ニコライ・アセーエフ : ウィキペディア(Wikipedia)
ニコライ・ニコラエヴィチ・アセーエフ(ロシア語:Никола́й Никола́евич Асе́ев、英語:Nikolay Nikolaevich Aseyev、1889年7月10日 - 1963年7月16日)は、ソビエト連邦(現:ロシア)クルスク[[:en:Lgov, Kursk Oblast]]出身の詩人。代表作は1928年に発表された叙情詩『セミヨン・プロスカーコフ』である。
象徴主義や未来派の影響を受け、当初所属していたシンボリストの団体「リリカ」を脱退し宇佐美森吉「自我未来派連合 解説」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.156、1914年、アセーエフはボリス・パステルナークやセルゲイ・ボブロフらと未来派団体「遠心分離器」を結成する「詩人紹介 パステルナーク、ボリス」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.381。同年頃に処女作『夜のフルート』を発表。同じくソ連の詩人であるウラジーミル・マヤコフスキーに素質を認められ、ロシア・アヴァンギャルド期に於ける文学、芸術機関誌である『レフ』の編集者、編集責任者となり、1941年に政府より名誉賞を受賞した。
1963年7月16日にモスクワで死去する。
参考文献
関連項目
- ロシア・アヴァンギャルド
- レフ
- ウラジーミル・マヤコフスキー
注釈
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/13 23:31 UTC (変更履歴)
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