羽田澄子 : ウィキペディア(Wikipedia)
羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。 「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている「世田谷・9条の会」申し合わせ。
来歴
旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。
映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当高野悦子『私のシネマライフ』岩波書店、2010年、p.201。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。
1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える高野悦子『私のシネマライフ』pp.196-198。
1980年に岩波映画製作所を定年退職する。在職中の作品80本あまり。以後フリーとなり、夫であるプロデューサーの工藤充が率いるドキュメンタリー映画製作会社・自由工房で活動する。伝統芸能・福祉・美術・近代史といったさまざまなジャンルの記録映画に携わっている。
1982年、在職中に取り掛かっていた『早池峰の賦』を定年後に2本目の自主映画として完成。岩波ホールで、3時間の長編ドキュメンタリーの5月29日から6月25日までの長期ロードショーが冒険と言われたが、記録的な成功となり8月7日1週間の再上映となる。ドキュメンタリー映画監督として名声を確立する自由工房 羽田澄子ご挨拶 2002年3月2013年4月25日閲覧、リンク切れでインターネットアーカイブに差し替え 2016年8月7日。
映画作品
- 『村の婦人学級』(1957年)
- 『薄墨の桜』(1977年)
- 『早池峰の賦』(1982年)
- 『AKIKO―あるダンサーの肖像』(1985年)
- 『痴呆性老人の世界』(1986年)
- 『安心して老いるために』(1990年)
- 『歌舞伎役者 片岡仁左衛門若鮎の巻・人と芸の巻・孫右衛門の巻』(1991年)
- 『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 登仙の巻』(1994年)
- 『問題はこれからです―続・住民が選択した町の福祉』(1999年)
- 『平塚らいてうの生涯―元始、女性は太陽であった』(2001年)エンターテイメント グー2022年7月17日閲覧。
- 『山中常盤』(2004年)
- 『終りよければすべてよし』(2006年)
- 『嗚呼 満蒙開拓団』(2008年)
- 『遙かなるふるさと―旅順・大連』(2011年)
- 『そしてAKIKOは…あるダンサーの肖像』(2013年)
著書
- 『安心して老いるために』岩波書店、1992年
- 『映画と私』晶文社、2002年ISBN 9784794965240
- 『私の記録映画人生』岩波書店、2014年 - 『映画と私』の増補全面改訂。
- 『いまに生きる宮本百合子』(共著)新日本出版社、2004年 ISBN 4-406-03108-1
- 『終りよければすべてよし』岩波書店、2009年6月 ISBN 9784000223980
受賞
- 1982年『早池峰の賦』芸術選奨文部大臣賞、エイボン芸術賞女性年度賞
- 1985年『AKIKO―あるダンサーの肖像』第1回文化庁芸術作品賞(長編映画の部)
- 1990年『安心して老いるために』山路ふみ子映画賞福祉賞
- 1994年 東京女性財団賞
- 1995年 都民文化栄誉章
- 1997年 朝日社会福祉賞
- 1998年 川喜多賞
- 1999年『問題はこれからです―続・住民が選択した町の福祉』毎日映画コンクール入賞
- 2001年『平塚らいてうの生涯―元始、女性は太陽であった』日本映画ペンクラブ賞ノン・シアトリカル部門第1位
外部リンク
- 自由工房リンク切れでインターネットアーカイブに差し替え 2016年8月7日
- 自由工房(ドキュメンタリー映画) - facebook
- Mainichi INTERACTIVE カモミール
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/30 23:45 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.