川上のぼる : ウィキペディア(Wikipedia)

川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)井澤壽治『上方大入袋 名人の心と芸』1988年、東方出版 pp.58-61、1929年12月11日 - 2013年9月7日川上のぼる コトバンク - 典拠は『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(講談社、2015年))は、日本の腹話術師、声帯模写師。

寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される第17回上方演芸の殿堂入り(平成25年度) 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。

略歴

京都市出身。日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹祖父 日本画家 川上拙以 - 川上じゅんブログ)。

芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。少年時代からチャップリンヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.10-103「川上のぼると『ハリス坊や』」。

旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。すると、敵国アメリカ批判などを取り入れたブラックユーモアたっぷりのネタが評判になり、各地の余興に呼ばれるうち、中村メイコの劇団に参加するようになる。

京都府立山城高等学校を経て、1949年に京都学芸大学(京都教育大学の前身)音楽科に入学。在学中の1951年に民放ラジオ局の朝日放送が開局すると、同局専属のタレントとしてプロデビュー。大学生タレント第1号として売り出され、『ハリスクイズ』『ピアス歌のカクテルパーティー』の司会を担当。『ハリスクイズ』では、スポンサーの社名にちなんだ腹話術人形「ハリス坊や」を相方にし、「イットーショー(一等賞)!」のフレーズが流行、お茶の間の人気者になる。同局の専属だった3代目桂米朝は「あの頃一番儲けはった」と当時を回顧している。

舞台では千日劇場や旧うめだ花月などに出演。弟子らを率いて『川上のぼるとリズムボーンズ』(1963年より『川上のぼると大阪ヤローズ』と改称)を結成し、音楽ショウ、腹話術、声帯模写、コントなど、何でもありの芸で寄席を賑やかした。1987年には中国で公演した。

晩年は天満天神繁昌亭に腹話術で出演。2011年頃ころから足を患い自宅で静養を続けていたが、2013年9月7日、心不全のため大阪府茨木市の自宅で死去した(83歳没)。

妻は元宝塚歌劇団の恒月まさみ。次男は弟子でもある川上じゅん。

受賞歴

  • 1996年 第25回上方お笑い大賞特別賞
  • 1997年 大阪市民表彰(文化功労)
  • 2002年 日本腹話術貢献者賞受賞
  • 2014年 第17回上方演芸の殿堂入り

弟子および座員

  • 寺下ジョージ - のちのタイヘイ原児。
  • 堺すすむ
  • 大空テント - 上岡龍太郎門下に移る。
  • 宮本きよし
  • 千田やすし
  • 岸わたる - 並木ひろしとタッグマッチのメンバーを経て、現在は作曲家。
  • 安丸三一 - 現在は演歌歌手。
  • 森今日生
  • 野田まもる
  • 川上じゅん
  • 小泉みつる
  • 村田いつ子
入門を経ずリズムボーンズ、大阪ヤローズのメンバーになった人物
  • 藤本哲宏 - のちのピンアップトリオの哲二。アコーディオンの演奏で参加。

芸風

  • 唄う声帯模写の第一人者である。
物真似のレパートリー

出演

ラジオ
  • ハリスクイズ(朝日放送)
  • ピアス歌のカクテルパーティー(朝日放送)
  • いただきます歌謡曲(近畿放送)京都新聞(縮刷版)1976年4月
  • 川上のぼるですおはようさ~ん(KBS京都)
テレビバラエティ
  • 京阪ゼスチャーゲーム→京阪テレビカー(OTV、1956年 - 1958年)
  • スターと飛び出せ歌合戦(ytv制作・NTV系ネット) - トニー谷司会。ディック・ミネとレギュラー審査員で出演。
テレビドラマ
  • おにいちゃん(OTV、1958年10月 - 1959年5月)
  • 人形といっしょに(朝日放送、1959年6月 - 1959年10月)
  • ダイラケ二等兵(朝日放送、1960年2月 - 1961年7月)
  • てっちゃん劇場(朝日放送、1960年5月 - 1963年4月)
  • スチャラカ社員(朝日放送、1961年4月 - 1967年4月)
  • 瓦版・忠臣蔵(毎日放送、1964年6月 - 1964年11月)
  • 甘辛横丁名迷伝(朝日放送、1964年10月 - 1965年3月)
  • 水戸黄門(TBS、1964年11月 - 1965年12月)
  • 続・柔(日本テレビ、1965年10月 - 1966年4月)
  • 道頓堀アワー(大阪テレビ放送→朝日放送)
映画
  • 幽霊五十三次(ニュー東映、1961年)
  • 大日本殺し屋伝(日活、1965年)
  • のど自慢(シネカノン・東宝・日活・ポニーキャニオン、1999年)

関連項目

  • ハリス - 後のカネボウハリス → カネボウ食品 → ベルフーズ → カネボウフーズ → クラシエフーズ
    • ハリスの旋風

外部リンク

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