長友佑都 : ウィキペディア(Wikipedia)
長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県東予市(現:西条市)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)、ミッドフィールダー(ウイングバック、サイドハーフ)。日本代表。
妻はタレントで女優の平愛梨。
来歴
生い立ち
愛媛県西条市(旧・東予市)生まれ。父の実家は大きな新聞販売所を経営しており、父方の祖父母の家で三世代で暮らしていた。小学1年生の時にサッカーを始めた。
小学3年生の頃に両親が離婚し、母の地元西条市の実家近くへ引っ越す。母子家庭であることを周囲に隠したがっていた。
西条市立神拝小学6年生の時に愛媛FCジュニアユースのセレクション不合格長友23歳「天職」証明の日「エトー止めて世界驚かせる」 朝日新聞デジタル、2010.06.14。
西条市立北中学校在学時に恩師である井上博に出会い挑む23選手:サッカー・W杯日本代表/9 DF・長友佑都 毎日新聞、2010.05.26、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベース、体幹が作られているOCNスポーツ・インサイドストーリー vol.9 “負けじ魂”で代表まで上り詰めた 長友佑都のちょっと「逞しい話」 (元川悦子) OCNスポーツ 2010.09.15伯井ほか,63頁。2001年のU-15全日本ユース選手権では県3位の成績を残した伯井ほか,62頁。
2002年、サッカーの強豪東福岡高校に進学。森重潤也の下で2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず杉澤,80-82頁、進学先の明治大学政治経済学部には指定校推薦で入学した伯井ほか,69頁。高校時代の同級生には近藤徹志、ラグビー日本代表の豊田将万などがいる。
明治大学時代
2005年、明治大学サッカー部入部。神川明彦監督によって右サイドバックへコンバートされた。神川は長友を右サイドバックにコンバートした理由について、フィジカルの強さ、走力、攻撃の完結力を生かすためであると語る2010年1月31日放送「FOOTBALL DX」。このポジションでのプレーをものにしつつあった矢先、入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発。試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。
2006年8月にかけて復帰し、後期リーグの開幕戦で入部以来初の先発出場杉澤,89-90頁。椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功し杉澤,86-88頁、復帰後3試合ほどで神川が「別格」と評するほどのプレーを見せるようになった。身体能力の強さから3バックで臨む際にはセンターバックを務めたこともあったCB長友『東京ダービー』に秘策!! 東京中日スポーツ、2008.04.11。ここから急速に頭角を現し、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出された FC東京 (2007年7月3日)。同学年には藤田優人、林陵平、橋本晃司らがいた。
2007年3月に行われたFC東京との練習試合におけるFWリチェーリとのマッチアップが当時の監督・原博実などFC東京関係者の関心を引き長友帰国「原さんに恩返し」 日刊スポーツ、2010.08.30、5月から特別指定選手としてFC東京の練習に参加 FC東京 2007.05.02。7月8日のナビスコカップ準々決勝の対横浜FM戦で途中起用され公式戦デビュー。さらにU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出 FC東京 (2007年5月24日)。右ウイングバックで出場し、ダイビングヘッドでの先制点に加えてPKを獲得するなどの活躍を見せた。
FC東京時代(第1次)
大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意し 東京中日スポーツ (2007年12月20日)、2008年に在学したままサッカー部を退部してFC東京と正式契約を結んだ FC東京 (2007.12.19)。神川は長友を2008年度のサッカー部副将に据えるつもりでいたが、長友の強い決意に触れてこれを撤回。サッカー部を1年残して退部しFC東京とのプロ契約を決断した理由の一つに、「女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」ことを挙げている週刊サッカーダイジェスト 2008年Jリーグ選手名鑑 100頁。3月8日、リーグ開幕戦の神戸戦から、前年までレギュラーだった金沢浄らを押しのけて先発出場を果たす。5月3日、第10節大宮戦でJリーグ初得点を決めた。東京加入後の主ポジションは左サイドバックであったが城福浩のヒトとチームを鍛えるサッカー小論 インテル移籍の第一歩となったコンバート 日経ビジネスONLINE、2011.7.21、同年後半、当時の監督城福浩は、東京のその時点でのチーム状況や対戦相手の選手の特長によって、右サイドバックを主としていた徳永悠平と長友を左右入れ替えて起用した長友 安田とガチンコ勝負だ チームで初の右SB起用 東京中日スポーツ、2008.07.16。
5月18日には岡田武史率いる日本代表に初招集され、5月24日のキリンカップコートジボワール戦にフル出場して代表初出場を記録。11月13日のキリンチャレンジカップ・シリア戦では先制のミドルシュートを決め代表初得点を記録した。また、同年の北京オリンピック日本代表に選出され FC東京 (2008.07.14)本大会にも出場したが、チームはグループリーグ3戦全敗に終わり、後に「余裕がなかった」「思い通りのプレーはできなかった」と語っている長友佑都 「挫折から這い上がったサイドバック」 Number Web、2010.06.08。
2009年からはフィジカルコーチの土斐﨑浩一とともにアップダウンの質の向上を目指し走法の改良に着手長友佑都が特殊な走法を身に付け、「戦えるサイドバック」に変身! Number Web、2009.09.28。運動量と、強靭なフィジカルを活かしたスピード感のあるプレーに磨きをかけた。同年12月に日本代表の特別講師を務めた川本和久からは、代表選手の中で唯一長友だけが「文句なし」のランニングフォームであると評価された「SOCCER ウイークリー」 読売新聞朝刊、2010年8月3日付紙面。同年後半からは攻撃の駒としてサイドハーフに上がり、サイドバックには椋原健太らが投入されるという起用法も見られ東京長友が左MFで1点&アシスト / J1 日刊スポーツ、2009.09.27、東京のナビスコカップ優勝に貢献するなど、ユーティリティー性を発揮し、この年のJリーグベストイレブンにも選出された FC東京 (2009年12月7日)。
2010年の南アフリカワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場を果たした。グループリーグ第1戦のカメルーン戦では後にチームメイトとなるサミュエル・エトオを徹底マークし完封、第2戦のオランダ戦においては途中出場したエルイェロ・エリアのポジションに合わせて右サイドバックにポジションチェンジするなどエースキラーとして活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。同大会から国際サッカー連盟(FIFA)が導入したレーザー計測によると、長友のトップスピードは第1戦のカメルーン戦では時速30.13 km FIFA.com、第2戦(オランダ)では同26.70 km FIFA.com と、両試合共に対戦相手を含めて最速を記録した。また、この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与された長友佑都選手に対する愛媛県文化・スポーツ賞の授与 愛媛県庁公式ホームページ、2010年7月16日。
7月14日、ワールドカップでの活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したACチェゼーナへ買い取りオプション付きでのレンタル移籍が決定 FC東京 (2010年7月14日)。退団セレモニーの際は「みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語り、東京サポーターから拍手でイタリアに送り出された【Jリーグ】「また青赤のユニホーム着たい」長友が涙の挨拶 MSN産経ニュース、2010.07.17。
ACチェゼーナ時代
チェゼーナでは自ら希望した背番号5番を譲り受け エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA 2010.07.15、左サイドバックとして開幕戦のローマ戦からフル出場。当時のチェゼーナ監督のマッシモ・フィッカデンティからは「長友は左右どちらもいいが、ポゼッションとビジョンの点では左の方がいい」と評され長友12戦連続フル出場も…チェゼーナ惜敗 スポーツニッポン、2010.11.15、試合に応じ両サイドで起用(試合展開によっては前線に入る)され、11月21日の第13節パレルモ戦ではチェゼーナ加入以来初となるアシストを決めた初アシストの長友、チームトップの高評価 ワールドサッカーキング、2010.11.22。その後、12月18日の第17節カリアリ戦までフィールドプレーヤーではチーム唯一の全試合フル出場を続け、強化部長のロレンツォ・ミノッティからは「(長友は)とてもいいプレーをキープしており、人間的にも素晴らしくロッカールームを団結させる存在」と高く評価された。また、本人もセリエAでの経験から、トップレベルの相手に対する間合いの取り方を体得し、走力、フィジカルの更なる向上の手応えを掴んだと語っている長友『最高に幸せ』 メッシ完ぺきに抑えた 東京中日スポーツ、2010.10.09。
2011年に開催されたアジアカップでは全6試合にフル出場(日本代表では長友と今野泰幸のみ)し、決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフにポジションを上げて、李忠成の決勝点をアシストするなど日本代表のアジア制覇に貢献した。
インテル・ミラノ時代
2011年1月31日、移籍金約2億円で スポーツ報知、2011.01.30 チェゼーナへ完全移籍した FC東京 (2011年2月21日)。しかし冬の移籍市場の最終日でもある同日、元鹿島アントラーズ、元サッカーブラジル代表で、前年12月にインテル監督に就任したばかりのレオナルドの熱望もあり、ダビデ・サントンとのトレードで、2010-2011シーズン終了まで電撃的にレンタル移籍が決定したMercato: Yuto Nagatomo è dell'Inter F.C. Internazionale Milano 2011年1月31日「左SBとして世界トップ5に入る」長友獲得に固執したインテルの実情。 NumberWeb: 2011年2月25日長友佑都はデサイーになれるか?フランスを変えた18年前の衝撃移籍。 -NumberWeb: 2011年2月25日。背番号は55番。
同年2月6日、セリエA第24節ローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグのバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献バイエルン・ミュンヘン 対 インテル リポート 長友がCLデビュー! インテルの8強進出に大きく貢献 Goal.com 2011.03.16。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し長友 負けても前向き 「まだ上に行ける」 中日スポーツ 2011.04.15長友、初先発も無念! 8強敗退/欧州CL サンケイスポーツ 2011.04.15、地元紙から高評価を得たもののインテル長友敗退も伊紙絶賛/欧州CL 日刊スポーツ 2011.04.15、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。
2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表されたメルカート:長友がインテルへ完全移籍 インテル・ミラノオフィシャルウェブサイト、2011.07.01長友がインテルに完全移籍 UEFA、2011.06.30。12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日のレッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。
2012年10月7日のセリエA第7節ACミランとのミラノダービーで2枚のイエローカードを受け、自身初の退場処分となった長友退場のインテル、数的不利もダービーを制す Goal.com 2012.10.8。12月9日に行われたセリエA第16節ナポリ戦でイタリアでの公式戦100試合出場を果たした長友 イタリア100試合目に勝利で花「思い出になる試合が多い」 スポニチ、2011.12.10。2013年1月にはレアル・マドリードへの移籍が噂されたがインテルでのパフォーマンスに集中したいとコメントし、クラブへの残留を強調した。2013年2月25日、第26節のミラノダービーで同点ゴールをアシストするも直後に左膝を負傷し途中退場。以後、出場から遠ざかり4月14日の第32節カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷と診断され手術が必要とされたが長友W杯予選絶望 左膝半月板損傷、手術避けられず スポーツニッポン、2013.4.16、保存療法を選択することで手術を回避し、シーズン終盤に復帰を果たした。
2013年8月27日の2013-14シーズンのセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点を挙げ、第2節のカターニャ戦でもヘディングシュートを決め、2試合連続ゴール。得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレーを繰り返した主将復帰を喜ぶ長友「サネッティとお辞儀できて感動的」 Goal.com (2013年11月10日)。同年12月22日のミラン戦において、後半に交代でピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマークを受け継ぎ、移籍4シーズン目にして初めてゲームキャプテンを任された。この年、アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞に選出された。2013-14シーズンはシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシストを記録するなど長友 左SBのレジェンドに!「語り継がれる選手に」 スポーツニッポン (2014年5月21日) 攻撃面でも大きな向上を見せたがアタッカー長友 究極進化中 (cache) 中日スポーツ (2014年6月1日)成長を実感する長友「ドリブルが今一番のストロングポイント」 ゲキサカ (2014年5月31日)、チームは2年連続でCL出場権を逃した。
2014年のFIFAワールドカップではグループリーグ全試合にフル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシスト長友が先制アシストも「左サイドからの2失点は自分も悔しい」残り2戦に「後がない」と背水の覚悟を見せる (1/2) SoccerMagazine ZONE (2014年6月15日)したが、自身の背後のスペースを狙われてザックJAPAN 攻め勝つサッカーの美学を取り戻せ SoccerMagazine ZONE (2014年6月15日) 左サイドで数的不利の状況を作られ連続失点長友が先制アシストも「左サイドからの2失点は自分も悔しい」残り2戦に「後がない」と背水の覚悟を見せる (2/2) SoccerMagazine ZONE (2014年6月15日)長友左サイド押し込まれ「率直に悔しい」 日刊スポーツ (2014年6月16日)。走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど死力を尽くしたが長友、両チームトップの約11・3キロを走る サンケイスポーツ (2014年6月25日)、2戦目・3戦目での攻撃参加は得点に結びつかずグループリーグ敗退に終わった。
2014-15シーズン、インテルの副主将に就任インテルと長友佑都が陥った苦境。問題はマッツァーリの「戦術熱」? (2/4) Number Web (2014年10月17日)。2015年1月開催のAFCアジアカップでは準々決勝UAE戦で右太もも肉離れを起こし、日本代表もここで敗退長友負傷交代枠なく緊急ポジション変更 デイリースポーツ (2015年1月23日)。同大会後、初の先発出場となった同年2月のパレルモ戦でも右太ももを痛め、長期離脱。これが、長友にとってシーズン4度目の故障となった SOCCERKING (2015年2月11日)。5月のラツィオ戦から戦列復帰 日刊スポーツ (2015年5月14日)。
2015-16シーズン当初は、サイドバックの補強が進められたために長友は余剰人員となりインテル長友、悲痛な余剰人員「放出の必要がある選手」 サッカーマガジンZONE (2015年7月19日) サイドバックでのポジション争いにすら参加できず長友 途中出場でアシスト! インテル残留へ“悔いなし” スポーツニッポン (2015年8月10日) 一時は売却対象となった長友はなぜインテルに残留したのか? 戦力外扱いも移籍に至らなかった2つの背景 フットボールチャンネル (2015年9月2日)。イタリア国内外から複数のオファーが寄せられたが、インテル残留を希望し移籍を拒否代理人が明かす長友インテル残留の真相と未来 サッカーマガジンZONE (2015年9月15日)。残留は叶ったものの、途中出場した第2節カルピ戦で失点に絡むミスをしたことも重なり長友、サンプドリア戦でリーグ戦5戦連続出番なし 今後の代表選出危機も サッカーマガジンZONE (2015年10月5日) 苦しい立場は続き長友 ダービー出番なし…チーム残留も左SBでは現状3番手 スポーツニッポン (2015年9月15日) 第3節から第8節までは出場機会なし。しかし、放出確実と目される中でもコンディション作りを怠ることなく、約2ヶ月ぶりの出場、シーズン初先発となった第9節パレルモ戦では気持ちの入ったプレーで好アピール長友佑都、逆襲へ向けた第一歩 J:COM (2015年10月28日)伊メディアが今季初先発の長友にチーム2位タイの高評価「素敵なサプライズ」 サッカーマガジンZONE (2015年10月25日)。第11節ローマ戦でも守備に冴えを見せ【長友佑都】ローマとの大一番で証明した実力 J:COM (2015年11月4日)、復権に成功した復権のインテル長友、指揮官を振り向かせた熱い思い 「いつだってチームを助けたい」 サッカーマガジンZONE (2015年11月9日)。クラブからは契約の更新を打診され長友 残留に前向き「僕はインテルを愛しているし、残りたい」 スポーツニッポン (2016年2月5日)、2016年4月に2019年6月末までの契約延長を発表長友佑都、2019年まで契約延長 インテルナツィオナーレ・ミラノ (2016年4月8日)。同年にはマンチェスター・ユナイテッドFC、リヴァプールFCからのオファーが届いたが、インテルでのプレーを希望し拒否した事をクラブの公式サイトで明かした。
2017年4月15日、第32節のACミランではミラノダービーでフル出場を果たした。シーズン終了後には移籍の噂も報道されたが、残留した。
2017-18シーズン、9月17日に行われた第4節のFCクロトーネ戦で途中出場し、インテル通算200試合を達成した長友佑都、インテルで200試合出場達成「試合終わって知った」 - フットボールチャンネル 2017年9月17日。シーズン序盤はレギュラーの座を確保していたが、11月19日のアタランタBC戦以降はダビデ・サントンや新加入のダウベルト、ジョアン・カンセロなどとポジション争いを繰り広げている伊紙が長友佑都に賛辞「批判されたが彼は非常に貴重な選手。守備には必ずいる」 - Goal.com 2017年12月30日。
2017年11月10日の国際親善試合ブラジル戦で日本代表では7人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。
ガラタサライ時代
インテル加入以降、数々の選手とのポジション争いを制してきたが2017年11月頃から出場機会が激減。2018年1月31日、出場機会を求め、トルコ・スュペル・リグのガラタサライSKへ期限付き移籍。4月29日、第31節のベシクタシュJK戦とのダービーではアシストを記録して勝利に貢献したベシクタシュ戦で先制点アシストの長友佑都が残留を希望「ガラタサライに残りたい」 Goal(2018年4月29日)。2月5日の20節以降のリーグ戦には全てスタメン出場し、5月20日の最終戦にもフル出場してチームは勝利、ガラタサライの3年ぶり21度目のリーグ優勝に貢献した。シーズン終了後に、ガラタサライへの完全移籍が発表された。
6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出され、W杯3大会連続出場を果たす。大会前に髪色を金にして話題を集めた金髪長友佑都「負けていたら丸刈りレベルだった」 2018年6月13日 日刊スポーツ。グループリーグ3試合にフル出場し、第2戦のセネガル戦では乾貴士の得点をアシストし乾貴士、“セクシーフットボール”でW杯初ゴール…長友が演出 スポーツ報知 2018年6月25日、GL突破に貢献3度目のロシアでMVP級の活躍を見せる”おっさん世代”長友佑都が史上初の8強へと導く DIME 2018年7月1日。しかし、チームは決勝トーナメント1回戦で敗れてベスト16止まりとなった。3大会でW杯11試合出場は、川島、長谷部と並び日本人最多出場となった長谷部、長友、川島が日本人W杯最多出場記録を更新!…11試合でヒデ超え サッカーキング 2018年7月3日。
2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出され、アジアカップ3大会連続出場を果たした。大会では、レギュラーとして活躍するも、チームは準優勝となった。2月24日に行われた第23節のアクヒサル・ベレディイェスポル戦で十字靱帯損傷により戦列離脱となったが、4月20日に行われた第29節のカイセリスポル戦で復帰し、その復帰戦で移籍後初ゴールを挙げた長友佑都、復帰戦で躍動。トルコ移籍後初ゴール! フットボールチャンネル 2019年4月21日。
2020年は、外国人選手の人数規定によりガラタサライ側から戦力外通告を受けた。同年6月30日に契約満了し退団した長友、ガラタサライ退団 トルコリーグ2連覇に貢献 日本経済新聞 2020年7月3日長友がチームメイトを前に涙…契約満了でガラタサライでの最後の練習を終える サッカーキング 2020年7月3日。
マルセイユ時代
2020年8月31日、リーグ・アンに所属するオリンピック・マルセイユへ加入した。背番号は25番長友、仏名門マルセイユに正式加入!背番号「25」、酒井宏と日本代表サイドバック スポニチ 2020年9月1日。9月20日、リール戦でデビューした。リーグ・アン第26節のナント戦で移籍後初アシストをした。2021年7月、1年でマルセイユ退団が発表された。
FC東京復帰
2021年9月12日、FC東京に完全移籍で加入することが発表された。11年ぶりの復帰となる。背番号はこれまで付けたことがなかった50で、かつてFC東京、及び日本代表で付けていた背番号5と、原点に戻るという意味の0を合わせたものとなった。
2022年11月、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出FIFAワールドカップカタール2022™ SAMURAI BLUE(日本代表)メンバーJFA 2022年11月1日。フィールドプレーヤーとしては史上初、ゴールキーパーを含めても同大会で選抜された川島永嗣を含め歴代4人目のタイ記録となる4度目のワールドカップ日本代表に選出となった【日本代表】長友佑都「W杯の悔しさはW杯で」歴代最多並ぶ4大会連続代表 平愛梨や愛息も祝福(日刊スポーツ)。大会前には金髪から赤髪に変えて話題を呼び長友佑都、「金髪」超サイヤ人から「赤髪」超サイヤ人ゴッドに進化 本番ピッチを確認サンスポ 2022年11月23日、大会中にはグループリーグでW杯優勝経験があるドイツとスペインを破り、試合後のインタビューで「ブラボー!」を連呼した事も話題を集めた長友「ブラボー!!」再び連呼 ワールドカップ決勝Tを決め産経新聞 2022年12月2日。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れて目標のベスト8に届かなかったものの、長友は全4試合にスタメン出場し、歴代W杯日本代表最多の通算15試合出場を達成した長友佑都、W杯通算15試合出場 日本代表の最多記録を更新毎日新聞 2022年12月6日。
W杯前は「年齢的にもそろそろ引退かな...」と答えていたが、W杯後は「これが面白いからサッカー選手はやめられねぇだよ(笑)」と答え、その後、FC東京に残留するとの発表があった。
2023年、加齢による肉体的な強度の低下をメディアやツイッター上で懸念されていたが、堂々たるパフォーマンスをみせて、ルヴァンカップ準々決勝のアビスパ福岡戦では大学時代以来のセンターバックで起用された。
2024年3月、実力と周囲に好影響を与える安定した人柄が評価されて日本代表に復帰した。3月16日にはJ1で14年振りの得点を決めた。
人物
好きな芸能人は平愛梨。好きな女優も平愛梨。
仲の良い選手は香川真司。
対戦して衝撃を受けた選手はキリアン・エムバペで、理由はスピードが速すぎるから。
地元の好きなところは西条祭り。
ファン・サポーターへのひと言は「みんなブラボー」。
サッカーを始めたきっかけは、当時好きな女の子にモテたかったから。
7歳でサッカー選手を目指し始めた。
プロサッカー選手になるために意識していた事は、誰よりも努力することであり、体幹トレーニングを特に意識した。
2023年、新たな趣味でピアノを始めたが、3日で挫折した。
家族
スポーツ一家の第二子長男(一つ上の姉と二つ下の弟がいる)。母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手の吉田達雄伯井ほか,64頁。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実は大叔父にあたる。父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。2023年時点で妻との間に四子に恵まれておりいずれも男児である。、2022年6月にはベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞。
プレースタイル
豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。また、俊敏性に優れて1対1に強く、上背はないが大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つと評された長友佑都 FC Internazionale Milano長友 佑都 sportsnavi.com長友佑都 jiji.com。
イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評しているイタリア紙が長友をマン・オブ・ザ・マッチに選出「ジャポネーゼが再び主役に」 サッカーキング 2011.04.15。
評価
選手として
- 概ねパフォーマンスが安定して高い事に加えて、メンタル面で安定して明朗な人柄であり、2024年3月にはそのトップクラスの実力と、おとなしい選手が多い日本代表の中で、コミュニケーションのすり合わせなどの面も期待されて招集された。
- 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」FC東京選手インタビュー ジョブポケット、2009年8月28日。
- 幼少期に和太鼓を習っていた経験から伯井ほか,70頁、明治大学で負傷欠場していた際は出場選手を太鼓で応援。そのリズムはスタンドの話題となり エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA 2010.07.12、鹿島アントラーズのサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった FC東京 (2008年4月4日)。
- U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大監督の神川明彦が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを務めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを(試合会場まで)見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった岡田ジャパン主役たちの素顔・無名大学生を恩師猛烈"売り込み" スポーツニッポン、2010.05.24。神川は「(後輩の)江尻が(U-22代表の)コーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場(U-22代表のコーチ)にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
- 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命されたまちの話題(2010年2月) 都城市ホームページ。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑都」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供 FC東京 (2010年5月19日)。
- 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名しているいろいろな天体 小惑星他 久万高原天体観測館。
- インテル加入に際し、長友はイタリア語で書かれた契約書を読めず交渉が難航していた。困ったレオナルドは日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコJAPAN通訳)に通訳を依頼男の履歴書 長友佑都編 インライフ。レオナルドがイタリア語からポルトガル語へ、鈴木がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友に伝えられ無事に契約書へサインした。
- セリエA初得点を決めたときにハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた長友の「お辞儀」伊紙がデカデカ掲載 サンケイスポーツ、2011.03.08。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。当初はゴールパフォーマンスだったが、「お辞儀」が広く認知されたことでアシストなど長友が活躍した場合にも、選手たちが輪になってお辞儀をする光景が見られた。また若手選手の下部組織であるプリマヴェーラでも、ゴールの後にお辞儀を行う場合があるHIGHLIGHTS PRIMAVERA INTER - VARESE 07 12 2013 YouTube。
- インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた古巣チェゼーナが長友に特別表彰「とても素敵な気分になったよ」 サッカーキング、2011.05.02。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍にもかかわらずチェゼーナとはクラブ、サポーター共に非常に良好な関係を保っている伊紙は長友の積極的な仕掛けを評価「3試合連続ゴールへ果敢に挑んだ」 SOCCER KING、2011.12.19。
- インテル在籍時のチームメートだったヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった長友がスナイデルの自宅でクラシコを観戦、ビッグイヤーを手にする記念ショットも ワールドサッカーキング、2011.04.28。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだよね。かわいすぎるよ!あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っているインテル長友はチームメイトから「クマのぬいぐるみ」と呼ばれている 週刊プレーボーイ公式サイト、2011.05.23。
- アントニオ・カッサーノはインテルに移籍した際の記者会見で、以前から顔見知りだった長友の名前を挙げ「私がインテルに来たのは、長友のためというのもあります」「ユウトはすでに私の愛弟子になっています」と発言し、会場の記者たちの笑いを誘ったカッサーノ:「インテルに来た理由のひとつは、長友」 F.C. Internazionale - Sito Ufficiale。その後、練習やプライベートでの親密ぶりはもとより、試合でも攻撃で抜群のコンビネーションを見せた。両者の関係はカッサーノがインテルを去ってからも良好で、頻繁に電話やメールのやりとりを続けている負傷から復帰のインテル長友、状態は「全然問題ない」 スポーツナビ、2013年12月9日 11:42。
- インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価しているインテルの会長が明言「最もフレンドリーな選手は長友」 SOCCER KING 2011年6月3日。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり長友定位置確保へ 強化部長が援護射撃 日刊スポーツ、2011.07.13、新シーズンに向けたイベントでは5,000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど長友 ミラン挑発!! 初日から強烈パフォーマンス スポーツニッポン、2011.07.12、卓越したコミュニケーション能力を見せた。チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」と語っている。コルッチはレッジーナで中村俊輔と、カターニャで森本貴幸と共にプレーした経験があり、「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。礼儀正しくて物静か。あまり輪の中に入ってこない、いつもクールな日本人。中村は根っからに真面目だったな。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからじゃないかな。森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。中田(英寿)もそうなんだろう? でも長友は違う。ロッカールームでふざけあってたし、冗談も言いあってた。最初は言葉も話せなかったのにね。今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思うよ」と語っている長友は世界一のサイドバックになれるのか? Number Web、2011年4月5日。
- 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した『サン・シーロ・ジェントルマン賞』:4名のインテル選手が受賞 F.C. Internazionale Milano、2011.05.17。
- 自身初の著書『日本男児』が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得したスポーツ選手初! サッカー・長友選手、初の自叙伝『日本男児』が総合首位 オリコン、2011.06.02。後にイタリア語に訳され『Un ragazzo giapponese』として出版されている。
- 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した「2011年度世界のディフェンダートップ5」の一人に選ばれた『Top 5 defenders of 2011』 ESPNSTAR.com、2011.12.28.。
- 2013年6月14日からディズニーXDで、本人をモデルとし、監修したアニメ『ゆうとくんがいく』が放送されたアニメ『ゆうとくんがいく』で“長友魂”伝える! サンケイスポーツ (2013年5月21日)。
- イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのベストプレーヤー左サイドバック部門で最優秀プレーヤーに選出された。
- 2016年、リオデジャネイロオリンピック日本代表のオーバーエイジ(OA)候補に挙げられ、自身も出場に意欲的であったが、クラブからの協力が得られなかったことやワールドカップアジア最終予選との兼ね合いにより「W杯最終予選で使う選手は勘弁」OA選考でハリル監督から要請、霜田氏明かす サンケイスポーツ (2016年9月16日) 選外。長友の次善案として五輪OA枠にG大阪藤春が浮上、SBに負傷者続出で 日刊スポーツ (2016年5月9日) OAには藤春廣輝が選ばれた【G大阪】藤春、OA打診に「長友さん無理やったんかな」 スポーツ報知 (2016年6月11日)。藤春選出について長友は「(藤春は)攻撃に特徴があるが、守備でも(チームを)引っ張ってほしい」とコメントしている長友、OA藤春に助言「守備でも引っ張ってほしい」 日刊スポーツ (2016年6月20日)。
- 2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた。
- 先輩の中村俊輔からもサッカー選手との考えの観点などから尊敬されている。
経営
- 2015年4月から自身がオーナーを務める「長友佑都フットボールアカデミー」を開校する。
- 2016年4月1日、「運動・食事・精神」の事業を柱にした「株式会社Cuore」を設立し代表取締役社長に就任()アモーレならぬ“クオーレ”長友 ヘルスケアサービス事業展開 スポーツニッポン (2016年6月18日)。
プライベート
- 2016年12月1日、流行語大賞で交際中のタレントで女優の平愛梨に向けた「(僕の)」といった言葉がトップテンに受賞された。
- 2016年12月24日、クリスマスイブに平との婚約会見を行い、翌2017年1月29日に婚姻届を提出した長友佑都&平愛梨が来年1・29結婚 イブ会見で「本当に幸せです」 オリコン (2016年12月24日)。
- 2017年9月2日、自身のInstagramで平の妊娠を発表。2018年2月5日、第1子男児の誕生を報告。
- 2019年3月15日、平の第2子妊娠を報告。8月13日、第2子の誕生を報告。
- 2021年4月22日、自身のTwitterで第3子男児誕生を報告。
- 2022年2月6日、自身のTwitterで平の第4子妊娠を報告。4月22日、自身のInstagramで第4子男児誕生を報告。
所属クラブ
- 神拝サッカースクール (西条市立三芳小学校100人の証言,124頁、西条市立神拝小学校)
- 1999年 - 2002年 西条市立西条北中学校
- 2002年 - 2005年 東福岡高等学校
- 2005年 - 2007年 明治大学体育会サッカー部
- 2007年 FC東京 (特別指定選手)
- 2008年 - 2011年1月 FC東京
- 2010年7月 - 2011年1月 ACチェゼーナ (loan)
- 2011年1月 - 同年6月 ACチェゼーナ
- 2011年1月 - 同年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ (loan)
- 2011年7月 - 2018年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ
- 2018年2月 - 同年6月 ガラタサライSK (loan)
- 2018年6月 - 2020年6月 ガラタサライSK
- 2020年8月 - 2021年6月 オリンピック・マルセイユ
- 2021年9月 - FC東京
個人成績
|- |2006||rowspan="2"|明治大||12||rowspan="2"|-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 |- |2007||2||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 |- |2007||rowspan="4"|FC東京||36||rowspan="4"|J1||0||0||1||0||colspan="2"|-||1||0 |- |2008||rowspan="3"|5||29||3||3||0||3||0||35||3 |- |2009||31||1||4||1||1||0||36||2 |- |2010||12||1||1||0||colspan="2"|-||13||1
|- |rowspan="2"|2010-11||チェゼーナ||5||rowspan="9"|セリエA||16||0||0||0||colspan="2"|-||16||0 |- |rowspan="8"|インテル||rowspan="8"|55||13||2||3||0||colspan="2"|-||16||2 |- |2011-12||35||2||1||0||colspan="2"|-||36||2 |- |2012-13||25||0||2||0||colspan="2"|-||27||0 |- |2013-14||34||5||2||0||colspan="2"|-||36||5 |- |2014-15||14||0||1||0||colspan="2"|-||15||0 |- |2015-16||22||0||4||0||colspan="2"|-||26||0 |- |2016-17||16||0||0||0||colspan=2|-||16||0 |- |2017-18||11||0||2||0||colspan=2|-||13||0
|- |2017-18||rowspan=3|ガラタサライ||rowspan=3|55||rowspan=3|スュペル・リグ||15||0||1||0||colspan="2"|-||16||0 |- |2018-19||17||1||0||0||colspan="2"|-||17||1 |- |2019-20||15||1||2||1||colspan="2"|-||17||2
|- |2020-21||マルセイユ||25||リーグ・アン||25||0||colspan="2"|-||1||0||26||0
|- |2021||rowspan=4|FC東京||50||rowspan=4|J1||10||0||0||0||colspan="2"|-||10||0 |- |2022||rowspan=3|5||30||0||0||0||1||0||31||0 |- |2023||29||0||6||0||2||0||37||0 |- |2024|||||||||||||||| 141||5||15||1||7||0||163||6 colspan="2"|-||colspan="2"|-||2||0||2||0 186||9||15||0||colspan="2"|-||201||9 47||2||3||1||colspan="2"|-||50||3 25||0||colspan="2"|-||1||0||26||0 399||16||33||2||10||0||442||18 |}
- 2007年は特別指定選手として出場。
- その他の公式戦
- 2018年
- トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
- 2019年
- トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
|- |2010-11||rowspan=5|インテル||rowspan=7|55||colspan="2"|-||3||0 |- |2011-12||colspan="2"|-||7||0 |- |2012-13||8||2||colspan="2"|- |- |2014-15||2||0||colspan="2"|- |- |2016-17||4||0||colspan=2|- |- |2018-19||rowspan=2|ガラタサライ||2||0||5||0 |- |2019-20||colspan="2"|-||6||0 |- |2020-21||マルセイユ||25||colspan="2"|-||2||0 |- !通算!!colspan="2"|UEFA |16||2||23||0 |}
年度 | その他の国際公式戦 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2012 | 4 | 1 | |
2013 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 1 | 0 |
2014 | 1 | 0 | |
インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 3 | 1 | |
2015 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 2 | 0 |
2016 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 3 | 0 |
総通算 | 14 | 2 |
- 出場歴
- 2007年7月8日:公式戦初出場 - ナビスコカップ準々決勝第1戦 vs横浜F・マリノス (三ツ沢球技場)
- 2008年3月8日:Jリーグ初出場 - J1第1節 vsヴィッセル神戸 (味の素スタジアム)
- 2008年5月3日:Jリーグ初得点 - J1第10節 vs大宮アルディージャ (NACK5スタジアム大宮)
- 2010年8月28日:セリエA初出場 - セリエA第1節 vsASローマ (スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ)
- 2011年3月6日:セリエA初得点 - セリエA第28節 vsジェノアCFC (スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)
- 2011年3月15日:UEFAチャンピオンズリーグ初出場 - 決勝トーナメント1回戦2ndレグ vsバイエルン・ミュンヘン (アリアンツ・アレーナ)
タイトル
クラブ
- FC東京
- ナビスコカップ:2009年
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- コッパ・イタリア:2010-11
- ガラタサライSK
- スュペル・リグ:2017-18、2018-19
- テュルキエ・クパス:2018-19
- トルコ・スーパーカップ:2019
代表
- AFCアジアカップ:2011年
- キリンカップ:2008年、2009年、2011年
個人
- 関東大学サッカーリーグ戦ベストイレブン:2007年
- Jリーグ優秀新人賞:2008年
- Jリーグ優秀選手賞:2008年、2009年
- Jリーグベストイレブン:2009年
- AFC年間ベストイレブン:2011年、2012年
- AFC年間国際最優秀選手賞:2013年
代表歴
- 2008年5月24日:国際Aマッチ初出場 - キリンカップ vsコートジボワール (豊田スタジアム)
- 2008年11月13日:国際Aマッチ初得点 - キリンチャレンジカップ vsシリア (ホームズスタジアム神戸)
出場大会
- 全日本大学選抜
- ユニバーシアード日本代表
- 2007年 - 2007年夏季ユニバーシアード (6位)
- U-23日本代表
- 2007年 - 北京オリンピックサッカーアジア予選
- 2008年 - 北京オリンピック (グループリーグ敗退)
- 日本代表
- 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- キリンカップサッカー2008 (優勝)
- アジアカップ2011 予選
- キリンカップサッカー2009 (優勝)
- 東アジアサッカー選手権2010 (3位)
- 2010 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- AFCアジアカップ2011 (優勝)
- キリンカップサッカー2011 (優勝)
- 2014 FIFAワールドカップ・アジア予選
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013 (グループリーグ敗退)
- 2014 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
- AFCアジアカップ2015 (ベスト8)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア予選
- キリンカップサッカー2016
- 2018 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- AFCアジアカップ2019 (準優勝)
- 2022 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 2022 FIFAワールドカップ (ベスト16)
試合数
- 国際Aマッチ 142試合 4得点 (2008年 - )
|- |2008||7||1 |- |2009||11||2 |- |2010||16||0 |- |2011||10||0 |- |2012||10||0 |- |2013||12||0 |- |2014||10||0 |- |2015||10||0 |- |2016||5||0 |- |2017||10||0 |- |2018||9||0 |- |2019||12||1 |- |2020||1||0 |- |2021||8||0 |- |2022||11||0 |- |2024||0||0 |- !通算 |142||4 |}
出場
+ | No. | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年5月24日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ○1-0 | 岡田武史 | キリンカップサッカー2008 | ||
2. | 2008年5月27日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | △0-0 | ||||
3. | 2008年6月2日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 | |||
4. | 2008年8月20日 | JPN 札幌 | 札幌ドーム | ●1-3 | キリンチャレンジカップ2008 | |||
5. | 2008年10月9日 | JPN 新潟 | 新潟スタジアム | △1-1 | ||||
6. | 2008年11月13日 | JPN 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ○3-1 | ||||
7. | 2008年11月19日 | QAT ドーハ | ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
8. | 2009年1月28日 | BHR リファー | バーレーン・ナショナル・スタジアム | ●0-1 | AFCアジアカップ2011予選 | |||
9. | 2009年2月4日 | JPN 新宿 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○5-1 | キリンチャレンジカップ2009 | |||
10. | 2009年2月11日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | △0-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
11. | 2009年3月28日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○1-0 | ||||
12. | 2009年5月31日 | JPN 新宿 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○4-0 | キリンカップサッカー2009 | |||
13. | 2009年6月6日 | UZB タシュケント | パフタコール・マルカジイ・スタジアム | ○1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
14. | 2009年6月17日 | AUS メルボルン | メルボルン・クリケット・グラウンド | ●1-2 | ||||
15. | 2009年9月5日 | NED エンスヘデ | デ・フロルーシュ・フェステ | ●0-3 | 国際親善試合 | |||
16. | 2009年9月9日 | NED ユトレヒト | スタディオン・ハルヘンワールト | ○4-3 | ||||
17. | 2009年10月8日 | JPN 静岡 | アウトソーシングスタジアム日本平 | ○6-0 | AFCアジアカップ2011予選 | |||
18. | 2009年10月14日 | JPN 利府 | 宮城スタジアム | ○5-0 | キリンチャレンジカップ2009 ~ALL FOR 2010!~ | |||
19. | 2010年2月2日 | JPN 大分 | 九州石油ドーム | △0-0 | キリンチャレンジカップ2010 | |||
20. | 2010年2月6日 | JPN 調布 | 味の素スタジアム | △0-0 | 東アジアサッカー選手権2010 | |||
21. | 2010年2月14日 | JPN 新宿 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ●1-3 | ||||
22. | 2010年3月3日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ○2-0 | AFCアジアカップ2011予選 | |||
23. | 2010年4月7日 | JPN 大阪 | 長居陸上競技場 | ●0-3 | キリンチャレンジカップ2010 | |||
24. | 2010年5月24日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ●0-2 | ||||
25. | 2010年5月30日 | AUT グラーツ | UPCアレーナ | ●1-2 | 国際親善試合 | |||
26. | 2010年6月4日 | SUI シオン | スタッド・ドゥ・トゥールビヨン | ●0-2 | ||||
27. | 2010年6月14日 | RSA ブルームフォンテーン | フリーステイト・スタジアム | ○1-0 | 2010 FIFAワールドカップ | |||
28. | 2010年6月19日 | RSA ダーバン | モーゼス・マヒダ・スタジアム | ●0-1 | ||||
29. | 2010年6月24日 | RSA ルステンブルク | ロイヤル・バフォケン・スタジアム | ○3-1 | ||||
30. | 2010年6月30日 | RSA プレトリア | ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム | △0-0 (PK3-5) | ||||
31. | 2010年9月4日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ○1-0 | 原博実 | キリンチャレンジカップ2010 | ||
32. | 2010年9月7日 | JPN 大阪 | 長居陸上競技場 | ○2-1 | ||||
33. | 2010年10月8日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○1-0 | アルベルト・ザッケローニ | |||
34. | 2010年10月12日 | KOR ソウル | ソウルワールドカップ競技場 | △0-0 | 国際親善試合 | |||
35. | 2011年1月9日 | QAT ドーハ | カタールSCスタジアム | △1-1 | AFCアジアカップ2011 | |||
36. | 2011年1月13日 | ○2-1 | ||||||
37. | 2011年1月17日 | QAT ライヤーン | アフメド・ビン=アリー・スタジアム | ○5-0 | ||||
38. | 2011年1月21日 | QAT ドーハ | サーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム | ○3-2 | ||||
39. | 2011年1月25日 | △2-2 (PK3-0) | ||||||
40. | 2011年1月29日 | ハリーファ国際スタジアム | ○1-0 | |||||
41. | 2011年6月1日 | JPN 新潟 | 東北電力ビッグスワンスタジアム | △0-0 | キリンカップサッカー2011 | |||
42. | 2011年6月7日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | △0-0 | ||||
43. | 2011年10月7日 | JPN 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2011 | |||
44. | 2011年10月11日 | JPN 大阪 | 長居陸上競技場 | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 | |||
45. | 2012年2月29日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ●0-1 | ||||
46. | 2012年5月23日 | JPN 袋井 | 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム | ○2-0 | キリンチャレンジカップ2012 | |||
47. | 2012年6月3日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○3-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
48. | 2012年6月8日 | ○6-0 | ||||||
49. | 2012年6月12日 | AUS ブリスベン | ブリスベン・スタジアム | △1-1 | ||||
50. | 2012年8月15日 | JPN 札幌 | 札幌ドーム | △1-1 | キリンチャレンジカップ2012 | |||
51. | 2012年9月11日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○1-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
52. | 2012年10月12日 | FRA サン=ドニ | スタッド・ド・フランス | ○1-0 | 国際親善試合 | |||
53. | 2012年10月16日 | POL ヴロツワフ | ヴロツワフ市立競技場 | ●0-4 | ||||
54. | 2012年11月14日 | OMN マスカット | スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス | ○2-1 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
55. | 2013年2月6日 | JPN 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2013 | |||
56. | 2013年5月30日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ●0-2 | ||||
57. | 2013年6月4日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | △1-1 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 | |||
58. | 2013年6月11日 | QAT ドーハ | ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム | ○1-0 | ||||
59. | 2013年6月15日 | BRA ブラジリア | エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア | ●0-3 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 | |||
60. | 2013年6月19日 | BRA レシフェ | アレナ・ペルナンブーコ | ●3-4 | ||||
61. | 2013年6月22日 | BRA ベロオリゾンテ | エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント | ●1-2 | ||||
62. | 2013年9月6日 | JPN 大阪 | 長居スタジアム | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2013 | |||
63. | 2013年9月10日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ○3-1 | ||||
64. | 2013年10月11日 | SRB ノヴィ・サド | スタディオン・カラジョルジェ | ●0-2 | 国際親善試合 | |||
65. | 2013年10月15日 | BLR ジョジナ | トルペド・スタジアム | ●0-1 | ||||
66. | 2013年11月16日 | BEL ヘンク | クリスタル・アレナ | △2-2 | ||||
67. | 2014年3月5日 | JPN 新宿 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○4-2 | キリンチャレンジカップ2014~ありがとう国立競技場~ | |||
68. | 2014年5月27日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2014 | |||
69. | 2014年6月2日 | USA タンパ | レイモンド・ジェームス・スタジアム | ○3-1 | 国際親善試合 | |||
70. | 2014年6月6日 | ○4-3 | ||||||
71. | 2014年6月14日 | BRA レシフェ | アレナ・ペルナンブーコ | ●1-2 | 2014 FIFAワールドカップ | |||
72. | 2014年6月19日 | BRA ナタール | アレーナ・ダス・ドゥーナス | △0-0 | ||||
73. | 2014年6月24日 | BRA クイアバ | アレーナ・パンタナール | ●1-4 | ||||
74. | 2014年9月5日 | JPN 札幌 | 札幌ドーム | ●0-2 | ハビエル・アギーレ | キリンチャレンジカップ2014 | ||
75. | 2014年9月9日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ○3-0 | ||||
76. | 2014年10月10日 | JPN 新潟 | デンカビッグスワンスタジアム | ○1-0 | ||||
77. | 2015年1月12日 | AUS ニューカッスル | ニューカッスル・スタジアム | ○4-0 | AFCアジアカップ2015 | |||
78. | 2015年1月16日 | AUS ブリスベン | ブリスベン・スタジアム | ○1-0 | ||||
79. | 2015年1月20日 | AUS メルボルン | メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム | ○2-0 | ||||
80. | 2015年1月23日 | AUS シドニー | スタジアム・オーストラリア | △1-1 (PK4-5) | ||||
81. | 2015年6月11日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ○4-0 | ヴァイッド・ハリルホジッチ | キリンチャレンジカップ2015 | ||
82. | 2015年9月3日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2019予選 | |||
83. | 2015年9月8日 | IRN テヘラン | アザディ・スタジアム | ○6-0 | ||||
84. | 2015年10月8日 | OMN マスカット | シーブ・スタジアム | ○3-0 | ||||
85. | 2015年11月12日 | SGP カラン | シンガポール・ナショナルスタジアム | ○3-0 | ||||
86. | 2015年11月17日 | CAM プノンペン | プノンペン・オリンピックスタジアム | ○2-0 | ||||
87. | 2016年3月24日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○5-0 | ||||
88. | 2016年3月29日 | ○5-0 | ||||||
89. | 2016年6月3日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ○7-2 | キリンカップサッカー2016 | |||
90. | 2016年6月7日 | JPN 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | ●1-2 | ||||
91. | 2016年11月15日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○2-1 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 | |||
92. | 2017年3月23日 | UAE アル・アイン | ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム | ○2-0 | ||||
93. | 2017年3月28日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○4-0 | ||||
94. | 2017年6月7日 | JPN 調布 | 味の素スタジアム | △1-1 | キリンチャレンジカップ2017 | |||
95. | 2017年6月13日 | IRN テヘラン | シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム | △1-1 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 | |||
96. | 2017年8月31日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○2-0 | ||||
97. | 2017年9月6日 | KSA ジッダ | キング・アブドゥッラー・スポーツシティ | ●0-1 | ||||
98. | 2017年10月6日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | ○2-1 | キリンチャレンジカップ2018 | |||
99. | 2017年10月10日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | △3-3 | ||||
100. | 2017年11月10日 | FRA リール | スタッド・ピエール=モーロワ | ●1-3 | 国際親善試合 | |||
101. | 2017年11月15日 | BEL ブルッヘ | ヤン・ブレイデルスタディオン | ●0-1 | ||||
102. | 2018年3月23日 | BEL リエージュ | スタッド・モーリス・デュフラン | △1-1 | ||||
103. | 2018年3月27日 | ●1-2 | キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE | |||||
104. | 2018年5月30日 | JPN 横浜 | 日産スタジアム | ●0-2 | 西野朗 | キリンチャレンジカップ2018 | ||
105. | 2018年6月8日 | SUI ルガーノ | スタディオ・コルナレード | ●0-2 | 国際親善試合 | |||
106. | 2018年6月19日 | RUS サランスク | モルドヴィア・アリーナ | ○2-1 | 2018 FIFAワールドカップ | |||
107. | 2018年6月24日 | RUS エカテリンブルク | エカテリンブルク・アリーナ | △2-2 | ||||
108. | 2018年6月28日 | RUS ヴォルゴグラード | ヴォルゴグラード・アリーナ | ●0-1 | ||||
109. | 2018年7月2日 | RUS ロストフ・ナ・ドヌ | ロストフ・アリーナ | ●2-3 | ||||
110. | 2018年10月16日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○4-3 | 森保一 | キリンチャレンジカップ2018 | ||
111. | 2019年1月9日 | UAE アブダビ | アール・ナヒヤーン・スタジアム | ○3-2 | AFCアジアカップ2019 | |||
112. | 2019年1月13日 | シェイク・ザイード・スタジアム | ○1-0 | |||||
113. | 2019年1月21日 | UAE シャールジャ | シェイク・ハリーファ国際スタジアム | ○1-0 | ||||
114. | 2019年1月24日 | UAE ドバイ | アール・マクトゥーム・スタジアム | ○1-0 | ||||
115. | 2019年1月28日 | UAE アル・アイン | ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジア | ○3-0 | ||||
116. | 2019年2月1日 | UAE アブダビ | シェイク・ザイード・スタジアム | ●1-3 | ||||
117. | 2019年6月5日 | JPN 豊田 | 豊田スタジアム | △0-0 | キリンチャレンジカップ2019 | |||
118. | 2019年9月5日 | JPN 鹿嶋 | 茨城県立カシマサッカースタジアム | ○2-0 | ||||
119. | 2019年9月10日 | MMR ヤンゴン | トゥウンナ・スタジアム | ○2-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2023予選 | |||
120. | 2019年10月10日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○6-0 | ||||
121. | 2019年10月15日 | TJK ドゥシャンベ | パミール・スタジアム | ○3-0 | ||||
122. | 2019年11月14日 | KGZ ビシュケク | ドレン・アムルザコフ・スタジアム | ○2-0 | ||||
123. | 2020年11月13日 | AUT グラーツ | メルクーア・アレーナ | ○1-0 | 国際親善試合 | |||
124. | 2021年5月28日 | JPN 千葉 | フクダ電子アリーナ | ○10-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2023予選 | |||
125. | 2021年6月11日 | JPN 神戸 | ノエビアスタジアム神戸 | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2021 | |||
126. | 2021年9月2日 | JPN 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | ●0-1 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 | |||
127. | 2021年9月8日 | QAT ドーハ | ハリーファ国際スタジアム | ○1-0 | ||||
128. | 2021年10月8日 | KSA ジッダ | キング・アブドゥッラー・スポーツシティ | ●0-1 | ||||
129. | 2021年10月12日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○2-1 | ||||
130. | 2021年11月11日 | VIE ハノイ | ミーディン国立競技場 | ○1-0 | ||||
131. | 2021年11月16日 | OMN マスカット | スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス | ○1-0 | ||||
132. | 2022年1月27日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○2-0 | ||||
133. | 2022年2月1日 | ○2-0 | ||||||
134. | 2022年3月24日 | AUS シドニー | スタジアム・オーストラリア | ○2-0 | ||||
135. | 2022年6月6日 | JPN 東京 | 国立競技場 | ●0-1 | キリンチャレンジカップ2022 | |||
136. | 2022年6月14日 | JPN 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | ●0-3 | キリンカップサッカー2022 | |||
137. | 2022年9月27日 | GER デュッセルドルフ | デュッセルドルフ・アレーナ | △0-0 | キリンチャレンジカップ2022 | |||
138. | 2022年11月17日 | UAE ドバイ | アール・マクトゥーム・スタジアム | ●1-2 | 国際親善試合 | |||
139. | 2022年11月23日 | QAT ドーハ | ハリーファ国際スタジアム | ○2-1 | 2022 FIFAワールドカップ | |||
140. | 2022年11月27日 | QAT ライヤーン | アフメド・ビン=アリー・スタジアム | ●0-1 | ||||
141. | 2022年12月1日 | QAT ドーハ | ハリーファ国際スタジアム | ○2-1 | ||||
142. | 2022年12月5日 | QAT アル=ワクラ | アル・ジャヌーブ・スタジアム | △1-1 (PK1-3) |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年11月13日 | JPN 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ○3-1 | キリンチャレンジカップ2008 | |
2. | 2009年5月31日 | JPN 東京 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○4-0 | キリンカップサッカー2009 | |
3. | 2009年10月8日 | JPN 静岡 | アウトソーシングスタジアム日本平 | ○6-0 | AFCアジアカップ2011予選 | |
4. | 2019年10月10日 | JPN さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ○6-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2023予選 |
注釈
出典
関連項目
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- 2008年北京オリンピックの日本選手団
- FC東京の選手一覧
- ヨーロッパのサッカーリーグに所属する日本人選手一覧
- プロラボホールディングス - 2024年、同社『プロテインナチュラ グランプロ』のグローバルアンバサダーへ就任。
外部リンク
- YUTO NAGATOMO Football Academy - 自身がアカデミーディレクターを務めるサッカースクール
- NAGATOMO FIELD - 自身がオーナーを務めるフットサルコート
- Cuore - 自身が代表取締役社長を務める株式会社
- - lineブログ (2016年5月 - )
- プロフィール - Goal.com
- プロフィール - スポーツコンサルティングジャパン
- - FC東京
- モーサテStyle
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/29 06:36 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.