山科誠 : ウィキペディア(Wikipedia)
山科 誠(やましな まこと、1945年2月24日 - )は、日本の実業家、。元日本BS放送社長。元バンダイ社長。2017年4月、旭日中綬章を受章。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。
来歴
誕生からバンダイ入社まで
バンダイ創業者、山科直治の長男として石川県金沢市に生まれ2歳で上京。慶應義塾大学経済学部卒第77回「黒川塾」はゲストに元バンダイ代表取締役・山科氏を招いて7月31日にオンライン配信で開催 - 4gamer.net。、1967年に出版社である小学館に入社。脚本執筆や編集者を志すも希望者の少ない営業部門を希望し、営業に配属され関東甲信越や東北方面への出張も行いながら百科事典・美術全集・学年別学習雑誌等を売り込み、ビジネスや流通に関する知識や経験を重ねる。、キャプテン・スカーレット関連商品の販売不振や無返品取引制度の問屋からの反発による倒産危機で直治の誘いを受け、1969年にバンダイに入社。
入社から社長就任まで
入社後は英語が堪能だったことから輸出部に配属。28歳で取締役就任週刊朝日、2011.12.7 。米トンカ社との提携により1970年にジャパントンカが設立され、その社長に就任。トンカのミニカーの日本販売を手掛けるものの、一方で1977年にはマテルとの業務提携締結にも携わる。
この頃、子会社のポピーが『仮面ライダー』の変身ベルトなどのキャラクター玩具を手がけ急成長する一方、純玩具(キャラクター玩具ではない普通の玩具)を手掛けるバンダイ本社の業績は伸び悩んでいたことから、山科は経営の多角化を提案。玩具自動販売機事業やバンダイナムコグループの沿革 - 電ファミニコゲーマー、出版事業などを手掛けるようになる。
1980年に35歳でバンダイ社長に就任。広い視点で玩具産業全体を見直し立て直す狙いを持った「脱おもちゃ屋」の方針を掲げた。
海外展開・経営多角化
社長就任直後にガンプラがヒット。「機動戦士ガンダム」放送前の日本サンライズとの商品化交渉では「これは大学生にしか分からない、だが設定はよくできてしっかりと考えられたSF」といった印象でヒットを予期していなかったものの、
1983年にバンダイグループ8社をバンダイ1社に合併、この際にポピーが展開していたキャラクター路線でバンダイの社風を統一する。
キャラクタービジネスの強化を目的として映像事業に参入し、当初はアメリカからの輸入ビデオの販売を皮切りにレンタルビデオ店も展開し、アメリカ国内の映画各社との交渉の過程でディズニー関連のビデオ商品の代理店契約を子会社のエィ・イー企画(後のバンダイビジュアル)を介して1987年に締結、2年間のディズニー商品展開で培った販路や人材を用いてオリジナル作品の展開を開始、、ガイナックスなどの若い才能を育てることとなる。実写作品の制作も積極化しフジテレビや角川映画などとの関係を構築し北野武監督の映画作品にも携わり、また1994年にはガンダムシリーズを手掛けるサンライズを傘下に置いた。
マルチメディア事業の失敗
1970年代よりエレクトロニクス玩具に注目しており、提携していたマテルとのライセンス製造を皮切りにLSIゲームに参入、玩具事業ではこれを積極的に手がける。しかし1982年の「LSIショック」でビデオゲーム機から撤退。1977年には据置型ゲーム機の開発も開始し「TV-JACK」を皮切りに「インテレビジョン」等の海外ハードを導入するもヒットせず、1985年に任天堂のファミコンに参入する。
。1997年にはたまごっちをヒットさせる。同年、父親が1984年に設立した「財団法人日本おもちゃ図書館財団」の理事長を引き継ぐ。
、1996年にアップルコンピュータとの共同でマルチメディアゲーム機「ピピンアットマーク」を展開するも失敗、このような中、セガとの合併によるセガバンダイの設立が浮上、合併会社の社長に就任予定と報じられる【今日は何の日?】幻となったセガバンダイが発表。業界を驚愕させた合併は4ヵ月後に解消に - ファミ通.com。
しかし強引な合併構想は社員の反発が高まったことや父・直治からも反対の声が上がったこともあり破談、この騒動の責任をとり社長を辞任するも会長として経営の一線に留まる。
その後、ピピン事業やたまごっちブームの収束による販売減少により、その清算による1999年3月期の赤字決算の責任をとり会長職を辞する。2004年には取締役からも外れた。
バンダイ社長の頃から「茶屋二郎」のペンネームで小説を発表しており、「おもちゃ屋」から抜き出した「ちゃや」と好きな作家の浅田次郎からとったものとし逗子在住の元バンダイ社長が歴史ミステリー小説刊行「本能寺の変」テーマに - 逗子葉山経済新聞、
発言
- 「成功するキャラクターというのは、せいぜい三割」週刊ダイヤモンド1995年7月8日
参考文献
月刊トイジャーナル
関連項目
- 日本の小説家一覧
外部リンク
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