アレキサンダー・マックイーン : ウィキペディア(Wikipedia)

アレキサンダー・マックイーン(、1969年3月17日 - 2010年2月11日『3月17日はアレキサンダー・マックイーンの誕生日です』 2014年3月17日 FASHION HEADLINE)は、20世紀から21世紀初頭期にかけて活動したイギリスのファッションデザイナー。自身の名を冠したファッションブランド「アレキサンダー・マックイーン」(1992年設立)はイギリスを代表するファッションブランドとなっている『アレキサンダー マックイーンについて - About ALEXANDER McQUEEN』 2013年4月20日 Fashionsnap.com。型にはまらないデザインと衝撃を与える手法で知られていた。その劇的なデザインは幾多の賞賛を受け、ビョークレディー・ガガリアーナなどの前衛的なファッション・スタイルをもつ顧客を抱えていたほか、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを4度にわたって受賞した。

来歴

ロンドンの下町に6人兄弟の末っ子として出生。父はタクシー運転手。16歳で学校を辞め、サヴィル・ローのテーラーにアシスタントとして雇われた。テーラーはギーブス&ホークスアンダーソン&シェパード、それぞれでパンツの製作とジャケットの製作を学ぶ。その後イタリアのロメオ・ジリのアトリエに勤務したが、後に再びロンドンへ戻りセントラル・セント・マーチンズの修士コースで学ぶ。学費は生徒に洋裁を教える事で講師として勤務を果たし修士課程で学んだ。

1992年、セントラル・セント・マーチンズの卒業コレクションの時に、「ヴォーグ」のエディターでスタイリストとしても知られていたの目に留まったことがきっかけでデビューが決定したアレキサンダー・マックイーン-ファッションプレス。この時ブロウは、マックイーンがまだ無名の存在であったにも関わらず、彼の卒業コレクションを5,000ポンドという破格の値段で全て買い取ったというAFPBBのイザベラ・ブロウ死去を伝える記事

1996年にロンドンコレクションに参加。同じ年ジバンシーのデザイナーに抜擢されるが、2000年12月、「マックイーン社」株の51%をグッチグループに売却。これが原因で、LVMHの傘下にあるジバンシー社とは仲違いをする。2001年10月の契約期限完了とともにデザイナーを更迭された。これを引き継いだのはジュリアン・マクドナルド。マックイーンは後進の出世の為にわざとポストを空けた形だ。

自身のブランドのファーストラインの他にセカンドラインとしての「マックキュー(McQ)」に加え、プーマとのコラボレーションでスニーカーのデザインも行っていた。

ケイト・モスは良き友人として知られ、彼女が薬物スキャンダルで批判されていた時にも擁護していた。モスを励ますために、スキャンダル発覚直後の06年春夏コレクションのフィナーレで「We Love You Kate」とプリントされたTシャツを着てランウェイに登場した。翌シーズンの秋冬コレクションではホログラム映像でモスを登場させた。

私生活

私生活では、2000年夏にパートナーの男性、ジョージ・フォーサイス(George Forsyth)とスペイン、イビザのヨットで結婚式を挙げて注目されたAiexander McQueen:fashion King/BBC NEWSが、当時スペインでは同性同士の結婚が認められていなかったので、結婚は非公認だった。二人は1年後に別れたが、友人として仲が良かった。

死去

2010年2月11日朝、グリーンストリートに面した自宅で亡くなっているのを、家政婦によって発見された。満40歳没。死亡の発表は同日の午後に行われた。

マックイーンは母親をロンドン・ファッションウィークの数日前に亡くしていた。タブロイド紙の『ザ・サン』はマックイーンが首吊り自殺をしたと報じたが、これは正確な情報ではなかった。警察は事件性はないと述べたが、自殺であったという正式な発表はしなかった。2010年2月17日ウエストミンスター検死裁判所は、マックイーンの死は窒息、縊死によるものだと発表、2010年4月28日マックイーンの死は公式に自殺と記録された。日本のWWD号外には名付け子と母校とエイズ団体とcats&dogsと言う団体に資産を分配すると言う遺書があったと報道された事で自殺が決定的になった。

注釈:(憶測も含まれる)マックイーンの最後の肉声はTwitterが始まる事を楽しみにしてるとラジオで語ったのが最後の言葉になった。マックイーンのアカウントを見つけたがもちろん公式マークなど付いておらず、他のデザイナー同様フォロワーは微々たるものだった、ショックを受けたのかどうかは推察の域を出ないが登録が早すぎただけである。 自殺する前にエリザベス女王に呼び出されている。マックイーンは自分の名の通りアイリッシュな衣装に身を包みチェック柄のスカートを正装とし、王室に向かった。大英帝国勲章の受賞である。母さんが死ぬ前に喜んだから受賞した。その後コレクション最中の母の訃報はどれだけショックだったかしれない。LEEはアメリカの名、アレキサンダーはギリシャの名、マックイーンはアイルランドの名である。リー(Lee)、は1889年にカンザス州サライナに創設された食品と雑貨の卸商。食品メーカーがバックアップしたジーンズメーカーである。だから愛称はLee、名付け子はアレキサンダー・ワンだと思われる。

マックイーンは死ぬ直前の心境を大量に取り寄せた資料の中でビデオテープで語っている。そのビデオグラムは現在も非公開のままだ。加筆訂正している筆者は英語がわからないので、なんと言い残して死んだのかわからないのが歯痒い。その映像を見たのは確かである。有名人の自殺の真相は隠されたままなのである。

これも噂話の域を出ないがチャールズ元皇太子がダイアナ妃を亡くし後妻のカミラ(コーンウォール公爵夫人)と再婚した際に着る衣装であるジャケットにヤリチンと言う英語でのスラングをプリントさせて着せたとか、そしてウィリアム王子がキャサリン・ミドルトン(当時ケイト・ミドルトンと呼ばれていたのと同様)妃と結婚するに当たり、ケイトが着たいウェデイングドレスが着れなくてアレキサンダー・マックイーンに決まったのはカミラ夫人の言付けだったとか、なんにつけても生粋のロンドンっ子で伝説的な男であった。

アレキサンダー・マックイーンの事務所は公式サイトに「リー・マックイーンの家族に代わって、アレキサンダー・マックイーンの創設者でデザイナーのリー・マックイーンが遺体で発見されたという悲劇のニュースを発表する。我々はショックと悲しみをリーの家族と共有している現段階で、この悲劇のニュースにコメントすることは不適当である。リーの家族はプライバシーを求めた。我々はメディアがこれを尊重することを望む。」という声明を発表した。

2010年2月18日、グッチ・グループCEOのロバート・ポレットはアレキサンダー・マックイーン・ビジネスをその創設者とクリエイティブディレクターなしで継続すると発表した。彼はマックイーンコレクションがパリ・ファッション・ウィークの間、掲示されると付け加えた。

葬儀は2010年2月25日に西ロンドン・ナイツブリッジの聖ポール教会で行われた。

彼の亡き後ブランドとしての「アレキサンダー・マックイーン」は、2010年5月より、当時同ブランドのウイメンズ部門のヘッドデザイナーだったサラ・バートンがメンズ・ウイメンズ両方のクリエイティブ・ディレクターに就任して継続している。

サラ・バートンとはマックイーンの一番弟子で恋仲とも噂された人物で彼女しかマックイーンの意志を継げる者は居ないと誰もが納得した人選だった。バートンと言う名はイギリス・アメリカ共に多く使われている苗字でファッション界で言えばスノーボードウェアブランドのバートンでグラヴィスなど日本のストリートウェア全盛期を牽引したスニーカーブランドの卸し業者でもある。スポンサーになっているかどうかは不明だが名家出身な事は間違い無い。

ファッションで成功を収めるにはユダヤ人かゲイか資産家でなければ不合格と言う狭き門である。ランバンのデザインを務めたアルベール・エルバスもモロッコ生まれだがイスラエルでの職務経験がある事で認められた。物凄く不合理な世界と思われがちだが誰でも自分のアイデンティティーをも変える覚悟が有れば門戸が開かれた世界だとも言える。

がしかし、海外では裕福では無い生徒がファッションの道に進みたいと希望を出すと却下されるのが普通である。アパレルは非常に狭い身内だけで固まっている側面が多分にあるのだ。

真偽の程は不明だが、一クラス30人くらいの人間が出たり入ったりしながら世界中のアパレル業界は回っていると言う情報もヴェラ・ウォンのヘッドデザイナーに抜擢されたコムデギャルソンキッズの岡部雄輔(アントワープ2002年卒業首席神戸ファッション専門学校で指導を行いジョン・ガリアーノのアシスタントを務めた経験のあるコスメティック・ラベル三木勘也、次席「ウェアラバウツ(WHEREABOUTS)」を立ち上げ、「タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)に就職した福薗英貴、その次と惜しくも首席、次席を逃したデザイナー)からネット上で報告があった。

マックイーンは資産家のオモチャになってるブランドのアイデンティティが失われるのを一番に嫌った男であった。その為LVMHのようなコングリマリットではなく化粧品や宝飾品を扱うケリングファンデーションの傘下に入り現在に続いている。

波紋

ちょうどノエミ・ルノワールの自殺未遂、キム・ダウルの自殺、アンブローズ・オルセンの自殺、マリー・コールの自殺、ルスラナ・コルシュノワの自殺、リナ・マルランダの自殺、トム・ニコンの自殺など、ファッション界に多発する衝撃的な事件の数々に揺れていた時期の死であった。そうしたことからその死もこれらと同じ文脈で語られることがあった『Why are so many models attempting suicide? Lives of top catwalkers fraught with pressure: experts』 2010年5月18日 ニューヨークデイリーニュース および 『Tom Nicon's fatal fall poses more questions about fashion and its victims』 2010年6月21日 ガーディアン 。

伝記映画

2018年、イギリスでドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』(原題:McQueen)が公開された。2019年に日本でも公開。

出典

外部リンク

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