高田宏治 : ウィキペディア(Wikipedia)

高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 - )は、日本の脚本家。本名は名前の読みが(ひろはる)。東映で時代劇・現代劇・ヤクザ映画など、オールマイティに執筆をしている。大阪府大阪市出身。東京大学文学部英文学科卒業。

来歴

1934年に大阪府大阪市で生まれ、太平洋戦争には宇治市に疎開していた。1950年に清水谷高校へ転校し、読書と映画に耽溺していた。1953年に京都大学を落第し、1年浪人。片思いの女性に振られたことで発奮、猛勉強に励んだ。1954年に東京大学へ入学。大学同期の大江健三郎に触発され、文筆生活を志す。1955年には砂川闘争へ参加。1956年に日本経済新聞社や岩波書店などからも誘いを受けるが、脚本家を一生の仕事と決め、東映に入社。降旗康男(1955年卒)・中島貞夫(1957年卒)とは大学からの交遊が続いた。

内田吐夢の助監督を務めた後、比佐芳武に師事。比佐から「こいつは当分ダメだが、20年後に大物になる」と見込まれる。1960年にはテレビ時代劇『白馬童子』の一編『南蛮寺の決斗』で脚本家デビュー。1961年から『柳生武芸帳』シリーズを担当し、ヒット。1964年頃、岡田茂に「高田は気狂いみたいなことばかり考えよる」と企画を批判されて東映を干されたため、この頃は一時的にテレビドラマの脚本を手がけた。東映の任侠映画ノウハウを得ようとした大映から1969年に招かれ、市川雷蔵の遺作となった『博徒一代 血祭り不動』や『関東おんな』シリーズ、『シルクハットの大親分』シリーズ(1970年)、『まむしの兄弟』シリーズ(1971年)と喜劇性を強調した任侠映画、1973年に日本・韓国・香港・タイ王国ら4か国の俳優が出演した『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』を書いた。

1974年には千葉真一主演の『激突! 殺人拳』と『逆襲! 殺人拳』を執筆し、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットをとばした作品となった。同年内に欧米でも公開され、アメリカ合衆国では封切り公開後、3週間でベスト5に躍り出て、千葉は本作品で海外進出するきっかけとなったVariety、1974年12月18日付。「本家ブルース・リーをしのぐ千葉真一」 報知新聞、1974年12月27日付朝刊。。同年『山口組外伝 九州進攻作戦』で初めて実録路線を担当した。1975年には『仁義なき戦い』シリーズを書いてきた笠原和夫の依頼により最終作『仁義なき戦い 完結篇』を担いシリーズ最高の観客動員を記録したが、続けて担当した『三代目襲名』はそれを上回るヒットを記録した。

1976年は脱獄を請け負うブラックビジネスを描いた異色作『脱走遊戯』、1977年の『日本の首領』シリーズ、『北陸代理戦争』、『ドーベルマン刑事』、1978年にはオールスターキャストによる東映時代劇復興の第二弾『赤穂城断絶』、1982年は『鬼龍院花子の生涯』などを執筆。夏目雅子が発した「ナメたらいかんぜよ」が、流行語となるほどのヒットを記録した。1986年『極道の妻たち』シリーズを担当。

1997年には映像制作会社「ジャパン・アート」を設立し、リメイク作品『まむしの兄弟』、2000年には『新・仁義なき戦い』を書いた。

人物

妻は40歳年下の美女で、都度都度、「お嬢さんですか?お孫さんですか?」と聞かれる。貯金をせず、いつも現金を持ち歩き、神波史男から「高田はいつも見せ金を持って歩いてる男だ」と言われた。京都の定宿は佐々木旅館だったが、一番稼いでいた頃は浴衣を置く籠に1000万、2000万をポンと置き、遊びに行くとき財布の中身をいっぱいにして全部使った。荒井晴彦を銀座のクラブに連れて行き、「俺は先生なんて呼び方を越えている。グレート高田と呼べ」と強要した。顔が脚本家らしくない坊さん顔で、中国に映画祭で行った時、岡田茂を差し置いて、中国人が先に高田に挨拶に集まり「徳のある顔」と言われたという。勲章にも興味がなく、映画賞の賞状やトロフィーの類は引っ越しのとき、ほぼ捨てたという。唯一捨てて心残りなのは『鬼龍院花子の生涯』のときに夏目雅子から貰った「愛してます」と書かれたサインで「手元に残してたらどんなに価値があったやろ」と述べている。最盛期には護国寺近くのボウリングが出来そうなワンフロア150m2の日商岩井のヴィンテージマンションに住んでいたが、映画製作で人に騙され、スッカラカンになりマンション他、全て差し押さえられて山梨県に引っ越した。

作品

  • 白馬童子 南蛮寺の決斗(1960年)
  • 柳生武芸帳 シリーズ(1961年)
  • 忍者狩り(1964年)
  • 忍法忠臣蔵 (1965年) ※共作
  • 妖艶毒婦伝 般若のお百 (1968年)
  • 博徒一代 血祭り不動(1969年)
  • 関東おんな シリーズ(1969年)
    • 関東おんな悪名
  • シルクハットの大親分 シリーズ(1970年)
  • まむしの兄弟シリーズ(1971年)
  • 緋ぢりめん博徒(1972年)
  • ゾロ目の三兄弟 (1972年)
  • 三池監獄 兇悪犯(1973年)
  • 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯(1973年) ※共作
  • 殺人拳シリーズ(1974年)
    • 激突! 殺人拳 ※共作
    • 殺人拳2 ※原案
    • 逆襲! 殺人拳 ※共作
  • 山口組外伝 九州進攻作戦(1974年)
  • 仁義なき戦い 完結篇(1975年)
  • 三代目襲名(1975年)
  • 資金源強奪(1975年)
  • 強盗放火殺人囚(1975年)
  • 新仁義なき戦い 組長の首(1975年)
  • 実録外伝 大阪電撃作戦(1976年)
  • 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)
  • 脱走遊戯(1976年)※共作
  • 沖縄やくざ戦争(1976年) ※共作
  • 日本の首領 シリーズ(1977年)
    • やくざ戦争 日本の首領(1977年)
    • 日本の首領 野望篇(1977年)
    • 日本の首領 完結篇(1978年)
  • 北陸代理戦争(1977年)
  • ドーベルマン刑事(1977年)
  • 赤穂城断絶(1978年)
  • 野性の証明(1978年)
  • 日本の黒幕(1979年)
  • 鬼龍院花子の生涯(1982年)
  • FUTURE WAR 198X年(1982年)
  • 陽暉楼(1983年)
  • エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年)
  • 北の螢(1984年)
  • 櫂(1985年)
  • 春の鐘(1985年)
  • 姉妹坂(1985年)
  • 極道の妻たち シリーズ (1986年)
    • 極道の妻たち(1986年)
    • 極道の妻たちII(1987年)
    • 極道の妻たち 三代目姐(1989年)
    • 極道の妻たち 最後の戦い(1980年)
    • 新極道の妻たち 覚悟しいや(1993年)
    • 極道の妻たち 危険な賭け(1996年)
    • 極道の妻たち 決着(1998年)
    • 極道の妻たち 死んで貰います(1999年)
    • 極道の妻たち 地獄の道づれ(2000年)
    • 極道の妻たち 情炎(2005年)
  • 太閤記(1987年)
  • 陽炎(1991年)
  • 江戸城大乱(1991年)
  • 首領になった男(1991年)
  • 民暴の帝王(1993年)
  • 首領を殺った男(1994年)
  • 藏(1995年)
  • まむしの兄弟 (1997年の映画) (1997年)
  • 流れ板七人(1997年)
  • 新・仁義なき戦い(2000年)
  • 悪名(2001年)
  • 筆子・その愛 -天使のピアノ-(2007年)
  • 県警強行殺人班 鬼哭の戦場(2007年)
  • 茶々 天涯の貴妃(2007年)

著書

  • 高田宏治・西谷拓哉『高田宏治 東映のアルチザン』(1997年、カタログハウス)ISBN 978-4905943334
  • 高田宏治+編集部『東映実録路線 最後の真実』(2014年、メディアックス)ISBN 978-4862014870
  • 高田宏治『ひどらんげあ おたくさ』(2016年、アスペクト)ISBN 9784757224490

関連項目

  • 脚本家一覧
  • 大阪府出身の人物一覧
  • 東京大学の人物一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/06 12:00 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「高田宏治」の人物情報へ