーズン最後の2試合には復帰した。今シーズンは72試合中45試合に出場、1試合平均25.0得点、7.7リバウンド、7.8アシスト、シュート成功率は51.3%を記録した。また、17シーズン連続で平均25得点以上を記録し、NBA史上最多記録となり、17年連続でオールNBAチームに選出した(2ndチームでの選出は2007年以来)。
プレーオフ1回戦ではレギュラーシーズン2位で通過したフェニックス・サンズと対戦。レブロンがオープニングシリーズでホームコートアドバンテージを持たないのはキャリア初である。レイカーズはシリーズ2-1で勝ち越していたが、デイビスが4戦目で鼠径部の緊張に苦しみ、4戦目からレイカーズは3連敗となりサンズに敗れた。レブロンがプレーオフ1回戦で敗れたのはキャリア初の出来事となった。シリーズ平均23.3得点を記録したレブロンだが、これはキャリアを通じてシリーズで4番目に低い平均得点であり、2014年のイースタンカンファレンスファイナルで平均22.8得点を記録して以来の最低点となった。
2021–22シーズン:37歳にして数々の記録を更新
のオフ、レイカーズはレブロンの盟友カーメロ・アンソニーと契約したことにより、18年越しにチームメイトが実現した。2021年11月21日のデトロイト・ピストンズとの試合で、第3クウォーター序盤のフリースローの場面でリバウンドのポジション争いをしていたレブロンがアイザイア・スチュワートと腕が絡み、レブロンが左腕を振り下ろそうとした際にスチュワートの顔面へ直撃。流血したスチュワートは激高し、何度もレブロンに向かっていこうとしたため、一触即発となった。その直後、レブロンはデッドボールで肩より上への不要で過剰なコンタクトによりフレイグラントファウル2とみなし、キャリア2度目の退場となった。翌日、レブロンは1試合の出場停止処分が下された。その後、同年11月24日に行われたインディアナ・ペイサーズ戦との試合後の記者会見でスチュワートの顔面への直撃は「間違いなく偶然」と述べ、1試合の出場停止は不当だったと答えた。同年12月9日のオクラホマシティ・サンダー戦では、20得点、10リバウンド、11アシストを記録し、歴代5人目となる自身通算100回目のトリプル・ダブルを達成した。また、4日後のオーランド・マジック戦では、30得点、11リバウンド、10アシストを記録し、シーズン2回目のトリプル・ダブルを達成した。また、36歳と343日での30点超のトリプル・ダブルとしては歴代最年長記録となった。同月25日のブルックリン・ネッツとの試合でクリスマスゲーム出場16回となり、コービー・ブライアントと並ぶ歴代最多出場となった。また、39得点、9リバウンド、7アシスト、3スティール、1ブロックを記録し、クリスマスゲーム通算396得点でコービーが保持していた歴代最多通算得点記録を塗り替えた。同月28日のヒューストン・ロケッツ戦では、キャリア初のセンターで起用されるも、32得点、11リバウンド、11アシストでシーズン3回目のトリプル・ダブルを達成し、チームは132-123で勝利した。この試合で通算36000得点に到達し、通算36000得点・9000リバウンド・9000アシストに達成しているのはレブロンだけである。2022年1月19日、インディアナ・ペイサーズとの対戦にて37分の出場で30得点、12リバウンド、5アシスト、2スティールを記録し、史上初の通算30000得点・10000・リバウンド9000アシスト以上を達成した選手となった。
オールスターゲームではコービー・ブライアントと同数、カリーム・アブドゥル=ジャバーに次ぐ18回目の選出となり、ファン投票では両カンファレンスの最多投票を獲得し、5度目となるオールスター・チームキャプテンに選ばれた。試合は地元クリーブランドの観客の前で決勝点となるダガーショットを決め、163-161でチーム・デュラントを破り、オールスター5連勝を達成した。3月5日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦でレイカーズ移籍後、自己最多となる56得点、10リバウンド、3アシストを記録した。また、37歳以上で50得点を達成しているのは、マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、ジャマール・クロフォード以来4人目の快挙となった。3月11日のワシントン・ウィザーズ戦で50得点を記録し、1シーズンに複数回の50得点ゲームを達成した最年長選手となり、またレイカーズの選手としては2008年のコービー以来となるホームゲームで2試合連続50得点を挙げた選手となった。3月13日のサンズとの対戦で通算1万アシストを達成し、史上唯一となる30000得点・10000リバウンド・10000アシストを達成した選手となった。3月19日のウィザーズ戦でカール・マローンを抜き、レギュラーシーズンにおける通算得点ランキングが2位に浮上した。4月5日、レイカーズは2019年以来となるプレーオフ不出場が確定し、同月8日には足首の故障でシーズン最後の2試合を欠場するこが発表された。
2022–23シーズン:NBA通算得点歴代1位に
2022年8月18日、レイカーズと2年9800万ドルの再契約に合意した。2023年1月24日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でキャリアハイである9本の3ポイントを含む46得点を記録し、史上初のNBAの全30チームから40得点超をあげた選手となったレブロンが史上初の全30チームから40得点超を達成 レイカーズは黒星。オールスターゲームではカリーム・アブドゥル=ジャバーに並ぶNBA史上最多タイの19回目の選出を果たした。 2月7日のオクラホマシティ・サンダー戦でカリーム・アブドゥル=ジャバーの通算38387得点を更新し、NBA通算得点歴代1位となる通算38390得点に到達した。
2023–24シーズン:NBAインシーズン・トーナメント初代チャンピオン・MVP
2023年11月21日のユタ・ジャズ戦で17得点を記録し、リーグ史上初のレギュラーシーズン通算39000得点を達成した選手となった。12月19日のNBAインシーズン・トーナメント決勝でインディアナ・ペイサーズに123-109で勝利し、NBAインシーズン・トーナメントの初代王者となるとともに、レブロンは初代インシーズン・トーナメントMVP、NBAオールトーナメントチームに選出された。
2024年1月25日、レブロンはオールスターゲームのスターターに選ばれ、カリーム・アブドゥル=ジャバーを上回るNBA記録の20回目の選出を果たした。1月27日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦ではダブルオーバータイムの末に、キャリアハイに並ぶ20リバウンドを含む36得点、12アシストを記録し、レイカーズのフランチャイズにおいては1976年のカリーム・アブドゥル=ジャバー以来となる30-20-10ゲームを達成、チームは145-144で勝利した。
3月2日のデンバー・ナゲッツ戦で26得点を記録し、史上初となる通算40000得点を達成したレブロン・ジェームズが前人未到40000得点到達! NBAの“キング”がまたも歴史創る。
代表歴
NBAでの1年目が終わった2004年の夏にアテネ五輪にアメリカ代表として出場したが、ベテラン重視のラリー・ブラウンHCの方針により平均14.6分と満足な出場時間を得られず5.8得点、2.6リバウンドの成績にとどまり代表チームは4大会ぶりに金メダルを逃し、現役NBA選手が参加して初めて金メダルを逃すこととなり銅メダルに終わった。
2006年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権ではドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーと共に3人のチームキャプテンの1人に指名され主力選手の1人としてプレイし、14.8得点4.8リバウンド4.1アシストの成績を残したが、代表チームはまたしても銅メダルに終わった。
2008年開催の北京オリンピックでは、全試合安定した成績を残し、スペインを破って見事金メダルを獲得した。
2012年開催のロンドンオリンピックではチームキャプテンに指名され、ケビン・デュラントと共にチームを引っ張った。決勝でも重要な場面で3Pを決めたり実質的なエースはレブロンであったが、デュラントに点を決めさせるというチームの方針通り司令塔として、またよりオールラウンドな活躍を見せてアメリカ代表としては初のトリプルダブルを記録し、二大会連続でアメリカに金メダルをもたらした。同時に、同じ年にシーズンMVP、ファイナルMVP、NBA優勝を果たしてオリンピック金メダルを獲得した選手となり、これはマイケル・ジョーダンに続く史上二人目の快挙となった。大会後、マイク・シャシェフスキーHCは、ジェームズが「最高の選手であり、最高のリーダーであり、今ゲームをプレイしている誰よりも賢い」と述べた。
プレースタイル
身長6フィート9インチ(約206cm)、体重250ポンド(約113kg)のレブロンは、キャリアの大半をスモールフォワードとパワーフォワードのポジションでプレーしてきたがLeBron James Stats. Basketball-Reference.com. Retrieved May 29, 2020.、必要に応じて他のポジションでも起用されている。運動能力が高く、多才な彼のプレースタイルは、殿堂入りしたオスカー・ロバートソン、マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダンと比較されるほどである。2022-23シーズンまでのレブロンのキャリア平均は1試合あたり27.2得点、7.5リバウンド、7.3アシスト、1.5スティール、0.7ブロックの成績を残しており、ESPNやスポーツ・イラストレイテッド誌からは、2011年から2020年まで連続で現役NBA選手の中の1位に選ばれ続けている。各社の行ったNBA史上最高の選手を決める投票で、レブロンは現役選手でありながらマイケル・ジョーダンに次ぐ2位を獲得している。
また、マイケル・ジョーダンとよく比較される(ネクスト・ジョーダン)が、ジョーダンよりマジック・ジョンソンに近いという意見が多い。シャキール・オニールは「若き日のレブロンはマジック・ジョンソンに近い選手だった。だから彼は、ジョーダンの能力を備えたマジックみたいなものだ。」と述べている。また、他にも同じポジションであり、バスケットボールIQが高く、攻守ともにプレースタイルが似ていることから、ジョーダンの相棒であったスコッティ・ピッペンに1番似ているという意見も多く、ピッペンも「私はレブロン・ジェームズの前にレブロン・ジェームズだったんだ。私も負けてはいませんが、レブロンのゲームを比較するときはたいてい私は除外されます...。皆マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンのような偉大な選手と比較したがるが、彼は私に近い」と話している。
オフェンス
得点力、パス能力の他、ポイントガードからセンターまでガードできる守備力も併せ持つオールラウンダー。NBAデビュー時からチームの得点王となり、数々の最年少記録を更新し続けている。長身選手でありながら、ガードのスキルを有しており、「ポイントフォワード」と称され、5つのポジションをこなすことができる『HOOP』2013年3月号、8-9頁、日本文化出版、雑誌17881-3。歴代最高のスラッシャーであり、トランジションオフェンスを得意としている。ヒート入団当初は身体能力に頼りプレーする傾向にあったが、ポストオフェンスを一層に磨き上げ、ジャンプショットのショットセレクションと精度を改善した。また、ヒートのPass-Happyオフェンスでオフボールカッターの動きを学んだことにより、これらの改善でレブロンのスコアリング効率は上昇し、2012–2013シーズンはリーグで1番のフィールドゴール成功数を決めておりながら、フィールドゴール成功率はリーグ5位という高水準を記録している。また、ESPNのトム・ハバストロフは、唯一「平均的」であるフリースローシュートが最大の弱点だと述べている。
ディフェンス
キャリア当初はディフェンスが苦手とされていたが、年月を経て着実に向上し、2008-09シーズンを皮切りにオールディフェンシブ1stチームの常連となった(2009年と2013年にはNBA最優秀守備選手賞の投票数が2位である2008-09 NBA Awards Voting | Basketball-Reference.com2012-13 NBA Awards Voting | Basketball-Reference.com)。2009年からはレブロンの代名詞ともなった、トランジションで相手の背後からショットをブロックするチェイスダウンブロックを得意とするようになり、マイアミ時代はより汎用性の高い守備力の選手に成長し、ヒートは彼の5つのポジションを守ることができることに依存していた。また、シェーン・バティエ、ドウェイン・ウェイドとともに、ヒートは超攻撃的な守備スキームでレブロンを活用して、ペイントエリア付近またはリバウンドのヘルプをこなしていた。しかし、2014年以降になると一部のアナリストはディフェンスをサボる癖と年齢的な衰えから、レブロンの守備の影響力が後退したと報告している。キャバリアーズ第2期在籍中からレブロンの守備意識は次第に低下していき、オフボールのヘルプやスイッチディフェンスには積極的ではなくなった。レブロン自身は、このアプローチを「チルモード」と呼んだ。しかしながら、プレーオフやトーナメントになると守備力が全盛期と遜色ないレベルに戻ることから、一部のアナリストやファンなどから「プレーオフ・レブロン」と呼ばれるようになった。
レガシー
レブロンはNBA史上最も期待された選手として高卒でプロデビューし、デビュー当時からインパクトを与え、史上最年少でルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。2023年10月現在、オールNBAチームに19回選出され、そのうち1stチームには13回選出されており、これはいずれもNBA記録である。4回のシーズンMVP受賞は、マイケル・ジョーダン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、ウィルト・チェンバレン、ビル・ラッセルと並び、5年間で4回のシーズンMVPを受賞したのはジェームズとラッセルだけである。また、歴代2位となる4回のファイナルMVPを受賞し、2009年から2014年までオールディフェンシブチームに選ばれている。最優秀守備賞こそ受賞したことはないが、投票で2位になったことが2回あり、それを大きな目標の1つに挙げている。これまでにファイナルに10回の出場、4回のリーグチャンピオンを成し遂げており、10回のファイナル出場は歴代3位タイである。しかし、出場は多いもののファイナルでの成績が良くないと批判するアナリストがいる一方で、レブロンはいつも高パフォーマンスを披露し、格上の相手に負けたと反論するアナリストもいる。
そのキャリアの長さとコート上でのパフォーマンスを根拠に、スポーツ誌は常に史上最高のバスケットボール選手のランキングにレブロンを入れており、2019年12月には2010年代のAP通信社男性アスリート・オブ・ザ・ディケイドに選出された。アナリストたちはレブロンのコート上での功績を称えるだけでなく、彼がフリーエージェントでチームを変えることを厭わなかったことから、NBA全体の選手のエンパワーメントに影響を与えたと指摘している。ワシントンポストのベン・ゴリバー記者は、2010年のジェームズのヒートへの移籍を「10年間の選手の動きを決定づけた」とし、「スターと所属組織のパワーバランスを根本的にひっくり返した」と論評している。ゴールデンステート・ウォリアーズに所属するドレイモンド・グリーンはレブロンの影響力について次のように語っている。
また、レブロンはマイケル・ジョーダンと比較されることも多く、史上最高のバスケットボール選手という文脈で語られることも多々ある。2016年のスポーツ・イラストレイテッドのインタビューで、自分のバスケに対するモチベーションはジョーダンを超えて最も偉大な存在になることだと認めている。史上最高のバスケットボールを選ぶ世論調査では、ジョーダンに次いで2位となっており、この結果は年齢と強く相関しており、年配の有権者はジョーダンを選ぶことほとんどである。このことについてビジネスインサイダーのデイビスらはこう述べている。「このデータは、熱心な若いNBAファンは、彼がまだプレーしているので、ジェームズに傾いていることを示唆しているだろう。ジョーダンのプレーを見ていた古い世代で、今日あまりチューニングしていない人はジョーダンの方に傾く。」CBSスポーツのサム・クインは、史上最高のバスケットボール選手としてのジョーダンの地位に対する最高の挑戦者としてレブロンに言及し、「ジョーダンが関与する場合の誤差は圧倒的に小さい」と述べ、「リングにこだわるバスケットボール談義において」、より多くのタイトルと「無敗のファイナル記録」を持つジョーダンは大きな重みを持つとしている。
人物
- 名前"LeBron"のアメリカでの発音は「レブロン」。
- 既婚者で3人の子持ち。長男のブロニー・ジェームズは2004年生まれで、後に妻となったSavannah Brinson(1986年生まれ)にとっては十代の出産であった。
- 野球ではニューヨーク・ヤンキースのファンであり、クリーブランド市のフランチャイズチームであるクリーブランド・インディアンスとヤンキースの試合を観戦した時、一人だけプログレッシブ・フィールドでヤンキースの帽子を被って野球観戦した為、地元のインディアンスファンから大ブーイングを受けた。
- またサッカーファンでもあり、イングランドプレミアリーグのリヴァプールFCの熱心なサポーターとして知られる。リヴァプールに出資している株主の一人でもある。2012年には自身が代表を務めるブランドからリヴァプールFC仕様のスニーカーも販売しているレブロン・ジェームズ×リヴァプールなスニーカー登場!Nike LeBron 9 Low ‘Liverpool FC’。
- 2007年のプレーオフのさなか、チームメートのアイラ・ニューブルが始めたダルフール紛争で国際的に非難されているスーダン政府を支援している中国への抗議に対する署名を拒否したため非難を浴びた。この署名運動には当時キャバリアーズに所属していたラリー・ヒューズ、サーシャ・パブロビッチ、ジードルナス・イルガスカスらが署名していた。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ジェームズの年収は7230万ドル(約72億3000万円)であり、世界のアスリートの中で3位。バスケットボール選手の中ではコービー・ブライアントなどを上回り、1位となったThe World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。。
- レブロンの年収・約72億3000万円の内訳は約19億円が所属チームから支払われている給料(年俸)であり、残りの約53億円がCM出演やテレビ出演などから得た副業収入である【米Forbes誌】世界で最も稼いでるアスリートTOP10【全プロスポーツ】。
- 2015年12月、ナイキと15億ドルを超える生涯契約を締結したナイキがレブロンと生涯契約、44年の歴史で初。
- 2015年、2016年とゴールデンステート・ウォリアーズとはNBAファイナルで激しくしのぎを削ったが、レブロン自身は「ウォリアーズとの間にライバル関係はない」と語っているLeBron James: Warriors are a hell of a team but I don't think we have a rival in our game today。
- 2017年5月、アメリカのESPNは世界で最も有名なアスリート100名を発表し、ジェームズはクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ2位にランクインしたESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。。
- 世界でも屈指の人気アスリートであり、Instagramのフォロワー数は2022年12月現在で1億人を超えているKingjames trackalytics.com 2020年7月27日閲覧。。世界のあらゆるアスリートの中でもクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシ、ネイマール、ヴィラット・コーリに次いで5番目に多いFrom Ronaldo to Messi to LeBron – Here are the insane amounts the top 10 sports influencers make from a single Instagram post LuxuryLaunches 2020年7月27日閲覧。。
- 2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ジェームズの年収は8900万ドル(約95億2000万円)であり、世界のアスリートの中で8位 Forbes.com 2019年6月発表。。
- マイケル・ジョーダンの「23」をNBA全体の永久欠番にすべきと発言するなど「23」という数字に強い思いを持っており、ジョーダンに敬意を払う意味を込めて2010年の3月に来シーズンの背番号を「6」に変えると表明したが、この行動がヒート移籍後に「春の段階でレブロンはヒートに移籍する決意を固めていた」という噂の発端となり、レブロンの移籍に激怒したキャブスファンがレブロンのジャージを燃やす騒ぎに発展した。
- ヒートや代表で「6」を選んだ理由は、NBAのレジェンドであるビル・ラッセルやジュリアス・アービングに対するリスペクトに加え、長男のブロニーが10月「6」日、次男のブライスが「6」月14日に生まれるなど何かと「6」という数字に縁があるから、というものである。2014年から2021年まで背番号は23だったが、6という数字にも思い入れを持っており、キャブス復帰後はユニフォームは背番号23でも練習には背番号6の練習着で参加し、レイカーズ移籍後も練習着の背番号は6である【NBA背番号外伝】活躍した選手は少ないながら、ラッセル、ドクターJ、レブロンと各年代最高のスターが着用した背番号6。“ファンの番号”として欠番化する球団も。
- アンソニー・デイビスがレイカーズに移籍した際、デイビスのために背番号23を譲ると発言し、自身のInstagramで背番号6のユニフォームを着た自分の写真を披露したが、既に背番号の変更期間は終わっており、NBAのユニフォームサプライヤーとして特例で背番号変更を出す権限を持ったナイキもレブロンのジャージの在庫が多数あるとの理由で背番号の変更を許可しなかったため頓挫した。そのため、デイビスは新たに背番号3でシーズンを迎える事になったレブロン・ジェームズの番号変更にナイキが待った、アンソニー・デイビスは3番に。
- デイビス移籍から2シーズンは背番号23でプレーしていたが、2021-22シーズンからは改めて背番号6でプレーすると表明し、2013-14シーズンぶりに背番号6のレブロン・ジェームズが復活する事が決定したレイカーズのレブロン・ジェームズが来季から背番号を23から6に変更へ。
個人成績
NBA
レギュラーシーズン
シーズン | チーム | GP | GS | 勝 | 敗 | 勝率 | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003–04 | CLE | 79 | 79 | 33 | 46 | .417 | 39.5 | .417 | .290 | .754 | 5.5 | 5.9 | 1.6 | .7 | 20.9 |
2004–05 | 80 | 80 | 41 | 39 | .512 | 42.4* | .472 | .351 | .750 | 7.4 | 7.2 | 2.2 | .7 | 27.2 | |
2005–06 | 79 | 79 | 47 | 32 | .595 | 42.5 | .480 | .335 | .738 | 7.0 | 6.6 | 1.6 | .8 | 31.4 | |
2006–07 | 78 | 78 | 47 | 31 | .602 | 40.9 | .476 | .319 | .698 | 6.7 | 6.0 | 1.6 | .7 | 27.3 | |
2007–08 | 75 | 74 | 45 | 30 | .600 | 40.4 | .484 | .315 | .712 | 7.9 | 7.2 | 1.8 | 1.1 | 30.0* | |
2008–09 | 81 | 81 | 66 | 15 | .814 | 37.7 | .489 | .344 | .780 | 7.6 | 7.2 | 1.7 | 1.1 | 28.4 | |
2009–10 | 76 | 76 | 60 | 16 | .789 | 39.0 | .503 | .333 | .767 | 7.3 | 8.6 | 1.6 | 1.0 | 29.7 | |
CLE:7年 | 548 | 547 | 339 | 209 | .624 | 40.3 | .474 | .326 | .742 | 7.1 | 7.0 | 1.7 | .9 | 27.8 | |
2010–11 | MIA | 79 | 79 | 57 | 22 | .721 | 38.8 | .510 | .330 | .759 | 7.5 | 7.0 | 1.6 | .6 | 26.7 |
2011–12 | 62 | 62 | 45 | 17 | .725 | 37.5 | .531 | .362 | .771 | 7.9 | 6.2 | 1.8 | .8 | 27.1 | |
2012–13 | 76 | 76 | 61 | 15 | .802 | 37.9 | .565 | .406 | .753 | 8.1 | 7.3 | 1.7 | .8 | 26.8 | |
2013–14 | 77 | 77 | 52 | 25 | .675 | 37.7 | .567 | .379 | .750 | 6.9 | 6.4 | 1.6 | .3 | 27.1 | |
MIA:4年 | 294 | 294 | 215 | 79 | .731 | 38.0 | .543 | .369 | .758 | 7.6 | 6.7 | 1.7 | .7 | 26.9 | |
2014–15 | CLE | 69 | 69 | 50 | 19 | .724 | 36.1 | .488 | .354 | .710 | 6.0 | 7.4 | 1.6 | .7 | 25.3 |
2015–16 | 76 | 76 | 56 | 20 | .736 | 35.6 | .520 | .309 | .731 | 7.4 | 6.8 | 1.4 | .6 | 25.3 | |
74 | 74 | 51 | 23 | .689 | 37.8* | .548 | .363 | .674 | 8.6 | 8.7 | 1.2 | .6 | 26.4 | ||
82 | 82 | 50 | 32 | .609 | 36.9* | .542 | .367 | .731 | 8.6 | 9.1 | 1.4 | .9 | 27.5 | ||
CLE:計11年 | 849 | 848 | 546 | 303 | .643 | 39.0 | .492 | .337 | .733 | 7.3 | 7.3 | 1.6 | .8 | 27.2 | |
LAL | 55 | 55 | 28 | 27 | .509 | 35.2 | .510 | .339 | .665 | 8.5 | 8.3 | 1.3 | .6 | 27.4 | |
67 | 67 | 50 | 17 | .746 | 34.6 | .493 | .348 | .693 | 7.8 | 10.2* | 1.2 | .5 | 25.3 | ||
45 | 45 | 30 | 15 | 33.4 | .513 | .365 | .698 | 7.7 | 7.8 | 1.1 | .6 | 25.0 | |||
56 | 56 | 25 | 31 | .446 | 37.2 | .524 | .359 | .756 | 8.2 | 6.2 | 1.3 | 1.1 | 30.3 | ||
55 | 54 | 30 | 25 | .545 | 35.5 | .500 | .321 | .770 | 8.3 | 6.8 | .9 | .6 | 28.9 | ||
通算 | 1,421 | 1,419 | 924 | 497 | 38.1 | .505 | .345 | .735 | 7.5 | 7.3 | 1.5 | .8 | 27.2 | ||
オールスター | 20 | 11 | 9 | 26.8 | .513 | .297 | .725 | 5.7 | 5.7 | 1.1 | .4 | 21.7 |
プレーオフ
|- | align="left" | 2006 | align="center" rowspan=5| CLE | 13 || 13 || 46.5 || .476 || .333 || .737 || 8.1 || 5.8 || 1.4 || .7 || 30.8 |- | align="left" | 2007 | 20 || 20 || 44.6 || .416 || .280 || .755 || 8.0 || 8.0 || 1.7 || .5 || 25.0 |- | align="left" | 2008 | 13 || 13 || 42.5 || .411 || .257 || .731 || 7.8 || 7.6 || 1.8 || 1.3 || 28.2 |- | align="left" | 2009 | 14 || 14 || 41.4 || .510 || .333 || .749 || 9.1 || 7.3 || 1.6 || .9 || 35.3 |- | align="left" | 2010 | 11 || 11 || 41.8 || .502 || .400 || .733 || 9.3 || 7.6 || 1.7 || 1.8 || 29.1 |- | align="left" | 2011 | align="center" rowspan=4| MIA | 21 || 21 || 43.9 || .466 || .353 || .763 || 8.4 || 5.9 || 1.7 || 1.2 || 23.7 |- | style="text-align:left;background:#afe6ba;" | 2012 | 23 || 23 || 42.7 || .500 || .259 || .739 || 9.7 || 5.6 || 1.9 || .7 || 30.3 |- | style="text-align:left;background:#afe6ba;" | 2013 | 23 || 23 || 41.7 || .491 || .375 || .777 || 8.4 || 6.6 || 1.8 || .8 || 25.9 |- | align="left" | 2014 | 20 || 20 || 38.2 || .565 || .407 || .806 || 7.1 || 4.8 || 1.9 || .6 || 27.4 |- | align="left" | 2015 | align="center" rowspan=4| CLE | 20 || 20 || 42.2 || .417 || .227 || .731 || 11.3 || 8.5 || 1.7 || 1.1 || 30.1 |- | style="text-align:left;background:#afe6ba;" | 2016 | 21 || 21 || 39.1 || .525 || .340 || .661 || 9.5 || 7.6 || 2.3 || 1.3 || 26.3 |- | style="text-align:left;" | | style="textalign:left;" | 18 || 18 || 41.9 || .565 || .411 || .698 || 9.1 || 7.8 || 1.9 || 1.2 || 32.8 |- | style="text-align:left;" | | 22 || 22 || 41.3 || .539 || .342 || .746 || 9.1 || 9.0 || 1.4 || 1.0 || 34.0 |- | style="text-align:left;background:#afe6ba;" | 2020 | style="text-align:center;" rowspan=3|LAL | 21 || 21 || 36.3 || .563 || .378 || .710 || 10.8 || 8.8 || 1.2 || .8 || 27.6 |- | style="text-align:left" | | 6 || 6 || 37.3 || .474 || .375 || .609 || 7.2 || 8.0 || 1.5 || .3 || 23.3 |- | style="text-align:left" | 2023 | 16 || 16 || 38.7 || .498 || .264 || .760 || 9.9 || 6.5 || 1.1 || 1.1 || 24.5 |- class="sortbottom" |style="text-align:center;" colspan="2"|通算 |bgcolor="EOCEF2"|282||bgcolor="EOCEF2"|282||41.3||.495||.331||.741||9.0||7.2||1.7||1.0||28.5 |}
1試合自己最多記録
参照:
統計 | 最高 | チーム | 相手 | 日付 |
---|---|---|---|---|
得点 | 61 | マイアミ・ヒート | シャーロット・ボブキャッツ | |
得点(プレイオフ) | 51 | クリーブランド・キャバリアーズ | ゴールデンステート・ウォリアーズ | |
フィールドゴール成功数 | 23 | クリーブランド・キャバリアーズ | ワシントン・ウィザーズ | |
フィールドゴール試投数 | 36 | クリーブランド・キャバリアーズ | トロント・ラプターズ | |
フィールドゴール成功数(プレイオフ) | 20 | クリーブランド・キャバリアーズ | オーランド・マジック | |
フィールドゴール試投数(プレイオフ) | 38 | クリーブランド・キャバリアーズ | ゴールデンステート・ウォリアーズ | |
フリースロー成功数 | 24 | クリーブランド・キャバリアーズ | マイアミ・ヒート | |
フリースロー試投数 | 28 | クリーブランド・キャバリアーズ | マイアミ・ヒート | |
スリーポイント成功数 | 9 | ロサンゼルス・レイカーズ | ロサンゼルス・クリッパーズ | |
ロサンゼルス・レイカーズ | ブルックリン・ネッツ | |||
スリーポイント試投数 | 14 | ロサンゼルス・レイカーズ | ロサンゼルス・クリッパーズ | |
リバウンド | 20 | ロサンゼルス・レイカーズ | メンフィス・グリズリーズ | |
ロサンゼルス・レイカーズ | ゴールデンステート・ウォリアーズ | |||
オフェンスリバウンド | 7 | マイアミ・ヒート | クリーブランド・キャバリアーズ | |
ディフェンスリバウンド | 19 | ロサンゼルス・レイカーズ | ゴールデンステート・ウォリアーズ | |
アシスト | 19 | ロサンゼルス・レイカーズ | オーランド・マジック | |
スティール(プレイオフ) | 6 | マイアミ・ヒート | インディアナ・ペイサーズ | |
スティール | 7 | マイアミ・ヒート | メンフィス・グリズリーズ | |
ブロックショット | 5 | クリーブランド・キャバリアーズ | シカゴ・ブルズ | |
出場時間 | 55 | クリーブランド・キャバリアーズ | メンフィス・グリズリーズ | |
出場時間(プレイオフ) | 53 | クリーブランド・キャバリアーズ | ワシントン・ウィザーズ |
受賞・タイトル
- NBA
- 4× NBAチャンピオン(2012, 2013, 2016, 2020)
- 4× NBAファイナルMVP(2012, 2013, 2016, 2020)
- 4× NBAシーズンMVP(2009, 2010, 2012, 2013)
- NBAインシーズン・トーナメントチャンピオン (2023)
- NBAインシーズン・トーナメントMVP (2023)
- 20× NBAオールスター(2005 - 2024)
- 3× NBAオールスターゲームMVP(2006, 2008, 2018)
- 13× オールNBAファーストチーム(2006, 2008 - 2018, 2020)
- 3× オールNBAセカンドチーム(2005, 2007, 2021)
- 3x オールNBAサードチーム(2019, 2022, 2023)
- 5× NBAオールディフェンシブ・ファーストチーム(2009 - 2013)
- NBAオールディフェンシブ・セカンドチーム(2014)
- NBA新人王(2004)
- NBAオールルーキー・ファーストチーム(2004)
- NBA得点王(2008)
- NBAアシスト王(2020)
- NBA75周年記念チーム(2022)
- J・ウォルター・ケネディ市民賞(2017)
- 4× AP通信年間最優秀アスリート賞(2013, 2016, 2018, 2020)
- 2× ミスター・バスケットボールUSA(2002, 2003)
- タイム誌年間最優秀アスリート賞(2020)
- USAバスケットボール男子年間最優秀選手(2012)
- ハイスクール
- 2003年全米チャンピオン
- 3× OHSAAチャンピオン:3回(2000、2001、2003)
- ネイスミス・プレップ年間最優秀選手賞
- 2× ミスター・バスケットボールUSA
- 2× ゲータレード年間最優秀選手賞
- 3× オハイオ州ミスター・バスケットボール(2001、2002、2003)
- 2× パレード高校バスケットボール年間最優秀選手賞
- 2003年 マクドナルド全米年間最優秀選手賞
- 2003年 マクドナルド高校オール・アメリカン
- 2003年 マクドナルド・オール・アメリカンMVP
- 2003年 ジョーダン・ブランド・クラシックMVP
- 23 セント・ビンセント=セント・メアリー永久欠番
- セント・ビンセント=セント・メアリー殿堂入り(2011年のクラス)
最年少記録
- ドラフト1位(18歳178日)
- 新人王獲得(19歳)
- オールルーキー1stチーム(19歳)
- オールNBA1stチーム(21歳)
- オールスターMVP獲得(21歳51日)
- 通算1000得点 - 40000得点達成(全てにおいて最年少)
- シーズン平均30得点(21歳)
- 30得点, 40得点, 10アシスト, 15アシスト達成試合
- プレイオフでのトリプルダブル達成試合
最年長記録
- プレイオフでの40得点試合(38歳143日)
- プレイオフでの20得点-20リバウンド試合(38歳115日)
- シーズン平均30得点(37歳)
- 50得点-10リバウンド達成試合(37歳65日)
- 10試合連続25得点達成(37歳)
- 30得点トリプルダブル達成試合(39歳28日)
通算得点
- 2004年2月9日 - 通算1000得点達成(19歳41日)
- 2006年1月21日 - 通算5000得点達成(21歳22日)
- 2008年2月27日 - 通算10000得点達成(23歳59日)
- 2010年3月19日 - 通算15000得点達成(25歳79日)
- 2013年1月16日 - 通算20000得点達成(28歳17日)
- 2015年11月2日 - 通算25000得点達成(30歳307日)
- 2018年1月23日 - 通算30000得点達成(33歳24日)
- 2021年2月18日 - 通算35000得点達成(36歳50日)
- 2024年3月2日 - 通算40000得点達成(39歳64日)
- 2012年6月3日 - プレイオフ通算3000得点達成(27歳156日)
- 2014年5月6日 - プレイオフ通算4000得点達成(29歳127日)
- 2015年6月16日 - プレイオフ通算5000得点達成(30歳172日)
- 2023年5月22日 - プレイオフ通算8000得点達成(38歳143日)
その他の業績
- プレイオフブザービーター成功数歴代1位(5回)
- NBAファイナル トリプルダブル達成数歴代1位
- シーズンMVP、NBA優勝、ファイナルMVP、オリンピック金メダルすべてを同じ年に獲得(ジョーダン以来2人目)
- ファイナルMVPを異なる3チームで獲得
- 19年連続シーズン平均25得点5リバウンド5アシスト以上
- 20年連続オールスターゲーム出場(歴代最多)
- キャリア通算40000得点11000リバウンド10000アシスト達成(史上初)
- 「スポーツ・イラストレイテッド」による「スポーツパーソン・オブ・ザ・イヤー」をただ1人3回受賞(2012年、2016年、2020年)
- 18年連続シーズンMVP票獲得
- 1156試合連続2桁得点(歴代最多)
- 1シーズンでのプレイオフ40得点試合 - 8回(2018, 歴代最多)
出演
映画
公開年 | 邦題原題 | 役名 | 備考 | 吹き替え | |
---|---|---|---|---|---|
2018 | スモールフットSmallfoot | グワンギ | 声の出演 | かぬか光明 | |
2021 | スペース・プレイヤーズSpace Jam: A New Legacy | 本人 | 兼製作 | 楠大典 | |
2022 | HUSTLE ハッスルHustle | 製作 | |||
House Party | 製作 |
注釈
出典
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/01 05:30 UTC (変更履歴)
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