アーサー・ホーランド : ウィキペディア(Wikipedia)
アーサー・ホーランド(Arthur Masayuki Hollands, 1951年9月27日アーサーホーランドHP https://www.arthurhollands.com/ - )は、大阪府西成区出身の牧師。 日本キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(JCCC)JCCC HP https://www.japanccc.org/の元スタッフ。 1989年、新宿アルタ前での路傍伝道を開始したことを契機に、アーサー・ホーランド・ミニストリーを設立した。その後1990年、47都道府県を回り路傍伝道。1992年、七人の若者を引き連れて日本縦断。元ヤクザのクリスチャン集団「ミッション・バラバ」や、バイカー集団「The Lord’s Angeles」の創設者。 お茶の水クリスチャンセンターお茶の水クリスチャンセンターHP https://ochanomizu.cc/主催の定期集会「フライデーナイト」フライデーナイトHP https://ochanomizu.cc/meeting/fridaynight/では現在もメッセンジャーとして活躍中。 “You Are Loved"をキーワードに、神の広く深い愛を伝えることをモットーにしている。宗教の枠に縛られた形式的な信仰ではなく、大いなる存在、本質的なものを見据えた生き方を伝えようと伝道している。 娘は作詞作曲家の堀井ローレン。
来歴
生い立ち
1951年(昭和26年)大阪府大阪市西成区に米国籍のアメリカ海兵隊員の父と大衆食堂の娘である母の間に長男として生まれる。
両親が東京で米軍関係の職を得て両親は東京に移るが、祖母の希望でホーランドは大阪に残り、幼少期を食堂を経営する祖父母の元で過ごす。小学校は、大阪市城西区にある城星学園というカトリック系のミッションスクールで学ぶが、祖父母は創価学会の信者であった。
1963年(昭和38年)小学校卒業後、父親が当時・東京赤坂にあった山王ホテル(現・ニュー山王ホテル)の副総支配人になり、ホーランドの教育も鑑みて東京に連れて一緒に住む。当時・東京港区にあったフランス・カナダ系ミッションスクールのセント・メリーズ・インターナショナル・スクールに通う。
1966年(昭和41年)父親の勧めで、15歳の頃から講道館に通い柔道を学ぶことになる。 中学時代からバスケット、レスリング、陸上競技に親しむ。 高校生の時に、学校で暴力事件を起こしたためレスリング部を退部させられる。その頃、講道館で東京オリンピックにアメリカ代表として出場したポール・マルヤマに出会い、日米親善試合のアメリカ代表として柔道の試合に出場することになる。この頃、東京オリンピックの柔道金メダリスト岡野功に出会い、彼の誘いを受け、岡野の主宰する正気塾の寮に入寮する。高校を卒業した後も岡野に師事し続ける。学校で暴力事件を起こしたが、教師や同級生の父親の計らいで退学処分は免れた。
米国時代
1972年(昭和47年)、20歳で渡米し、カリフォルニア州サンタアナにあるサンタアナ・ジュニア・カレッジ(英語版)で学ぶ。学校では、FBIの捜査官を夢見るものの、柔道と喧嘩に明け暮れ1年で中退する。
大学で旧ソ連の国技で、柔道とレスリングを混合した種目のサンボレスリングを始める。 全米柔道選手権では3位、全米サンボ選手権では優勝などの成績を残す。詳しくはこちらを参照。
柔道やレスリングで競技生活を送る中で、勝敗への重圧と挫折から競技中心の生活に虚しさを感じるようになる。 その頃、カリフォルニアの海岸で「神がいるなら証明してほしい」と祈る。 1974年(昭和49年)9月、アメリカに滞在していた岡野功から誘われ、岡野の岳父が牧師をしている教会の礼拝に参加する。岡野の岳父に導かれその日に海で洗礼を受け、クリスチャンになる。岡野も喜び、柔道着をプレゼントしている。その時23歳であった。その直後、勤め先のトレーニングジムでスポーツ伝道をしていたレスリングのコーチの通う教会に誘われ通い始める。そのコーチから超教派団体キャンパス・クルセード・フォー・クライスト (CCC) (現在はCru)の働きを知り、スポーツ伝道部門・アスリート イン アクションに所属し、スポーツを通しての布教活動に関わるようになる。
1977年(昭和52年)にはパンアメリカン選手権大会で銀メダルを受賞し、チームでは金メダルを受賞。世界選手権への出場権を獲得する。しかし、1978年(昭和53年)サンボの試合中に首の骨を負傷し、スポーツの一線から退く。そのためキャンパス・クルセード・フォー・クライスト (CCC) のスポーツ伝道部門・Athelets in Actionから大学生部門・キャンパス ミリストリーへ移る。
それをきっかけに、同じく学生として関わっていたキャロリンキャロリン・愛子・ホーランド https://carolynaiko.wixsite.com/candorfromcarolynと出会い、結婚に至る。彼女と結婚したことが日本に宣教師として戻ることにつながる。
宣教師時代
1982年(昭和57年)9月、CCCの宣教師として、伝道のために妻と一緒に帰国する。最初に名古屋で宣教師の訓練を受けながら、日本の社会学を学ぶ。1988年ソウルオリンピック選手村の公認チャプレンを務める。
1989年(平成元年)1月に親友松沢秀章を新宿駅まで待っている間に路傍伝道の方法を思いつく。新宿・歌舞伎町で、新しい方法で路傍伝道を始める伝道の際に赤や白などの目立つ色のスーツを着るなどしたことから、その型破りな伝道方法が話題となる。。その頃、元暴力団員の神学生鈴木啓之らが路傍伝道を手伝うようになる。
1990年(平成2年)、洗礼を受けたサンディエゴの教会で牧師としての按手礼(承認)を受け、正式な牧師になる。1991年(平成3年)、全国47都道府県、68カ所にて路傍伝道を行い、最後は富士山山頂での伝道を行う。
1992年(平成4年)、鈴木啓之をはじめ7人で日本列島を沖縄から北海道の宗谷岬まで3700kmを十字架を背負って徒歩での全国縦断伝道(『日本リバイバル十字架行進』)を行うこのことがきっかけになり「ヤクザ・フェローシップ」が結成され、元ヤクザのクリスチャン集団「ミッション・バラバ」へと発展していく。ホーランドと松沢秀章が顧問になった。。
1993年(平成5年)夏にはミッションバラバを率いて、韓国を訪問する。釜山から板門店まで、前年と同様に十字架行進と教会の訪問を行う鈴木(2000年)pp.283-284。この流れで、年の暮れに、ホーランドの呼びかけに応じた、十字架行進に参加したメンバーが「ヤクザ・フェローシップ」という聖書研究会を結成する。その後、ホーランドを顧問として「ミッション・バラバ」と改称して路傍伝道や伝道集会のなどの活動を始めるホーランド(1996年)pp.110-112。
1994年(平成6年)にはホーランドが引率して北米の伝道旅行に行く。最初に、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル、カナダ・バンクーバー。そして、11月18日にはサンタバーバラ、ついで11月26日にはロサンジェルスのリトル東京の教会などで講演を行う。ホーランド達の活動はアメリカ合衆国の日系アメリカ人の新聞で報道される後に韓国・アメリカでも同様のパフォーマンスを繰り広げ、数名の元暴力団員が行進に参加。その様子を時事、共同、UPIなどの通信社が配信し、「刺青伝道」と評し話題を集める。ホーランド(1996年)pp.115-120。
1995年(平成7年)夏には、ミッションバラバのメンバーと共に、阪神・淡路大震災の被災地を見舞う。2000年(平成12年)には、ミッションバラバをモデルにした映画『親分はイエス様』に出演する。
親友の死
2006年(平成18年)12月21日、親友の松沢秀章牧師(当時、基督兄弟団成増教会主任牧師、補教師)が、埼玉県新座市で事故死する。2007年3月には、事件後の教団と教会の方針により協力牧師を辞任する(その後も成増教会では定期的に講演を続けている)。
日本列島十字架行進
2012年(平成24年)、20年ぶりに再び徒歩による『日本列島十字架行進』を行う。
同年3月11日沖縄県・平和祈念公園をスタートする。重さ40kgの十字架を担ぎ歩き続け、同年9月18日に目的地である北海道・宗谷岬に到達する「不良牧師アーサー・ホーランド日本列島縦断十字架行進ちょこっとレポート【沖縄編】」フォレスト出版公式ブログ 2012年3月30日「異色の牧師が十字架背負い道内縦断」財界さっぽろオンライン 2012年8月28日。
2013年(平成25年)、前年の『日本列島十字架行進』で訪れることのできなかった四国一周十字架行進を4月7日より実施する。同年5月10日四国一周を達成する「十字架背負い四国一周/東京の牧師が香川入り」四国新聞社web版 2013年5月4日「十字架背負い四国一周 牧師ホーランドさん、県庁に午後ゴール」徳島新聞web 2013年5月8日。
2019年(令和元年)、再び日本縦断を決行。
2021年(令和3年)、四国地方および九州地方で十字架行進を行う。
アメリカでの十字架行進
2014年(平成27年)、3月5日ハワイオアフ島にてWALK ACROSS OAHU(オアフ島一周十字架行進)を出発、3月12日オアフ島一周を達成する。
達成後すぐにアメリカ本土に渡り、3月17日カリフォルニア州サンタモニカからWALK ACROSS USA(アメリカ横断十字架行進)をスタートする。ゴールのニューヨーク州ロングビーチに向かい歩き始める。
同年8月21日イリノイ州スプリングフィールドに到達。2014年の行進を終了し帰国する。
2015年(平成27年)、4月、5日間に渡る富士山一周十字架行進を行った後渡米する。4月17日よりWALK ACROSS USAを再開する。
同年6月13日、ゴールであるニューヨーク州ロングビーチに到達。アメリカ横断約4,800kmの行進を終了するこの行進はアメリカ各地でも注目され、現地のローカルニュースや新聞などからも取材を受け、報道された。「MAN WALKING ACROSS US WITH CROSS ON BACK HAS CHANCE MEETING WITH MARINE」abc7, 2014年3月25日。「Man carries cross to promote peace, love」abc27, 2015年6月2日。「Evangelist Walks Across a Country」the media project, 2015年7月6日。。
競技歴
1975年 全米柔道選手権・軽中量級154ポンド(70キロ) 3位
1975年 全米サンボ選手権163ポンド(73.9キロ) 優勝
1976年 全米サンボ選手権163ポンド(73.9キロ) 優勝
1976年 全米サンボ選手権 MVP・最優秀賞
1977年 柔道パン・アメリカン大会
著作
- 「君も心のフィットネス」(1989年4月、いのちのことば社、ISBN 978-4264019534)
- 「JOYブックス 人生にチャレンジ」(1992年4月、いのちのことば社、ISBN 978-4264013198)
- 「あなたへのプレゼント」(1993年5月、新生運動、ISBN 978-4882810278)
- 「リバイバルに火をつけろ!日本列島十字架行進記」(1993年7月、いのちのことば社、ISBN 978-4264014188)
- 「祈って燃えよ あなたを変える祈りの力」(1994年9月、いのちのことば社、ISBN 978-4264014935)
- 「親分はイエス様 - 神と出会ったミッション・バラバの物語」(1996年12月、PHP研究所、ISBN 978-4569554327)
- 「神様からのラブレター - 型破り牧師が贈る愛の辻説法」(1997年1月、ロングセラーズ、ISBN 978-4845411382)
- 「不良牧師!「アーサー・ホーランド」という生き方」(2002年8月、文藝春秋、ISBN 978-4167656409)
- 「アイアムアーサー! - 不良牧師からの伝言」(2003年12月、芸文社、ISBN 978-4874657003)
- 「不良牧師 Ⅱ 鉄馬の旅」((2006年2月、アイシーメディックス、ISBN 978-4434074554)
- 「Words of Love かけがえのない、この日に…」(2005年8月、ゴマブックス、ISBN 978-4777102013)
- 「1ミリだけ難しく生きよう!~不良牧師が教える!自分らしい幸せを生きる方法~」(2009年10月、フォレスト出版、ISBN 978-4894513709)
- 「不良牧師の愛活BIBLE」(2010年9月、無双舎、ISBN 978-4864084314)
- 「ROCK'N'ROLL BIBLE 不良牧師Ⅲ」(2015年10月、小学館スクウェア、ISBN 978-4797988109)
- 「WALK ACROSS」(2017年12月、TAO LAB BOOKS ISBN 978-4-903916-03-3)
ドキュメンタリーDVD
- 「不良牧師 求道の旅」(2007年、監督:亀田幸則)
- 「WALK ACROSS JAPAN」(2014年、制作:株式会社リアルサウンド)
映画出演
- クロエ (2001年、監督:利重剛) - 牧師役
- Short Cakes (2005年、監督:長澤雅彦) - 小暮役
- 筆子・その愛 -天使のピアノ- (2007年、監督:山田火砂子) - 宣教師役
- 苦い蜜 (2010年、監督:亀田幸則) - 前田(マスターの友人)役
- 大地の詩 -留岡幸助物語- (2010年、監督:山田火砂子) - ケリー宣教師役
- ふうけもん (2014年、監督:栗山富夫)
対談
- 『日本のリバイバルを求めて』奥山実 マルコーシュ・パブリケーション社
参考文献
- 金沢泰裕『イレズミ牧師とツッパリ少年達』集英社、1996年
- アーサー・ホーランド『親分はイエス様』(神様とであったミッション・バラバの物語)PHP研究所、1996年
- 鈴木啓之『愛されて、許されて』雷韻出版、2000年
関連項目
- キャンパス・クルセード・フォー・クライスト
- 松沢秀章
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/11/12 07:08 UTC (変更履歴)
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