ソロモン・バーク : ウィキペディア(Wikipedia)
ソロモン・バーク(Solomon Burke、1940年3月21日 - 2010年10月10日)は、アメリカ合衆国の歌手。主にR&B/ソウルやゴスペルの分野で活動し、ミック・ジャガーやヴァン・モリソン等のロック・ミュージシャンにも大きな影響を与えた。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第89位。
来歴
1940年代〜1990年代
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。7歳の頃、教会で初めて説教を行いSolomon Burke Biography | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum - 2014年1月24日閲覧、まだティーンエイジャーになる前に、自分のラジオ番組を持ってゴスペルを歌っていた。1955年以降は、アポロ・レコードから何枚かのレコードを発表。
1960年、アトランティック・レコードと契約。1961年には、「ジャスト・アウト・オブ・リーチ」が『ビルボード』誌のポップ・チャートで24位、R&Bチャートで7位に達し、初の全国的ヒット曲となったallmusic(((Solomon Burke > Awards )))。バークのヒット曲「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」(1962年)はオーティス・レディングにカヴァーされ、「クライ・トゥ・ミー」(1962年)や「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」(1964年)はローリング・ストーンズにカヴァーされた。「ゲット・ユー・オフ・マイ・マインド」(1965年)は、バークにとって初のR&Bチャート1位獲得シングルとなり、ポップ・チャートでも22位に達した。
1968年には、アーサー・コンリー、ドン・コヴェイ、ベン・E・キング、ジョー・テックスと共にソウル・クランというユニットを結成し、シングル「Soul Meeting」をリリース。同作はR&Bチャートで34位に達したSolomon Burke | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum - Timeline - 2014年1月24日閲覧。
1969年にはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカヴァー「プラウド・メアリー」をヒットさせるが、1970年代になるとヒット曲に恵まれなくなる。しかし、バークはその後も精力的な活動を続ける。1981年、ニューヨークでソウル・クランの再結成公演が行われるが、この時はアーサー・コンリーの都合がつかなかったため、代役としてウィルソン・ピケットが参加したAllmusic (((The Soul Clan > Biography)))。
1986年には映画『The Big Easy』で俳優デビューを果たしたSolomon Burke(IMDb.com)。また、映画『ダーティ・ダンシング』(1987年)のサウンドトラックでは、バークのヒット曲「クライ・トゥ・ミー」が使用されたDirty Dancing (1987)-Soundtracks-(IMDb.com)。
2000年代以降
2000年公開の映画『アンブレイカブル』のサウンドトラックで、バークのヒット曲「ジャスト・アウト・オブ・リーチ」が使用されたUnbreakable (2000) -Soundtracks-(IMDb.com)。2001年、バークはロックの殿堂入りを果たし、その授賞式ではメアリー・J. ブライジがプレゼンターを務め、キース・リチャーズとバークの共演による「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」が披露された『メイク・ドゥー・ウィズ・ワッチュー・ガット』日本盤CD(EICP 497)ライナーノーツ(越谷政義、2005年2月)。
2002年発表の『ドント・ギヴ・アップ・オン・ミー』は、バークを敬愛するミュージシャンが新たに書き下ろした楽曲を集めたアルバムで、ヴァン・モリソン、トム・ウェイツ、ブライアン・ウィルソン、ボブ・ディラン、ニック・ロウ等が新曲を提供した。同作は、グラミー賞最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム部門を受賞し、バークは初のグラミー受賞を果たす。また、デレク・トラックス・バンドの『ジョイフル・ノイズ』(2002年)にもゲスト参加した。2002年11月4日には、バークはローリング・ストーンズのロサンゼルス公演にゲスト参加し、「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」を共演。この模様は、アルバム『ライヴ・リックス』(2004年)に収録された。
2003年、ジャンキーXLのアルバム『ラジオJXL〜ア・ブロードキャスト・フロム・ザ・コンピューター・ヘル・キャビン』からの先行シングル「キャッチ・アップ・トゥ・マイ・ステップ」に、フィーチャリング・アーティストとして参加。2004年、ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500で、バークの「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」が429位に選出されたThe RS 500 Greatest Songs of All Time: Rolling Stone。
2005年のアルバム『メイク・ドゥー・ウィズ・ワッチュー・ガット』は、ヴァン・モリソンやドクター・ジョンが書き下ろした新曲や、ボブ・ディラン、ザ・バンド、ローリング・ストーンズのカヴァー等を収録。続く『ナッシュビル〜キング・ソロモン・シングス・リズム&カントリー』(2006年)ではカントリーに挑戦した。2008年のアルバム『ライク・ア・ファイア』は、スティーヴ・ジョーダンがプロデュースを担当し、エリック・クラプトンが2曲を提供。
2010年5月の第24回ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバルで初の日本公演を行った。
2010年10月、公演が予定されていたオランダのアムステルダム・スキポール空港で急逝したSoul legend Solomon Burke has died Music News 2010-10-10ソウル界の重鎮、‘キング・ソロモン’急死。地元放送局のNOSによると、ソロモンはロサンジェルスからの便に乗っており、スキポール空港に到着したあと、機内で死亡しているのが発見されたという。死因については、ソロモン・バークのオフィシャルサイトで10日、親族が「自然死」と説明した。
ディスコグラフィ
- You Can Run But You Can't Hide(1958年)
- Solomon Burke(1962年)
- ロックン・ソウル - Rock 'n' Soul(1964年)
- The Best of Solomon Burke(1965年)
- アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー - I Wish I Knew(1968年)
- キング・ソロモン - King Solomon(1968年)
- プラウド・メアリー - Proud Mary(1969年)
- King Heavy(1972年)
- Cool Breeze(1972年、サウンドトラック)
- Electronic Magnetism(1972年)
- I Have a Dream(1974年)
- Back to My Roots(1975年)
- Music to Make Love By(1975年)
- Sidewalks, Fences & Walls(1979年)
- Lord We Need a Miracle(1979年)
- Get Up and Do Something(1979年)
- King of Rock 'n' Soul(1981年)
- Take Me, Shake Me(1983年)
- Soul Alive!(1984年)
- A Change is Gonna Come(1986年)
- Into My Life You Came(1990年)
- This is His(1990年)
- Homeland(1990年)
- ソウル・オブ・ザ・ブルース - Soul of the Blues(1993年)
- ライヴ・アット・ザ・ハウス・オブ・ブルース - Live at House of Blues(1994年)
- Definition of Soul(1997年)
- We Need a Miracle(1998年)
- Not by Water But Fire This Time(1999年)
- Soulman(2002 年)
- ドント・ギヴ・アップ・オン・ミー - Don't Give Up on Me(2002年)
- The Incredible Solomon Burke at His Best(2002年)
- The Apollo Album(2003年)
- メイク・ドゥー・ウィズ・ワッチュー・ガット - Make Do With What You Got(2005年)
- ナッシュビル〜キング・ソロモン・シングス・リズム&カントリー - Nashville(2006年)
- ライク・ア・ファイア - Like a Fire(2008年)
- Nothing's Impossible(2010年)
- Hold on Tight(Solomon Burke & De Dijk名義)(2011年)
外部リンク
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