曲谷守平 : ウィキペディア(Wikipedia)

曲谷 守平(まがたに もりへい、1923年5月23日曲谷守平、キネマ旬報データベース、2009年9月16日閲覧。 - )は、日本の映画監督、脚本家である。

人物・来歴

1923年(大正12年)5月23日、東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区大井)に生まれる。

慶應義塾大学経済学部卒業。

第二次世界大戦後、東宝争議中の東宝の第三組合(新東宝の前身)でアルバイトしていた関係から、1947年(昭和22年)3月に新東宝映画製作所(のちの新東宝)演出部に入社する。助監督として斎藤寅次郎に師事し、斎藤監督のもと、太泉映画(現在の東映東京撮影所)演出部に出向したこともある。斎藤のほか、阿部豊中川信夫並木鏡太郎といったヴェテランたちにも師事し、チーフ助監督に昇進した。

1956年(昭和31年)には、監督に昇進、『美男をめぐる十人の女』で監督としてデビューする。1959年(昭和31年)12月には、『キネマ旬報』誌12月下旬号の「各社新鋭監督座談会 6」に「新東宝の明日と我らの決意」と題し、石井輝男小野田嘉幹土居通芳三輪彰とともに出席している曲谷守平、キネマ旬報映画データベース、2010年10月27日閲覧。。

新東宝の当時の社長大蔵貢が経営する別会社富士映画での4本を含め、同社で20本を監督したが、1961年(昭和36年)8月31日に同社が倒産、曲谷監督の『北上川悲歌』は、同社が製作・公開した最後の作品となる『日本映画の模索』、今村昌平、岩波書店、1987年、p.305.。

1962年(昭和37年)には、日活が製作・配給した井田探監督の映画『惚れたって駄目よ』の脚本に参加したのちに、テレビ映画に転向した。日本電波映画や新東宝の後身の国際放映、宝塚映画(現在の宝塚映像)等で多くのテレビ映画を監督したが、1975年(昭和50年)ころに演出の第一線を退き、不動産業に転じたと伝えられる 『日本映画・テレビ監督全集』,キネマ旬報社、1988年。。

日本映画監督協会には1958年(昭和33年)4月に入会した記録があるが『日本映画監督協会の五〇年』、柿田清二、日本映画監督協会、1992年。、現在同協会のウェブサイトに在籍した記録がない会員名鑑、日本映画監督協会、2010年10月27日閲覧。。1988年(昭和63年)発行の『映画年鑑』所載の住所録にはその名が見えるが、以降の消息が不明である『映画年鑑』、時事映画通信社、1988年、p.347.。

2010年(平成22年)、イタリアのウーディネで開かれた第12回ウーディネ極東映画祭での特集「新東宝回顧」で上映された15本に、曲谷が監督した『海女の化物屋敷』と『九十九本目の生娘』との2本が選ばれて、上映されたFEF12, 2010, Area Stampa / Press Area , ウーディネ極東映画祭、2010年10月27日閲覧。。

夫人は宝塚歌劇団男役だった星空ひかる

フィルモグラフィ

特筆以外はすべて監督である曲谷守平、日本映画データベース、2010年10月27日閲覧。。

新東宝

  • 『青空天使』 : 監督斎藤寅次郎、太泉映画 / 東京映画配給、1950年 - 演出補佐
  • 『晴れ姿 伊豆の佐太郎』 : 監督中川信夫、1953年 - 助監督
  • 『初笑い寛永御前試合』 : 監督斎藤寅次郎、1953年 - 助監督
  • 『ほらふき丹次』 : 監督中川信夫、1954年 - 助監督
  • 『阿修羅三剣士』 : 監督中川信夫、1956年 - 助監督
  • 『怪異宇都宮釣天井』 : 監督中川信夫、1956年 - 助監督
  • 『金語楼の天晴運転手物語』 : 監督斎藤寅次郎、1956年 - 助監督
  • 『美男をめぐる十人の女』 : 1956年 - 監督・脚色
  • 『日米花嫁花婿入替取替合戦』 : 1957年
  • 『白蝋城の妖鬼』 : 1957年
  • 『』 : 富士映画、1957年
  • 『金語楼の成金王』 : 1958年
  • 『新日本珍道中 西日本の巻』 : 1958年 - 監督・脚本
  • 『ソ連脱出 女軍医と偽狂人』 : 1958年
  • 『金語楼の三等兵』 : 1959年
  • 『暴力娘』 : 富士映画、1959年 - 監督・脚本
  • 『日本ロマンス旅行』 : 1959年
  • 『海女の化物屋敷』 : 1959年
  • 『九十九本目の生娘』 : 1959年
  • 『金語楼の海軍大将』 : 1959年 - 監督・脚本
  • 『美男買います』 : 富士映画、1960年
  • 『女と命をかけてブッ飛ばせ』 : 1960年
  • 『女獣』 : 1960年
  • 『蛇精の淫』 : 富士映画、1960年
  • 『暴力五人娘』 : 1960年
  • 『風流滑稽譚 仙人部落』 : 1961年
  • 『東京の夜は泣いている』 : 1961年
  • 『恋愛ズバリ講座』第二話 弱気 : 監督石川義寛、1961年 - 構成
  • 『北上川悲歌』 : 第一プロダクション / 新東宝、1961年
  • 『惚れたって駄目よ』 : 監督井田探、日活、1962年 - 脚本

テレビ映画

  • 『花の真実』 : テレビ映画シリーズ、1962年
  • 『がんばれ!!大作』 : テレビ映画シリーズ、1962年 - 1963年
  • 『宇宙Gメン』 : テレビ映画、日本電波映画、1963年
  • 『目白さんこんにちは「悲しきランデブー」』 : テレビ映画シリーズ、1964年 - 1965年
  • 『君の名は』 : テレビ映画、国際放映、1966 - 1967年
  • 『プロファイター』:テレビ映画、宝塚映画、1969年
  • 『マキちゃん日記』:テレビ映画、宝塚映画、1969年 - 1970年 『作品譜 - 劇場用映画・テレビ用映画』、宝塚映像株式会社、1997年11月、p.76.
  • 『右門捕物帖』 : テレビ映画、東宝、1969年
  • 『夫よ男よ強くなれ』 : テレビ映画シリーズ、1970年
    • 第18回『あなたに賭けたわ!!』 : テレビ映画、1970年
    • 第21回『売れ残り…それがナニよ』 : テレビ映画、1970年
    • 第26回『邪魔しないでね!!』 : テレビ映画、1970年

外部リンク

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