朱里エイコ : ウィキペディア(Wikipedia)

朱里 エイコ(しゅり エイコ 、本名:田辺栄子(たなべ えいこ)、1946年3月19日スポーツニッポン、2004年8月3日付「歌手の朱里エイコさん死去『北国行きで』などがヒット」 - 2004年7月31日)は、日本の歌手である。

世界で活動していた。東京都出身。

18歳で単身渡米

1946年3月19日に、舞踏家兼振付師で『エド・サリヴァン・ショウ』に出演経験がある朱里みさをを母に、オペラ歌手を父に、「朱里みさを舞踏団」として巡業中の北海道札幌市で生まれる。生後間もなく家庭内暴力で両親が離婚し、巡業から戻った1949年秋から東京で育った。母は舞踏団を率いて全国巡業や渡米巡業などでして忙しく、叔父宅に預けられ、母と住んだのはかなり大きくなってからという。

1964年に日本人の海外渡航が自由化されると、11月に18歳で単身渡米し、ボブ・アルシルバーに師事する。ハリウッドからプロデューサーのトーマス・ポールが来日した際、多数の応募者からオーディションに合格し、ダウンタウンのエルコース・ホテルで初舞台を経験する。この年から2年間の契約で、ラスベガスやリノ、レイク・タホ、ハワイ、シアトル、シカゴ、ニューヨークなどアメリカ各地の一流ホテルやナイトクラブで活動する。無名の新人であるため、アメリカのランキング上位40曲が歌唱できることを常に求められる。ラスベガスでサラ・ヴォーンと同じ舞台を経験する。

1966年9月に帰国してリサイタルを日生劇場で開催する。以後レコード発売やワンマンショー開催など活動するも人気を博さず、ショーを観た芸能関係者は「彼女の持ち味が生かされるほど、当時の日本は進んでいなかった」とのちに語る。

1969年に再び単身渡米する。以前と違う自分を試すためグループに所属せず単独のエンターテイナーとして勝負することを決心し、ホテルと契約、バンドの編成、バンドメンバーの給与支払いなどのすべてを自身で担い、ラスベガスのリヴィエラ・ホテルなどで活動する。

1970年1月にラスベガスでショーが大成功し、2月にEiko Shuri and her bandとして「サハラ・ホテル」で2か月間ロングラン公演し、ネバダ、ニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイでワンマンショーを開催する。

1971年2月に一時帰国し、ワーナー・パイオニアと契約する。

アメリカで活躍した経験を基に日本で再び活動を始めると、1972年1月に発売した「北国行きで」が大ヒットして第23回NHK紅白歌合戦に初出場するなど、デビュー8年目で日本国内の人気を得た。1972年10月のショーを最後にアメリカから帰国する。

1972年3月と5月に交通事故で頸部外傷を患い、心身が不安定な状態となる。1973年2月14日に福島県郡山市の「朱里エイコリサイタル」で、歌唱中に歌詞を間違えて途中から失声する。公演は途中打ち切りとなり、エイコはそのまま楽屋から失踪し、翌日以降の福島市といわき市の公演がキャンセルとなった「公演を途中で放り出し失踪 朱里エイコ 歌詞を間違えて中断後」『朝日新聞』昭和48年2月15日夕刊、3版、11面。

1975年にマネジャーの渥美隆郎と結婚すると、安易な職域結婚として週刊誌などの芸能マスコミが批判的に報じる。アメリカで10年以上生活したエイコは、気兼ねなく会話して信頼できるパートナーと共に仕事することに違和感がなかった。

アメリカと日本で活躍

アメリカで鍛えた歌唱力とダンスに加え、三味線やピアノを演奏しながら歌い、得意の玉乗りを披露するなど、ステージ構成や行動力が話題となる。

1975年3月28日に渡米し、4月1日から半年間、ニューオリンズ、プエルトリコ、ラスベガスなど各地でワンマンツアーを開催する。ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソンなどの番組に出演し、ツアー初日のショーをABCが放送した。4月に発売した「AH SO!」は、三味線を演奏しつつ歌うと観客が「AH SO!」と掛け声するなど、公演で好評となる。

6月に、ショーを見たタワー・オブ・パワーがジョイントレコーディングを企画する。ロサンゼルスのワーナースタジオで彼らの作品を中心にたびたび打ち合わせを重ね、『愛のめざめ I'm Not A Little Girl Anymore』と『絶体絶命 Buring My Bridges Behind Me』の2曲を10月から約1か月半を費やしてレコーディングし、日本とアメリカで発売した。

1976年3月に、フラミンゴ・ラスベガスでショーを見たコメディアンのレイカルド・デュオからカーネギー・ホール出演を打診される。6月19日に、日本人女性で初めてカーネギーホールで公演したレイカルド・デュオとのジョイントリサイタルは超満員となる。

9月に、カーネギー・ホール出演以後活動を共にするHervey Truittらバンドメンバーと共に帰国して国内各地で公演する。本公演を「海外に通用する日本人アーティスト」として企画したキョードー東京は、以後の公演を担当する。12月に渡米する。

1977年6月23日に東京から日本全国縦断リサイタルを開始する。6月に来日中のポール・アンカと面会してアピールすると、LPに収録されたマイ・ウェイを聴いて大絶賛したポールは4曲提供した。提供された曲のうちシングル発売した「ジョーのダイヤモンド」は、1978年の第7回東京音楽祭国内大会でゴールデン・スター賞と作曲賞を受賞する。

9月に渡米すると、バーブラ・ストライサンドフランク・シナトラダイアナ・ロスらを手掛けたのプロデュースで、ポール・アンカがオリジナル15曲を提供するアルバムを、10月から録音し、12月に「NICE TO BE SINGING」のタイトルで発売する。アルバム発売前の10月にトヨタ・チェイサーのCMソング「サムライ・ニッポン」を発売し、アルバムに「SAMURAI NIPPON」を収録する。

11月にレコーディングを終え、新曲プロモートのためにハリウッドでオーディションした4名のダンサーと共に帰国する。テレビやステージで活動すると、特徴的なタイトルやCMタイアップなど話題となる。

1979年ソウル国際音楽祭に日本代表で出場し、前年のLPに収録されている「I GET OFF ON YOU」などを歌う。この模様を収録したLPを韓国内のみで発売する。

5月にレニー・ホワイトがバックで参加する楽曲「窓あかり」を発売する。日本を拠点に活動し、全国各地でコンサートを催して盛況となる。

12月10日に初のベストアルバムを発売し、ワーナーと契約が終了する。12月に東京厚生年金会館で催されたリサイタルは、録音されたが未発売である。

1980年は、レコード会社と契約が進捗せず、多くをアメリカで活動し、日本で公演したが新曲は発売しない。

1981年にRCAレコードへ移籍し、リサイタルを1月8日に東京メルパルクホールから開始する。

葛藤と苦悩

1972年に「北国行きで」がヒットした頃から「実力重視ではなくヒット曲を重視する日本の芸能界は、ヒットがなければテレビに出られない、なぜ自分は日本人に受けいれてもらえないのか」と葛藤を続けた。

当時の日本はアイドル歌手が全盛で、周囲から実力派と評価を得ても努力して経験を重ねたエイコは、苦しみ、ヒット曲に恵まれず世間から忘れられてしまうのではないかと焦った。

精神的に不安定ながら公演を続けるが、1983年6月に名古屋で失踪してしばらく入院したが、復活を望む声援を得て徐々に活動を始める。

赤坂コルドンブルーに出演して1週間余、開演時間を過ぎても会場に現れず、品川区の自宅居室でパニック状態に陥り苦しみ悶える状態で関係者に発見される。栄養ドリンクを飲用直後に精神科で処方された薬剤を服薬したことで異常を呈していた。当日の公演は中止になり、のちにストレスなどから肝臓病を患い5年間入院加療した。

1983年以降

1983年に、渡米する。

1984年6月に一時帰国し、凱旋公演を東京から開始する。

1986年に帰国して日本で活動を増やす。

1987年にシングル「すべての愛をあなたに」を発売する。

1992年12月に、芸能生活25周年のリサイタルを開催する。

2004年7月31日に、虚血性心不全のため自宅において58歳で死去する。

エピソード

  • ラスベガスのステージで歌い終えると、偶然聴いていたリンゴ・スターはアンコールを繰り返してスタンディングオベーションした。「食事でもしないか?」と誘われたが断った。「あのときはまだ純情で、よくわかっていなかった。もし断っていなかったら、第二のオノ・ヨーコになれたのに」と後年語っている朱里 エイコインタビュー、キタガワレコード2002年6月号。。

ディスコグラフィ

シングル

  • 旧名義時代(ビクター)
    • 1〜3:田辺エイ子名義、4:田辺エイコ名義。
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1963年10月 A面 交通戦争はイヤ さとうよしみ いずみたく BS-151
B面 星はぼくらの仲間
2 1964年5月 B面 ぼくの子守唄 中村千栄子 湯山昭 BS-1034
3 1964年8月 B面 ブルーポニー いちかわゆうぞう いずみたく SV-56
4 1964年8月 A面 三人三羽 山上路夫 SV-57
  • 朱里エイコ名義
    • 1〜4:キングレコード、5〜8:ロンドンレコード、9〜25:ワーナー・パイオニア、26:RCA、27:ポリドール。
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1967年4月10日 A面 恋のおとし穴 福地美穂子 すぎやまこういち 森岡賢一郎 BS-7162
B面 孤独の太陽 音羽たかし J.Prieto
2 1967年8月1日 A面 ジ・エンド・オブ・ラブ 福地美穂子 すぎやまこういち BS-7168
B面 マシュ・ケ・ナダ Jorge Ben Jor
3 1967年11月20日 A面 イエ・イエ 小林亜星 BS-756
B面 恋のアングル 福地美穂子 すぎやまこういち 森岡賢一郎
4 1968年5月1日 A面 アニマル1の歌 武井君子 玉木宏樹 BS(H)-2005
5 1968年8月1日 A面 ハバナ・アンナ 音羽たかし LeopoldTrue Love 森岡賢一郎 TOP-704
B面 クレイジー・ラヴ 橋本淳 すぎやまこういち
6 1968年10月1日 A面 まぼろしの声 世志凡太 森岡賢一郎 TOP-708
B面 悪魔のとりこ
7 1969年4月1日 A面 しのび泣きの恋 なかにし礼 三木たかし TOP-712
B面 むかしの貴方 山口洋子 山崎唯 小谷充
8 1969年11月1日 A面 恋のブラック・カード ヒロコ・ムトー はやし・こば TOP-717
B面 沈む夕陽は止められないの 赤木杏子
9 1971年7月25日 A面 恋のライセンス 片桐和子 小松久 森岡賢一郎 L-1045R
B面 ミスター・スマイル
10 1972年1月25日 A面 北国行きで 山上路夫 鈴木邦彦 L-1069R
B面 時の流れにのこされて
11 1972年7月10日 A面 心の痛み L-1090R
B面 青春のときめき
12 1972年9月25日 A面 恋の衝撃 いずみたく 川口真 L-1105R
B面 あたたかい胸
13 1973年2月10日 A面 見捨てられた子のように 千家和也 森田公一 馬飼野俊一 L-1119R
B面 愛のサンセット 山上路夫 鈴木邦彦
14 1973年7月10日 A面 ジェット最終便 橋本淳 川口真 L-1139R
B面 渚のハイウェイ
15 1973年11月25日 A面 あなたの勝ちだわ 山上路夫 いずみたく 穂口雄右 L-1162R
B面 そんなのないわ 岩谷時子 東海林修
16 1974年3月25日 A面 二時から四時の昼下り なかにし礼 筒美京平 L-1177R
B面 雨ものがたり
17 1974年7月25日 A面 白い小鳩 山上路夫 都倉俊一 L-1196R
B面 愛の場所 さいとう大三 馬飼野俊一
18 1975年4月25日 A面 AH SO! 朱里エイコ 東海林修 L-1238R
B面 悲しみの鳥が飛び立つとき 山上路夫 川口真
19 1976年3月25日 A面 愛のめざめ Tower of Power L-1307W
B面 絶体絶命
20 1977年3月25日 A面 明日への願い 山川啓介 Harvey Truitt L-65R
B面 愛のフィーリング 朱里エイコ M.Albert 馬飼野康二
21 1977年6月25日 A面 めぐり逢い 松任谷由実 R.Edelman 新井英治 L-93R
B面 陽はまた昇る 山川啓介 Harvey Truitt
22 1977年11月25日 A面 ジョーのダイヤモンド なかにし礼Paul Anka Paul Anka 竜崎孝路 L-174R
B面 オクラホマ・モーニング Paul Anka
23 1978年10月25日 A面 SAMURAI NIPPON M.Bruno Peter Stone L-245R
B面 サムライ・ニッポン 麻生香太郎
24 1979年5月25日 A面 窓あかり 山口洋子 梅垣達志 L-281R
B面 星と女
25 1979年10月10日 A面 愛は旅びと 八坂裕子 H.Mancini 梅垣達志 L-313R
B面 Everytime 愛 朱里エイコ 栗原三行
26 1981年4月13日 A面 知らせないで 片桐和子 馬飼野康二 RHS-29
B面 DON'T BE AFRAID 鷺巣詩郎
27 1987年8月25日 A面 すべての愛をあなたに… 森浩美 M.MasserG.Goffin J.Latonio 7DX-1516
B面 グレイテスト・ラブ・オブ・オール さかたかずこ M.MasserL.Creed

デュエット・シングル

発売日 デュエット A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
キングレコード
1992年10月21日 木崎たかし 01 お手をどうぞ 愛田美穂 森裕次郎 桜庭伸幸 KIDD-1146
02 いつの日も愛のために 朱里エイコ

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日タイトル規格規格品番レーベル
ワーナー・パイオニア
1972年4月25日これから始まる何か PASSIONATELY S.EIKOLPL-6047Rワーナー・パイオニア
1972年9月25日朱里エイコ セカンドアルバム 恋の衝撃L-8013R
1973年3月25日EIKO SHURI Ⅲ 朱里エイコ・サードアルバムL-8018R
1973年5月25日パーティー はなやかなる集いL-8020R
2003年11月15日CDCDSOL-1081Solid Records
1973年8月25日ジェット最終便LPL-8028Rワーナー・パイオニア
1973年11月10日SUPER SELECTION TODAYL-5051R
1974年2月25日My Favorite Songs カーペンターズ、アダモほか世界のヒットソングを歌うL-8031R
1974年11月25日朱里エイコのすべて JUMPING FLASHL-5062-63R
1977年11月25日ENDLESS Eiko Meets Paul AnkaL-10095R
1978年12月21日2021年05月17日NICE TO BE SINGINGリマスタリング仕様盤発売L-10137R

ライブ・アルバム

発売日タイトル規格規格品番レーベル
1972年11月25日オンステージ 新しい世界が今ここにLPL-5525-56Rワーナー・パイオニア
2012年9月26日CDWQCQ-420Tower To The People
1976年5月25日LAS VEGAS HERE I COMELPL-10033Rワーナー・パイオニア
2012年9月26日CDWQCQ-421Tower To The People
1976年12月10日NOW ON STAGELPL-5525-26Rワーナー・パイオニア
2012年9月26日CDWQCQ-422Tower To The People

ベスト・アルバム

発売日タイトル規格規格品番レーベル
1979年12月10日BEST Greatest Hits '72-'79LPL-11009Rワーナー・パイオニア
1994年4月25日朱里エイコ全曲集CDダブリューイーエー・ジャパン
1998年9月25日レイト60'sモッド・ガール・コレクション (2) 朱里エイコ★イエ・イエ
2005年5月27日究極のベスト! 朱里エイコWPCL-70527WARNER MUSIC JAPAN
2010年スーパーベスト・コレクション
2015年5月13日リトル・ダイナマイト~ベスト・オブ・朱里エイコWPCL-12080WARNER MUSIC JAPAN

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
1964年 三人三羽 テレビ東京系ドラマ「三人三羽」主題歌
1967年 イエ・イエ レナウン「イエ・イエ」CMソング
1968年 アニマル1の歌 フジテレビ系アニメ「アニマル1」OPテーマ
1978年 SAMURAI NIPPON トヨタ自動車「チェイサー」CMソング

映画

  • 松竹「喜劇 快感旅行」(1972年)
  • 東宝「キタキツネ物語」(1978年)

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1972年(昭和47年)/第23回北国行きで03/23堺正章
1973年(昭和48年)/第24回2ジェット最終便05/22美川憲一
備考
出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CMソング

  • レナウン「イエ・イエ」(1967年)
  • 不二家「パラソルチョコレート」(1969年)
  • コカ・コーラ「うるおいの世界」(1973年)
  • キリンビール「ジョーのダイヤモンド」(1977年)
  • トヨタ・チェイサー「SAMURAI NIPPON](1979年)
  • 三菱電機「Change Up」

注釈

出典

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/18 18:19 UTC (変更履歴
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