清水崑 : ウィキペディア(Wikipedia)
清水 崑(しみず こん、1912年〈大正元年〉9月22日 - 1974年〈昭和49年〉3月27日)は、日本の漫画家。長崎県長崎市出身。本名は清水 幸雄(しみず ゆきお)。
略歴
長崎県長崎市銭座町(現在の天神町)出身清水崑プロフィール 清水崑展示館 2018年7月18日閲覧。。旧制長崎市立商業高校(現在の長崎市立長崎商業高等学校)を卒業後上京、似顔絵描きをしながら絵の修行をする。その後横山隆一・近藤日出造らの新漫画派集団(のちの漫画集団)に参加、1935年、新青年に『東京千一夜物語』を連載。同作はヒットし、内田吐夢監督によって映画化された。
戦後、「新夕刊」の政治漫画を担当したのち、朝日新聞社の嘱託となる。時の吉田茂首相の風刺画で人気を博し、サンフランシスコ講和会議には全権団の取材に派遣され、連日文章つきで漫画の見聞録を送る。また日本ニュースでは「漫画の頁」という風刺コーナーを与えられ、執筆風景も含めてニュース映画に題材を提供した。
1953年からは週刊朝日で『かっぱ天国』を連載、黄桜酒造(2006年10月から黄桜に社名変更)社長・松本司郎の目に留まり1955年から同社の初代キャラクターとして採用された。また同年にはカルビーの「かっぱあられ」に代表される菓子広告も手がけるようになり、「かっぱえびせん」の商品名の由来となった。さらに、1959年からは 都民の日(10月1日)に都営施設へ無料で入れる「カッパバッジ」をデザインした。
1974年、肋膜炎のため61歳で没した。「かっぱ」のキャラクターデザインの担当は小島功に引き継がれた。
人物
- 姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)、妻は歌人の清水恒子。
- 1953年3月はじめに、小説家の火野葦平の『河童』の装丁を描くことになり、出版社の編集者と一緒に打ち合わせのために訪問し、その場で二人は意気投合したというもりたなるお『芸術と戦争』産経新聞出版9ページ。
- 母校長崎市立銭座小学校に「なかよし」と称したかっぱの壁画がある。
- 林家木久扇は弟子の一人で、時代劇漫画を描いていた為、漫画を描きながら月形龍之介・嵐寛寿郎等往年の時代俳優の物真似をしていたら清水が「面白い喋りをしている。お前、芸人になった方が良い。一人芸の基礎は落語だから」という理由から3代目桂三木助に紹介した(その後三木助が亡くなり、8代目林家正蔵門下となった)。上述のように、河童の漫画で一世を風靡しているが、林家木久扇のネタのひとつ「河童」がこれに関係しているかは定かではない(ただし、「笑点」の2011年の長崎県での地方収録の際、大喜利の挨拶の中で、「清水崑先生を偲んで」と銘打ち、河童ネタを披露している)。また、木久扇が真打昇進した際には、その祝いとして、河童の絵を描いて贈った。
- 映画監督の市川崑は清水の大ファンで、旧名の「儀一」から「崑」に改名したのも清水の影響だと言われている。
作品
漫画単行本・作品集
- 七ツノオハナシ(協栄出版 1943年)
- 再刊(漫画社 1944年)
- のんきな水滸伝(大元社 1946年)
- 漫画むかしばなし(銀星閣 1948年)
- アラビアンナイト のらくらアブー(光文社 1948年)
- 政界漫画帖(ニュース社 1949年)
- グリムマンガ のんびり小僧の大旅行(子供マンガ新聞社 1949年)
- 王さん(新日本教育文化研究所 1949年)
- かっぱ川太郎
- (朝日新聞社 1952年)
- 1 - 3(河出書房 1954年)
- 少年少女漫画集 1 - 3(河出書房 1953年)
- 子守の合唱(東峰書房 1955年)
- かっぱ天国
- 1 - 3(東峰書房 1955年 - 1956年)
- (小学館文庫 1977年)
- かっぱ天国 愛蔵版漫画集 (清水梢太郎編 らくだ出版 1993年)
- 新絵本太閤記(垂水書房 1958年) ※絵物語
- 現代漫画 第2期2巻 清水崑集(鶴見俊輔・佐藤忠男・北杜夫共編 筑摩書房 1971年)
- 女かっぱ二十態(求竜堂 1971年)
- 吉田茂諷刺漫画集(吉田茂記念事業財団編 原書房 1989年)
- 再刊(吉田茂国際基金発行・中央公論新社販売 2005年)
随筆集
- 風船を揚げる 宣撫漫画家の手記(映画出版社 1942年)
- 筆をかついで(創元社 1951年)
- 続・筆をかついで 月は東に日は西に (創元社 1952年)
- 木馬の嘶き(創元社 1954年)
- 一筆対面(東峰書房 1957年)
- 人物花壇 好きなもの(講談社 1958年)
- 狐音句集(永田書房 1975年)
小説
- 加寿天羅甚左(巌松堂 1961年)
絵本
- 輝く陸軍(高井貞二・近藤日出造共著 帝国教育出版部 1941年)
- オサルノエウチヱン(松葉重庸文 帝国教育出版部 1941年)
- 再刊(ほるぷ出版 1978年)
- カケストカシノミ(平井良昌文 日本絵雑誌社 1942年)
- コグマトミツバチ(浜田広介文 博文館 1942年)
- 支那ノオトモダチ(薮恒子文 博文館 1943年)
- キリガミヱホン(横山トミ文 博文館 1943年)
- 絵噺 さるのゑんちゃん(佐藤義美文 法令館榎本書店 1944年)
- むかしむかし(教養社 1948年)
- マンガグリム しょうじきハンス(講談社 1948年)
- ふしぎなたいこ(石井桃子文 岩波書店 1953年)
- かにむかし(木下順二文 岩波書店 1959年)
- ぼんやり山のぼんたろう(学習研究社 1972年)
- まいごくじらとぼんたろう(学習研究社 1973年)
- ワンコがニャン(北畠八穂文 ポプラ社 1973年)
イラスト
- 国分一太郎『戦地の子供』(中央公論社 1940年)
- ヴィルドラック/石川湧訳『ライオンのめがね』(中央公論社 1941年)
- 再刊(学習研究社 1971年)
- 森三郎『昔の笑いばなし』(中央公論社 1942年)
- 光吉夏弥『支那の夜ばなし 龍王の珠』(実業之日本社 1943年)
- 稲垣史生『東亜の友だち』(帝国教育会出版部 1943年)
- 久保田宵二『童謡集 林檎籠』(新泉社 1946年)
- 松村武雄『昔話玉手箱 名作物語』(光文社 1948年)
- 実藤恵秀『瘤仙人』(友愛文庫 1948年)
- 坪田譲治『沢右衛門どんのうなぎ釣り』(光文社 1948年)
- サトウハチロー『バットをにぎれば』(講談社 1948年)
- /塩谷太郎訳『全訳 ほらふき男爵』(アソカ書房 1948年)
- 青木茂『腕白物語 三太武勇伝』(光文社 1948年)
- 与田準一『ころちゃんとオートバイ』(国民図書刊行会 1948年)
- 須川邦彦『象をたずねて(講談社 1949年)
- 火野葦平『河童』(早川書房 1949年)
- 火野葦平『河童曼陀羅』(四季社 1957年)
- 上田学而訳『金瓶梅』1 - 4(人物往来社 1967年)
- バルザック/白川宣力訳『風流滑稽譚』1 - 3(人物往来社 1967年)
- 椋鳩十編『ほらふきうそつきものがたり』(童心社 1973年)
- 椋鳩十『白いなみ白いなみイルカが行く』(フレーベル館 1973年)
- 雑誌の挿絵
- 大阪圭吉「6か月連続掲載短編作品」(新青年 1936年7月号 - 12月号) - 『三狂人』『白妖』『あやつり裁判』『銀座幽霊』『動かぬ鯨群』『寒の夜晴れ』
長崎市清水崑展示館
2001年(平成13年)11月1日、長崎市指定史跡「中の茶屋」中の茶屋 長崎市(長崎市中小島1丁目4番2号)内に清水の個人美術館「長崎市清水崑展示館清水崑展示館 長崎市」が開設された。
2022年9月30日、長崎市は、当館に所蔵する遺族などから寄贈された原画など約3600点のうち約2000点をデジタルデータ化し、詳しい目録を作成する予定であることを表明した。
交通アクセス
- 長崎電気軌道 思案橋停留場 徒歩10分清水崑展示館 交通アクセス 長崎市
- 長崎バス 思案橋バス停 徒歩10分
清水崑を演じた俳優
- 柄本明:BS笑点ドラマスペシャル 初代林家木久蔵(2020年・BS日テレ)
関連項目
外部リンク
- 清水崑展示館(長崎市・中の茶屋)
- ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「長崎の漫画家 ~<b>清水崑</b>~」
- 日本ニュース|NHK戦争証言アーカイブス(執筆中の清水含め、担当したコーナーを視聴できる)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/21 13:24 UTC (変更履歴)
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