斎藤充弘 : ウィキペディア(Wikipedia)

斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - )は、長野県伊那市プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、238ページ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのチーム運営球団職員。

来歴・人物

小学4年の時に野球を始める。伊那北高では1年秋から登板するも県大会ベスト8が最高で甲子園に出場はできなかった。首都大学野球の日体大に進学。1年上に有倉雅史がいた。4年秋の明治神宮大会では初戦完封勝利『'94スポニチプロ野球手帳』。リーグ通算成績は6勝4敗。

その後、日立製作所では都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場、諸積兼司との活躍での東京スポニチ大会優勝に貢献した同年のプロ野球ドラフト会議前に逆指名制度を利用してヤクルトスワローズを逆指名し、同会議で2位指名を受けて入団『スポーツニッポン』2000年12月「惜別球人2000」(スポーツニッポン新聞社)。切れの良い速球、スライダー、フォークボールの本格派として期待されたが層の厚い投手陣では一軍の壁は厚く、一時サイドスローにするなど試行錯誤が続いた『1998プロ野球プレイヤーズ名鑑』スポーツニッポン新聞社編。

にイースタン・リーグで11勝を挙げ、最多勝投手になる。

オフに球団から打撃投手兼任を通達され、の浦添春季キャンプ中に右肩関節唇を負傷、ボールを握れなくなったことから同年4月には球団から球団職職員への転身を打診され、それを受け入れて現役を引退、5月から球団総務部で働き始めた。

現在は、チーム運営部所属。

2025年3月、ヤクルト球団の運営部長兼取締役に就任。

詳細情報

年度別投手成績

ヤクルト10000000------111.2422002016632.43.60
41000000------377.181700410667.362.05
70000000------5312.01227001000986.001.58
通算:3年121000000------10121.02451600161121208.571.90

記録

  • 初登板:1994年4月13日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回裏2死より2番手として救援登板、1回2/3を6失点
  • 初奪三振:同上、3回裏に緒方孝市から
  • 初先発:1995年10月8日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、4回2失点

背番号

  • 12 (1994年 - 2000年)

関連項目

  • 長野県出身の人物一覧
  • 日本体育大学の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/09/25 23:59 UTC (変更履歴
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