ロビー・ロバートソン : ウィキペディア(Wikipedia)

ジェイミー・ロイヤル・"ロビー"・ロバートソン(Jaime Royal "Robbie" Robertson, OC、1943年7月5日Robbie Robertson Biography - 2023年8月9日)は、カナダのミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター。ザ・バンドのメンバーとして活動した後、1987年にソロ・デビューを果たす。

来歴

オンタリオ州トロント生まれ。父はユダヤ人、母はモホーク族インディアン。幼いころにプロの賭博人(ギャンブラー)だった父親が、路上でタイヤを交換中にひき逃げされて死亡した。ロバートソンは貧しい環境の中、母親の手で育てられる。7歳のときにギターを覚えやがてロックンロールに熱中し地元のアマチュアバンドでファッツ・ドミノなどの作品に触れる。

1958年、ロニー・ホーキンスのバック・バンドであるホークスに加入。はじめベースギターを担当したが、2年後にリードギターに転向する。そのギタープレイは、ホーキンスをして「この子は天才だ!」と言わしめたほどの早熟ぶりであった。ホークスはその後、1965年にボブ・ディランのバック・バンドとなる。

1966年、ディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』のレコーディングに参加。ディランから「その後衛的なサウンドによって僕のナーヴァスな腸に触らない唯一の数学的ギタリスト」と評された。

1968年、ホークスはザ・バンドと改名して『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を発表。ロビーは、ザ・バンドが1976年に解散するまでリードギターと曲づくりに活躍し、バンドのリーダー的存在となり1975年には彼の作品ばかりからなる傑作『南十字星』を発表し高い評価を受ける。だが、ロビーの、家にこもる学究肌のライフスタイルは、他のメンバーとの溝を深め、さらにはレコードの作品のクレジットにおいての問題やツアー演奏継続の意見の相違などがからんで、1976年11月のイベント『ラスト・ワルツ』を最後に、ロビーはバンドを脱退する事態となる。

このときドラムスのリヴォン・ヘルムとは絶縁状態となった。ヘルムは「彼のバンドにおける役割は否定しない。彼は重要な触媒であり、ザ・バンドの音楽の歴史に重要な貢献をした。しかし彼がなぜ、あんなふうにすべてを放り出さなくてはならなかったのか、ぼくは今になっても理解できない。」とロビーを非難したリヴォン・ヘルム著 菅野彰子訳 『ザ・バンド 軌跡』 音楽の友社、1995年。ISBN 4-276-23435-2 c0073。。

ザ・バンド解散後は、セッション・ギタリストや音楽プロデューサーとして活動。また、1980年公開の映画『Carny』をプロデュースし、脚本制作に協力、俳優としても出演Carny(1980)-Full cast and crew-(IMDb)。同年、マーティン・スコセッシの監督映画『レイジング・ブル』の音楽監督を務め、以後、ロバートソンはスコセッシの監督作品で度々音楽監督としてクレジットされる。

1983年にはザ・バンドが再結成されるが、不参加。1985年にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのアルバム『Southern Accents』に、共同プロデューサーの一人としてクレジットされる。そして、1987年にソロ・デビュー作『ロビー・ロバートソン』発表。同作はロビーとダニエル・ラノワがプロデュースを担当し、U2の全メンバーやピーター・ガブリエル、トニー・レヴィン、テリー・ボジオ等が参加した。1989年には、坂本龍一『ビューティ』にもゲスト参加。

1987年、雑誌「ローリング・ストーン」創刊20周年特別号で、ユダヤ系カナダ人とカナダ側モホーク族インディアンの混血であることを明かし、同年発表のソロ・デビュー作『ロビー・ロバートソン』は、この出自について歌ったものであるとコメントした。それまでのロビーを取り巻く音楽環境は、裕福なユダヤ人社会であったため(彼の育った環境は極貧のインディアン社会である)、「私一人で活動しているわけではなかったから、個人的な志向で音楽性を変えるわけにいかなかった」と述べている。以後、インディアンとしての音楽活動を強く打ち出すようになる。

ソロ2作目の『ストーリーヴィル』(1991年)は、ニューオーリンズ音楽からの影響を取り入れた作品で、ミーターズの全メンバーやアーロン・ネヴィルニール・ヤング等がゲスト参加。

1994年、テレビ番組『The Native Americans』の音楽を担当し、サウンドトラック・アルバムは、ロビー・ロバートソン&ザ・レッド・ロード・アンサンブル名義のアルバム『ネイティヴ・アメリカン』として発表されたRobbie Robertson Goes Native…American - Los Angeles Times - article by Steve Hochman - 2014年8月19日閲覧。同作は、インディアンの伝統音楽とテクノロジーを融合した音楽性で、チェロキー族のリタ・クーリッジ等が参加。

1998年のアルバム『コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッド・ボーイ』も、再びインディアンの伝統音楽に影響を受けた作品となったContact from the Underworld of Redboy - Robbie Robertson | AllMusic - Review by Stephen Thomas Erlewine。リタ・クーリッジ、Joanne Shenandoah(後にニール・ヤング等と共演するオナイダ族の女性歌手)等が参加。同アルバムに収録された「サクリファイス」という曲は、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動()」のメンバーで、無実の罪で終身刑服役中のインディアン運動家レナード・ペルティエの電話によるメッセージを曲中に採り入れるという実験的なものとなった。ロビーはこの曲についてこう述べている。「僕はライブパフォーマンスはしないよ。だがスタジオ録音であっても人が人を巻き込むグルーブ感のある音楽は作れると思ってるよ」

2003年、Canada's Walk of Fameに名前が彫られるRobbie Robertson|Canada's Walk of Fame

同年、ローリング・ストーン誌が選出した歴史上最も偉大な100人のギタリストでは78位Rolling Stone 100 Greatest Guitarists of All Time、2011年の改訂版では第59位に選ばれている。また、2007年の「歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」においては第20位に入っているThe Twenty-Five Most Underrated Guitarists

その後、2008年にはザ・バンドとともにグラミー賞特別功労賞を受賞。

2011年、13年振りの新作『ハウ・トゥ・ビカム・クレアヴォヤント』を発表。同アルバムにはエリック・クラプトンが7曲でゲスト参加し、更にスティーヴ・ウィンウッド、ロバート・ランドルフ、トム・モレロトレント・レズナー等も参加したListen to Robbie Robertson's New LP 'How to Become Clairvoyant' | Rolling Stone - 2014年11月7日閲覧。同年5月にはカナダ勲章を授与されているGovernor General notice: Robbie Robertson, O.C.Michael J. Fox among 43 invested in Order of Canada - The Globe and Mail - 2014年8月19日閲覧。

2019年、カナダでドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』(英題:『Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band』)が公開された(日本では2020年公開)。ロビーの2017年の回想録『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』に一部基づいている。同年、同ドキュメンタリーやスコセッシの新作『アイリッシュマン』に触発された8年ぶりのソロアルバム『シネマティック』を発表。これが生前最後のスタジオアルバムとなった。

2023年8月9日、長い闘病の末、アメリカ・カリフォルニア州・ロサンゼルスの自宅で家族に見守られながら死去。。

ディスコグラフィー

ソロ・アルバム

  • 1987年 ロビー・ロバートソン - Robbie Robertson (ゲフィン)
  • 1991年 ストーリーヴィル - Storyville (ゲフィン)
  • 1994年 ネイティヴ・アメリカン - Music for The Native Americans (キャピトル)
  • 1998年 コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッド・ボーイ - Contact from the Underworld of Redboy (キャピトル)
  • 2011年 ハウ・トゥ・ビカム・クレアヴォヤント - How To Become Clairvoyant (429)
  • 2019年 シネマティック- Sinematic

著作

  • 『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春(原題:TESTIMONY)』 奥田祐士 訳 DU BOOKS (2018年9月28日) ISBN 978-4866470535

外部リンク

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