田中良一 : ウィキペディア(Wikipedia)

田中 良一(たなか よしかず、1924年1月30日平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、935頁 - 2019年11月17日梅澤昇平「」国家基本問題研究所(2019年12月3日))は、昭和から平成時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)最後の書記長。政策研究フォーラム顧問 政策研究フォーラム。

経歴

大阪府生まれ。1941年大阪市立扇町商業学校卒。武田長兵衛商店(1943年武田薬品工業に商号変更)に入社。1945年陸軍予備士官学校卒。1949年武田薬品工業労組中央執行委員。1953年同労組副委員長、全国化学一般労働組合同盟(全化同盟)中央執行委員。1959年日本労働組合総同盟(総同盟)大阪府連副会長。1962年総同盟中央執行委員。1965年武田薬品工業労組委員長。1966年全化同盟会長。1970年全日本労働総同盟(同盟)副会長。1980年同盟書記長高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』明石書店、2015年、231-232頁、労働戦線統一準備会幹事全民労協編『全民労協運動史』全民労協運動史刊行委員会、1992年。1987年全日本民間労働組合連合会(民間連合)初代副会長 法政大学大原社会問題研究所。友愛会議副議長 法政大学大原社会問題研究所。1989年日本労働組合総連合会(連合)初代副会長法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集 1990年版』労働旬報社、1990年。

1978年から3期9年にわたって国際労働機関(ILO)の労働側理事を務めた大阪社会労働運動史編集委員会編『大阪社会労働運動史 第8巻』大阪社会運動協会、発売:有斐閣、1999年。1982年6月の第68回総会で日本人初の副議長を務め、「サムライ」 法政大学大原社会問題研究所、「ミスターサムライ」と呼ばれた。OECD-TVAC(OECD労働組合諮問委員会)副会長、日本生産性本部理事も務めた。1980年8月にポーランドの政府と労働者の間で政労合意書が署名された後、同年9月から10月にワルシャワを訪問した梅田芳穂「」Forum Poland。11月に総評の富塚三夫事務局長らもポーランドを訪問し、1981年春にレフ・ヴァウェンサをはじめとする「連帯」代表団が訪日した 在ポーランド日本国大使館(2011年10月)。

著書

  • 『サムライ議長のジュネーブ日記――ILO理事の9年間』(読売新聞社、1988年)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/14 13:23 UTC (変更履歴
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