ヘンリー・ブランドン : ウィキペディア(Wikipedia)

初代リンカーン伯ヘンリー・ブランドン(Henry Brandon, Earl of Lincoln, 1523年6月18日以前 - 1534年3月1日)は、初代サフォーク公チャールズ・ブランドンと、イングランド王ヘンリー7世の娘で元フランス王妃メアリー・テューダーとの間に生まれた末子で次男。したがってヘンリー8世の甥にあたる。姉は、サフォーク公妃フランセス・ブランドンとカンバーランド伯妃エリナー・ブランドンである。

ヘンリーと兄ヘンリー(1516年 - 1522年)は、どちらも幼少期に亡くなり、同じ名前を名乗っていたため、しばしば誤って同一人物とされる。チューダー朝時代には、亡くなった子の名を後に生まれた子につけることは珍しくなかった。

生涯

リンカーン伯

ヘンリーは1525年6月18日、わずか2歳でヘンリー8世によってリンカーン伯に叙せられた。「あまりにも幼かったため、盛大な儀式の間、サー・ジョン・ヴィアが彼を担ぐよう任命された」。父は、ヘンリーとキャサリン・ウィロビーとの結婚を計画した。キャサリンは自身の権利により女男爵であり、王妃の侍女マリア・デ・サリナスの娘であったGrimsthorpe estate

王位継承における役割

ヘンリーはその生涯を通じて、イングランド王になる可能性はわずかながら現実味を帯びていた。ヘンリーが生まれたとき、メアリーがヘンリー8世の唯一の子供であり、王妃キャサリン・オブ・アラゴンはすでに38歳で、これ以上子供をもうける見込みはほとんどなかった。王の子供たちの次に王位継承権があったのは、妹のマーガレット・テューダーとその子供たちであったが、その王位継承権は安泰ではなかった。ヘンリーは後に、第二継承法(1536年)と遺言によってマーガレットとその子らを王位継承から除外している。その次に王位継承権があったのはサフォーク公妃メアリー・テューダーとその息子ヘンリー・ブランドンで、ヘンリーは生前(ヘンリー8世の息子エドワードが生まれる前に死去)、王位継承権保持者の中で男性でありイングランド人であるという二つの資格を兼ね備えた唯一の人物であった。しかし、ヘンリーは10歳か11歳でサザークにおいて亡くなった。

母メアリーはヘンリーより先に亡くなっており、ヘンリーの死は姉フランシスに王位継承への野心を抱かせた。メアリー・テューダーの死後、父チャールズはキャサリン・ウィロビーと結婚した。ヘンリーはキャサリンと婚約していたものの、10歳という若さで結婚には若すぎた上に病弱であった。ヘンリー・ブランドンの姪であるジェーン・グレイが、1553年7月10日に短期間ながら王位を継承した。

参考文献

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/09/10 11:14 UTC (変更履歴
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