鉄砲光三郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

鉄砲 光三郎(てっぽう みつさぶろう)は、河内音頭の音頭取りの名跡。

初代

本名:鉄砲光三(1929年2月3日 - 2002年6月2日)。妻は太鼓叩きの鉄砲光子。鉄砲博三郎は従兄弟。

伝統的な河内音頭を現代的河内音頭に変革した画期的人物である。昭和30年代末から40年代前半にかけ、ギタリスト出身の作曲家和田香苗とコンビを組んで『鉄砲節』と称し、ジャズや浪曲、安来節などの要素を採り入れた変幻自在のリズムや節回しで、人気を呼ぶ。博三郎、敏三郎の三人で『鉄砲三三郎(さんさぶろう)』と呼ばれることもあった。

人物と芸風

祖母は御詠歌を唸らせる名人であった、そんな縁で幼少の頃から地元の河内音頭に親しみ、3歳で初めて櫓に立つ。関西大学法学部法律学科卒業後大入り満員の支援関大(関西大学新聞昭和42年8月15日)、八尾市役所に勤務の傍らアルバイトで音頭取りを続けていたが、人気が嵩じてプロに転向し市役所を退職。1955年に盆踊りの司会者であった光子と結婚。太鼓が得意であった為に伴奏でコンビを組む事になる。歴代の三味線奏者は、小野忠雄、暁照雄、富岡花子(浪曲師の藤川友春〈初代〉の姪)、津軽三味線佐々木流の佐々木壮明など。

1959年に新世界・新花月で寄席初舞台。1961年にレコード『鉄砲節河内音頭』がミリオンセラーになり、河内音頭ブームを再燃させた結果、テレビ、ラジオの演芸番組のみならず、歌謡曲、仁侠映画の世界、海外公演にも活躍の場を広げた。1968年12月、浅草国際劇場の舞台に立ち、関東において「河内音頭」を先駆的に伝えることとなる。

1981年、大阪府文化功労賞受賞。1995年、文化功労者受章。

弟子

  • 鉄砲一若
  • 鉄砲光 - 鉄砲光会
  • 鉄砲光男 - 鉄砲光会
  • 鉄砲光貴 - 鉄砲光会
  • 鉄砲光丸
  • 鉄砲光二美 光二美会

出演

  • 鉄砲十三夜(ラジオ大阪)1960年(昭和35年)から3年間、日曜夜23時〜23時30分放送演芸史p.220-221
  • 鉄砲節(関西テレビ放送)1961年(昭和36年)4月17日〜12月31日。月曜23時〜23時15分放送演芸史p.289。
  • 新 悪名 1962年
  • てなもんや三度笠 1963年
  • 鉄砲光三郎ショー(関西テレビ放送)1963年(昭和38年)1月5日〜4月19日。30分番組放送演芸史p.298。
  • 鉄砲光三郎アワー(サンテレビ 1983年 宮尾たか志 司会)

他、関西圏の音頭番組、浪曲番組などに出演。

CM

  • 参天製薬「スーパーサンテ」(1963年)
  • ライオン歯磨「シャワシャワ」1982年

CD・レコード

  • 民謡鉄砲節(1974年、テイチク、カセット)
  • やったれ、浪華で。日本シリーズ。(1984年、SpeedShock、シングルレコード)
  • 芸能生活60周年記念 鉄砲光三郎 60年のすべて(1991年7月10日、テイチク、CD)
  • 鉄砲光三郎の世界(1993年4月21日、テイチク、CD)
  • 秘蔵 鉄砲節河内音頭大全集(2003年、テイチク、CD)

2代目

(10月25日 -所属声優事務所の方針により本名、年齢等非公開)。

初代の娘で、声優兼声優養成所所長の(鉄砲ゆりの)が、父の七回忌を機に、2008年10月1日に2代目を襲名した。

逸話

嵐山光三郎が編集者から作家に転向することに決め、筆名を決める際に鉄砲光三郎から採ったという逸話がある。

出典

参考文献

  • 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年)

関連項目

外部リンク

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