川頭義郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
川頭 義郎(かわず よしろう、1926年4月28日 - 1972年12月30日川頭義郎 | CD人物レファレンス事典 日本編 > 昭和期 - JLogos)は、日本の映画監督・脚本家。
経歴
東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。暁星中学校、日本映画学校を卒業し、1945年(昭和20年)に松竹撮影所に入る。カメラマン助手を経て、木下惠介の助監督となる。1955年(昭和30年)の「お勝手の花嫁」で監督デビューを果たした。『日本の映画人』『映像メディア作家人名事典』(日外アソシエーツ)晩年は、テレビドラマの演出にも携わった。
家族
弟は俳優の川津祐介「闘うワイン商」川頭 義之氏を講師に迎えてピエモンテワインセミナー - e-shop WINE MARKET PARTY。
息子は「イタリアワイン最強ガイド」や「イタリアワイナリー最上の24蔵」の著者でもある川頭義之。イタリアワイン業界で最も注目され「ヴィエディロマンス」や「レマッキオレ」「モンキエロカルボーネ」などの有名なワイナリーとエージェント契約を結び、日本に紹介している。
主な監督作品
映画
- お勝手の花嫁(1955年)
- 子供の眼(1955年)
※ゴールデングローブ賞 外国語映画賞
- 愛と智恵の輪(1956年)
- 涙(1956年)
- 体の中を風が吹く(1957年)
- 恋して愛して喧嘩して(1957年)
※川頭義郎と松山善三の共同シナリオ。
- 青空よいつまでも(1958年)
- 有楽町0番地(1958年)
- 東京1958(1958年)勅使河原宏、松山善三、羽仁進、草壁久四郎、丸尾定、武者小路侃三郎、向坂隆一郎、荻昌弘と結成した「シネマ57」による集団製作。
- 風の中の瞳(1959年)
- 手さぐりの青春(1959年)
- 伊豆の踊子(1960年)
- かあちゃんしぐのいやだ(1961年)
- 母と娘(1961年)
- ママおうちが燃えてるの(1961年)
- 小さな花の物語(1961年)
- 霧子の運命(1962年)
- かあさん長生きしてね(1962年)
- 風の視線(1963年)
- ローマに咲いた恋(1963年)
- 青い目の嫁はん(1964年)
- 海抜0米(1964年)
- あねといもうと(1965年)
- おしゃべりな真珠(1965年)
- いつか来るさよなら(1969年)
テレビドラマ
- 木下恵介アワー(TBS)
- 二人の星(1965年−1966年)
- 3人家族(1968年−1969年)
- あしたからの恋(1970年)
- 二人の世界(1970年)
- 太陽の涙(1971年)
受賞
- 第13回(1955年度)ゴールデングローブ賞 外国語映画賞 - 『子供の眼』
- 第7回(1956年度)ブルーリボン賞 新人賞 - 『子供の眼』『涙』
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/05/08 11:12 UTC (変更履歴)
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