加藤礼子 : ウィキペディア(Wikipedia)

加藤 礼子(かとう れいこ、1925年 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会名誉会員日本フィギュアスケーティングインストラクター協会 役員一覧。大東文化大学名誉教授。早稲田大学文学部卒業。大阪府出身。

経歴

大阪府出身『アサヒグラフ』 1949年12月21日号、朝日新聞社。。早稲田大学文学部卒業。

1948年の第16回全日本選手権で丹羽芳子、生田艶子に続き3位に入った。1951年の第19回全日本選手権で4位となり、このシーズンで引退し、プロフィギュアスケータとなった。1953年11月には、現在も欧米を中心に人気を博しているプロフィギュアスケートショー「ホリデー・オン・アイス」に入団し、東洋人としてはじめてプリンシパルとして参加したStars of the Show | The Fabulous Ice Age読売新聞 昭和35年1月17日 17面。

1954年1月からはアイスショーの欧米巡業に参加し、1955年1月に帰国。プロモーションは、日活が行っていた「加藤礼子さん帰国」『日本経済新聞』昭和30年1月21日3面。

その後、フィギュアスケート・コーチとして、アイスダンス全日本チャンピオン&世界選手権代表となった田村正人、赤広真弓など数多くの後進の育成に努めた。

また大東文化大学文学部教育学科教授(幼児教育および表現論)として教鞭をとり、体育で社交ダンスを教授。以後顧問とし舞踏研究会を創部。現在は大東文化大学競技ダンス部、名誉顧問。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会名誉会員。

論文

関連項目

  • フィギュアスケート選手一覧
  • 日本フィギュアスケーティングインストラクター協会

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/16 21:15 UTC (変更履歴
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