ジュリー・アンドリュース : ウィキペディア(Wikipedia)

デイム・ジュリー・エリザベス・アンドリュースデイム・ジュリー・アンドルーズ、Dame Julie Elizabeth Andrews, DBE, 1935年10月1日 - )"Dame Julie: The sound of music". BBC. 1999年12月31日。 2007年1月29日閲覧。は、イギリス生まれの女優、歌手、 作家、演出家、ダンサー。2000年、エリザベス2世より舞台芸術の功績で大英帝国勲章に叙され、デイムの称号をつけて呼ばれる。

アンドリュースはで1948年にデビューした。また1954年の上演作品『』でブロードウェイデビューし、両方ともトニー賞に彼女がノミネートされた『マイ・フェア・レディ』、『』で世間の名声を得た。1957年にはテレビで1億人以上が視聴したミュージカル『シンデレラ』に主演した。

アンドリュースはディズニー映画『メリー・ポピンズ』(1964年)で長編映画デビューし、アカデミー主演女優賞を獲得した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)では2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。後者の映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画第3位である。1964年から1967年の間、『卑怯者の勲章』、『ハワイ』、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『引き裂かれたカーテン』、『モダン・ミリー』などでも人気を得て、当時の世界で一番成功した映画スターとなったWilliam Ruhlmann "Julie Andrews Biography". AllMusic. 2014年2月18日閲覧。。

1970年代、映画でのキャリアは『』、『暁の出撃』、『』の商業失望により鈍化していった。しかし、『テン』(1979年)、で商業成功の卓越性に戻り、『ビクター/ビクトリア』(1982年)では3回目のアカデミー賞ノミネートを果たした。1980年代の残りは、批評家などからは絶賛されたものの商業的に不成功だった『That's Life! 』と『』に出演した。1990年代、彼女の名声は薄らいでいった。

アンドリュースの映画でのキャリアは『プリティ・プリンセス』(2001年)とその続編『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)、アニメーション映画『シュレック』シリーズ(2004年 - 2010年)、『怪盗グルーの月泥棒 3D』の成功でもう一度復活した。彼女の4オクターブもの、非常に印象的な声域は、1997年の喉の手術によって失われてしまった。2003年にはのベイ・ストリート・シアターで彼女の最初のブロードウェイ成功作である『』が公演され、演出家を務めた。

アンドリュースは児童作家でもあり、2008年に、ロンドン大空襲の思い出などが含まれている自伝『[[:en:Home: A Memoir of My Early Years|Home: A Memoir of My Early Years]] 』を出版した。

アンドリュースはアカデミー賞を1度受賞している他に、英国アカデミー賞を1度、ゴールデングローブ賞を5度、グラミー賞を3度、エミー賞を2度、そしてディズニー・レジェンドとケネディ・センター名誉賞の受賞経験がある。2002年、「100名の最も偉大な英国人」に59位で選出された。

生い立ち

ジュリア・エリザベス・ウェルズ(Julia Elizabeth Wells)<i>Julie Andrews</i>. Reel Classics.は、1935年10月1日、イギリスのサリー州で生まれたBiography and Video Interview of Julie Andrews at Academy of Achievement. 。母親のバーバラ・ワード・ウェルズ(旧姓モリス)は、金属加工と木工の学校教師のエドワード・チャールズ・"テッド"・ウェルズと結婚した。しかし、アンドリュースは母親が彼女が知らない友人とよく会っているのを不思議に思っていたJulie Andrews: I was a secret love child, Daily Express 2008年3月10日]Spindle, Les. Julie Andrews: A Bio-Bibliography. Greenwood Press (1989) ISBN 0-313-26223-3. pp. 1–2.。1950年にアンドリュースは本当の父親は別の人だと母に教えられたが、2008年に自伝が出版されるまで公表されなかったBrockes, Emma (30 March 2008). &quot;Books About Julie Andrews — Memoir — Biography&quot;. The New York Times (New York City). . 2010年8月3日閲覧。。

第二次世界大戦が勃発した頃、バーバラとテッド・ウェルズは別々の道を行くことになる。バーバラがテッド・アンドリュースとエンターテイメンツ・ナショナル・サービス・アソシエーション(ENSA)で軍隊の接待をしていた頃、ロンドン大空襲によってサリーに疎開してきた子供達を支援したテッド・ウェルズであったが、しばらくして二人は離婚した。バーバラがテッド・アンドリュースと、そしてテッド・ウェルズがサリーのの戦時工場で織物の仕事をしていた元ヘアスタイリストと、両者とも1939年に再婚したSpindle, Les. Julie Andrews: A Bio-Bibliography. Greenwood Press (1989)] ISBN 0-313-26223-3. pp. 1–2.Windeler (1970), pp 20–21。

アンドリュースはしばらくテッド・ウェルズと弟のジョンと住んでいたが、1940年頃、テッド・ウェルズは才能のある娘に巧妙なトレーニングを受けさせた方が良いと考え、彼女の母親と義父のところに行かせた。2008年に出版された自伝によると、ジュリーはテッド・アンドリュースを「テッドおじさん」と呼んでいたのだが、彼女の母親に義父を「お父さん」と呼びなさいと言われ、呼び名を変えた。しかしジュリーはまだ幼く、テッド・ウェルズのことを忘れられなかったため、この呼び名を嫌ったという。

アンドリュースは、彼女の家族は「とても貧乏でロンドンのスラム街に住んでいた」「その頃は私が人生で一番苦労した時期です。(very poor and we lived in a bad slum area of London, That was a very black period in my life.)」と語っている。彼女の義父は乱暴で、アルコール依存症であった。テッド・アンドリュースは酔って、彼の継娘とベッドを共にしようと二回も試みたため、アンドリュースは部屋に鍵をかけるようになった。しかし、母親と義父による公演の成功と共に、生活に余裕ができたためもう少し良い地域に住めるようになり、まずベックナム、そして戦争の終結とともにアンドリュースの故郷であるに順に移っていった。そしてアンドリュースの家族は昔母方の祖母が家政婦として勤めていた家(現在は取り壊されている)に居住した。

アンドリュースの継父は彼女にレッスンを受けさせ始めた。最初はロンドンにある舞台芸術に特化した学校である、LondonCone-Ripman Schoolで、さらにはソプラノ歌手で声楽師でもあるマダム・に学んだ。リリアンについてアンドリュースは「彼女は私に大きな影響を与えてくれました」、 「彼女は私の三人目の母のような存在で、私は世界中で一番たくさんの母親と父親がいます。(She was my third mother – I've got more mothers and fathers than anyone in the world.)」と語っている。リリアンの自伝『Julie Andrews – My Star Pupil 』で、リリアンは「ジュリーの声の精度と音質には驚かされた。彼女にはすぐれた絶対音感の才能があった。(The range, accuracy and tone of Julie's voice amazed me ... she had possessed the rare gift of absolute pitch.)」と書いている(しかしアンドリュースはこの話を2008年の自伝『Home』で否定している)Windeler (1970), pp 22–23。アンドリュースは「マダムは私がモーツァルトやロッシーニをできると確信していたけれど、正直なところ私は一度もやったことがありません。(Madame was sure that I could do Mozart and Rossini, but, to be honest, I never was.)」と後に語っているStirling, p.24。自身の声について、「私は混ざり気のない、きれいで、とても細く、4オクターブの声を持っていて、犬が数マイル離れていても呼べたほどでした。(I had a very pure, white, thin voice, a four-octave range – dogs would come for miles around.)」と語っている。LondonCone-Ripman Schoolを卒業後、ベックナムの地元の学校Woodbrook Schoolで芸術教育を続けたTimothy White (1998) The entertainers p.111. ビルボード, 1998。

経歴

イギリスでのキャリア初期

ジュリー・アンドリュースは1945年の初期から2年間両親と未課金で自発的にステージに上がる。「ある日、昼寝をしなさいといわれました。それはママとパパ(テッド・アンドリュース)と一緒に夜に歌うことになったからでした(Then came the day when I was told I must go to bed in the afternoon because I was going to be allowed to sing with Mummy and Pop in the evening)」と、当時の状況を振り返っている。彼女はまだ小さかったため、ビールの木枠の上に立ちマイクで歌った。時々は母親がピアノの伴奏をし、それに合わせてソロか義父とのデュエットをした。「緊張して恐ろしかったですが、上手くいきました。(It must have been ghastly, but it seemed to go down all right.)」Windeler (1970), pp 23–24Spindle, p. 2 によると、アンドリュースは1946年に両親とステージに数年、初めてあがっている。suggests that Andrews began a few years of stage work with her parents in 1946.

ジュリー・アンドリュースは義父が彼女を、ロンドンにあるの有名なコンサート会場などを管理していたに紹介し、一気に脚光を浴びた。1947年10月22日にアンドリュースはロンドンのでオペラ『ミニョン』の中の難しいアリアである『私はティタニア』を『Starlight Roof 』というミュージカルのレビューで歌い、プロのソロデビューを果たした。彼女はヒッポドロームで1年間公演する。.Windeler (1970), pp 24–26アンドリュースは『Starlight Roof 』について「そこには、風船で動物を作った、素晴らしいアメリカ人のコメディアンのがいました。彼は『客席にいる小さな女の子か男の子で誰かこれを欲しい人はいるかい』と聞きました。そこで私は急いでステージに上がり、『私にひとつください。』と言うと、彼は私に話し掛けてきて、私が歌いますと言うと・・・幸いなことにショーはいきなり静かになりました。それだけではなく、観客は夢中になって聞いてくれました。(There was this wonderful American person and comedian, Wally Boag, who made balloon animals. He would say, 'Is there any little girl or boy in the audience who would like one of these?' And I would rush up onstage and say, 'I'd like one, please.' And then he would chat to me and I'd tell him I sang... I was fortunate in that I absolutely stopped the show cold. I mean, the audience went crazy.)」と語っている。Boag, Wally and Sands, Gene. Wally Boag, Clown Prince of Disneyland, Disney Enterprises, Inc. 2009, p.39

1948年の11月1日にジュリー・アンドリュースはでダニー・ケイ、、コメディコンビであるジョージとバート・バーナードと共にジョージ6世の家族の前で公演し、で一人で公演した最年少のパフォーマーとなった。Windeler (1970), p. 26. 「10月14日に公式に『13歳のコロラトゥーラのソプラノで大人の声を持っている』と説明、発表され、ジュリーはパレイディアムにて王族の前で一人で公演した、最年少の選ばれたパフォーマーである。」Spindle, p. 3

ジュリー・アンドリュースは両親と共にラジオやテレビに出演する。.Windeler (1970), pp 26–27.のエピソードでミュージカルでコメディ・ショウの『Up the Pole 』、そして『Educating Archie 』に1950年から1952年まで出演する。1949年10月8日に放送されたBBCの『RadiOlympia Showtime 』でテレビデビューを飾った。Ruhlmann, William. <i>Julie Andrews Biography</i> . All-Music Guide article from Legacy Recordings.

アンドリュースはウェスト・エンドにあるで、バッドロールバドア姫を演じた『アラジン』、『ハンプティ・ダンプティ』をそれぞれ一年ずつ公演した。他にも地方の劇場などで『ジャックと豆の木』、『赤ずきん』、主演として『シンデレラ』などにも出演した。

アメリカ合衆国でのキャリア初期

彼女の19歳の誕生日の前夜の1954年9月30日に、ジュリー・アンドリュースはロンドンで大成功したミュージカル『』のポリー・ブラウン役でブロードウェイデビューを果たす。批評家たちは、アンドリュースはこのミュージカルで優れた人材だ、と評したSpindle, pp. 4–5.。『ボーイ・フレンド』の契約が切れる間際に、アンドリュースはブロードウェイの『マイ・フェア・レディ』のオーディションを受けてはどうかと勧められ、見事選ばれた1955年の11月に、彼女にとっては初めてのテレビ映画である『High Tor 』に出演する契約を交わしビング・クロスビーと共演した。Windeler, pp. 41–42.。

アンドリュースはリチャード・ロジャーズのミュージカル『』のオーディションを受けた。ロジャーズは彼女を『パイプ・ドリーム』に出演させたいと思ったが、彼は、もしアラン・ジェイ・ラーナーとの『マイ・フェア・レディ』にオファーされたらそちらに出演しなさい、とアドバイスをする。1956年、彼女は『マイ・フェア・レディ』にレックス・ハリソンのヘンリー・ヒギンズ役に対し、イライザ・ドゥーリトル役として出演する。ロジャーズは『マイ・フェア・レディ』でのアンドリュースの才能に感心し、彼女はロジャース&amp;ハマースタインのテレビミュージカルである『シンデレラ』に出演した。 『シンデレラ』はの音楽的な演出の下で1957年3月31日にCBSで放映され、人々を魅惑し、推定1億700万人が視聴したGans, Andrew. &quot;Julie Andrews &#39;Cinderella&#39; to Air on PBS in December&quot; . Playbill News. 2004年10月6日。Haberman, Irving. "The Theatre World Brings A Few Musical and a Stage Success to Television This Week". The New York Times, 1957年3月31日。。このショーはニューヨークのブロードウェイ2248番のCBSスタジオ72よりカラーで放映された。現在は、米国でDVD化されたモノクロのキネスコープしか残っていない。 アンドリュースはこの作品でエミー賞にノミネートされたJulie Andrews: Emmy Awards &amp; Nominees

1958年から1962年の間はCBSの『The Fabulous Fifties 』やNBCの『The Broadway of Lerner & Loewe 』などの特別番組に出演する。エド・サリヴァン・ショーにゲスト出演したのに加え、『The Dinah Shore Chevy Show 』、『What's My Line? 』、『The Jack Benny Program 』、『The Bell Telephone Hour 』『The Garry Moore Show 』などにも出演する。1962年6月、アンドリュースはCBSの特別番組の『Julie and Carol at Carnegie Hall 』でキャロル・バーネットと共演した。

1960年、ラーナーとロウは彼女をグィネヴィア王妃として、リチャード・バートンや、当時まだ新人だったロバート・グーレ『』に出演させた。バートンは後に彼女のことを「彼女は僕の好きな共演者三人の中の一人で、他の二人はE.テイラーP. オトゥールだ。彼女は僕が唯一、一緒に寝たことがない主演女優さ。(She's one of my three favorite costars, the others being E. Taylor and P. 0'-Toole. She's the only leading lady I never slept with.)」などと語っている。しかし、映画スタジオのトップだったはアンドリュースはまだ映画に出演した経験がなく、映画版の『マイ・フェア・レディ』では、代わりにイライザは映画女優であるオードリー・ヘプバーンが演じた。ジャック・ワーナーは「私は自分の仕事上、誰が映画に利益を与えるかを知っている。オードリー・ヘプバーンが作品を赤字にさせるようなことは絶対にない。」と語っている。ワーナーはアンドリュースのもう一つの当たり役『キャメロット』の映画化権も持っており、アンドリュースはインタビューで「もちろん『キャメロット』の映画化には出演したいと思いますわ。だけど、ワーナーさんが私にやらせてくれるかしら?」と述べており、最初は舞台のオリジナル・キャストで映画化が発表されたが、結局映画ではバネッサ・レッドグレーブがグィネヴィア王妃役を演じている。

アンドリュースは1959年5月10日にサリーので舞台美術家であると結婚した。彼等はアンドリュースがで『ハンプティ・ダンプティ』を公演中に初めて出会った。アンドリュースと夫は1962年の9月にイギリスに戻り、娘のがロンドンで二ヶ月後に生まれた。Robert Windeler Julie Andrews: a life on stage and screen p.149. Thorndike Press, 1998

ハリウッドスターの座

1963年、アンドリュースはウォルト・ディズニー・ピクチャーズのミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の撮影を始める。ウォルト・ディズニーは、『キャメロット』の公演を観てアンドリュースは「何をやっても完璧!(practically perfect in every way!)」なイギリス人のナニーにぴったりだと思った。アンドリュースはその頃妊娠6ヶ月であったため断ったが、しかしディズニーは丁寧に「待ちましょう。(We'll wait for you.)」と断言した。Mary Poppins 40th Anniversary Edition DVD.

『メリー・ポピンズ』はディズニー史上、一番の興行成績をあげた。アンドリュースはこの映画で1964年のアカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。彼女と共演者達はも受賞した。『ポピンズ』の作詞・作曲を担当したリチャード・M・シャーマンがメリー・ポピンズらしい「かわいい仕返し」をしようと考え、アンドリュースはゴールデン・グローブ賞の受賞スピーチで「最後に、これを現実にしてくださったジャック・ワーナーさんに感謝したいと思います。(And, finally, my thanks to a man who made a wonderful movie and who made all this possible in the first place, Mr. Jack Warner.)」マイ・フェア・レディは同じく賞にノミネートされていた。

アンドリュースはジェームズ・ガーナーの相手役として『卑怯者の勲章』(1964年)に出演し、英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞にノミネートされた。この映画は第二次世界大戦中のロンドンが舞台のコメディ・ドラマである。アンドリュースは共演者のジェームズ・ガーナーと同じく好きな映画としてこれをあげている。Blank, Ed. <i>Andrews, as Maria&amp;nbsp;– a result of &#39;happy circumstances&#39; </i>. Pittsburgh Tribune-Review. 2005年11月17日。

1965年、アンドリュースは『サウンド・オブ・ミュージック』に出演し、その年の最高興行収入映画であり、20世紀フォックス史上最大のヒットとなった。<i>Times Online&#39;s</i> 2005 review of Dame Julie Andrews&#39; career 2013年現在、これは今までの映画の中で三番目の興行収入をあげている。アンドリュースはこのマリア・フォン・トラップ役で、二つ目のゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演女優賞にもノミネートされたが、ダーリングのジュリー・クリスティに敗れてしまった。

『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影後、NBCのバラエティ・シリーズである『アンディ・ウィリアムス・ショー』にゲスト出演した。このエピソードでエミー賞にノミネートされた。また、エミー賞を受賞した(アンドリュースは受賞していない)特別番組『』でジーン・ケリー、ゲストとしてらと共演した。これはNBCで1965年11月に放映された。

1966年、アンドリュースは『ハワイ』に出演し、その年の最高興行収入映画になっている。また、同じ年にアルフレッド・ヒッチコック監督映画、『引き裂かれたカーテン』に出演し、ポール・ニューマンと共演している。次の年には『モダン・ミリー』(1967年)に出演し、ゴルデン・グローブ賞にノミネートされた。当時、『モダン・ミリー』と『引き裂かれたカーテン』はユニバーサル・ピクチャーズ史上、それぞれ一番と二番目のヒットであった。

中頃のキャリア

アンドリュースの次の出演作はハリウッドの最大の失敗作の内の二つで、ガートルード・ローレンスの伝記映画である『』、ロック・ハドソンと共演し、二人目の夫(トニー・ウォールトンと1967年に離婚し、1969年に再婚している)であるブレイク・エドワーズ監督映画『暁の出撃』に出演した。Spindle, p. 14. 二人はエドワーズが2010年に亡くなるまで別かれることはなかった。

1970年代、エドワーズとアンドリュースは1974年にエイミー、1975年にジョアンナを養子に迎えている。Wilkins, Barbara.&quot;The Pristine Princess&quot;People, 14 March 1977&quot;Biography&quot; tcmdb.com. Retrieved 15 August 2010エドワーズの前妻と子で、アンドリュースとトニー・ウォルトンとの娘エマより、それぞれ3歳と5歳年上のジェニファーとジェフリーがいる。Current biography yearbook, Volume 44 p.127. H. W. Wilson Co., 19831970年に、アンドリュースはディズニー映画である『ベッドかざりとほうき』の主演女優の候補の内のひとりであったが、結果的にアンジェラ・ランズベリーが出演した。

アンドリュースはテレビ出演を続ける。1969年、歌手のハリー・ベラフォンテとNBCの特別番組の『An Evening with Julie Andrews and Harry Belafonte 』で共演する。1971年、彼女はゲストとしてウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのグランド・オープンに立会い、同年キャロル・バーネットとCBSの特別番組『Julie and Carol At Lincoln Center 』に出演した。1972から73年は、ABCで彼女自身のバラエティ番組である『ジュリー・アンドリュース・アワー』で主演を務める。この番組は7つのエミー賞を受賞したが、1シーズンで中止されてしまった。また、『マンディ』で作家デビューも果たした。日本ではTBSブリタニカより出版

1973年と1975年の間、ABCの5つの特別番組に出演する。1977年には『マペット・ショー』にゲスト出演し(日本でも放送)、次の年にはCBSのバラエティ特別番組で再びマペット達と共演した。そのプログラム、『Julie Andrews: One Step Into Spring 』は1978年の3月に放送され、好ましくない批評を受け、並みの視聴率になった。1970年代には他に『』(1974年)と『テン』(1979年)の2作品しか映画に出演していない。

1980年2月、CBSの特別番組『Because We Care 』でカンボジアの飢饉の被災者に寄付をしている30人のスター達と共演した。次の年、映画『Little Miss Marker 』で主演を務める。1981年、ブレーク・エドワーズの『S.O.B.』に出演し初のトップレスシーンを披露する。これは注目を集め、彼女の健康的でキュートなイメージを求めるファンに突きつけた。2005年『プレミア』誌による『映画史上最もショッキングな瞬間』第7位

1982年、アンドリュースは『ビクター/ビクトリア』でヴィクトリア・グラントと伯爵ビクター・グラジンスキーという二つの顔を持つ役柄を演じ、相手役はまたジェームズ・ガーナーである。彼女の演技はゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、三度目である、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。<i>Julie Andrews: A Life Of Achievements</i>. CBS News. 2007年1月26日。 2007年1月29日閲覧。

1983年、アンドリュースはハーバード大学 ・シアトリカル・ソサエティよりに選ばれた。同年、バート・レイノルズと共演した『』に出演した。次の映画は、彼女がゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『That's Life! 』と『』(両方とも1986年)である。

1987年12月、ABCのクリスマス特別番組で、エミー賞5部門を受賞した『Julie Andrews: The Sound Of Christmas 』に出演した。同年、全米ツアーを行った。2年後の1989年、ABCで放送された特別番組でキャロル・バーネットと3度目の共演を果たした。

1991年、ABCのテレビ映画『』でアン=マーグレットと共演し、テレビドラマデビューを果たした。同年、アンドリュースはディズニー・レジェンドを受賞した。

1992年の夏、彼女にとって初のホームコメディである『Julie』でジェームズ・ファレンティノと共演し、ABCで放送されたが、7エピソード分しか続かなかった。1992年の12月NBCの休暇特別番組『Christmas In Washington』でホストを務める。同年に開発されたバラの新種に「ジュリー・アンドリュース」の名前がつけられた。

1993年、でスティーヴン・ソンドハイムのレビューであるオフブロードウェイミュージカル『Putting It Together 』のアメリカ初演を行った。1994年から1995年の間、、一つ目はリチャード・ロジャーズ、2つ目はアラン・ジェイ・ラーナーのブロードウェイシリーズ、2つのソロアルバムをPHILIPSレーベルでレコーディングをする。1995年、彼女は舞台ミュージカル版の『』に出演する。これは彼女がブロードウェイデビューをした35年後であった。1995年10月25日にブロードウェイので初演され、その日には特集番組『Julie Andrews: Back On Broadway 』が全米放映され、後に世界ツアーも行われた。トニー賞において本作品からノミネートされたのはミュージカル主演女優賞へのジュリーのみだったため、公演後のスピーチでノミネート辞退を発表し物議を醸した スピーチ全文(Playbill.com)。このスピーチでの「egregiously overlooked」(直訳:言語道断に見落とされた人たち)というフレーズはこれ以降、同様のシチュエーションにおける決まり文句になっている。

アンドリュースは1997年のブロードウェイの終演間近、声が嗄声になり、ショーを辞めざるを得なくなった。その後、彼女はニューヨークのマウントサイナイ病院で喉から非癌性の声帯結節を取り除く手術を受けた。(しかし、最近アンドリュースが、それはビクター/ビクトリアで無理をしたための「声帯に発生する一種の筋肉紋でした(a certain kind of muscular striation [that] happens on the vocal cords)」、また「私は癌もなく、結節もありませんでした。何もなかったのです。(I didn't have cancer, I didn't have nodules, I didn't have anything.)」と述べている。) 1999年アンドリュースは喉の手術を行ったスコット・ケセラー氏とジェフリー・リビン氏を含むマウントサイナイ病院の医師を医療過誤で告訴した。当初、医師たちはアンドリュースに声は6週間で戻ると断言していたが、アンドリュースの義理の娘のは1999年に「二年もたちましたが、まだそれ(以前の歌声)は戻っていません。(it's been two years, and it [her singing voice] still hasn't returned.)」と話している。<i>Andrews sues over lost voice</i>. BBC News. 1999年12月15日。 2007年1月1日閲覧。訴訟は2000年9月に落ち着いた。Julie Andrews settles lawsuit , the Chicago Sun-Times, 2000年9月9日。

その後2000年からマサチューセッツ総合病院の院長のが彼女に4回手術をし話し声は戻ってきているものの、歌声までは戻っていない。

歌声が失われたにもかかわらず、彼女はたくさんの仕事に関わり忙しかった。1998年にはロンドンで舞台作品の『ドリトル先生』に出演した。ジュリー・アンドリュースのウェブサイトによると、オウムのポリネシアの声を演じ、「機械の鳥の口の中にあるコンピューターチップに700ほどの文や音を録音しました。『動物とおしゃべり』の歌ではオウムのポリネシアも歌う(recorded some 700 sentences and sounds, which were placed on a computer chip that sat in the mechanical bird's mouth. In the song 'Talk to the Animals,' Polynesia the parrot even sings)」そうである。次の年1999年11月に放映されたテレビ映画、『One Special Night 』でジェームズ・ガーナーと再共演した。

2000年、アンドリュースは舞台芸術の功績でエリザベス2世よりバッキンガム宮殿で大英帝国勲章を受勲し(司令官騎士 DBE)となる。&quot;Dame Julie: The sound of music&quot;. BBC. 2012年7月1日閲覧。&quot;Queen honours movie Dames&quot;. BBC. 2012年7月1日閲覧。2002年にはで開かれた女王の在位50周年を記念するのハリウッドパーティでゲストの一人だった。&quot;Film capital to mark Queen&#39;s Golden Jubilee with Grand Ball&quot;. The Telegraph. 2012年7月1日閲覧。彼女は2002年にイギリス大衆による投票で選ばれたBBCの『100名の最も偉大な英国人』で女優で唯一、59位にランクインした。

2001年ケネディ・センター名誉賞を受賞する。同じ年、『サウンド・オブ・ミュージック』で共演したクリストファー・プラマーと生放送でテレビ放送された『On Golden Pond 』(1979年の戯曲『』を脚色)で再共演した。

キャリアの復活

2001年、アンドリュースは『プリティ・プリンセス』に出演し、ディズニー映画は『メリー・ポピンズ』(1964年)以来となった。彼女はクラリス・レナルディ女王を演じ、その続編、『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)でも同役を演じた。『プリティ・プリンセス2』では喉の手術をおこなってから初めて映画で歌った。その "Your Crowning Glory"(ティーンアイドルのとのデュエット)という歌は彼女の回復してきている声に合わせ、1オクターブに限られた。<i>Singing comeback for Dame Julie</i>. 19 March 2004. Retrieved 10 February 2008. The film's music supervisor, Dawn Soler, recalled that Andrews "nailed the song on the first take. I looked around and I saw grips with tears in their eyes."

アンドリュースはその後もディズニー関連の仕事を続け、ニューヨークのプラザホテルに住む女の子を描いた、の児童書であるを基にした2つのテレビ映画に出演した。『』は2003年4月に封切され、『』は2003年11月に放送された。アンドリュースはエミー賞にノミネートされた。同年、のベイ・ストリート・シアターで、1954年に彼女がブロードウェイデビューを果たしたミュージカル『ボーイフレンド』の再上演を演出し、演出家デビューした。彼女の作品の衣装と舞台背景のデザインは前夫のトニー・ウォールトンが担当し、2005年にで再上演され、2006年に全米ツアーがおこなわれた。

2005年から2006年は ディズニーランドの50周年の18ヶ月にわたる祝賀イベント『』公式の大使を務め、イベントの宣伝をするため各地を駆け回ったり、ナレーションを録音したり、パークのいくつかのイベントに姿をみせたりした。

2004年、アニメ大ヒット作『シュレック2』(2004年)にリリアン王妃の声を担当し、『シュレック3』(2007年)、『シュレック フォーエバー』(2010年)の続編でも同役を担当する。その後、2007年、ディズニーのミュージカルコメディである『魔法にかけられて』でナレーションをし、『メリー・ポピンズ』のような典型的なディズニー映画に敬意を払っていることを人々に示した

2007年1月、映画俳優組合より生涯功労賞を受賞し、彼女の目標はこれからも舞台の演出を続けること、そして彼女のブロードウェイ・ミュージカルを演出することだと述べた。彼女は、自伝の第一部と称した、『[[:en:Home: A Memoir of My Early Years|Home: A Memoir of My Early Years]] 』が2008年4月1日に出版された。この本はイギリスの彼女の初期のイギリスでのミュージックホールサーキットのことなどが記されていて、1962年にメリー・ポピンズ役を得るところで終わっている。2004年に、ウォルト・ディズニー・ビデオのリリースのためにメリー・ポピンズを演じ、『王様と猫』の物語をナレーションした。

2008年の7月から8月上旬、アンドリュースはアメリカでの短いツアーである『Julie Andrews' The Gift of Music 』でホストを務め、 さまざまなロジャース&amp;ハマースタインの歌や、彼女の最近出版された本、『Simeon's Gift 』に調和させて歌った。これはかなりの年月を得て、声帯手術後の初めての公衆向けの歌手としてのパフォーマンスとなった。

2009年5月、ポーリー・パビリオンで例年行われる大会、で音楽の功労賞としてジョージアイラ・ガーシュウィン賞を受賞した。受賞した際に彼女は言った。「頑張れ、熊たち (Bruins)。SCに勝つのです…ストライク・アップ・ザ・バンド、一つ一つの勝利を祝うために。Go Bruins. Beat SC ... let the Gershwin tunes strike up the band to celebrate every one of those victories.)」

2010年–現在

2010年1月、アンドリュースはニューイヤーコンサートのアメリカでの公式プレゼンターを務める。 これは彼女の前年に続いて2回目の出演となった。アンドリュースは興行収入は挙げているものの否定的な評価を受けた映画『妖精ファイター』で助演した。.この映画のプロモーションツアーで、Operation USAを紹介し、ハイチ地震の援助キャンペーンを行った。

2010年5月8日、アンドリュースは21年来のロンドンでのカムバックを果たした(前のパフォーマンスは1989年にロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたクリスマスコンサートであった)。O2アリーナで公演し、 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が伴奏をし、演者5人と合唱した。 その前、イギリスのテレビに出演し(2009年12月など)、本当に歌うのではないと説明した。その代わりに、「」つもりだと言った。Paul Clements (9 May 2010) Review: Dame Julie Andrews at the O2 Arena. The Daily Telegraph コンサートでは彼女は2回のソロと幾つかのデュエットや伴奏部分を本当に歌った。その夜、2回もスタンディング・オベーションをしたファンなどから、好評を博したものの、批評家からはあまり注目されなかった。

2010年5月18日、アンドリュースの23冊目の本(娘のエマとの共作)が出版された。2010年6月には『The Very Fairy Princess 』と題され、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リストの児童書で1位になった。

2010年5月21日、映画『シュレック フォーエバー』が公開され、再度、女王役を演じた。&quot;Weekend Report: &#39;Shrek&#39; Shrinks with Fourth Movie&quot;. Box Office Mojo. 2010年5月24日。

2010年7月9日、アニメ映画『怪盗グルーの月泥棒 3D』では不親切だが優しい、主人公グルー(声: スティーヴ・カレル)の母の声を演じた。この映画は批評家らから絶賛され、 大ヒットした。

2010年10月28日、映画でフォン・トラップ・ファミリーを演じた俳優たちと映画の45周年を祝うために『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演した。The Hills are Alive! Julie Andrews and The Sound of Music Cast Reunite on Oprah (29 October 2010) Broadway.comThe Sound of Music cast reunite on Oprah Winfrey show (29 October 2010. BBC News 数日後、24冊目の本、『Little Bo in Italy 』が出版された。Jill Serjeant Julie Andrews has favourite things ロイター

2010年12月15日、アンドリュースの夫、ブレイク・エドワーズがカリフォルニア、サンタモニカの Saint John's Health Center で肺炎の合併症により死去した。アンドリュースは彼が亡くなる時、隣で見守っていたという。Emily Sheridan (16 December 2010) Pink Panther director Blake Edwards, 88, dies of pneumonia Daily MailJoe Neumair (16 December 2010) Blake Edwards, &#39;Pink Panther&#39; director and husband to Julie Andrews, is dead at age 88 Daily News (New York)

2011年2月、アンドリュースは第53回グラミー賞のセレモニーで、、娘のと共著した『Julie Andrews' A Collection of Poems, Songs and Lullabies 』で親子共にを受賞した。Julie Andrews to get lifetime Grammy. BBC News. 22 December 2010Julie Andrews, Dolly Parton Win Lifetime Grammys, ABC News. 23 December 2010

77歳の2013年に、主催者が『サウンド・オブ・ミュージック』で共演して当時14歳であったニコラス・ハモンドである、Julie Andrews to tour Australia for the first time ABCニュース, 2013年5月16日。初めてのオーストラリアとニュージーランドのツアーを引き受けた。歌の代わりに、本土の5つの州都で、映画の契約のことについて話すシリーズを計画した。Dow, Steve Australia to come alive to the story of Julie Andrews at Sydney Morning Herald, 2013年2月9日。ニュージーランドでのイベントではセキュリティ上の問題があった。Released Immigration New Zealand Documents

2018年にエミリー・ブラント主演の「メリー・ポピンズ・リターンズ」へのカメオ出演が依頼されたが、「エミリーのメリー・ポピンズになってほしい」と辞退をした。

家族

母はピアニストのバーバラ、父は学校教師のテッド・ウェルズ。2人の間には弟がいる。 2008年出版の自伝で「本当の父親は別の人だと母に教えられた」ことを初めて公表したが、テッド・ウェルズを「本当の父親」として慕う気持ちは変わりないとも述べている。 幼少の頃両親が離婚し、母は歌手テッド・アンドルーズと結婚。

1959年には幼なじみでデザイナーのと結婚し、娘が生まれた。エマには現在子供が2人いる。 ウォールトンとは1967年に離婚しエマの親権を得たが、ウォールトンはジュリーとエマの書いた本のイラストを担当するなど、現在でも親交は続いている。

1969年に映画監督のブレイク・エドワーズと再婚。 ABCテレビでのドキュメンタリー"Julie Andrews Back on Broadway"(1995年アメリカ)で、エドワーズ監督は二人の最初の出会いを語り、ある日ビバリーヒルズのサンセット大通りの交差点で信号待ちをする間、二人の運転する車が対向車線同士で停車し、目が合ってHelloと挨拶を交わしすれ違ったと言った。そのまま青信号になって双方すれ違ったが互いに何か運命的に強烈な印象を残した模様だった。 その後もエドワーズが「あんなに魅力的なのだから、脚の間には、きっとスミレの花でも咲いているのかしらん」と評したとかで、それを耳にしたアンドリュースがスミレの花束とレターを送ったという。そしてすぐ交際、結婚となった。

以降、2010年にエドワーズが亡くなるまでハリウッドのベストカップルとして知られた。 70年代〜80年代の出演映画はほとんどエドワーズ作品である。 エドワーズには前妻との子供、とジェフリーがいる他、ベトナム生まれの女の子2人を養子として迎えている。

来日公演

  • 1977年
    • 9月19日、27日・28日 日本武道館
    • 9月20日、21日 フェスティバルホール
    • 9月26日 真駒内アイスアリーナ
    • 10月1日 福岡市九電記念体育館
    • 10月3日 帝国ホテル・ディナーショー(孔雀の間)
  • 1980年
2月21日,22日 フェスティバルホール、29日,3月1日 日本武道館、4日 東京厚生年金会館
  • 1993年 NHKホール他

主な出演作品

映画

公開年邦題原題配役備考
1964年メリー・ポピンズMary Poppinsメリー・ポピンズMary Poppinsアカデミー賞 主演女優賞 受賞英国アカデミー賞 Most Promising Newcomer to Leading Film Roles 受賞グラミー賞 最優秀子供のためのアルバム賞 受賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞Laurel Awards for Best Female Musical Performance 受賞ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 2位
卑怯者の勲章''The Americanization of Emilyエミリー・バーランEmily Barham''英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞 ノミネート
1965年サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Musicマリア・フォン・トラップMaria von Trappゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞Laurel Awards for Best Female Musical Performance 受賞David di Donatello Award for Best Foreign Actress 受賞アカデミー賞 主演女優賞 ノミネート英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞 ノミネートグラミー賞 最優秀アルバム賞 ノミネートニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞 2位
1966年引き裂かれたカーテンTorn Curtainセーラ・ルイス・シャーマン博士Dr. Sarah Louise Sherman
ハワイHawaiiジェルーシャ・ブルムリーJerusha Bromley
1967年モダン・ミリーThoroughly Modern Millieミリー・ディルマウントMillie DillmountLaurel Awards for Best Female Comedy Performance 受賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1968年スター!Star!ガートルード・ローレンスGertrude Lawrenceゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1970年暁の出撃Darling Liliリリー・スミス(シュミット)Lili Smith (Schmidt)ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1974年夕映えThe Tamarind Seedジュディス・ファーローJudith Farrow
1976年ピンク・パンサー3The Pink Panther Strikes Againエインズリー・ジャーヴィス(歌唱部分吹き替え)Ainsley Jarvis (singing voice)(クレジットなし)
1979年テン10サム・テイラーSamantha Taylorゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
1980年Little Miss MarkerAmanda Worthington日本劇場未公開
1981年S.O.B.S.O.B.サリー・ミルズSally Miles日本劇場未公開
1982年ビクター/ビクトリアVictor Victoriaヴィクトリア・グラント/伯爵ビクター・グラジンスキーVictoria Grant / Count Victor Grezhinskiゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞カンザスシティ映画批評家協会賞 女優賞 受賞ピープルズ・チョイス・アワード 女優賞 受賞David di Donatello Award for Best Foreign Actress 受賞アカデミー賞 主演女優賞 ノミネート
ピンク・パンサーXTrail of the Pink Panther掃除人カメオ出演 (クレジットなし)
1983年グッバイ、デイビッドThe Man Who Loved WomenマリアンナMarianna日本劇場未公開
1986年That's Life!Gillian Fairchild日本劇場未公開ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
デュエット・フォー・ワンDuet for Oneステファニー・アンダーソンStephanie Anderson日本劇場未公開ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) ノミネート
1991年アフタヌーンティーはベッドでCin Cinパメラ・ピケMrs. Pamela Piquet
君が眠る前に''Our Sonsオードリー・グラントAudrey Grantテレビ映画
2000年Relative ValuesFelicity Marshwood日本劇場未公開
2001年プリティ・プリンセスThe Princess Diariesクラリス・レナルディQueen Clarisse Renaldiキッズ・チョイス・アワード 映画女優賞 ノミネート
2002年夢見る頃を過ぎてもUnconditional Love本人日本劇場未公開カメオ出演(クレジットなし)
2004年シュレック2Shrek 2リリアン王妃Queen Lillian声の出演
プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディングThe Princess Diaries 2: Royal Engagementクラリス・レナルディQueen Clarisse Renaldi
2006年おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティEloise at the PlazaナニーNannyテレビ映画
おてんばエロイーズ/わくわくクリスマスEloise at Christmastimeテレビ映画エミー賞 助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) ノミネート
2007年シュレック3Shrek the Thirdリリアン王妃Queen Lillian声の出演
魔法にかけられてEnchantedナレーション
2009年[[:en:The Boys: The Sherman Brothers' Story>The Boys: The Sherman Brothers' Story]]本人日本劇場未公開ドキュメンタリー映画
2010年妖精ファイターTooth FairyリリーLily『第3回 したまちコメディ映画祭in台東』でのみ上映
怪盗グルーの月泥棒 3DDespicable Meグルーの母Marlena, Gru's Mom声の出演
シュレック フォーエバーShrek Forever Afterリリアン王妃Queen Lillian
2017年怪盗グルーのミニオン大脱走Despicable Me 3グルーの母Marlena, Gru's Mom
2018年アクアマンAquamanカラゼンKarathen

テレビ番組

公開年邦題原題配役備考
1956年Ford Star JubileeLiseテレビ映画High Tor
1957年シンデレラRodgers and Hammerstein's CinderellaシンデレラCinderellaテレビ映画エミー賞 Best Actress in a Single Performance – Lead or Support ノミネート
1962年Julie and Carol at Carnegie Hall本人
1972年‐1973年ジュリー・アンドリュース・アワーThe Julie Andrews Hour司会エミー賞 ヴァラエティ/ミュージカル番組部門 受賞ゴールデングローブ賞 女優賞(ミュージカル・コメディ部門) ノミネートエミー賞 Outstanding New Series ノミネート
1973年Julie on Sesame Street本人
1991年君が眠る前にOur Sonsオードリー・グラントAudrey Grantテレビ映画
1992年JulieJulie Carlisle
1999年''One Special NightCatherine
2001年On Golden PondEthel Thayer
2003年おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティEloise at the PlazaナニーNannyテレビ映画
おてんばエロイーズ/わくわくクリスマスEloise at Christmastimeテレビ映画エミー賞 助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門) ノミネート
2004年Broadway: The American Musical本人ナレーター/PBSのミュージカルシアターのドキュメンタリーの6回分で司会エミー賞 クリエイティブアート・エミー賞(ノンフィクション・シリーズ部門) 受賞
2009年2010年2012年2014年ニューイヤーコンサートナレーター / 司会

舞台

公開年邦題原題配役劇場名備考
1954年ボーイ・フレンドThe Boy Friendポリー・ブラウンPolly Brownブロードウェイロイヤル・シアターシアター・ワールド賞 女優賞 受賞
1956年- 1962年マイ・フェア・レディMy Fair Ladyイライザ・ドゥーリトルEliza Doolittleブロードウェイマーク・ヘリンジャー劇場、ブロードハースト・シアター、ブロードウェイ・シアターウエスト・エンドドルリー・レーン劇場トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート
1960年キャメロットCamelotグィネヴィア王妃Queen Guinevereブロードウェイマジェスティック劇場トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート
1993年Putting It TogetherAmyオフブロードウェイニューヨーク・シティセンタードラマ・デスク賞 ミュージカル助演女優賞 ノミネート
1995年ビクター/ビクトリアVictor/Victoriaビクター/ヴィクトリアVictor/Victoriaブロードウェイマーキス劇場ドラマ・デスク賞 ドラマ・デスク賞 ミュージカル主演女優賞 受賞トニー賞 ミュージカル主演女優賞 ノミネート(辞退

主な受賞

アカデミー賞

部門結果ノミネート対象
1965年主演女優賞メリー・ポピンズMary Poppins
1966年主演女優賞サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music
1983年主演女優賞ビクター/ビクトリアVictor Victoria

英国アカデミー賞

部門結果ノミネート対象
1965年Most Promising Newcomer to Leading Film Rolesメリー・ポピンズMary Poppins
1966年最優秀英国女優賞卑怯者の勲章The Americanization of Emily、サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music

エミー賞

部門結果ノミネート対象
1958年Best Actress in a Single Performance – Lead or SupportシンデレラRodgers and Hammerstein's Cinderella
1965年Outstanding Individual Achievements in Entertainment - Actors and Performersアンディ・ウィリアムス・ショーThe Andy Williams Show(ゲスト出演)
1972年ヴァラエティ/ミュージカルシングル番組部門Julie and Carol at Lincoln Center
1973年ヴァラエティ/ミュージカル番組部門ジュリー・アンドリュース・アワーThe Julie Andrews Hour
Outstanding New Series
1981年デイタイム賞Outstanding Individual Achievement in Children's Programming - PerformersThe CBS Festival of Lively Arts for Young People
1995年プライムタイム賞ヴァラエティ/音楽番組における個人パフォーマンス賞The Sound of Julie Andrews
2004年プライムタイム賞助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)Eloise at Christmastime
2005年プライムタイム賞ノンフィクション賞(ノンフィクション・シリーズ部門)Broadway: The American Musical

グラミー賞

部門結果ノミネート対象
1965年最優秀子供のためのアルバム賞メリー・ポピンズ(サウンドトラック)Mary Poppins (soundtrack)
1966年最優秀アルバム賞サウンド・オブ・ミュージック(サウンド・トラック)The Sound of Music (soundtrack)
1996年最優秀トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞エーデルワイスBroadway: The Music Of Richard Rodgers
1998年最優秀トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞Here I'll Stay
2011年特別功労賞生涯業績賞
最優秀子供向けスポークン・ワード・アルバム賞Julie Andrews' Collection of Poems, Songs and Lullabies

ゴールデングローブ賞

部門結果ノミネート対象
1965年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)メリー・ポピンズMary Poppins
1966年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music
1967年ヘンリエッタ賞(世界でもっとも好かれた女優)
1968年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)モダン・ミリーThoroughly Modern Millie
ヘンリエッタ賞(世界でもっとも好かれた女優)
1969年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)スター!Star!
ヘンリエッタ賞(世界でもっとも好かれた女優)
1970年ハンリエッタ賞(世界でもっとも好かれた女優)
1971年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)暁の出撃Darling Lili
ヘンリエッタ賞(世界でもっとも好かれた女優)
1973年女優賞(ミュージカル・コメディ部門)ジュリー・アンドリュース・アワーThe Julie Andrews Hour
1980年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)テン10
1983年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ビクター/ビクトリアVictor Victoria
1987年主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)That's Life!
主演女優賞 (ドラマ部門)デュエット・フォー・ワンDuet for One

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞

部門結果ノミネート対象
1966年最優秀外国女優賞サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music
1983年最優秀外国女優賞ビクター/ビクトリアVictor Victoria

トニー賞

部門結果ノミネート対象
1957年ミュージカル主演女優賞マイ・フェア・レディMy Fair Lady
1961年ミュージカル主演女優賞キャメロットCamelot
1996年ミュージカル主演女優賞(辞退ビクター/ビクトリアVictor/Victoria

ドラマ・デスク・アワード

部門結果ノミネート対象
1994年ミュージカル助演女優賞Putting It Together
1996年ミュージカル主演女優賞ビクター/ビクトリアVictor/Victoria

Laurel Awards

部門結果ノミネート対象
1965年Best Female Musical Performanceメリー・ポピンズMary Poppins
Female Star
1966年Best Female Musical Performanceサウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music
Female Star
1967年Best Female Musical Performanceモダン・ミリーThoroughly Modern Millie
Female Star
1968年Female Star
1970年Female Star
1971年Female Star

その他の賞

部門結果ノミネート対象
1955年シアター・ワールド賞女優賞ボーイ・フレンドThe Boy Friend
1965年ニューヨーク映画批評家協会賞メリー・ポピンズMary Poppins
1966年ニューヨーク映画批評家協会賞サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music
1979年ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム映画6901 Hollywood Blvd.
1983年カンザスシティ映画批評家協会賞ビクター/ビクトリアVictor Victoria
1983年ヘイスティ・プディング・シアトリカルズウーマン・オブ・ジ・イヤー
1983年聖ジョージ映画賞最優秀外国主演俳優賞ビクター/ビクトリアVictor Victoria
1991年ディズニー・レジェンド映画出演
1993年Women in FilmCrystal Award
2001年ケネディ・センター名誉賞
Society of SingersSociety of Singers Life Achievement
サン・セバスティアン国際映画祭ドノスティア賞]]
2002年キッズ・チョイス・アワードフェイバリット映画女優賞プリティ・プリンセスThe Princess Diaries
2004年Golden Plate AwardThe Arts
2005年ラスベガス映画批評家協会賞(シエラ賞)ウィリアム・ホールデン生涯功労賞>
2007年全米映画俳優組合賞
2009年UCLA スプリング・シングジョージ&アイラ・ガーシュウィン音楽生涯功労賞
2011年プリンセスグレース財団賞プリンスレニエIII賞Probst, Andy.Julie Andrews to Receive Prince Rainier III Award at Princess Grace Awards Gala" theatermania.com, 2011年10月3日。
2019年ヴェネツィア国際映画祭

著書

アンドリュースはジュリー・アンドリュース・エドワーズ(Julie Andrews Edwards)やジュリー・エドワーズ(Julie Edwards)というペンネームで本を出版することが多い。

  • Andrews, Julie. [[:en:Home: A Memoir of My Early Years|Home: A Memoir of My Early Years]] (2008) Hyperion ISBN 0-7868-6565-2
  • Andrews, Julie and Emma Walton Hamilton (著者) and Christine Davenier (イラストレーター). Very Fairy Princess. Little Browne 2010. ISBN 978-0-316-04050-1.
  • Andrews, Julie and Emma Walton Hamilton (著者) and James McMullan (イラストレーター). Julie Andrews' Collection of Poems, Songs, and Lullabies. Little Brown 2009. ISBN 978-0-316-04049-5.
  • Edwards, Julie Andrews (著者) and Judith Gwyn Brown (イラストレーター). 『マンディ(Mandy)』。Harper & Row, 1971. ISBN 0-06-440296-7.
  • Edwards, Julie Andrews (著者) and Johanna Westerman (イラストレーター). "Mandy: 35th Anniversary Edition". HarperCollins, 2006. ISBN 0-06-113162-8.
  • Edwards, Julie. 『(The Last of the Really Great Whangdoodles)』。 New York: Harper and Row. 1974. ISBN 0-00-184461-X.
  • Edwards, Julie Andrews. Little Bo: The Story of Bonnie Boadicea. Hyperion, 1999. ISBN 0-7868-0514-5. (このシリーズ本は他にもいくつかある。)
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Dumpy the Dumptruck']. Hyperion, 2000. ISBN 0-7868-0609-5. (Dumpyシリーズ本は他にもある。)
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton, (著者). Gennady Spirin (イラストレーター). Simeon's Gift. 2003. ISBN 0-06-008914-8.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Dragon: Hound of Honor. HarperTrophy, 2005. ISBN 0-06-057121-7.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton (著者) and Tony Walton (イラストレーター). The Great American Mousical. HarperTrophy, 2006. ISBN 0-06-057918-8.
  • Edwards, Julie Andrews and Emma Walton Hamilton. Thanks to You: Wisdom from Mother and Child. Julie Andrews Collection, 2007. ISBN 0-06-124002-8.

関連項目

  • TBS『いのちの響』
  • 沢田研二 - ザ・タイガース時代からの自身の愛称「ジュリー」はアンドリュースにちなむ。
  • ジャズ・ボーカリスト一覧
  • ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星の一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/04/02 03:57 UTC (変更履歴
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