中村吉治 : ウィキペディア(Wikipedia)
中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日 - 1986年12月10日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。社会史・農民史および村落共同体に関する著書多数。
経歴
長野県上伊那郡朝日村平出(現在の辰野町)に生まれる。朝日尋常高等小学校、長野県諏訪中学校を経て、旧制第三高等学校に進学し、中村直勝の講義を聞き、歴史学に興味を持つ。1925年3月に同校文科丙類を卒業。京都帝国大学入学『官報』第3830号、大正14年6月1日、p.8後、1926年、東京帝国大学文学部国史学科に再入学『官報』第4136号、大正15年6月8日、p.196. し、卒業論文「近世初期の農政」をまとめ、1929年3月に同大学文学部卒業『官報』第707号、昭和4年5月11日、p.293。
1929年、東京大学史料編纂所に入所し、1933年3月まで勤めたのち、東北帝国大学法文学部助教授。1941年に同教授となり、1968年定年退官。東北大学名誉教授。同年、國學院大學経済学部教授、1981年退任。
1951年に「近世初期に於ける勧農について」により、東北大学から経済学博士の学位を授与される。
人物
皇国史観一色に染まった戦前・戦中の歴史学界にあって、小野武夫や古島敏雄などと雑誌「歴史学研究」「社会経済史学」などで、土一揆の研究や農民史の研究を発表し続けた。
同郷の先輩に社会学で有名な有賀喜左衛門がいたことや、柳田國男と親交があった関係で、民俗学や社会調査を取り入れた社会史研究はユニークである。
逸話
豚に歴史はありますか
中村が東京帝国大学時代、卒業論文の指導を受けに平泉澄助教授を訪ねた。その時のことを、後年、中村自身が「私は百姓の歴史をやるといったら、えらく怒られもしないけれど、蔑視されちゃった。百姓に歴史はありますかというわけだ。何ですかと詳しく聞こうとしたら、豚に歴史はありますかとたたみかけられて、それで次ということになった」斎藤晴造ほか「経済史とともに四十年―中村吉治教授を囲んで」『研究年報 経済学(東北大学経済学会編)』第29巻第3・4号、1968年と語った。この逸話は、後に『歴史手帖』などでも繰返し述べられ、広く知られるようになった。
著書
- 『武家の歴史』(岩波新書)1967
- 『日本社会史(新版)』(山川出版社)1970
- 『村落構造の史的分析』(御茶の水書房)
- 『中世農業史論』(山川出版社)
- 『土一揆研究』(校倉書房)
- 『大乗院寺社雑事記』(臨川書店)分担校訂
- 『近世初期農政史研究』(岩波書店)1948
- 『日本の村落共同体』(日本評論新社)1957
- 『家の歴史』(角川書店)1957 (農山漁村文化協会)1978
- 『社会史I』(山川出版社)1965
- 『日本の封建社会』(校倉書房)1979
- 『日本封建制の源流』(上・下)(刀水書房)1984
資料
- 東北大学史料館において「中村吉治文書」(論文原稿、研究ノート、学内行政関係等)が保存・公開されている。
参考文献
- 『現代物故者事典1983-1987』日外アソシエーツ
関連項目
- 有賀喜左衛門
- 柳田國男
- 平泉澄
- 岩本由輝
- 我孫子麟
- 矢木明夫
- 嶋田隆
- 大塚久雄
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/20 23:05 UTC (変更履歴)
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