朽木綱博 : ウィキペディア(Wikipedia)
朽木 綱博(くつき つなひろ、1905年(明治38年)11月13日『平成新修旧華族家系大成 上巻』、547-548頁。 - 1963年(昭和38年)6月13日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・池田、旧名・博久。
経歴
陸軍将校・池田仲博の三男として生まれ、陸軍少将・朽木綱貞の養子となる『人事興信録 第14版 上』ク34頁。。養父の死去に伴い、1930年4月1日、子爵を襲爵した『官報』第975号、昭和5年4月2日。。
1931年、東京帝国大学文学部を卒業。松竹興業社長秘書、東京宝塚劇場嘱託、参謀本部嘱託などを務めた。
1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
親族
- 父:池田仲博(因州池田家14代当主、侯爵、陸軍将校)
- 仲博の実親は徳川慶喜と新村信。
- 兄:池田徳真(因州池田家15代当主)
- 徳真の妻・美知子は朽木綱貞の娘。
- 養父:朽木綱貞(福知山朽木家15代当主、子爵、陸軍少将)
- 妻:道子(勝精長女)
- 勝精は池田仲博の同母弟。
- 長男:彰
系図
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/20 05:59 UTC (変更履歴)
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