吉川晃司 : ウィキペディア(Wikipedia)

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吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年〈昭和40年〉8月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。1988年に布袋寅泰と共に組んだCOMPLEXの元メンバーでボーカルを務めた。現在は自身が設立した株式会社アクセルミュージックエンターテイメントの代表取締役社長を務めている。

概要

広島県安芸郡府中町出身。水分峡は何百回も行ったという。身長182cm、血液型B型、既婚者で1児あり。一方、芸能活動面では、1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。

略歴

生い立ち

実家は原爆投下まで、現在の広島市中心部、原爆ドームと元安川を挟んで真向かいにある当時、中国地方指折りの繁華街だった「中島地区」で料亭、吉川旅館を営んでいた。吉川の祖母が営んでいたが、戦況の悪化に伴いこれを船本家に売って旅館を譲り、原爆投下1か月前に疎開し難を逃れたが、投下直後に父親は入市したため「入市被爆」が認められ吉川自身も被爆二世に当たる。父は若いころ、京都太秦で大部屋俳優をしていて、家業を継ぐため俳優を諦め板前になったが、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手(宇品タクシー。熊平製作所近くにあった。現在は廃業)・管理職などをした。

幼少期は千葉真一と倉田保昭の大ファンで、彼らの活躍に憧れを抱いていた。父はビートルズしか聴かない人で、ステレオの前に座らされて無理やりビートルズを聴かされた。府中町立府中小学校出身で宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる。水泳を始めたのは修道中学一年の夏。それまではサッカーをやっていたが、広島の夏が暑くて水にでも入れば涼しいかなと思っていたら、プールがきらきら輝いて見えた。誰もいないプールに海パンが落ちていて、そのまま履いて水に漬かっていたら、中高一貫校で、高校生の主将がちょうど来て、『お前、何しとんじゃ!』『今日から水泳部!』と強制的に競泳と一緒の水泳部に入れられた。中学校の時から水球の選手となり、修道高等学校時代には一年時に世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加した。

広島県広島市では名の知られた進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べている。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその1本の白線で修道中学校の生徒だと判ってしまい、悪いことができなかったため嫌いになってしまった。

渡辺プロ所属

音楽にも興味を持ち、高校入学前の春休みにカキの冷凍工場や新聞配達のアルバイトで得た金でエレキギターを買う。高校一年の秋に、バンド活動を始め、高校二年の10月、同じ水泳部だった酒井麿に誘われ、ロックバンド(EIGHT CITY'S FISH BAND(八つの街の魚) / 通称:はまちバンド)に加入。男女混合7人(男子5人、女子2人)のバンド形態で、担当はサイドギターとボーカル。オリジナル曲は4曲と少なかったが地元を中心に自主コンサートを行い、コンテストにも出場した。歌唱力、ルックス、パフォーマンスは求心力があり、郵便貯金ホールや広島見真講堂で行うライブはアマチュアバンドながらいつも大盛況であった。しかしメンバーの音楽の好みがバラバラで、みんな呆れてだんだんお客が集まらなくなった。高校2年生の時に佐野元春のコンサートを見てカルチャーショックを受け、大学進学を取り止めて音楽一本に絞って勝負する決意を固めた。「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は「まずはスカウトされること」と考えたが、アマチュアバンドで有名になっていたとはいえ地方都市の一角(吉川曰く「田舎」)でのことであり、そうそうスカウトされる筈も無い。シビれを切らして自ら渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書いて送りつけた。なお、なぜナベプロかといえば「沢田研二アン・ルイスなどが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川の回想)、他のプロダクションは知らなかった。

渡辺プロの関係者が、香川県高松市の松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来て、その後の数度のオーディションを経て、プロダクションと正式に契約を交わした。しかし、教師、両親や周囲から芸能界入りを猛反対された。特に父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を表明して説き伏せた。大学進学を断念することを惜しむ声も多かった(世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれた実績もあり、水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため)。事務所側はデビューは高校を卒業してからと考えていたが、吉川本人が「今すぐにでも」と強い意志を示したため、1983年4月、高校3年に進級する直前に中退して上京することになった。修道中学校を経て修道高等学校2年時に中退。1983年2月26日付の地元『中国新聞』に「広島・修道高の吉川晃司君 今夏、ギターを抱え歌手としてデビュー」の見出しが載り、「4月に上京し…6月にデビュー曲を発表」などと掲載されている。所属していたバンド・EIGHT CITYS FISH BANDは1983年4月3日に見真講堂で単独ラストコンサートを行い、東京に送り出している(DVD『LIVE archives 25』にその一コマが収録されている)。

勢い勇んで上京したものの、他にもスカウトを受けて事務所のある東京に呼ばれた若者が大勢おり、「寮にもう5年います」みたいなのが平気でいる腐ったリンゴの溜まり場みたいな世界。スクールメイツと歌やダンスを練習する日々が暫く続いたが、「コイツらと一緒にいたらダメだ」と悟り、寮には入らず、レッスンもシカトして毎晩ディスコに通い、踊りを覚えた。上京すればすぐに(1983年6月)ギターの弾き語りでソロデビュー出来るものと思っていたが叶わず、当時流行の顔でもないし、社員の一部には「アイツはダメだ」と烙印を押されていて、いつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし社長室に行き社長に直談判したところ、その勝気で怖いもの知らずな度胸を渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなった。

実際、渡辺プロは「10年に1度の逸材」と高く評価しており、凋落していたナベプロの起死回生のため、社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクト・チームを編成するほどの社運を賭けた力の入れようだった。当時の渡辺プロは育ててきた人気タレントや有能なスタッフたちが相次いで独立し、業績が急激に悪化し始めており、渡辺社長より「会社を立て直せるような男性タレントを発掘しろ」と指令が出た。軍司貞則著『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋、1995年)によると、その当時渡辺プロの金庫に3億円の現金しかなく、渡辺晋は30人ほどのスタッフとの会議において、その金で売り出す方法を捻り出せ、と迫ったといわれる。映画と歌の同時デビューもナベプロの肝いりで実現。渡辺晋が手掛けた最後のタレントになった。吉川を映画で売り出そうとした映画の時代に育った渡辺社長のアイデアを若いスタッフはせせら笑ったが、渡辺社長が押し切ったといわれる。売り出しのプロジェクトのリーダーだった森本精人渡辺プロ元マネージャーは「吉川は身長が高いし、水球選手だったからスタイルもいい。社長と『映画で、白い煙の中から長い脚を蹴って飛び出してきたらカッコいいよね』と話していて、そのイメージでできたのがデビュー作の主演映画『すかんぴんウォーク』と、主題歌の『モニカ』です」と述べている。『すかんぴんウォーク』製作費1億円、コンサート費用1500万円、テレビスポット2000万円、有線放送スポット400万円、レコード宣伝費1000万円と宣伝費の投下額が莫大で、当時の芸能界でも話題を呼んだ。やっかみも手伝って、吉川のレコードはレコード会社やプロダクションが組織を動員して買い取りをしているのではないかという噂まで出た。渡辺社長のイレ込みはハンパではなく、スポーツ新聞の取材にも一緒に写真に収まるし、社長自らプロデューサーとして何が何でもスターにしようという意気込みがマスメディアにも伝わった。失敗は許されないという意識をナベプロの社員も強く持った。同じ事務所の大沢誉志幸が「渡辺プロは総力を挙げ吉川を売り出すからお前にかける金はない」とナベプロのスタッフから言われたという逸話も残る『アサヒ芸能』2010年11月25日号、pp.70-73。

シングルレコード 「モニカ」と主演映画『すかんぴんウォーク』の両方で芸能界デビューするという手法が取られたが、映画の製作発表会見は1983年9月21日に渋谷のライブハウス「LIVE INN」で行われ、マスメディアにはこれがほぼ初お披露目だった。業界ではナベプロから凄い新人が出ると噂が先行していたため、女性ジャーナリストの間では、どんな美少年アイドルが出て来るのだろう、と期待していたら、何の説明もなくバックバンドを従えて出てきたのは、イメージとはまるで正反対のイモっぽく、広島からの産地直送のスポーツ少年で、キツネにつままれた気分となり「ヘエ~この子がそうなんだ」と肩透かしを喰わされた。吉見佑子はナベプロで紹介された吉川を見て「松田優作のNGみたいなお兄ちゃんね。こんな子デビューさせるの?」と言ったという。しかしながら吉見は吉川のファンクラブ担当になり、宣伝にも関与し、「裸がヴェルサーチ」とキャッチコピーを付けた。

デビュー

1984年2月1日シングル「モニカ」でデビュー。本楽曲は、同年2月11日公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌。

以降「サヨナラは八月のララバイ」、「ラ・ヴィアンローズ」、「You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜」(オリコン3週連続1位)、「にくまれそうなNEWフェイス」(オリコン1位)、「RAIN-DANCEがきこえる」(オリコン4位)、「キャンドルの瞳」(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリース、1984年の新宿音楽祭金賞、日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞、日本アカデミー賞新人俳優賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。当時はバンドブーム前のアイドル全盛期。アイドルとロッカーの間的な立ち位置で、チェッカーズと並んで、若い男女に支持された。アルバムでも1984年10月5日リリースの2ndアルバム『LA VIE EN ROSE』以降、3作連続オリコンチャート1位を獲得し、1990年代にかけて5作品オリコンチャート1位を獲得した。

1985年の初め、デビュー1年目で史上2人目の日本武道館公演を行った。

その他、初期に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり破いたことがあり、その弁済金は1,000万円だったという。同年暮れにはNHK紅白歌合戦に初出場。

当時を振りかえり「あっという間にデビューできちゃったもんだから、そのあと実力で追いついていくのにやっぱり四苦八苦っていうのはあったんですけどね。どっちかっていうと、なんとなく水面下の水鳥のようにですね、すました顔して足だけ一生懸命こいでるみたいな、実際はそういう感じだった。ずっと、あがきっぱなしでしたよ」と述べている。

1987年3月発売シングル「MARILYNE」は、当時の恋人である女優の石原真理子との恋愛実体験を歌詞にした曲であることが判明。2006年に石原が暴露本『ふぞろいな秘密』を発売した際に、石原の過去の13人の交際相手として名前が出され、石原は吉川を玉置浩二以外に「結婚をしてもいいかな」と意識したと書いた。吉川は事務所を通じ「交際をしていたのは事実。「MARILYNE」のプロモーションビデオには彼女も出演しています」とコメントを出した。吉川が明石家さんまのラジオで石原のことを「憧れの人」と呼び「悲しいことや楽しいことも彼女とは憧れの形で実現出来る」と石原の存在は吉川の理想であることを語った。

ナベプロは芸能プロダクションであるため、歌番組だけでなくバラエティ番組にも出なければいけないが、当時はそれが嫌で、人前に出て笑うことは一切できなかった。そのため渡辺晋にいつも「独立させて下さい」と懇願していたという。渡辺晋から「インターナショナルで通用する映画を作りたいと思っている。その映画に出たら、独立させてやる」と言われ、1987年、日本・イタリア合作映画『シャタラー』に出演。しかし撮影途中に渡辺晋が亡くなり、映画の内容も企画も大幅に変更され、当初予定された物と全く違う惨憺たる作品になった。ガンの末期にあった渡辺晋の最期に近いころの言葉は「吉川は元気でやっているか、イタリアで?」であったという。その言葉は胸にズシッと響き、毎年何度も足を運ぶ渡辺の墓参りでは、渡辺から叱咤激励されているような気がするという。

1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立という形で22歳で独立、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズに所属抱えきれない夢 渡辺プロ・グループ40年史 資料編 所属アーティスト年別一覧 p.26 平成元年(1989)。レコード会社を東芝EMIに移籍。

COMPLEXでの活動

1988年、BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース【1989年4月】BE MY BABY/布袋&吉川の異色ユニット 一世を風靡。COMPLEXは「BE MY BABY」を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリース後(いずれもオリコンチャート1位を記録)1990年11月8日の東京ドームのライブを以て活動停止。布袋寅泰という当代随一のギタリストとのスリリングな切磋琢磨によって生み出されるまったく妥協のないサウンドは、一般ファンのみならず、コアなロック・ファンの心をも捉えた。

しかし、ビジネスに全く興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽を活動コンセプトやサウンドアプローチからファッション面やビジネス面までトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展。活動停止に至った。しかし、2011年7月30日・31日に東日本大震災復興支援ライブを、東京ドームで21年ぶりに行い、ファン約10万人が詰め掛けた(後述)。また、13年後の2024年5月15日と、16日に2024年能登半島地震のチャリティーライブを東京ドームで行うとして再び復活し、2日間の合計約10万人が来場した。

1990年代

1997年に東芝EMIから、元同社専務取締役の石坂敬一が代表取締役に就任したポリドール・レコードに移籍。だが、この時期の音楽業界に吹き荒れた外資の嵐と変革の混乱の中に巻き込まれ売上が低迷。2002年に徳間ジャパンコミュニケーションズへ移籍。

1998年、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」設立。前所属のセブンスエンタープライズで、会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚。事務所の空中分解という状況で、セブンスエンタープライズの音楽部門若手スタッフを引き連れ設立という経緯。吉川は「他所に世話になるなんて考えられなかったので。自分について来てくれる会社の若い連中もいたし、仕方なく自分で会社を立ち上げざるを得なかったが今では立ち上げて本当に良かったと思っている」。歴史書を読む面白さを知ったのもこのころ。(セブンスエンタープライズ俳優部門は金山一彦つみきみほなどで新たに立ち上げている)会社設立の際に、若い社員の前で「利益が出るまでオレは家に帰らない!」と大見得を切り、スタジオにソファを入れ暮らす。利益が出るのに7年、12年間をスタジオで暮らす。窓が無い地下室、湿気が多く、肺にカビが湧き、頭の皮が剥けるなどいろんな身体の箇所を病んだ。

1998年、自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検される。原因は酒に酔った知人が所有の尾崎豊の形見のギターを蹴ったこと。謝罪会見では、前所属事務所セブンスエンタープライズの会社スタッフによる資金使い込み騒動の真っ只中であり、真実をありのままに述べられない状況下での謝罪会見になった。この会見で記者から「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴り合いになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を客観的に再現しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「泥酔していたといわれているが違う。25%ぐらいの酒なら眞露2、3本くらいは大丈夫」「僕はちょっと人より力が強いみたいで」など発言したシーンがテレビで流れた。プロを相手に一発目から的確に拳を鼻に打ち込み鼻骨を折り、二発目で急所の一つといわれる脇の下の肋骨を骨折させたことから吉田豪らが吉川を“芸能界ケンカ最強”と推す切っ掛けとなった。

2000年代

2006年、映画『マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝』の楽曲を担当。本作は千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画で、子供のころから千葉と倉田の大ファンである吉川が「何らかの形で参加したい」と熱望したことによる。シーンに合うオリジナルを10曲ほど作曲、自身の代表曲から4曲をアレンジして提供。

同年、DJ TASAKAとKAGAMIによるテクノ・ユニットDISCO TWINSのアルバム『TWINS DISCO』にて「Juicy Jungle」「Thunder Storm」の2曲にゲスト・ヴォーカルとして参加。また「Juicy Jungle」のMVに出演。このMVは「SPACE SHOWER Music Video Awards 07」でBEST IMPACT VIDEO賞を受賞。授賞式ではスペシャルゲストとして登場、DISCO TWINSと共にライブを行う。またDISCO TWINSとのユニット「DISCO K2 TWINS」を結成。シングル「Juicy Jungle」を発売。

2009年、NHK大河ドラマ『天地人』(主演:妻夫木聡)に織田信長役として出演。同年、徳間ジャパンコミュニケーションズからユニバーサルミュージックに移籍。また、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に、主人公の師である鳴海荘吉(仮面ライダースカル)の役で出演。

2010年代

2011年5月31日、ファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表。翌6月1日に、婚姻届を提出。既に第一子も誕生しており、未婚の父であったことも明かした。

2012年12月10日、ワーナーミュージック・ジャパンへの移籍および同社にプライベート・レーベル「SAMURAI ROCK」を設立。

2017年7月21日、左側声帯ポリープが見つかり除去手術を受けることを、日本武道館ライブアンコールで明らかにした。

2018年1月20日から2日間、武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナのコンサートなどの本格的な音楽イベントとしてのこけら落し公演を開催。前年のツアー終了後、治療に専念する予定であったが、ツアーの手ごたえを感じた吉川の「ツアーをもっとやりたい、まだ歌いたいという思いが夏からどんどんふくらんできて」という意向を受け行われた。

2020年代

2020年、『探偵・由利麟太郎』(フジテレビ系)で地上波の連続ドラマに初主演。

2021年2月16日、前年末の人間ドックで判明した「狭心症」の手術を受けたことを公式サイトで発表。オペチームは映画『チーム・バチスタの栄光』で手術指導をした医師らが担当した。

2023年11月、大塚製薬の男性向けスキンケアブランド「UL・OS(ウル・オス)」のプロジェクト発表会に登場し、改めて芸能生活を振り返り、「高校を辞めて1年ほどでデビューできたのは、恵まれていた。その後は挫折することが多かった。失敗は糧になります」(片手バック転など体を駆使するパフォーマンスで脱臼や骨折を重ね傷だらけながら)「続けてこられたのは"お客さんの愛"のおかげ。それ以上のものを持って帰ってもらうためにトレーニングに励む」などと話した。

2024年1月、外傷性白内障で両目に人工の水晶体を移植する手術を行った。ライブなどでの激しい運動は医師から禁止されている。

人物

音楽関係

80年代に於ける新たな日本のロックの価値観を作り上げた人物の一人である。デビュー時から自作曲はあったが当初はアルバムに入れてもらえなかった。「敷かれたレールでなく、けもの道を行きたくなる」と自ら作詞・作曲するアーティストの道へと進む。20歳そこそこのアイドルや男性ソロヴォーカリストが当時、自作自演することは珍しかった。ディレクターと大喧嘩もしたが、徐々に自作曲を増やし、現在は歌以外に、作詞・作曲・演奏・プログラミング・プロデュースなど、幅広く手がけており、『WILD LIPS』『OVER THE 9』など様々な作品を世に送り出している。

日本語を英語っぽく発音してロックに乗せる「巻き舌唱法」は、日本ではキャロルを始まりとして、吉川で一応の完成形となると評される。デビュー曲を作曲したNOBODYは、吉川の唱法について、「彼の音楽の才能について言うと、スピード感と言葉の乗せ方が素晴らしい。一つの音符に日本語を二音入れるから、聞いてると英語的になる。歌謡界とかニューミュージックとか、そういう垣根を毅然と飛び越えたニューパワー時代の到来です」などと評した。吉川自身はこれを“日本語を崩す歌い方”、例えば「だからぼくは」という歌詞を「だっかぁら、ぼっくぅは」と歌うとロック的なリズムが出るなどと説明している。デビュー時に紹介された木崎賢治Musicman's RELAY 第103回 木崎賢治氏-5に「どんな音楽やりたいの?」と聞かれて「僕は原田真二さんとか、格好いいと思うんですけど」と答えたら、「ああいう日本語の崩し方というか、乗っけ方というのをできる人は少ないんだよ、吉川くんできる?」と言われて始めたのがきっかけと話している。吉川はデビュー直後1985年のインタビューで「佐野さんはやっぱり日本語の言葉の音が先鋭的でビシビシ切れてる、ああいうロックに乗せるの、すごく難しいと思うんだけど、佐野さんは上手くやってると思うよ」、「歌い方が佐野元春さんの真似とよく言われる」などと話していたが、2012年のインタビューでは、「この先駆者は佐野元春さんだといわれるんですけど、僕は原田真二さんだと思う」と話している。

デビュー時はアイドル扱いされることを嫌い、コンサートで「キャーキャー騒ぐ女の子は出てってくれ。オレはアイドルにならない」と言ったことがある「男性アイドル不毛時代 アイドルを探せ!」『週刊平凡』1985年12月13日号。平凡出版 p.40。

水泳で鍛えた逆三角形の上半身と高身長の体型は、それまでのアイドルとは一線を画し、大きなセールスポイントとなった。1983年、「モニカ」での鮮烈デビューに於いて、機関銃ヴォーカル、大歌謡ロック・サウンド、キメキメのステージ・アクション、歌謡曲を鼻っから小馬鹿にした"ビッグ・マウス"ですでに「吉川イズム」の原型が出来つつあった。『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』、『NHK紅白歌合戦』など、当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名。『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込みだが(1984年4月5日)、毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案し楽しませた。「ベストテンのセットを壊すことで自分の存在を確認してたとこがあった」と述べている。数年たってTBSに行ったら、当時ADだった人たちに凄いイヤな顔をされたという。また『夜のヒットスタジオDELUXE』1985年10月2日放送回での「六本木心中」で見せたアン・ルイスとの生放送仰天コラボレーションは、伝説として語り継がれている(六本木心中#夜のヒットスタジオ、アン&吉川コラボ)。

日本でメイクアップをする男性アーティストの系譜に連なる人で、男の化粧を認知させた人物の一人である。沢田研二はテレビに出なくなった時期。『週刊平凡』1985年9月13日号の吉見佑子と中川勝彦の対談で、吉見「ふだんはメークしてないのね」 中川「ふだんしてもしようがないもの」 吉見「吉川晃司なんか少ししてるよ」 中川「うそっ。男性化粧品で?」 吉見「ううん。塗り絵だと思ってんでしょ、自分の顔も。ペンキ塗りの気分よ」という記事が見られる。『週刊明星』からは「不可解なメーク」とも言われたが、吉川は「失敗したなと思っても、どんどん上塗りして直そうとしてしまう」「派手なことは美しいと思っている」「カッコいいと思うと、下調べなしに取り入れてしまう直感的な感性のため」などと反論した。吉川デビュー時の衣装=肩パッドが入って(いるように見えたが実は自肩だった)、ノータイ・ピンク、紫、あるいは白スーツは街に“偽吉川”を溢れさせ、同時期に活躍したチェッカーズのタータンチェック共々よく流行った。アイドルでDCブランドのスーツを着てテレビに出る者はそれまで誰もいなかったし、スーツでテレビに出るロックミュージシャンもいなかった。スーツでロックするのがカッコいいという新しい価値観を持ち込んだのは吉川やBOØWYである。ファッションの歴史を綴った書籍では、吉川やとんねるず、北野武らがDCブランドを着用して盛んにテレビに露出した1985年をDCブームの頂点と記述されているという。2013年のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、小泉今日子演じる天野春子が学生時代を過ごした部屋で、吉川の写真に向かって「肩幅〜!」と叫ぶシーンがあった小泉今日子あまちゃん収録「吉川晃司くん呼ぶシーンで、隣のスタジオから本人が『呼んだ?』」。「モニカ」がヒットして給料は6万円、「ラ・ヴィアンローズ」で給料10万円で、着るものが無いため、『夜のヒットスタジオ』の衣装そのまま飲みに行っていたという。

ファッションといえばサングラスである。現在はあまりサングラスをしないが、デビュー直後は常用していた。デビュー当時は「俺は歌謡曲の人種じゃねえ」という反撥心が凄く強く、「サングラスして黙りこくってたのは、俺はこいつらとは違うんだという意識を持ちたかったから。だから他のヤツとは全然口聞かなかった」「歌謡曲の世界ってハリボテ的でしょ。ロックの世界は歌謡曲とは違うって思ってたんだけど、実際入ってみたらそうでもなくてね。人のいいヤツは、上がって来れないのはどこの世界でも一緒だなと(笑)僕なんか、人のいい人間の中では成功してる方だと思いますよ。自分で言うのもナンですが(笑)」などと述べていた。

バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ。いつから始めたか自身はよく覚えていないが、「肩を脱臼してバク転ができなかった時、代わりに何かやろうと思いついたのではないか」と思うと話している。「グラマラス・ライフ」のMVでシンバルを蹴るシーラ・Eが頭にあったという。初期は垂直に蹴り上げていたが、両足が肉離れを起こして縦に上がらなくなったため、横回転で勢いをつけて蹴るようになった。観客が「普通のシンバルキックは飽きたよ」「もっと高くできないの」などと言うから、意地で段々難度が上がってきたという。シンバルキックで過去3回骨折している。

小泉今日子らと共に"ニューアイドル登場"などと騒がれた。チェッカーズや吉川あたりから、男の子も女の子もみんなが好きになるアイドルが生まれたとも言われる。『週刊現代』は1985年4月13日号で小泉今日子と吉川を特集し「この連中の曲はやたら横文字がハンランしている。オジサンたちがついていけないのはそのためか。しかしそんなことを言ってはいられない。この連中がいまや風俗の最先端にいる。と言うことは、いずれ時代がそう動いていくということだ。彼らをどういう存在かをいま認識しておく努力を怠ると、たちまち時代から落伍してしまうぞ」と論じ、「大森三部作」で吉川を俳優デビューさせた大森一樹は「吉川を見ていると新人類の登場という印象を受ける。ボクや吉田拓郎とかは、カッコ悪さがカッコいいというところがある。それは守りの姿勢かも知れないけど、下手に出ていれば打たれることはないという日本の伝統を持っていた。ズッコケたら恥ずかしんだ、ボクらは。ところが吉川は、カッコ良さをドーンと押し出してきて、ズッコケない自信を持っている、これはもう新人類ですよ」、東宝宣伝部の奥田和之プロデューサーは「セックスはしません、なんてウソだと言ったりする。若いヤツがセックスしているなら、隠すべきじゃないって吉川はいう。スタントマンを使う、使わないでも、ウソはイヤだという拒否する。これがホンモノ志向の若者の象徴なんです」、田村充義ビクターディレクターは「今は"本人時代"なんですね。まわりがいくらガードしようたって本人が打ち合わせに出ちゃう。"本人対ディレクター"です。もちろん活字の場合も同じです」などと、昭和大学医学部神経科教授・中田輝夫は「ブリッ子スターを"体制順応型"とすれば、吉川晃司に象徴されるニューアイドルは"反逆児型"です。この二つが交代で登場するのが芸能界の流れで、順応型のスターが主流のときは、一般大衆は反体制なんです。逆に反逆児型がスターになるときは、政治が落ち着いている。石原裕次郎小林旭が出たのと同じです」などと論じた。

交友関係が広い。ブラザー・コーン藤井フミヤ尾崎豊、とんねるず、大沢誉志幸岡村靖幸吉岡秀隆本田恭章氷室京介布袋寅泰森重樹一世良公則田原俊彦布川敏和本木雅弘近藤真彦小泉今日子中森明菜藤真利子、羽賀健二、風見慎吾鈴木賢司らと交友を持った。

特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた同級生3人の仲は親友として有名。六本木WAVE(1999年閉店)1階のカフェ「レイン・ツリー」で待ち合わせて、次の店をどこにするか、「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で行く先を決めた。吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行った。尾崎は飲むのが好きで酒も強く、尾崎が勝っても女の子のいる店にはいかず結局、男三人で飲み、泥酔していたという。「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。よく行ったのは西麻布「レッドシューズ」や「トゥールーズバー」、六本木「AREA」六本木「AREA」「Boo!Who?Woo!」、原宿カラオケ「港町十三番地」などという。「我々は下っ端の下っ端。話せないような先輩方のいろいろなイベントを目撃しました(笑)」「今日は『ベストテン』あがりだから10時過ぎになっちゃうけどって衣装のまんま行ったりしてたよ。でも身なりは派手でも懐はすきま風ピューピュー(笑)」「渡辺美里ちゃんの曲書いてたくさん印税が入ってた岡村はお金持ちでしたよ。途中で追いついたけど、僕も(笑)」 岡村「僕らって背が高いほうなのにハイヒール履いてるから身長190センチぐらいになっちゃってて。目にはバッチリ、アイライン入れてた、普段から(笑)」 吉川岡村「イギリスのニューロマンティックスを意識してました。デヴィッド・ボウイがお手本でした。心酔してたね。だから女性的な格好をしてみたりもしたし」 岡村「当時、海外アーティストがコンサートで東京に来ると、みんな夜の街に繰り出してくるから、わりと気軽に会えたんだよね」 吉川「プリンスにも会ったし、デュラン・デュランにも会ったし、飲み屋のマスターから『今、ロッド来てるけど?』『あ、行きます!』って。俺、ロバート・パーマーが大好きで、とある雑誌で対談させてもらったんだけど、酔ったロバート・パーマーが『酔拳』みたいな感じになってしまって全く対談にならないんだから(笑)。最高に楽しかったけど」 岡村「いまにして思えば、めちゃめちゃ貴重な体験ですよ。ロバート・パーマーと対談した人なんて日本にほとんどいないと思う」 吉川「80年代の東京は、良くも悪くも、もの凄くエネルギーが集中していたし、外から見れば、世界で一番魅力的な街だったとは思う。ただ文化的な側面で世界が一目置いていたかというと、そこは疑問があるよね。ジャパンマネーに圧倒されていただけかもしれない」などと述べている。岡村は「当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラ輝いて見えた」と話している。岡村は「僕の中では、ボーイズ・ラブな感じがあった。二人に対して。とにかくあの頃の二人は本当にきれいだった。美しい二人。僕は会えばしょちゅうハグしてたと思うけど、抱きつきたくなるんです。とびっきり華のある二人だったし、一緒にいるのが心地よかった。ただ、当時はスマホなんてなかったから三人の写真は一枚も残ってないの」などと述べている。19歳という未熟な時期から三人ともそれぞれの道を歩み始め、三人で集まって遊ぶことは段々少なくなっていった。最後に三人で遊んだのは25歳くらいのとき、芝浦のクラブ「GOLD」で、ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川だけが呼ばれた。何だろうと騒然となったが、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と言った。吉川は「そこの角曲がったとこだ。一人で行け」とマドンナに言ったが「いいから連れて行け」と命令され、仕方なく便所までエスコートしたと話している吉川晃司伝説⑦三人で、芝浦のクラブ・GOLDのVIPルームで飲んでいたところ...。それからしばらくして尾崎が亡くなり、三人で遊ぶことはもう出来なくなった。尾崎が亡くなったとき、吉川は友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね。でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語ることはない。

尾崎と泥酔した明け方、ゴミ置き場のダンボールが夏の暑い日で冷たくて気持ちが良く、二人でゴミ置き場に寝込み、そのまま朝になる。そこは六本木交差点近くのバス停の前で、通学の女子高生がずらりと並んでいて、女子高生の一人に「もう起きられた方がいいですよ」と声をかけられた。

晩年のアベフトシと川村カオリの活動を支援。

初期の頃の専属バックバンドは、PaPa。PaPaはテレビや映画、ライブなど「見える場所」では共演したが、レコーディングは参加しない。

「音楽を真面目にやっているミュージシャンも、テレビに出ないとだめだ」と言い続けていた。これは渡辺プロに在籍している以上、テレビに出る仕事は避けられなかったが、テレビに出演していくうちに、テレビの影響力を自ら肌で感じ、「上手い具合に出演すれば、ミュージシャン自身の向上にもつながる」と考えるようになったためである。そのため、吉川自身がテレビに出なくなるとファンから「自分がテレビに出ないとダメだと言っておいて、なぜテレビに出ない?」と非難されるため、本人もテレビに出るようにしている。COMPLEXとしての時期はテレビ出演をほとんどしなかったため「(テレビ出演を好まなかった)布袋に遠慮している」と非難されたことがある。

1986年と1987年の2月24日に日本テレビで放送された伝説的音楽番組『メリー・クリスマス・ショー (Merry X'mas Show)』の企画を言い出したのは吉川。「たくさんミュージシャンを集められるのは桑田さんしかいない」と呑みの席で桑田佳祐に「今の音楽シーンがつまらないのは、ある意味あなた方にも責任があるんじゃないの?」と暴言を吐き、「ガキのくせにこのボケ!」とケンカになったが、朝まで話し込んで「よっしゃ考えてみる」という桑田の話で始まったもの。当初は2人を中心に運営したが、働かないのでほぼ桑田がやったという。ただ、BOØWYや若いバンドに声をかけた。

確固たる音楽のバックボーンがあったため、アイドル、歌謡曲、ロックという棲み分けをなくすかのように、いとも簡単にその壁を飛び越え、新たな価値観を築くことが出来た。それが吉川とチェッカーズが日本の音楽シーンに遺した最も大きな功績とも評価される。

NHK紅白歌合戦でのハプニング

現在唯一の出場である1985年12月31日の『第36回NHK紅白歌合戦』では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる。この件を振り返り「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている。また、それだけではなく「墓場まで持っていかなければいけない、言えないことがまだある」とも話している。

紅白の価値観を転倒させて、若者の紅白離れを起こし、紅白の視聴率がダメになっていく段階に於いて、蹴手繰りをカマしたその代表選手だった。マキタスポーツは「アイドル枠に閉じ込められたくない、と吉川さんがリスクをしょってやっていることが子ども心に見えて、『吉川、ヤレ!ヤレ!』とテレビの前で声援を送った」と述べている。スージー鈴木は「80年代は今までの芸能界のしきたりとかを壊す破〇者がいっぱい出てきた。芸能界の学級〇壊を起こした問題児たち、その代表といえます」と評している。

著作『晃司全てを語る』にて、この時嫌な芸能界を止めるつもりでいたが、楽に高収入を稼げるこの仕事やめるの惜しいな~俳優ももっとやりたいし~ずっと芸能界にいよう~と決意を語っている。

一説では、その後NHKに十数年間出入り禁止となり、ラジオでもしばらく曲がかからなかった(後年解除された)とされているが、これは都市伝説で誤りという話もある。これはあくまで紅白を盛り上げるためで、視聴者からの抗議も無く、ペナルティーも一切無かったとのことである。その後『ポップジャム』に何度か出演。2002年放送のドラマ『真夜中は別の顔』では主演に抜擢、2009年の大河ドラマ『天地人』に織田信長役で出演。1998年6月21日、コンサートツアーの一環としてNHKホールで公演を行い、以後も公演を続けている。

俳優関係

自身では歌だけをやりたかったが、「マルチでやれるようになれ」と最初に言われ、芝居の稽古をさせられた。当時は「俺はこんなことをやりたいわけじゃない」と反撥したが、「今となってはありがたいことだったと思うし、感謝している」と話している。俳優としての活動は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』、『ユー・ガッタ・チャンス』、『テイク・イット・イージー』の通称「民川裕司3部作」、「吉川晃司主演3部作」が有名。音楽に専念するため役者は一時封印するが後年、再び映画に出演、唯一無二の存在感を見せつける。渡辺プロ時代の「シャタラー」以来十数年振りに三池崇史監督作品『漂流街』に出演。独特のオーラと存在感に高評価を得る。この作品において三池と意気投合。その後の三池作品、ミュージック・ビデオ、ライブ撮影と繋がっていく。三池は吉川について「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と語っている。『るろうに剣心』の大友啓史監督は「あの体格とスタイルなので、動きの一つ一つが映像映えする。吉川さんがやると、剣での立ち回りも真剣勝負に見えるんです」などと評価する。『天国から来た男たち』『レディ・ジョーカー』など、ほぼ年一本のペースで映画にコンスタントに出演している。吉川は俳優業について「ボクサーがレスリングのリングに立っても、負けるわけにはいかない的な背水感があります。そんな気分になれるのも俳優をやるときの魅力です」と述べている。

2009年の大河ドラマ『天地人』の織田信長役で新境地を開く。NHKに女性視聴者から問合せが殺到した『東京スポーツ』、2009年5月20日19面。

2008年4月(2013年9月)『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-』でミュージカルに初挑戦、杉原千畝を演じる。

「吉川さんも体制に反発してきた人間ですよね」と口説かれ、断れなかったという。

『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル役で出演。依頼が来た時はマネージャーに「怪人の役じゃないの?」と尋ねたという。起用は、「主人公がハードボイルドを目指しているキャラクターなので、その師を演じるのはハードボイルドを体現できる人でなければならない」という理由による。劇中で荘吉は左足を負傷するという展開だが、撮影当時は右足に怪我を抱えていたため、引き擦る足を間違えることもあった。テレビシリーズ『仮面ライダーW』では「鳴海荘吉」名義で挿入歌「Nobody's Perfect」作曲と歌唱を担当、そのミュージック・ビデオで再び荘吉を演じている。

2010年公開の『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』では、主役扱いでクレジットされている。出演にあたり「荘吉の『お前の罪を数えろ』という決め台詞はどうして生まれたのか」「荘吉はなぜ娘に会うことを避けていたのか」の2点を明確にして欲しいとスタッフに伝えた。時系列的には『MOVIE大戦2010』より前の出来事であるため、構え方や声の高さを意識的に変え若く見せようとしたが、そのせいで声が裏返りNGを出したこともあるという。

2016年公開の『さらば あぶない刑事』では、撮影に備え、東大泉の東映東京撮影所でバイクの自主トレーニングを行っていたが、2015年3月3日に同所で、ウィリー走行などにトライしていた際に転倒事故を起こし、全治2か月の重傷を負った。同じ日に同所でAKB48が「僕たちは戦わない」のミュージック・ビデオを撮影中だった。

2022年度後期放送のNHK朝ドラ『舞いあがれ!』での航空学校・帯広校の大河内教官役は、当初脚本にあった、言葉遣いも荒く、ワイルドな鬼教官という役柄設定を、自らの希望で丁寧な口調で学生を諭す役柄に変更した。

各界の著名人が集った西麻布の伝説のバー「ホワイト」へは、1990年頃に原田芳雄に連れて行ってもらい、その後、北方謙三や尾崎豊らとも通った。常連客の一人である松田優作は生前に下北沢のジャズバー「レディジェーン」でライブを一度観た経験があるが、直接会ったことはなく、既に故人となっていた。「ホワイト」のママは松田の形見のジャージを預っており、ママが「あたしが持っていても仕方がないから、あんた」とそのジャージを渡した。「そんなの頂いていいんですか」と躊躇したが、ママから「吉川のこと(松田が)言ってたよ」と言われ、受け取った。そのジャージはトレーニングに使わず大切に保管してあるという。

体育会系

一貫してとんがった生き方がファンを魅了。大柄な体格と男気溢れる逸話、また付き合いの広さなどから、しばしば“体育会系”といわれた吉川晃司、ダンスロックユニット結成! ニュース-ORICON STYLE。2023年現在もトレーニングは週6・水泳年300日を欠かさない。「これは私にとってはもう仕事の一環です。楽しくないですよ」と話した。

水球で鍛えた逆三角形の体型が男子トイレのマークに似ていたため、学生時代のあだ名は、「便所マーク」、短縮して「便所」だった。人が大勢いるところで、友人から「便所ー!」と大声で呼ばれ、恥ずかしい思いをしたとデビュー当時の歌番組で話したことがある。

広島で活躍するローカルタレント・西田篤史は、来広ミュージシャンと多くの交遊を持ったことでも知られるが、駆け出しのころ、やはりプロデビュー前、広島時代に密着取材した。「はまちバンド」解散ライブ終了後、ナベプロのマネージャーに「お前は甘い!」と殴られるのを横で見ていて、「何てことするんだ..」と思ったというが、「水球部だったんで別に普通。何とも思わない」と話した『イマなま3チャンネル』中国放送、2014年6月26日放送。

ナベプロが制作していた関係で『新春かくし芸大会』にも出演『bridge』1992年2月号、p.124。演目は、1985年は日本刀を使った竹割りや、殺陣。リハーサルの際、上手く竹を割ることができず、日本刀が曲がってしまい、何本も壊した。1986年はバイクスタント。猛スピードのバイクに乗りジャンプ台まで疾走し、バイクとともにジャンプした後にダンボールの山に突っ込むという、体を張った芸を披露した。

2010年7月11日放送『TheサンデーNEXT』のインタビューでは公園で雲梯などを利用し筋トレしていること、ヒヤシンスの根のように東京では出稼ぎ感覚であると語った。

2009年の無人島サバイバルが話題を呼んだため、その続編が2011年4月15日『中居正広の金曜日のスマたちへ』で放送、アフリカの地でサバイバルを敢行した。ケニアマサイマラ国立保護区でツリー生活に挑んだ。現地に住むマサイ族から「野宿なんて気が狂ってる」と言われるような環境で野宿を行った。その辺は肉食獣よりアジア系の密猟者が多く「密猟者に間違われて撃ち殺されるぞ」と脅された。また群れをなすヌーが吉川を見て初めは逃げ出すが、うちの2〜3匹は急に方向転換をして吉川に走りかかるハプニングが発生。サバンナで人を殺すのはパニックに陥った草食動物が多いという。

その他

「やっぱり広島に、広島の土に生えた自分としては、東京に根は生やしたくないな、という思いはいまだにあって」などと故郷広島に対する想いを度々口に出す。広島を離れて既に40年経つが、1983年春に上京してプロデビューした後もよく広島に帰り、JR広島駅北側の目の前にある銀色の仏舎利塔(二葉山平和塔)が鎮座する二葉山に登り、瀬戸内海をよく見ていたという。「水墨画のような、何ともいえない趣というか、味わいというか、やっぱり自分のその、こういう絵を見て育ったから、こういう自分になったんだろうなっていう気がする。価値観とか美意識とかもね。じゃけえ、そういう存在ですよ、広島って、自分にとってね」と話し、この40年、心の支えとなってきた、広島の風景という。また有名な母校修道のプールにも仕事の壁にぶちあたるたびに、こっそり訪れて夜中に海パン持参で忍び込んで泳ぎ、「芸能界で活動する中で幾多の壁に直面した。その度に修道のプールを訪れつらい思いを流すために泳いだ。僕にとって修道のプールは母の体のようなものであり、様々なことを学び、仲間と切磋琢磨したことが己の根幹、血肉となっている」「ここに来ると、つらい思いを水に流して、また仕事に戻ることができた。100回ぐらいは来ていると思う」などと話した。2017年4月に修道の新プール竣工祭に田口信教らとともに出席し、テープカットを行ったが、新プールが完成したことで、今後は忍び込めなくなることを残念がる吉川に、田原俊典校長は「吉川さん専用の入口を作ってお待ちしています」と“特別待遇”を約束した。

「駆け出しのころは歌手一本では食っていけなかったので、副業もこなせたらいいなと思って俳優業をしていた」とテレビ番組で後年、回想している。

上條淳士の漫画作品『TO-Y』(1985年 - 1987年)の主人公のライバル・哀川陽司のモデル。作者との対談(サンデーコミックス1巻収録)もしたことがあるが、その時まで自分では気づいていなかった。吉川をモデルにした理由として上條は、「当時の男性アイドルはまだキラキラした王子様みたいな人が多くて。それはトーイのライバルとしてはちょっと違うかなと思いました。吉川さんからは、男っぽさとかセクシーさとか、そういうものを感じたんです。例えば小学生の頃に好きだったジュリーと近い印象を持ったので、勝手にモデルにさせていただきました。これは今だから言える話ですけど、事務所や御本人の許可なしに出しちゃったんですよね(笑)、後に吉川さんと仕事を通じて知り合いになり、事後承諾頂きましたけど(笑)。現在では考えられない話です」などと述べている。上條は『TO-Y』の登場人物で特定のモデルがいるのはその哀川陽司だけで、「主人公トーイ、ニヤ、園子も特定のモデルはいない」と話している。

読書家。三国志をはじめとする中国史マニア(日本史の知識も少しある)。別冊文藝春秋2005年1月号では中国歴史小説家の宮城谷昌光と対談、中国史について並々ならぬ知識の片鱗をのぞかせている。中国ものを読み始めたきっかけは、歌詞を書く際のボキャブラリー不足を痛感して、とにかく文字に慣れよう、と考えたから。また、北方謙三とも交流があり、北方は対談した際の感想で「深く掘り下げた質問をしてくるし、細かいところまで良く知っているし、こいつは何で中国史をこんなに勉強しているんだ? 音楽やっているんじゃないのか?」と述べている。近年では古代中国関係の美術展にコメンテーターとして参加したり始皇帝と彩色兵馬俑展 2007 広島県立美術館、中国のテレビドラマ『三国志 Three Kingdoms』では日本語版のナレーションを担当した。独特の語り口を活かして歴史や科学など教養番組でもナレーションや、歴史小説の解説なども務める。またCD BOOK『エンジェルチャイムが鳴る夜に』のなかで小説も執筆している。

所有車は、フェラーリ・512TR、アストンマーティン・V8。スープラ、コルベットと乗り継ぎ、現在に至る。

ウーパールーパーを飼っている。繁殖も経験しているという。

極楽とんぼ・加藤浩次とは、20代の頃に吉川がよく通っていたバーで加藤がバーテンダーとして働いていたときからの知り合い。加藤によれば、吉川は来店するといつも「バーボンのロックを頼み、1瓶開けると酔った雰囲気も出さずに去っていった」という。当時吉川は加藤のことを「こうちゃん」と呼んでいた加藤浩次“神様”と憧れる超大物と再会 34年前、バイト時代に知り合うも「こうちゃんって呼んでくれて」 - スポーツニッポン・2024年6月2日。

2010年8月28日放送の『スマステーション』で「大阪のたこ焼きってキャベツないっておかしくないですか」「これを大阪人に言うと、馬鹿にされるんですよ」と発言。これには広島出身の大下容子テレビ朝日アナウンサーも同意。2014年6月25日のニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説!!」では、若いころ『Mステ』で、広島のお好み焼きにマヨネーズを入れると言った猿岩石を「広島のお好み焼きにマヨネーズは入れないだろ」と説教した。現在も「広島のお好み焼きにはマヨネーズを入れてはダメ」が持論である。

広島での番組やライブでは広島弁で話すが、同級生の奥田民生が「吉川はわざとらしい広島弁を喋っとる」と聞いて立腹した。同じ府中町出身のバイきんぐ西村瑞樹は「吉川さんの広島弁は心地よい。本来あるべき姿の広島弁だと、勉強してほしいくらいですよ!」などと吉川に代わって反論している。

2011年、「東日本大震災」発生直後の3月19日から5月2日まで3回にわたって、宮城県石巻市でボランティア活動をした。 同年7月に東京ドームで布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」復活ライブを開催、収益金の約6億5430万円を被災地に寄付をしている。また、2024年に発生した能登半島地震の復興支援チャリティーライブという名目で、5月15と16日の2日間にわたり、東京ドームにて13年ぶりにチャリティーライブを開催した。

2012年4月17日、都内のサウナで偶然居合わせたTOKIOの松岡昌宏が脱水症状で倒れ、吉川が介抱した。

2013年朝のNHK連ドラ『あまちゃん』で、勝地涼が演じた“前髪クネ男”のキャラは吉川を参考にしたというTVでた蔵 2013年11月3日放送 チューボーですよ!

バブル期を駆け抜け、今日まで日本の音楽シーンで一線で活躍するキャリアから、都市伝説の類いの数々の逸話を持つ。2014年6月25日、デビュー30周年を記念したシングル・コレクション『SINGLES+』のリリースに合わせて、30時間に及ぶ特番が「ニコニコ生放送」でオンエアされ、本人が生出演。「検証!吉川晃司、30の伝説!!」というコーナーで、自身にまつわる伝説の真相を語った。酔って家の鍵を無くし、壁を伝ってベランダから窓を割って入って大騒ぎになって、警察沙汰になったことがあるのは本当で、これは3階のときだったが、7階のマンションの部屋に壁伝いによじ登ったこともあるという(警察沙汰にはならなかった)。様々な吉川伝説は概ね事実であることが判明したが、「酒に酔っ払って西麻布の街を電話ボックスを担いで歩いたコトがある」という都市伝説は事実ではない(このエピソードについてダウンタウンの松本人志が「携帯電話ですね」とコメントしたことがある)。

『ザ・ベストテン』の番組内で、戦国大名・毛利元就の次男・元春(後に吉川家の養子となり、吉川元春に)の子孫だと紹介されたことがあるが、史実では、吉川元春の血縁的系譜は吉川経永で絶えており間違いである。歴史の話になると吉川自ら「俺は吉川の方だからね」の発言が何度かある。ただし、吉川家は途絶えたわけではない。吉川を「きっかわ」と読む言い方は中国地方独特のもので、全国的にみると9割強が「よしかわ」と読む。

地元が広島出身ということもあり、広島東洋カープのファンである。しかしデビューしたてのころ、「広島出身だが、カープのファンか?」との質問に、「あんまり興味ない。子供のころはよく野球やってたけど、中学くらいからはサッカーのほうが面白かった」とインタビューで答えていたことがある。

2013年8月6日、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で始球式を行い、111km/hの速球を投げ込み球場を沸かせた。また、被爆二世であることもあり、5回裏終了時に、「イマジン」の和訳バージョンを独唱し、核兵器廃絶を訴えた。

2016年10月22日、マツダスタジアムにて行われた『SMBC日本シリーズ2016』広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ 第1回戦にて国歌独唱を務めた。

2024年2月23日に行われたエディオンピースウイング広島での初めての公式戦で国歌を独唱した。

受賞歴

  • 第26回日本レコード大賞 新人賞『モニカ』
  • 第17回日本有線大賞 最優秀新人賞『モニカ』
  • 第8回日本アカデミー賞 新人俳優賞『すかんぴんウォーク』
  • 第27回ブルーリボン賞 新人賞『すかんぴんウォーク』
  • 第39回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞『すかんぴんウォーク』
  • 第34回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞『必死剣 鳥刺し』
  • 第87回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞『下町ロケット』
  • 2016 GQ Men of the Year
  • 第7回ジャパンアクションアワード ベストアクション男優優秀賞(『精霊の守り人 最終章』)

ディスコグラフィー

シングル

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位オリコンチャートによる最高順位を参照。収録アルバム
1stSMSレコード7インチSM07-2404位パラシュートが落ちた夏
2ndSM07-2436位LA VIE EN ROSE
3rdSM07-2464位
4thSM07-2481位オリジナル・アルバム未収録
5thSM07-250
6thSM07-2562位
7thSM07-247MODERN TIME
8thSM07-26010位
9thSM07-2654位オリジナル・アルバム未収録
10thSM10-270A-LA-BA・LA-M-BA
11thSM10-27412位
-SM00-13 -GLAMOROUS JUMP
12thSM07-2805位オリジナル・アルバム未収録
13th東芝EMI / EASTWORLD8センチCDCTTODT-2642TOST-2642LUNATIC LION
14th8センチCDTODT-27986位オリジナル・アルバム未収録
15thTODT-28735位Shyness Overdrive
16thTODT-293710位
17thTODT-29788位Cloudy Heart
18thTODT-31403位
19thTODT-32106位
- - - -
20th8センチCDTODT-34274位FOREVER ROAD
21stTODT-371112位BEAT∞SPEED
22ndTODT-382010位
23rdTODT-388634位
24thポリドールPODH-137514位HEROIC Rendezvous
25thPODH-138519位
26thPODH-140018位
27th12センチCDPOCH-176042位HOT ROD
28st8センチCDPODH-148218位
29thキティMME12センチCDUMCM-500127位オリジナル・アルバム未収録
-UMCK-5522 - -
30th徳間ジャパン / JAPAN RECORDSCD EXTRATKCA-7237629位PANDORA
31stTKCA-7255220位Jellyfish & Chips
32nd12センチCDTKCA-7278026位オリジナル・アルバム未収録
33rdCD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)TKCA-73068/8029位TARZAN
34th12センチCDTKCA-7310222位
35thTKCA-7317233位
36thTKCA-7331427位オリジナル・アルバム未収録
37thFar Eastern Tribe RecordsCD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)UMCF-9512UMCF-503814位Double-edged sword
38thワーナーミュージック・ジャパン / SAMURAI ROCKWPZL-30500/1WPCL-1128112位SAMURAI ROCK
39th12センチCDWPCL-1199416位WILD LIPS
-(ライブ会場での限定販売)WPDH-10471 -OVER THE 9

リミックス・シングル

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位収録アルバム
1st(No No サーキュレーション)SMSレコード12インチSM15-54124位SATISFACTION FAKE
2ndSM12-54205位
3rdSM12-542712位

コラボレーション・シングル

発売日歌手名タイトルレーベル規格規格品番順位収録アルバム
1stDISCO K2 TWINS東芝EMI / EASTWORLD12センチCDTOCT-4005748位TARZAN
2nd鳴海荘吉エイベックス・エンタテインメントCD+DVDCDAVCA-29789/BAVCA-297908位SAMURAI ROCK
3rdDaiKichi 〜大吉〜avex modeAVCA-29882/BAVCA-298839位

インターネット配信

配信開始日タイトルレーベル作詞作曲編曲収録作品備考
1st2008年4月16日 NOW(配信終了)中島みゆき中島みゆき - -ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」主題歌
2nd2008年4月30日 光と影 〜SEMPO LIVE ver.〜松井五郎吉川晃司 - -ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」劇中歌
3rd2011年8月3日 あの夏を忘れない吉川晃司松井五郎府中小の子どもたち -KEEP ON SINGIN'!〜日本一心〜広島県民会議主催の子供たちの夢を叶える「夢配達人プロジェクト」にて選ばれた広島県府中小学校の生徒の夢「被爆者に、原爆の様子を聞いて、それを元に、作曲家と一緒に歌を作って、歌いたい」を実現するため、同校OBの吉川晃司に作曲の依頼があったことから作成された曲。2010年、日本テレビの『24時間テレビ』で子供たちによって歌唱披露された。また、2011年にはフジテレビの『2011 FNS歌謡祭』で吉川晃司×AKB48のコラボレーションによって歌唱披露されている。リリースされた曲は中学生となった発案者達と府中小学校在校生の子供達約40人の合唱と、吉川晃司ボーカルによりレコーディングされたもの。
4th2013年7月31日 SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver.(アニメサイズ)アクセルミュージックエンターテイメント、ワーナーミュージック・ジャパン吉川晃司jam菅原弘明 -テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
5th2013年10月30日 The Sliders(アニメサイズ) -テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
6th2013年12月4日 SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver. -テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
7th The SlidersWILD LIPSテレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
8th2014年6月11日 せつなさを殺せない2014吉川晃司 -SINGLES+『SINGLES+』からの先行配信
9th2016年1月28日 Dance To The Future -WILD LIPS『三國志13』テーマソング
10th2016年8月6日 Over The Rainbow吉川晃司jam吉川晃司、菅原弘明OVER THE 9水球日本代表Poseidon Japan公式応援ソング。2016年12月10日放送のフジテレビ『MUSIC FAIR』でテレビ初披露。また、同年12月14日放送のフジテレビ『2016 FNS歌謡祭 第2夜』でも披露。
11th2018年1月10日 The Last Letter菅原弘明劇場版アニメ『マジンガーZ / INFINITY』エンディングテーマ。2017年12月13日放送のフジテレビ『2017 FNS歌謡祭 第2夜』でテレビ初披露。
12th2020年2月7日 Lucky man松井五郎カルビー『かっぱえびせん』WEB限定CMソング。
13th2020年6月16日 Brave Arrow / 焚き火(焚き火)松井五郎(Brave Arrow)吉川晃司、菅原弘明(焚き火)吉川晃司テレビドラマ『探偵・由利麟太郎』メインテーマ / エンディングテーマ。メインテーマのBrave Arrowはインスツルメンタル。焚き火の歌詞は二行のみで全編がほぼスキャットで歌唱されている。
14th2020年10月29日 BLOODY BLACKjam吉川晃司NHK BSプレミアム『フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿』オープニングテーマ。

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位
1stSMSレコードLPCTSM28-5407CM28-54074位
2ndSM28-5410CM28-54101位
3rdSM28-5414CM28-5414
4thLPCDCTSM28-5424MD32-5022CM28-5424
5thSM28-5430MD32-5106CM28-54302位
6thSM28-5438MD32-5438CM28-54385位
7th東芝EMI / EASTWORLDCDCTTOCT-6100TOTT-61002位
8thCDTOCT-66711位
9thTOCT-8300
10thTOCT-89655位
11thTOCT-96253位
12thポリドールPOCH-169310位
13thPOCH-181720位
14th徳間ジャパン / JAPAN RECORDSCD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)TKCA-72388TKCA-7239932位
15thTKCA-72570TKCA-7257516位
16thTKCA-73160TKCA-7316512位
17thFar Eastern Tribe RecordsUMCF-9515/7UMCF-102310位
18thワーナーミュージック・ジャパン / SAMURAI ROCKWPZL-30609/10WPCL-113896位
19thWPZL-31181/2WPCL-123595位
20th2CD(初回生産限定盤)CD(通常盤)WPCL-13432/3/4
LP(完全生産限定盤)WPJL-10177

ミニ・アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位
1stポリドールCD+DVDPOCH-901117位
2nd徳間ジャパン / JAPAN RECORDSCD EXTRATKCA-7251280位
3rdCD+DVDTKCA-7262672位

ライブ・アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位備考
1st東芝EMI / EASTWORLDLP(2枚組)CDCTRT18-5250/1CT36-5250ZT36-5250『Double-edged sword』初回限定盤に復刻盤として付属
2ndCDTOCT-70072位
3rdTOCT-70083位
4thTOCT-937412位
5thポリドールPOCH-176834位
6thキティMMECD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)UMCK-9501UMCK-401336位
7th徳間ジャパン / JAPAN RECORDSCDTKCA-7271013位『Thank You』初回限定盤に付属
8thFar Eastern Tribe RecordsUMCF-951610位『Double-edged sword』初回限定盤に付属

コンピレーション・アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位備考
1stSMSレコードCDCTMD32-5031CM28-5144 -リミックス曲集
2ndLPCDCTSM28-5439MD35-5439CM32-54393位SMSレコード時代のシングル集+アルバム収録曲のベストアルバム
3rd東芝EMI / EASTWORLDCDCTCT32-5365ZT28-536553位SMSレコード時代の吉川晃司制作曲のベストアルバム
4thCDTOCT-64451位吉川選曲のラブソング集
5thTOCT-99566位東芝EMI時代のシングル集+アルバム収録曲のベストアルバム
6thポリドールPOCH-168414位SMSレコード・東芝EMI時代のシングル・ベストアルバム
7thUSM JAPAN / ISLANDUMCK-405620位SMSレコード時代のベストアルバム
8th東芝EMI / EASTWORLDTOCT-2558921位東芝EMI時代のベストアルバム
9th徳間ジャパン / JAPAN RECORDSTKCA-7285025位東芝EMI・ポリドール・キティMME・徳間ジャパン時代のベストアルバム
10th東芝EMI / EAST WORLDCD(初回限定盤2枚組)CD(通常盤)TOCT-26206/7TOCT-2620824位リミックス曲集。初回限定盤は『SATISFACTION FAKE +』との2枚組
11thFar Eastern Tribe RecordsCD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)UMCF-9572UMCF-105519位ファンによる選曲のベストアルバム
12th2CD+DVD(期間限定完全盤)CD+DVD(初回限定盤)CD(通常盤)UMCF-9596/8UMCF-1064/5UMCF-959913位
13thワーナーミュージック・ジャパン3CDWPCL-11856/812位30周年記念のコンプリート・シングル・コレクション
14thCDWQCQ-586 -アルバム未収録のシングル・カップリング曲のベストアルバムライブ会場・ファンクラブ通販限定

カバー・アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番順位備考
1st徳間ジャパン / JAPAN RECORDSCD(初回盤3枚組)CD(通常盤2枚組)TKCA-72710TKCA-7271513位セルフカバー集

サウンドトラック

発売日タイトルレーベル規格規格品番
1stSMSレコードLPCDCTSM25-5413MD32-5003CM25-5413
2ndSM25-5425MD32-5025CM25-5425
3rdSM25-5432MD30-5109CM25-5432

その他アルバム

発売日タイトル収録曲備考
1st# STARDUST KISS# もしも僕が君ならば# 見上げてごらん夜の星を# Ever Blue
2nd# My Foolish Heart# キャンドルの夜# エンジェルチャイムが鳴る夜に書籍として発売。タイトル名の小説と同名称の曲を含む自作2曲と映画『大停電の夜に』テーマ曲のカバーを収録。

映像作品

発売日タイトルレーベル規格規格品番備考
1stSMSレコードVHSβLDH098-1001B098-1001MP-173-15WAライブ・ビデオ
2ndH098-1003B098-1003
3rdH078-1007B078-1007SM058-3024
4thH088-1008B088-1008D068-1008
5th東芝EMIVHSLDTT60-1290HILO60-1137
6thTOVF-1121TOLF-1121ミュージック・ビデオ
7thTOVF-1125TOLF-1125ライブ・ビデオ
8thTOVF-1159TOLF-1159ミュージック・ビデオ
9thTOVF-1162TOLF-1162ライブ・ビデオ
10thTOVF-1190TOLF-1190ミュージック・ビデオ
11thTOVF-1208TOLF-1208ライブ・ビデオ
12thポリドールPOVH-1064POLH-1064
13thPOVH-1065POLH-1065
14thマーキュリー・ミュージックエンターテイメントVHSPHVL-7002
15thPHVL-7003ドキュメンタリー
16th -ファンクラブ限定販売
17th徳間ジャパン / JAPAN RECORDSVHSDVDAXLV-0005TKBA-1033ライブ・ビデオ
18thDVDTKBU-1036ミュージック・ビデオ
19thTKBA-1040ライブ・ビデオ
20th2DVD+CD(初回限定版)2DVD(通常版)TKBA-1055TKBA-1060
21st2DVD+CD-ROM(初回限定版)2DVD(通常版)TKBA-1075TKBA-1071
22ndDVDTKBA-1089
23rdDVD(初回限定版)DVD(通常版)TKBA-1100TKBA-1105
24thDVD(3枚組)TKBA-1113
25thDVD(初回限定版)(通常版)TKBA-1115TKBA-1123
26thDVDTKBA-1124
27thFar Eastern Tribe RecordsDVD+USBメモリ(初回限定版)DVD(通常版)UMBF-9530UMBF-1011〜2
28th2DVD+CD(初回限定版)2DVD(通常版)UMBF-9540UMBF-1022〜3
29thワーナーミュージック・ジャパンBlu-ray+CD(初回限定版)2DVD+CD(初回限定版)Blu-ray(通常版)DVD(通常版)WPZL-90040/1WPZL-90037/9WPXL-90027WPBL-90253/4
30thBlu-rayDVDWPXL-90094/6WPLP-90317/9
31stBlu-rayDVDWPXL-90110WPLP-90350
32ndDVD+CD(初回限定盤)Blu-ray+CD(初回限定盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90128/9WPZL-90130/1WPBL-90405WPXL-90137
33rdDVD+CD(完全生産限定盤)Blu-ray+CD(完全生産限定盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90161/2WPZL-90159/0WPBL-90474WPXL-90178
34th2DVD+CD(完全生産限定盤)Blu-ray+CD(完全生産限定盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90194/5/6WPZL-90192/3WPBL-90537WPXL-90222
35thDVDBlu-rayWPBL-90542WPXL-90228
36thDVD+CD+フォトブック(完全生産限定盤)Blu-ray+CD+フォトブック(完全生産限定盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90248/9WPZL-90250/1WPBL-90584WPXL-90257
37thDVD+フォトブック+吉川晃司オリジナルVRグラス+VR視聴カード(完全生産限定スペシャルBOX盤)Blu-ray+フォトブック+吉川晃司オリジナルVRグラス+VR視聴カード(完全生産限定スペシャルBOX盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90263/4WPZL-90265/6WPBL-90618WPXL-90293
38thDVD+CD+フォトブック(完全生産限定盤)Blu-ray+CD+フォトブック(完全生産限定盤)DVD(通常盤)Blu-ray(通常盤)WPZL-90276/77WPZL-90278/79WPBL-90658WPXL-90319

ボックス・セット

発売日タイトルレーベル規格規格品番備考
1st東芝EMI / EASTWORLDCD+DVDTOCT-26125/9東芝EMI時代のオリジナル・アルバム(CD5枚組、デジタルリマスター盤)+ミュージック・ビデオ集
2ndFar Eastern Tribe RecordsDVDUMBF-9501/14DVD14枚組ライブ映像集。ファンクラブ仕様は17枚組。
3rdワーナーミュージック・ジャパンSHM-CD/CDWPCL-11901/25オリジナル・アルバム(SHM-CD 全18枚)をデジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様で収録。ミニ・アルバム・企画盤(CD 全4枚)と12inchシングル(CD 全3枚)をボーナス・ディスクとして収録。ライブ・ヒストリー・ブック付。

ミュージック・ビデオ

タイトル監督備考
共演:石原真理子
漆畑銑治
三池崇史共演:福本清三本山力
小松壮一郎
三池崇史共演:山口祥行与座重理久本山力
2004年 20th Anniversary Ver.小松壮一郎
川村ケンスケ共演:高瀬媛子、TAMAYO
小松壮一郎
共演:奏音
大友啓史共演:平山祐介深水元基
小松莊一良
丹修一

参加作品

歌手名タイトル収録作品レーベル備考
山下久美子Living Togetherアルバム『BLONDE』日本コロムビアコーラス
BOØWY1994-LABEL OF COMPLEX-アルバム『JUST A HERO』東芝EMI / EASTWORLDヴォーカル(ツイン・ヴォーカル)
松井常松TONIGHTアルバム『Bye Bye EXTREMER』ギター
山下久美子こっちをお向きよソフィアアルバム『THE HEARTS』コーラス
村上秀一飾りじゃないのよ涙はアルバム『MY PLEASURE 〜FEATURING GREATEST MUSICIANS〜』ビクターエンタテインメントヴォーカル・ギター
山下久美子SOMEDAY feat.吉川晃司アルバム『Duets』東芝EMI / Virgin Musicヴォーカル(デュエット)
DISCO TWINSJuicy Jungle feat. 吉川晃司アルバム『TWINS DISCO』キューンレコードヴォーカル
Thunder Storm feat. 吉川晃司
川村カオリLOVE REAL ACTIONアルバム『K』MILESTONE CROWDSヴォーカル(デュエット)・コーラス・ギター・プログラミング
松井常松GOOD FEELINGアルバム『HORIZON 〜20TH ANNIVERSARY〜』ハドソン・ミュージックエンタテインメントコーラス
奥田民生ライジングサン -ラーメンカレーミュージックレコードヴォーカル数多のミュージシャン参加。配信限定曲。
松岡充罪と罰とアングラ -コーラス

楽曲提供

歌手名曲名収録(初出のみ)作詞作曲編曲原田知世葡萄畑の走り方アルバム『NEXT DOOR』1986年秋元康吉川晃司後藤次利
セレブレーションアルバム『Soshite』湯川れい子
金山一彦Summer Timeを引きずってアルバム『FISH』1987年柳川英巳, 金山一彦
小泉今日子Hippiesアルバム『Hippies』渡辺えり子大村雅朗
小川美由希Stand Upアルバム『mew club』小川美由希渡辺格, 大平勉 & Haward Killy
Shiningdaysアルバム『BITTER SPICE』1988年渡辺格
KEN-JIN BANDHungry Manシングル「Hungry Man」2001年横山雄二サウンドプロデュースも担当。後に「Fame & Money」としてセルフカバー
DISCO TWINSJuicy Jungle feat.吉川晃司アルバム「TWINS DISCO」2006年吉川晃司, JamDISCO TWINSボーカルとしても参加
川村カオリLOVE REAL ACTION feat.吉川晃司アルバム『K』2009年川村カオリ菅原弘明デュエットでボーカルとしても参加
松岡充罪と罰とアングラ風都探偵CD-BOX2022年松岡充楽曲プロデュースおよびコーラスとしても参加「ギムレットには早すぎる」としてセルフカバー

タイアップ

楽曲タイアップ内容
1984モニカ映画『すかんぴんウォーク』(東宝)主題歌
Miss Youグリコ「カリフォルニアバー」コマーシャルソング
1985年You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜映画『ユー・ガッタ・チャンス』(東宝)主題歌
Rainy Lane映画『ユー・ガッタ・チャンス』(東宝)挿入歌
Lady Babyカネボウ化粧品「ブローコロン」コマーシャルソング
にくまれそうなNEWフェイスカネボウ化粧品「サンセラミィ」コマーシャルソング
RAIN-DANCEがきこえるグリコ「カリフォルニアバー」コマーシャルソング
1986年MODERN TIME映画『テイク・イット・イージー』(東宝)主題歌
永遠のVELVET KISS映画『テイク・イット・イージー』(東宝)挿入歌
1987年終わらないSun Set映画『シャタラー』(東宝)主題歌
KDD「TEL MEキャンペーン」コマーシャルソング
GLAMOROUS JUMPKDD「TEL MEキャンペーン」コマーシャルソング
1991年Virgin Moon三貴「ブティックJOY」コマーシャルソング
1992年せつなさを殺せないテレビ番組『君といつまでも』(テレビ朝日系列)オープニングテーマ
ジェラシーを微笑みにかえてテレビ番組『OH!エルくらぶ』(テレビ朝日系列)オープニングテーマ
Brain SUGARカネボウ化粧品「NFL」コマーシャルソング
1993年VENUS 〜迷い子の未来ローソン「3D R&R SHOW」コマーシャルソング
1994年Rambling Roseテレビドラマ『ザ・ワイドショー』(日本テレビ系列)主題歌
1995年BOY'S LIFE資生堂「アグレヘアジェリングウォーター」コマーシャルソング
1996年アクセルテレビ番組『第16回 全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ系列)オープニングテーマ
SPEEDテレビ番組『ダウンタウンDX』(日本テレビ系列)エンディングテーマ
SHADOW BEAT音楽番組『ポップジャム』(NHK)オープニングテーマ
1997年エロステレビ番組『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系列)エンディングテーマ
1998年KEY 〜胸のドアを暴け〜河合塾コマーシャルソング
1999年ギラギラテレビ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS系列)エンディングテーマ
夏色の恋に着換えてテレビアニメ『パパと踊ろう』(TBS系列)主題歌
2002年パンドーラテレビ番組『BEAT MOTION』(NHK)テーマソング
The Gundogsクラリオン「Auto PC Cadias」
2003年Milky Wayテレビドラマ『交渉人』(WOWOW)主題歌
[006年サバンナの夜テレビドラマ『新・桃太郎侍』(テレビ朝日系列)主題歌
ONE WORLD映画『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』(東映)主題歌
2007年せつなさを殺せない (NIRGILIS VENUS MIX)テレビ番組『2時っチャオ!』(TBS系列)2月度エンディングテーマ
ジャスミンテレビ番組『2時っチャオ!』(TBS系列)3月度エンディングテーマ
2010年Nobody's Perfect特撮テレビドラマ『仮面ライダーW』(テレビ朝日系列)挿入歌
2012年SAMURAI ROCK黄桜『辛口一献「サムライロック」篇』コマーシャルソング
朝焼け黄桜『辛口一献「燗、極まる。」篇』コマーシャルソング
2013年SAMURAI ROCK映画『ゴーストライダー2』(松竹)イメージソング
音楽番組『JAPAN COUNTDOWN』(テレビ東京系列)3月度オープニングテーマ
SAMURAI ROCK 〜義風堂々 ver.テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
The Slidersテレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
2014年Dream On映画『イン・ザ・ヒーロー』(東映)主題歌
2016年Dance To The Futureゲーム『三國志13』テーマソング
Over The Rainbow水球日本代表Poseidon Japan公式応援ソング
2017年SAMURAI ROCKJ SPORTS『2017 WORLD BASEBALL CLASSIC (WBC)』中継テーマソング
2018年The Last Letter映画『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』(東映)エンディングテーマ
2020年Lucky manカルビー『かっぱえびせん』WEB限定CMソング
Brave Arrowテレビドラマ『探偵・由利麟太郎』メインテーマ
焚き火テレビドラマ『探偵・由利麟太郎』エンディングテーマ
BLOODY BLACKNHK BSプレミアム『フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿』オープニングテーマ
2022年ソウル・ブレイドWOWOW『ラグビーテストマッチ2022オータム・ネーションズシリーズ』テーマソング

公演

※2014年に発売されたCDボックス・セット『Complete Album Box』に、2013年までの30年間のライブ・ヒストリーのデータ・ベース化した「ライブ・ヒストリー・ブック」に記載があるが、誤植がいくつかあるので、ここでは訂正した内容で掲載する。現在まで、奈良県(本公演を含めれば、沖縄県も)では単独公演が開催されていない。また2023年現在、日本武道館での単独公演回数は36回(COMPLEX時代も含めると、39回)。

単独公演・フィルムコンサート

1983年 - 1988年

日程ツアータイトル会場・備考参加ミュージシャン
1983年4月3日はまちバンド解散 & 吉川晃司旅立ちコンサート1会場1公演4月3日 広島市見真講堂所属していたバンド「はまちバンド(別名 EIGHT CITY FISH BAND)」の解散と東京へ上京する吉川を激奨するために開催されたコンサート。800人収容のホールに立見が出るほど大盛況となった。このライブの一部がDVD『LIVE archives 25』に収録されている。
1983年11月6日デビューライブコンサート1会場1公演11月6日 新宿ルイードデビュー前に行われた、ファーストコンサート。
1983年11月19日ファン結成式1会場1公演11月19日 広島そごう 屋上デビュー前に行われた、ファンの集い。デビュー前にもかかわらず、約500名が集まった。
1983年12月5日ライブハウスコンサート1会場2公演12月5日 渋谷LIVE INN (2回公演)デビュー前にもかかわらず、2公演とも満員になった。
1984年1月26日 - 2月8日「すかんぴんウォーク」試写会&ライブツアー7会場7公演読売ホールでは、定員をはるかにオーバーする来場者があり、開演時には「入場お断り」に。
1984年2月19日 - 3月29日ライブハウスツアー4会場?公演2月19日 新宿ルイード??月??日 仙台モーニングムーン2月26日 札幌ペニーレーン3月29日 大阪バナナホール初の全国ライブハウスツアー。
1984年3月18日 - 3月30日レコード店タイアップコンサート3会場?公演3月18日 青山ベルコモンズ3月??日 清水市民会館3月30日 池袋サンシャインビル池袋では、約7000人の来場があったため、スタートして2曲で中断。
1984年5月15日 - 6月15日'84 FLYING PARACHUTE TOUR「参加ミュージシャン」欄は、映像作品収録のクレジット欄より16会場16公演初の本格的な全国ツアー。沖縄公演は、この公演以降は現在まで行われていない。参加者《PaPa》ギター:稲葉智ベース:笠原敏幸キーボード:山崎透(サポートメンバー)ドラム:小林誠
1984年7月15日 - 8月23日吉川晃司 Video Live11会場14公演デビュー前、読売ホール、バナナホールのライブ映像にて行われたフィルムコンサート。
1984年9月12日 - 11月8日FLYING PARACHUTE TOUR Ⅱ13会場13公演前回のツアーで公演を行わなかった都市を中心に開催されたツアー第2弾。
1984年10月20日 - 11月9日学園祭ライブ3会場3公演10月20日 梅村学園10月28日 福岡歯科大学11月9日 松阪女子高校
1985年1月6日 - 1月17日'85 吉川晃司 Live For Rockfeeling Kids 「晃司に触れたい」ベストアルバム『SINGLES+』クレジット欄より2会場3公演1月6日 大阪城ホール1月11日 日本武道館1月17日 日本武道館 (追加公演)初のアリーナツアー。当時吉川は「デビュー1年以内に武道館をいっぱいにしたい」という目標があり、見事目標を実現させた。参加者《PaPa》ギター:稲葉智ベース:笠原敏幸キーボード:山崎透ドラム:椎野恭一(サポートメンバー)サクソフォーン:エリック笠原シンセサイザープログラマー:松武秀樹
1985年3月21日 - 7月4日’85 JAPAN TOUR58会場64公演山形公演では収容人数1500人のところ、イベンターが倍の数のチケットを販売したために責任者は逃げ出し、開演時間は1時間遅れ、立見の観客が会場の扉にまで溢れかえる事態となった(公演は無事に行われた)。参加者《PaPa》ギター:稲葉智ベース:笠原敏幸キーボード:山崎透ドラム:椎野恭一(サポートメンバー)サクソフォーン:エリック笠原シンセサイザープログラマー:松武秀樹
1985年7月27日'85 JAPAN TOUR FINAL1会場1公演7月27日 国営昭和記念公園JAPAN TOURの最終公演、そして初の大規模野外ライブ。
1985年7月31日 - 8月11日'85 K.KIKKAWA SUMMER ROCK FES.5会場5公演7月31日 真駒内オープンスタジアム(VS HOUND DOG)8月3日 大阪城公園・北の丸庭園(VS NOBODY、伊藤銀次、バービーボーイズ)8月6日 名古屋城 深井丸広場(VS 山下久美子)8月9日 岡山市総合文化体育館(VS 爆風スランプ)8月11日 福岡国際センター(VS 本田恭章吉川主催の対バンツアー。
1985年9月30日KOJI KIKKAWA ビデオコンサート 〜’85 SUMMER「TOUR」DOCUMENTARY 銀座山野楽器 12インチシングル「Can’t you hear the RAIN-DANCE発売告知葉書より1会場1公演9月30日 銀座山野楽器本館4F Jam Spot銀座山野楽器から発送された12インチ・シングル発売告知のダイレクトメールをイベント当日持参すれば参加出来た「’85 JAPAN TOUR」ライブとドキュメンタリー映像による山野楽器独自企画のビデオ・コンサート。
1985年12月14日 - 12月27日仮説! 吉川晃司 '863会場9公演《TOKYO 8 DAYS LIVE》 12月14日 渋谷公会堂 12月15日 渋谷公会堂 12月17日 渋谷公会堂 12月18日 渋谷公会堂 12月19日 中野サンプラザ 12月21日 渋谷公会堂 12月22日 渋谷公会堂 12月25日 中野サンプラザ(追加公演)12月27日 大阪城ホール元々は日本武道館公演を行ないたかったが、前回の武道館公演で「公演中ステージから客席のアリーナに降りてはいけない」規約を違反し降りたため武道館が借りられず「TOKYO 8 DAYS LIVE」として公演を行った。参加者《PaPa》ギター:稲葉智ベース:笠原敏幸キーボード:山崎透ドラム:椎野恭一(サポートメンバー)キーボード:奈良部匠平サックス:沢井原児
1986年2月23日KOJI ビデオプレビュー LONG GOOD-BY FROM KOJI[銀座山野楽器 アルバム「MODERN TIME」発売告知葉書より1会場1公演2月23日 銀座山野楽器本館4F Jam Spot銀座山野楽器にてアルバム「MODERN TIME」を予約、または購入者から抽選で招待された山野楽器独自企画のビデオ・イベント。映画「テイク・イット・イージー」公開前に、前主演2作を含め紹介された。
1986年4月27日 - 5月5日K.KIKKAWA "休日のSATISFICTION=FAKE"4会場4公演4月27日 西武球場4月29日 比叡山スキー場5月3日 ポートメッセなごや5月5日 小戸トワイライトゾーンゴールデンウィーク中に行われた、野外ライブツアー。1984年に西武球場で行われた「オールナイトニッポン スーパーフェス ASAHI BEER LIVE」に前座で出演した際に「いつかは自分一人で球場を満杯にしたい!」と思っていたそうである。参加者《PaPa》ギター:稲葉智ベース:笠原敏幸キーボード:山崎透ドラム:椎野恭一(サポートメンバー)キーボード:奈良部匠平サックス:沢井原兒マニピュレーター:神崎真雄
1986年5月18日 - 8月21日'86 DRASTIC MODERN TIME TOUR37会場53公演
1987年4月4日 - 5月27日BIG CITIES CIRCUIT 解体へのSUGGESTION14会場24公演 3月の京都・横浜公演は、映画撮影スケジュール延長の為、5月に延期振替となった吉川晃司オフィシャルファンクラブ「FLEET K2」会報Vol.16 同封チラシより。
1987年8月9日87 BIG ONE NIGHT~The Best What-if~1会場1公演8月9日 国営昭和記念公園
1987年12月11日 - 1988年4月21日QUESTION ~Now thinking with pleasure~55会場59公演4月の郡山・長岡公演は、本人の体調不良により公演中止、5月に振替。アリーナ席に飛び降りた為出入禁止となっていた日本武道館が晴れて解禁となり2年振りの開催となった吉川晃司オフィシャルファンクラブ「FLEET K2」会報Vol.19 同封チラシより。
1988年5月6日、5月9日武道館スペシャル "BACK TO ZERO"1会場2公演5月6日 日本武道館5月9日 日本武道館渡辺プロ退所前に行われた、ツアーとは異なる内容で、武道館公演として初のセンターステージにて行われた。前ツアーの延期公演が無ければ、本公演が渡辺プロ所属での最後の公演となる予定であった。
1988年7月29日 - 9月29日hi-vision live film world'88 zero36会場38公演COMPLEXの活動前に行われたフィルム・コンサート。当時としては珍しいハイ・ビジョンカメラで撮影された映像が使用された。後楽園ホールのみ特製Tシャツプレゼント。

1991年 - 2000年

日程ツアータイトル会場・備考参加ミュージシャン
1991年5月16日SECRET GIG “ THE LUNAR EFFECT”1会場1公演5月16日 渋谷 ON AIRFC限定ライブ
1991年5月27日 - 7月24日Lunatic LUNACY Tour 199121会場24公演参加者ギター:吉田光ベース:後藤次利キーボード:ホッピー神山パーカッション:スティーヴ衛藤ドラム:古田たかしマニピュレーター:桑島幻矢
1991年12月11日 - 12月31日1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-"ライブアルバム『GOLDEN YEARS VOL.II』クレジット欄より2会場3公演12月11日 日本武道館12月12日 日本武道館12月31日 大阪城ホール参加者ドラム:池畑潤二ベース:吉田建キーボード:山崎透ギター:原田喧太ギター:窪田晴男マニピュレーター:桑島幻矢
1992年9月25日 - 12月27日Shyness Overdrive TOUR 199232会場34公演参加者ギター:原田喧太ギター:ブラボー小松ベース:山本秀史ドラム:矢壁篤信パーカッション:スティーヴ衛藤キーボード:山崎透マニピュレーター:桑島幻矢
1993年1月26日 - 2月9日10TH ANNIVERSARY MEMORIAL LIVE '935会場7公演参加者ドラム:矢壁アツノブベース:山本秀史ギター:原田喧太ギター:ブラボー小松パーカッション:スティーヴエトウマニピュレーター:桑島幻矢
1994年2月1日LAWSON SPECIAL 吉川晃司 3D R&R SHOW17会場1公演ローソン提供による「世界初立体映像が現実を越える衛星中継LIVE」と銘打った、現在のライブ・ビューイングの布石となるイベント。横浜のライブ会場から、全国の会場へ衛星中継で放映された。全国17ヶ所3万人、ライブ会場はFC会員より100組200名を招待。実際のLIVEを、ハイビジョンによる右目用左目用に2つのカメラで撮影、2つの映像を同時に1つの画面に写し、観客は映像を専用の偏光サングラスで見て、立体で楽しめた。
1994年2月5日 - 5月29日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1994 "My Dear Cloudy Heart"38会場49公演初日の戸田公演は、FC限定ライブ。チケット購入者には公演記念の金のメタルプレートが進呈された。参加者ギター:広瀬さとしベース:太田要ドラム:上領亘パーカッション:スティーヴ衛藤キーボード:矢代恒彦マニピュレーター:桑島幻矢
1995年7月27日 - 10月10日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1995 "FOREVER ROAD"ライブアルバム『GOLDEN YEARS VOL.III』クレジット欄より11会場22公演初日の松戸公演は、FC限定ライブ。チケット購入者には公演記念の銀のメタルプレートが進呈された。また、7月29日の静岡公演では公演中に肋骨骨折、その影響で8月の札幌公演は10月に延期された。参加者ドラム:上領亘ベース:浅田孟キーボード:矢代恒彦ギター:原田喧太テナーサックス:YUKARIEコンピュータプログラミング:桑島幻矢
1996年10月25日 - 1997年2月8日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1996-1997 "BEAT ∞ SPEED"ライブアルバム『GOLDEN YEARS VOL.IV』クレジット欄より31会場40公演1996年10月25日 戸田市文化会館10月28日 大宮ソニックシティ10月30日 NHKホール10月31日 NHKホール11月8日 静岡市民文化会館11月10日 群馬県民会館11月12日 倉敷市民会館11月13日 神戸国際会館こくさいホール11月16日 新潟県民会館11月18日 仙台サンプラザ11月24日 千葉県文化会館11月25日 府中の森芸術劇場11月27日 茨城県立県民文化センター11月28日 宇都宮市文化会館11月30日 名古屋国際会議場 センチュリーホール12月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホール12月3日 石川厚生年金会館12月5日 京都会館12月6日 長野県県民文化会館12月15日 仙台サンプラザ12月17日 郡山市民文化センター12月18日 岩手県民会館12月21日 北海道厚生年金会館12月22日 北海道厚生年金会館1997年1月7日 神奈川県民ホール1月9日 イイヅカコスモスコモン1月10日 宮崎市民文化ホール1月12日 鹿児島市民文化ホール1月13日 熊本市民会館1月16日 福岡サンパレス1月17日 福岡サンパレス1月19日 広島厚生年金会館1月20日 広島厚生年金会館1月28日 大阪厚生年金会館1月29日 大阪厚生年金会館2月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホールMITSUBISHI MOTORS BEATNAVIGATION《"BEAT ∞ SPEED" SPECIAL》2月2日 赤坂BLITZ 《"BEAT ∞ SPEED" FINAL》2月5日 日本武道館2月7日 日本武道館2月8日 日本武道館参加者ドラム:上領亘ベース:小池ヒロミチキーボード:矢代恒彦キーボード&マニピュレーター:吉村龍太ギター:原田喧太
1997年2月9日K2@10TH ANNIVERSARY K2 MEMBERS ONLY LIVE1会場1公演2月9日 赤坂BLITZオフィシャルファンクラブ10周年を記念した、FC限定ライブ。チケット購入者には公演記念の銀のメタルプレートが進呈された。
1998年2月10日 - 2月14日KOJI KIKKAWA "LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015"2会場3公演2月10日 赤坂BLITZ (PREVIEW)2月13日 日本武道館2月14日 日本武道館参加者ギター:原田喧太ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦キーボード&マニピュレーター:吉村龍太
1998年6月13日 - 8月18日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1998 "HEROIC Rendezvous"16会場20公演参加者ドラム:酒井麿ベース:小池ヒロミチキーボード:矢代恒彦キーボード&マニピュレーター:吉村龍太ギター:原田喧太
1999年9月1日 - 10月29日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1999 "HOT ROD MAN"13会場15公演初日の戸田公演は、FC会員90%のプレビューライブ。
2000年5月12日 - 6月2日KOJI KIKKAWA "HOT ROD MAN RETURNS" LIVE 2000ライブアルバム『Spirit×ナイフ 〜GOLDEN YEARS MILLENNIUM EDITION〜』クレジット欄より4会場7公演参加者ギター:原田喧太ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦

2001年 - 2010年

日程ツアータイトル会場・備考参加ミュージシャン
2001年2月25日 - 4月30日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2001 "SOLID SOUL"14会場18公演
2001年12月22日 - 12月24日KOJI KIKKAWA X'mas Carol Drive 2001ミニアルバム『The Gundogs』クレジット欄より1会場3公演12/22 Zepp Tokyo12/23 Zepp Tokyo12/24 Zepp Tokyo参加者ギター:稲葉智ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦
2002年7月7日、7月21日吉川晃司 vs KOJI KIKKAWA ONE NIGHT SPECIAL LIVE Propaganda 20022会場2公演7月7日 NHKホール7月21日 なんばHatch (OSAKA EDITION)
2002年8月16日 - 10月19日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2002 "スマッシュ THE パンドーラ"カバーアルバム『Thank You』 Disc 3「LIVE GOLDEN YEARS 20th」クレジット欄より14会場16公演参加者ギター:原田喧太ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦
2002年12月01日KOJI KIKKAWA produceDate FM 20th Anniversary SPECIAL LIVESupported by LAOX1会場1公演12月1日 Zepp Sendai
2002年12月13日 - 12月24日X'mas Carol Drive 20024会場5公演12月13日 なんばHatch12月15日 名古屋OZON12月21日 Zepp Tokyo12月22日 Zepp Tokyo12月24日 Zepp Fukuoka
2003年8月15日 - 10月12日KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2003 "Love Jellyfish"19会場19公演参加者ギター:石垣愛ベース:CHIROLYNドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦
2003年11月9日新星堂イベント Jellyfish&Chips1会場1公演11月9日 渋谷BOXX新星堂にてアルバム「Jellyfish&Chips」を購入された方の中から300人を招待して行われたイベント。同日会場前路上にて、ストリートライブも開催。
2003年12月23日X'mas Carol Drive 20031会場1公演12月23日 Zepp Tokyo
2003年12月31日KOJI KIKKAWA "20th Year's Eve"1会場1公演12月31日 SHIBUYA O-EAST自身初、そして現在まで唯一行われたカウントダウン・ライブ。
2004年2月7日、2月14日KOJI KIKKAWA LIVE GOLDEN YEARS 20th Anniversary PRELUDE2会場2公演2月7日 SHIBUYA-AX2月14日 日本武道館参加者ギター:原田喧太ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦
2004年7月4日 - 8月18日KOJI KIKKAWA 20th Anniversary 2004 "Innocent Rock"7会場7公演7月4日 日比谷野外大音楽堂7月9日 クラブダイアモンドホール7月11日 なんばHatch7月17日 Zepp Tokyo7月24日 福岡DRUM LOGOS7月25日 広島CLUB QUATTRO8月18日 渋谷公会堂
2004年07月07日KOJI KIKKAWA 20th Anniversary "Mega★Rocks Special"1会場1公演7月7日 Zepp Sendai
2004年11月13日TOWERS RECORD インストアイベント1会場1公演11月13日 TOWER RECORDS 渋谷店
2004年10月25日 - 2005年1月16日KOJI KIKKAWA 20th Anniversary "LIVE GOLDEN YEARS TOUR"13会場13公演
2005年1月29日KOJI KIKKAWA 20th~21st LIVE GOLDEN YEARS "Thanks"1会場1公演1月29日 SHIBUYA-AX
2005年2月1日KOJI KIKKAWA 20th~21st LIVE GOLDEN YEARS "Thanks 0201"1会場1公演2月1日 日本武道館参加者ギター:原田喧太ベース:小池ヒロミチドラム:酒井麿キーボード:矢代恒彦
2005年7月17日KIKKAWA KOJI 2005 "LIVE With xxx"1会場1公演7月17日 日比谷野外大音楽堂 (FC限定ライブ)
2005年8月20日KIKKAWA KOJI 2005 "LIVE With xxx EXTRA"1会場1公演8月20日 日比谷野外大音楽堂
2005年12月21日CD BOOK「エンジェルチャイムが鳴る夜に」出版記念イベント サイン本付き握手会1会場1公演12月21日 新宿有隣堂
2005年12月29日、12月30日KIKKAWA KOJI LIVE 2005 "エンジェルチャイムが鳴る夜に"1会場2公演12月29日 国立代々木競技場 第二体育館12月30日 国立代々木競技場 第二体育館
2006年7月1日 - 9月10日KIKKAWA KOJI LIVE 2006 "Savannah Night~Club Jungle~"6会場6公演7月1日 NHKホール7月17日 名古屋市民会館7月30日 神奈川県民ホール8月10日 大阪厚生年金会館8月1日8 SHIBUYA-AX9月10日 御荘文化センター
2006年10月1日KIKKAWA KOJI LIVE 2006 ROLL OVER the DISCOTHEQUE!from Club Jungle1会場1公演10月1日 日本武道館参加者ギター:弥吉淳二ベース:小池ヒロミチドラム:坂東慧キーボード:ホッピー神山パーカッション:スティーヴ衛藤DJ&シークエンス、エフェクト:DISCO TWINSギター:原田喧太ギター:瀧川一郎ヒューマンビートボックス:MOTO
2007年4月5日KIKKAWA KOJI SPECIAL LIVE "TARZAN"1会場1公演4月5日 新木場STUDIO COAST
2007年4月27日 - 8月18日KIKKAWA KOJI LIVE 2007 CLUB JUNGLE TOUR "TARZAN!"15会場17公演参加者ギター:弥吉淳二ギター:菊地英昭ベース:小池ヒロミチ キーボード:ホッピ神山キーボード:矢代恒彦ドラム:坂東慧
2007年7月4日、7月6日KIKKAWA KOJI CLUB RADIO JUNGLE2会場2公演7月4日 大阪BIG CAT7月6日 名古屋Electric Lady Land
2007年12月30日、12月31日THE SECOND SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2007 CLUB JUNGLE EXTRA "TARZAN!1会場2公演12月30日 国立代々木競技場 第二体育館12月31日 国立代々木競技場 第二体育館
2008年12月29日 - 12月31日KIKKAWA KOJI LIVE 2008 25th Year's Eveアルバム『Double-edged sword』 Disc 2「25th Year's Eve Live」クレジット欄より1会場3公演12月29日 国立代々木競技場 第二体育館12月30日 国立代々木競技場 第二体育館12月31日 国立代々木競技場 第二体育館参加者ギター:弥吉淳二ギター:菊地英昭ギター:原田喧太ギター:アベフトシベース:小池ヒロミチ ベース:JOEドラム:SATOKOキーボード:ホッピ神山
2009年8月18日25th Anniversary プレミアムバースデーイベント1会場1公演8月18日 SHIBUYA-AXシングル「傷だらけのダイヤモンド」アルバム「Double-edged sword」各CD封入応募券送付による抽選招待
2009年10月29日 - 2010年2月6日KIKKAWA KOJI LIVE 2009-2010 25th Anniversary LIVE GOLDEN YEARS TOUR15会場16公演
2010年8月17日、8月18日KIKKAWA KOJI LIVE 2010 Summer Groove ~club edition~1会場2公演8月17日 SHIBUYA-AX8月18日 SHIBUYA-AX
2010年8月19日KIKKAWA KOJI BIRTHDAY LIVE With xxx 20101会場1公演8月19日 SHIBUYA-AX (FC限定)
2010年12月29日、12月30日KIKKAWA KOJI LIVE 2010 Winter Groove1会場2公演12月29日 国立代々木競技場 第二体育館12月30日 国立代々木競技場 第二体育館参加者ギター:菊地英昭ギター:伊藤可久ベース:小池ヒロミチ キーボード:ホッピ神山ドラム:菅沼孝三

2011年 - 2020年

日程ツアータイトル会場・備考参加ミュージシャン
2011年10月30日 - 12月31日KIKKAWA KOJI LIVE 2011 KEEP ON KICKIN' & SINGIN'~日本一心~12会場13公演参加者ギター:菊地英昭ギター:伊藤可久ベース:小池ヒロミチ キーボード:ホッピ神山ドラム:坂東慧
2012年2012年8月17日KOJI KIKKAWA OFFICIAL FAN CLUB TALK EVENT K2 LIMITED With xxx1会場2公演10月30日 イズミティ21 (2回公演)
2013年5月5日 - 8月18日KIKKAWA KOJI LIVE 2013 SAMURAI ROCK BEGINNING18会場18公演参加者ギター:菊地英昭ギター:伊藤可久ベース:小池ヒロミチ キーボード:ホッピ神山ドラム:青山英樹
2014年8月16日KIKKAWA KOJI Birthday Night "B-SIDE+"1会場1公演8月16日 日本武道館参加者Bass:後藤次利Drums:山木秀夫Guitar:野呂一生Keyboards:矢代恒彦Chorus:坪倉唯子Chorus:山根麻以スペシャルゲストKeyboards:小林武史Vocal:綾小路翔
2014年8月23日 - 10月5日30th Anniversary Live "SINGLES+"4会場8公演参加者Guitar:菊地英昭Bass:小池ヒロミチKeyboards:ホッピー神山Keyboards & Guitar:菅原弘明Drums(前編):坂東慧Drums(後編):青山英樹
2015年2月28日 - 4月24日KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live "SINGLES+ RETURNS"7会場7公演2000年に行われた『HOT ROD MAN "RETURNS" LIVE 2000』以来、約10年ぶりとなるライブハウスツアー。参加者Guitar:菊地英昭Bass:小池ヒロミチKeyboards:ホッピー神山Keyboards & Guitar:菅原弘明Drums:菅沼孝三
2015年8月18日KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live“SINGLES+ RETURNS”LiveDVD/Blu-ray 特別先行上映会 トークショー1会場1公演8月18日 TOHOシネマズ新宿
2016年6月11日 - 12月30日KIKKAWA KOJI Live 2016 "WILD LIPS"15会場17公演参加者Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジKeyboards:ホッピー神山Drums:湊雅史Keyboards & Guitar:菅原弘明
2017年7月8日 - 9月12日KIKKAWA KOJI LIVE 2017 "Live is Life"10会場10公演参加者Guitar:菊地英昭Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山
2018年1月20日、1月21日KIKKAWA KOJI LIVE 2018 "Live is Life"1会場2公演1月20日 武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ1月21日 武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ前ツアーの追加公演。本人の「(前ツアー)メンバーで、もっとライブがやりたい」との強い希望により実現した。1月20日公演は、同会場の本格的な音楽イベントのこけら落とし公演となった。参加者Guitar:菊地英昭Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山
2019年2月1日 - 9月8日KIKKAWA KOJI 35th Anniversary Live18会場19公演参加者Guitar:土屋昌己(2/1,2のみ)Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山
2020年5月3日 - 9月5日KIKKAWA KOJI LIVE 2020 BLOODY BLACK TOUR17会場19公演新型コロナウイルスの影響で全公演延期となった。尚、東京ガーデンシアターは、公演が行われていればこけら落とし公演となる予定であった。

2021年 -

日程ツアータイトル会場・備考参加ミュージシャン
2021年5月3日 - 9月26日KIKKAWA KOJI LIVE TOUR 2021 BELLING CAT11会場11公演新型コロナウイルスの影響で全公演延期前年のツアーを、公演内容を変更、それに伴い新たなツアータイトルとなった。東京、福岡、島根は延期公演も告知されたが、最終的に宮城公演を最後に、残り全公演中止となった。その後、新型コロナウイルス感染症の感染者数の減少や医療提供体制の改善が見られ、9月30日をもって東京都の緊急事態宣言も解除されたことを受け、10月24日の東京ガーデンシアター公演を新規公演として発表し、開催された。参加者Guitar:菊地英昭Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山
2022年4月28日 - 5月12日KIKKAWA KOJI Premium Night ”Guys and Dolls” presented by WOWOW『INVITATION』4会場5公演4月28日 フェスティバルホール5月1日 LINE CUBE SHIBUYA5月2日 LINE CUBE SHIBUYA5月5日 広島JMSアステールプラザ 大ホール5月12日 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール参加者Guitar:今剛Bass:後藤次利、小池ヒロミチDrums:山木秀夫Keyboards:ホッピー神山、矢代恒彦Backing Vocal:大黒摩季、福原みほ
2022年11月20日 - 2023年2月19日KIKKAWA KOJI LIVE 2022-2023 “OVER THE 9”17会場19公演仙台公演では、配券作業上の不備により、座席の重複、開演時刻遅延が発生した。参加者Guitar:菊地英昭Guitar:INORANBass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山
2023年8月4日 - 9月2日KIKKAWA KOJI Premium Night ”Guys and Dolls”4会場4公演8月4日 広島上野学園ホール8月16日 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール8月17日 フェスティバルホール9月2日 日本武道館参加者Guitar:今剛Bass:後藤次利、小池ヒロミチDrums:山木秀夫、湊雅史Keyboards:ホッピー神山、菅原弘明Backing Vocal:大黒摩季、クロエ・キブル
2024年10月5日 - 2025年2月9日KIKKAWA KOJI 40th Anniversary Live24会場26公演参加者Guitar:藤井謙二(静岡、新潟は不参加)Guitar:生形真一Bass:ウエノコウジDrums:湊雅史Keyboards:ホッピー神山

ロックフェスティバル・ジョイントライブ

日程タイトル会場・備考
1984年5月3日代々木国際スポーツフェア1会場1公演国立代々木競技場
1984年5月5日ひろしまフラワーフェスティバル1会場1公演広島平和記念公園内 カーネーションステージ
1984年7月15日ロッテヤンスタNo.1フェスティバル1会場1公演東京厚生年金会館共演:伊藤つかさ嶋大輔
1984年7月22日オールナイトニッポン スーパーフェス ASAHI BEER LIVE1会場1公演西武球場
1984年7月29日サマーミュージックフェスティバル1会場1公演岡山ヒルゼン高原共演:原田真二
1984年8月5日JUST NOW TOKYO ROCK FEELING TIME1会場1公演日比谷野外音楽堂共演:小山卓治(出演予定だった尾崎豊は、骨折により出演キャンセル)
1984年8月8日NEW AGE FESTIVAL1会場1公演大阪城野外音楽堂共演:P・J、中川勝彦
1984年12月31日オールナイトライブ「K.KIKKAWA VS Y.HONDA」1会場1公演横浜ピカデリー劇場共演:本田恭章
ねずみうしコンサート〜TOKYOに住む音楽常識人のための年末大音楽会〜1会場1公演渋谷LIVE INN共演:小川美潮、他
1985年6月9日ANN CALL '851会場1公演日比谷野外音楽堂共演:アン・ルイス、山下久美子、太田裕美、早見優、石川秀美、三原じゅん子、ACTION、RATS&STAR、古舘伊知郎、CHAR、織田哲郎、西シンジ、原田真二、北島健二、大谷イレブン、人見元基 (VOW WOW)、山本恭司 (VOW WOW)、子供ばんど、BLACK CATS
1985年9月21日'85 東北音楽祭1会場1公演宮城県スポーツランドSUGO
1985年9月23日HIROSHIMA SPECIAL LIVE1会場1公演広島サンプラザ
1985年12月31日オールナイトライブ「HEADS」1会場1公演新宿ミラノ座
1986年6月8日ANN CALL '861会場1公演日比谷野外音楽堂共演:アン・ルイス、BOØWY、アースシェイカー、PINK、森山達也/THE MODS、荻野目洋子、シブがき隊、湯江健幸、古舘伊知郎、CHAR、織田哲郎、佐藤準、うじきつよし、近田春夫、サンプラザ中野、忌野清志郎
1986年6月29日SPECIAL LAST NIGHT1会場1公演黒澤フィルムスタジオ
1986年8月4日WATER ROCK FESTIVAL1会場1公演新宿都有3号地共演:BOØWY、44MAGNUM、山下久美子、大沢誉志幸
1986年12月22日マハラジャホワイトクリスマスin大阪城ホール1会場1公演大阪城ホール共演:米米クラブ
1986年12月27日VIPS COLLECTION '86~'871会場1公演西武球場室内練習場
1987年6月6日ANN CALL '871会場1公演日比谷野外音楽堂共演:アン・ルイス、忌野清志郎、仲井戸麗市、ACTION、TV、金山一彦、木村一八、鈴木聖美、SHOW-YA、石川秀美、中森明菜、FENCE OF DIFENCE、原田真二、うじきつよし、鈴木賢司、マーシー(アースシェイカー)、工藤義弘(アースシェイカー)
1987年8月2日MIZUNO BEAT BLASH'871会場1公演大阪城公園内運動場
1987年12月31日ROCK'N ROLL BAND-STAND1会場1公演月寒グリーンドーム共演:RCサクセション、泉谷しげる、中村あゆみ、子供ばんど、TAX FREE、金山一彦
1992年9月19日APAN ROCK N.Y. LIVE FLASH '921会場1公演共演:岡村靖幸 吉川の他一部のアーティストの公演日に、旅行主催者の目標としていた参加人数が集まらず、主催者側の意向により、吉川出演日も含め全公演中止。またフジテレビでの特番も決定していたが、公演中止に伴い放送中止。
1996年8月22日Riding Together LIVE 1996「Summer Extra」1会場1公演8/22 神戸ワールド記念ホール共演:高橋克典、貴水博之
1996年8月31日Riding Together LIVE 1996「Summer Exit」1会場1公演8/31 東京テレポートタウン青海STATION SQUARE共演:高橋克典、貴水博之
1997年12月7日ANN CALL '971会場1公演赤坂BLITZ共演:アン・ルイス、鈴木雅之、CHAR、大槻ケンヂ、荻野目洋子、久宝留理子、神田うの、THE KIX-S、シャーリー富岡、桑名晴子、佐藤寛之、SLY、ACTION
1999年12月1日Act Againist AIDS'99 LIVE IN OSAKA1会場1公演大阪城ホール
2001年10月22日YAMINABE LIVE~そうる透30th ANNIVERSARY~1会場1公演二子玉川アレーナホール
2002年11月27日大沢誉志幸 ライブ in CLUB CITTA'川崎1会場1公演CLUB CITTA'川崎
2007年3月17日SPACE SHOWER Music Video Awards 071会場1公演03/17 日本武道館
2007年8月25日MONSTER baSH 20071会場1公演08/25 国営讃岐まんのう公園内 芝生広場
2009年5月5日Kaori Kawamura 20th Anniversary Live 羽化 supported byDISK GARAGE 30th Anniversary1会場1公演05/05 C.C.Lemonホール
2009年8月14日RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZO1会場1公演08/14 石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
2009年8月15日、8月16日NEW CLASSIC GIG in Japan '091会場2公演
2009年9月13日PATi PATi Thanks 251会場1公演08/13 幕張メッセ イベントホール
2009年9月22日サンキュー!サンジュー!ディスクガレージ~MUSIC PARTY~1会場1公演09/22 JCB HALL
2010年8月7日ROCK IN JAPAN FESTIVAL 20101会場1公演08/07 国営ひたち海浜公園
2011年11月29日極東ROCK'N'ROLL HIGH SCHOOL 「さよならは11月のララバイ」1会場1公演11/29 SHIBUYA-AX
2012年7月15日、8月18日ap bank fes '12 Fund for Japan2会場2公演
2012年12月20日THE SOLAR BUDOKAN1会場1公演12/20 日本武道館
2012年12月31日COUNTDOWN JAPAN 12/131会場1公演12/31 幕張メッセ
2013年3月23日ふくしま再興祭り20131会場1公演03/23 ビッグパレットふくしま 多目的展示ホールA
2013年6月11日貴ちゃんナイト vol.5 ~30th Anniversary Edition~1会場1公演06/11 SHIBUYA O-EAST
2003年11月20日YOSHIYUKI OHSAWA 20th Anniversary Special Live1会場1公演11/20 Zepp Tokyo
2014年9月15日氣志團万博2014 ~房総大パニック!超激突!!~1会場1公演09/15 袖ケ浦海浜公園
2015年7月24日FUJI ROCK FESTIVAL '151会場1公演07/24 苗場スキー場
2015年9月27日中津川 THE SOLAR BUDOKAN 20151会場1公演09/27 中津川公園内特設ステージ
2017年4月30日ARABAKI ROCK FEST.171会場1公演04/30 エコキャンプみちのく
2017年9月23日中津川 THE SOLAR BUDOKAN 20171会場1公演09/23 中津川公園内特設ステージ
2019年8月17日RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO1会場1公演08/17 石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
1会場1公演新型コロナウイルスの影響で延期となった。

トークイベント、舞台挨拶、その他

日程タイトル場所
1986年3月17日映画「TAKE IT EASY」試写会 & 「サングラスをはずして」公開録音読売ホール主演映画「TAKE IT EASY」の試写会と、ニッポン放送で放送されたレギュラー番組「サングラスをはずして」の公開録音を兼ねたイベント。
2000年7月29日コーセーアンニュアージュトーク第115回恵比寿ガーデンプレイス ザ・ガーデンルーム共演:前田日明 トークテーマ:「ローンウルフのアキレス腱」
2001年11月29日コーセーアンニュアージュトーク大阪第2回大阪オーバルホール共演:前田日明 トークテーマ:「ローンウルフのアキレス腱再び編」
2005年6月15日コーセーアンニュアージュトーク第171回恵比寿ガーデンプレイスザ・ガーデンホール共演:筑紫哲也 トークテーマ:「悠久休暇」
2005年12月2日コーセーアンニュアージュトーク第174回サッポロファクトリー共演:源孝志「優しいわがまま」
2005年12月3日映画「大停電の夜に」舞台挨拶丸の内ピカデリー2
2005年12月21日「エンジェルチャイムが鳴る夜に」出版記念イベント握手会新宿有隣堂
2006年1月25日東京広島県人総会&新春懇親パーティー赤坂プリンスホテル共演:原田真二
2006年7月28日映画「劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE」舞台挨拶丸の内TOEI
2007年4月22日山野楽器トークイベント銀座山野楽器本店
2008年2月9日映画「チーム・バチスタの栄光」舞台挨拶広島宝塚
2008年2月26日ペルー展トークショー「ペルーを歩いて」アーク森ビル
2011年11月19日-11月20日広島ガス「ガス展2011」広島グリーンアリーナ

海外ツアー

日程ツアータイトル場所
1991年9月4日-9月9日KOJI KIKKAWA LUNATIC NIGHT in FIJIフィジー島
1993年3月19日-3月24日KOJI KIKKAWA 10th ANNIVERSARY EVENT「A SHYNESS FANTASIA IN AUSTRALIA」オーストラリア・ケアンズ
2003年1月24日-1月28日KOJI KIKKAWA FAN CLUB TOUR in SAIPAN「SAIPAN CIRCUS」マリアナリゾート

舞台

日程公演名場所
2008年4月4日-5月8日SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-4月4日 - 4月22日:新国立劇場 中劇場4月26日 - 4月27日:名鉄ホール5月2日 - 5月8日:新神戸オリエンタル劇場
2013年9月19日-9月29日9月19日 - 9月29日新国立劇場 中劇場
2012年4月13日-5月27日舞台「陽だまりの樹」4月12日(プレビュー公演)、4月13日 - 4月22日 サンシャイン劇場5月4日-20日 大阪新歌舞伎座5月24日 - 27日 中日劇場
2019年10月14日-10月20日朗読劇「ラヴ・レターズ」10月14日 - 10月16日 EXシアター六本木10月20日 森ノ宮ピロティホール

エキシビジョン

日程タイトル場所
1986年2月28日-4月6日吉川晃司 「TAKE IT EASY」フェア2月28日 - 3月6日 札幌パルコ3月9日 - 15日 名古屋 名鉄セブン3月21日 - 26日 静岡 西武百貨店3月28日 - 4月3日 尼崎 つかしん4月6日 - 12日 福岡(会場不明)
1988年3月19日-3月27日Koji Kikkawa Week「QUESTION」〜吉川晃司展〜銀座山野楽器4皆ホール Jam Spot
1994年6月10日-6月22日吉川晃司アーティスト展「My Dear Cloudy Heart Exhibition」津田沼PARCO+Let's6F 特設会場
1995年6月15日-6月23日吉川晃司展「FOREVER ROAD」TOWER RECORDS渋谷店8Fイベントスペース
2005年4月1日-4月7日DAZEDxPARCOxK2「An alian in darkness展」渋谷PARCOパルコミュージアム ウォールギャラリー
2007年1月16日-2月23日レプリカントK2展示1/16-1/23 新星堂横浜ジョイナス店1/26-1/29 TOWER RECORDS新宿店1/30-2/12 TOWER RECORDS渋谷店2/13-2/26 TOWER RECORDSアリオ亀有店
2011年9月20日~9月26日KEEP ON SINGIN'!発売記念ステージ衣装展タワーレコード渋谷店 2階
2019年7月9日-9月16日日中文化交流協定締結40周年記念特別展『三国志』東京国立博物館音声ガイドナビゲーターを担当。
2019年10月28日-12月1日吉川晃司 35th Anniversary Live TOUR Mini Photo Gallery代官山 蔦屋書店 音楽フロア
2020年1月29日-2月3日吉川晃司 35th Anniversary Live TOUR Premium Exhibition代官山 蔦屋書店 音楽フロア Session
2021年1月20日-3月28日『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』発売記念 写真巡回展1/20-2/1 奈良 蔦屋書店2/1-14 東京・代官山 蔦屋書店2/6-14 広島 T-SITE2/20-28 函館 蔦屋書店2/20-28 名古屋みなと 蔦屋書店3/6-14 江別 蔦屋書店3/6-14 福岡・六本松 蔦屋書店3/20-28 梅田 蔦屋書店3月1日に発売された『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』の発売を記念した写真展。また3月1日には、半田也寸志、ハービー山口、平野タカシ、細野晋司の4人のカメラマンによる、撮影当時の吉川晃司との撮影エピソードを語るオンライン・トークライブ『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』無料オンライン・トークライブの開催された。

出演作品

映画

  • 民川裕司三部作 - 民川裕司 役
    • すかんぴんウォーク(1984年2月11日公開、東宝)
    • ユー・ガッタ・チャンス(1985年、東宝)
    • テイク・イット・イージー(1986年、東宝)
  • シャタラー(1987年、東宝) - 本田光一 役
  • 漂流街(2000年、東宝) - 伏見 役
  • 天国から来た男たち THE GUYS FROM PARADISE(2001年、日活) - 早坂幸平 役
  • OKITE(2003年、東映) - 川又和行 役
  • レディ・ジョーカー(2004年、東映) - 半田修平 役
  • 大停電の夜に(2005年、松竹) - 大鳥銀次 役
  • やじきた道中 てれすこ(2007年、松竹) - 沓脱清十郎 役
  • チーム・バチスタの栄光(2008年、東宝) - 桐生恭一 役
  • 仮面ライダーシリーズ(東映)
    • 仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010(2009年) - 鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル 役
    • 仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE(2010年) - 鳴海荘吉 役
  • 必死剣 鳥刺し(2010年、東映) - 帯屋隼人正 役
  • ワラライフ!!(2011年、ファントム・フィルム) - 古川肇 役
  • るろうに剣心(2012年、ワーナー・ブラザース) - 鵜堂刃衛 役
  • ベトナムの風に吹かれて(2015年) - 本人 役
  • さらば あぶない刑事(2016年、東映) - キョウイチ・ガルシア 役
  • 秘密 THE TOP SECRET(2016年、松竹) - 貝沼清孝 役
  • ある町の高い煙突(2019年、エレファントハウス/Kムーブ) - 木原吉之助 役
  • キングダム 運命の炎(2023年、東宝 / SPE) - 龐煖 役
    • キングダム 大将軍の帰還(2024年、東宝)
  • 劇場版 トリリオンゲーム(2025年公開予定、東宝) - 祁答院一輝 役

テレビドラマ

  • 真夜中は別の顔(2002年、NHK総合) - 倉田竜三 役
  • 大河ドラマ(NHK総合)
    • 天地人(2009年) - 織田信長 役
    • 八重の桜(2013年) - 西郷隆盛 役
  • 素直になれなくて(2010年、フジテレビ) - 中島亮介 役
  • 下町ロケット(2015年、2018年、TBS) - 財前道生 役
  • 放送90年 大河ファンタジー 「精霊の守り人」(2016年3月19日 - 4月9日 、NHK) - ジグロ 役
  • 都庁爆破!(2018年、TBS) - ケイン高村 役
  • 連続ドラマW「黒書院の六兵衛」(2018年、WOWOW) - 主演・的矢六兵衛 役
  • 探偵・由利麟太郎(2020年6月16日 - 7月14日、カンテレ・フジテレビ系) - 主演・由利麟太郎 役
  • DCU〜手錠を持ったダイバー〜(2022年1月16日 - 3月20日、TBS) - 成合淳 役
  • 連続テレビ小説 舞いあがれ!(2022年10月3日 - 、NHK) - 大河内守 役
  • トリリオンゲーム(2023年7月14日 - 9月15日、TBS) - 祁答院一輝 役
  • (2024年4月7日 - 6月9日、日本テレビ) - 織田清司(ガイド) 役
    • ACMA:GAME アクマゲーム ワールドエンド(2024年10月25日、日本テレビ)

舞台

  • ミュージカル SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-(2008年4月・2013年9月公演) - 杉原千畝 役
  • 陽だまりの樹(2012年4月公演) - 伊武谷万二郎 役(W主演)
  • ラヴ・レターズ(2019年10月14日 – 16日 EXシアター六本木、10月20日 森ノ宮ピロティホール)

劇場アニメ

  • 映画ドラえもん のび太の地球交響楽(2024年3月1日公開予定、東宝) - マエストロヴェントー 役

Webドラマ

  • MAGI 天正遣欧少年使節(2019年1月17日配信、Amazonプライム・ビデオ) - 織田信長 役

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回曲目出演順対戦相手
1985年(昭和60年)/ 第36回にくまれそうなNEWフェイス01/20石川秀美
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

音楽番組

  • FNS歌謡祭(フジテレビ)
    • '87 FNS歌謡祭(1987年12月8日)
    • 2011 FNS歌謡祭(2011年12月7日)
    • 2016 FNS歌謡祭 第2夜(2016年12月14日)
    • 2017 FNS歌謡祭 第2夜(2017年12月13日)
  • MUSIC FAIR(フジテレビ)不定期出演
  • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)不定期出演
  • ミュージックステーション(テレビ朝日)不定期出演
  • ザ・ベストテン (TBS) 不定期出演
  • ザ・トップテン(日本テレビ)不定期出演
  • HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ)不定期出演
  • うたばん (TBS) 不定期出演
  • 僕らの音楽(フジテレビ)不定期出演
  • Love music(フジテレビ)不定期出演

ラジオ

  • 吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて(1984年10月13日 - 1985年4月6日、ニッポン放送)
  • 吉川晃司 オンザロードで恋をして(1985年4月13日 - 1985年10月5日、ニッポン放送)
  • 吉川晃司 サングラスをはずして(1985年10月12日 - 1987年10月3日、ニッポン放送)
  • KISS(ラジオ大阪)
  • D.N.A.〜ロックの殿堂〜 吉川晃司 Edge Of Heart(2010年 - 2013年、ジャパンエフエムネットワーク)
  • RADIO DRAGON Doors「吉川晃司 SOLITUDE」(2011年 - 2012年、エフエム東京)
  • 吉川晃司「VOICES」(2017年 - 2018年、Date fm)

CM

  • 江崎グリコ「カリフォルニア・バー」(1984年 - 1985年)
    • 1984年版:CM曲として「Miss You」を使用。
    • 1985年版:CM曲として「RAIN-DANCEがきこえる」を使用。
  • カネボウ「ブローコロン」(1985年)
  • サントリー「NCAAスポーツドリンク」(1985年)
  • KDD「TEL ME キャンペーン」(1987年)
  • クラリオン「Auto PC Cadias」(2002年)
    • CMには吉川の愛車、アストンマーティンが登場していた。
  • アサヒ飲料「WONDA SHOT & SHOT」(2005年)
    • COMPLEXの「恋をとめないで」がCM曲として使用。CMロケ地は府中競馬正門前駅(京王電鉄)。
  • 日本テレビ 開局55周年記念キャンペーンCM「日テレ55(ゴーゴー)」(2009年)
    • 出演だけでなく、「Johnny B. Goode」のサビを「ニ〜ッテレgo!go!」に言い換えた替え歌を吉川が歌った曲が流された(編曲・演奏も吉川側で行った)。15秒バージョンが1パターン、3秒バージョンが3パターン存在する。
  • 黄桜「辛口一献」(2010年 - 現在)
  • 広島ガス(2011年 - 2012年)
  • 森永製菓「チョコモナカジャンボ」(2012年 - 2015年)
  • キリンビバレッジ「生茶」(2016年 - )
  • 日清食品「日清焼そばU.F.O.」(2016年)
    • マイケル富岡演じるUFO仮面ヤキソバンの息子・ソース役として出演。
  • クラシエ「いち髪」(2019年-)
    • COMPLEXの「BE MY BABY」がCM曲として使用。
  • カルビー「かっぱえびせん」『もっと、やめられない、とまらない』篇・『かっぱえびせん×吉川晃司 なんかありがとう』篇(2020年2月7日 - )※WEB限定
  • アサヒビール「樽ハイ倶楽部」『俺たち樽ハイ倶楽部』篇(2021年10月11日- )

ナレーション

  • 三国志 Three Kingdoms(2011年、日本語版DVD)第22巻収録の前篇ダイジェストを担当
  • シリーズ平清盛(2011年、NHK総合)全4回
  • 峠 TOUGE(2012年 - 2015年、BS日テレ)
  • 義風堂々!! 兼続と慶次(2013年、テレビ東京系列)
  • NHKスペシャル
  • NNNドキュメント
    • 「拝啓 泣き虫かあさん 〜阪神・淡路大震災から22年〜」(2017年1月22日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
    • 「ただいま」と言えない... 〜原爆供養塔に眠る814人〜」(2018年8月5日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
  • ETV特集「誰が命を救うのか 医師たちの原発事故」(2019年5月18日、NHK Eテレ)
  • NNNドキュメント
    • 「シリーズ戦後75年 煉瓦の記憶 広島・被爆建物は語る」(2020年8月2日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
    • 「残してください 被爆ポンプです。」(2021年8月1日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
    • 「禎子さんの折り鶴 千羽になったら願いが叶うんよ」(2022年7月31日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
  • テレメンタリー2022「決断 老いと向き合う82歳」(2022年11月6日 制作:愛媛朝日テレビ / テレビ朝日)
  • NHK ドキュメント4「最後まで諦めない~高知東高校水泳部から」(2023年9月29日 NHK総合(四国地方))
  • NNNドキュメント
    • 「キノコ雲の上と下~米兵の心に苦悩を刻んだヒロシマ」(2024年10月14日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)

ドキュメンタリー

  • フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿(2015年 - 、NHK BSプレミアム)ナビゲーター
  • WATCH「4400人が暮らしていた町 〜吉川晃司がたどる平和公園〜」(2017年4月29日、広島テレビ放送)広島ローカル30分枠
    • NNNドキュメント'17「4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜」(2017年8月6日、日本テレビ系列)拡大55分枠
  • カンムリ(2018年11月16日・23日、RCCテレビ)日本シリーズ第6戦始球式完全密着
  • その男、職業 吉川晃司。(2019年 WOWOW)
  • 原子の力を解放せよ 〜戦争に翻弄された核物理学者たち〜(2020年8月16日、NHK BS1)
  • レギュラー番組への道 ハザードマップで旅してみた(2022年6月25日、NHK 総合)ナビゲーター

書籍

著書

  • ※長谷川誠共著

写真集

  • YOU GOTTA CHANCE(1985年、旺文社)ISBN 4010098279
  • TAKE IT EASY(1986年、ワニブックス)ISBN 4847020367
  • DATE(1987年、扶桑社)ISBN 4893531336
  • Lunatic LUNACY Tour 1991 VISUAL BOOK(1991年、音楽専科社)ISBN 4900343234
  • A MAN IN TROUBLE(1992年、ソニーマガジンズ)ISBN 4789707350
  • PERSONAL BOOK「THE INDEX」(1994年、ビクターエンタテインメント)ISBN 489389093X
  • 20周年記念写真集「風上に乞う〜wisper of the wind〜」(2004年、音楽専科社 撮影:レスリー・キー)ISBN 9784872791549
  • 20周年記念写真集「風上に乞う〜Time Speak For Itself〜」(2004年、音楽専科社 撮影:レスリー・キー)ISBN 9784872791747

CD BOOK

  • CD BOOK「エンジェルチャイムが鳴る夜に」(2005年)
    初の自作小説、およびオリジナルのアートワークや撮り下ろし写真などで構成される。小説タイトル名と同名称の曲を含む自作2曲とカバー曲をCDに収録。

関連書籍

  • 集英社文庫 コバルトシリーズ「ユー・ガッタ・チャンス」(1985年、集英社)
  • ZERO(1988年、CBSソニー出版)ISBN 4789703703
  • KOJI KIKKAWA ANTHOLOGY 〜Innocent Spirit〜(2004年、ソニーマガジンズ)

注釈

出典

関連項目

  • BOØWY(テレビ・ライブ等で共演)
  • COMPLEX (音楽ユニット)(布袋寅泰とのユニット)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/19 04:41 UTC (変更履歴
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