中川浩一 : ウィキペディア(Wikipedia)

中川 浩一(なかがわ こういち、1931年7月17日 - 2008年8月19日)は、日本の地理学者、茨城大学名誉教授。専門は交通地理学、産業考古学。夏目漱石森鷗外の研究者でもある。鉄道ファンとしても知られ、鉄道ピクトリアルの編集委員を務めていた。東京市出身。中川元は父方祖父。

卒業論文・修士論文の指導は尾留川正平から受け、結婚式の仲人も尾留川が務めた。

略歴

  • 1950年 - 東京都立西高等学校卒業
  • 1954年 - 東京教育大学理学部地理学専攻卒業、東京都渋谷区立代々木中学校教諭
  • 1957年 - 東京教育大学理学研究科修士課程修了、茨城県立水戸第一高等学校教諭
  • 1958年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)教官
  • 1961年 - 東京教育大学講師(併任)
  • 1974年 - 茨城大学教育学部助教授
  • 1982年 - 茨城大学教育学部教授
  • 1997年 - 茨城大学定年退官、流通経済大学経済学部教授、茨城大学名誉教授
  • 2002年 - 流通経済大学定年退職。
  • 2008年8月19日 - 神奈川県相模原市内の病院において死去。享年77。

鉄道研究会顧問

  • 茨城大学で教鞭をとっていた1981年6月16日には、茨城大学人文学部社会科学科教授の小林三衛と共に、茨城大学鉄道研究会の顧問に就任している。1997年から2002年までの間は、流通経済大学鉄道研究会の顧問を務めた。
  • 1990年4月1日には、茨城大学鉄道研究会OB会の名誉顧問に就任。

交通、鉄道、旅行、産業考古学に関する著作

著書

  • 「旅の文化誌-ガイドブックと時刻表と旅行者たち」(1979年、伝統と現代社)
  • 「茨城県鉄道発達史」上・下(1980年、筑波書林)
  • 「茨城県鉄道発達史」合本(1980年、筑波書林)
  • 「茨城の民営鉄道史」上・中・下(1980年、筑波書林)
  • 「茨城の民営鉄道史」合本(1980年、筑波書林)
  • 「茨城県鉄道余話」上・下(1981年、筑波書林)
  • 「鉄道記念物の旅」(1982年、クオリ)
  • 「保存蒸気機関車と鉄道博物館」(1982年、クオリ)
  • 「地下鉄の文化史」(1984年、筑摩書房)
  • 「地下鉄物語」(1985年、ジャルパック・センター)
  • 「観光の文化史」(1985年、筑摩書房)
  • 「茨城県水力発電誌」上・下(1985年、筑波書林)
  • 「水戸の電気のルーツをたずねて」(1985年、東京電力水戸営業所)
  • 「バスの文化史」(1986年、筑摩書房)
  • 「絵はがきの旅・歴史の旅」(1990年、原書房)
  • 「RM LIBRARY63 茨城交通水浜線」 (2004年、ネコ・パブリッシング)

編著

  • 「点と線のヨーロッパ」(1969年、古今書院)
  • 「産業遺跡を歩く-北関東の産業考古学」(1978年、産業技術センター → クオリ)
  • 「近代アジア・アフリカ都市地図集成」(1996年、柏書房)

共著

  • 「軽便王国雨宮」(1972年、丹沢新社)
  • 「RM LIBRARY106 鹿島鉄道-鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線-」(2008年、ネコ・パブリッシング)

共編著

  • 「日本の客車-写真で見る客車の90年」(1962年、鉄道図書刊行会)
  • 「復刻版 日本の客車-写真で見る客車の90年」「(限定付録)日本の客車 落穂集」(2010年、鉄道図書刊行会)
  • 「日本の内燃車両」(1972年、鉄道図書刊行会)
  • 「写真集山手線」(1980年、立風書房)
  • 「日本の産業遺産 300選」2(1993年、同文館)
  • 「日本の産業遺産 300選」3(1993年、同文館)

社史の監修および執筆

  • 「京浜急行八十年史」(1980年、京浜急行電鉄)
  • 「京浜急行電鉄史資料所在目録」(1981年6月、京浜急行電鉄)の解題のうち「東京貿易新報」「旅」

分担執筆

  • 「日本の鉄道」(1964年、交通博物館)のうち「私設鉄道」
  • 「交通地理学」(1968年、大明堂)のうち「地理教育における交通」「大都市の交通問題」
  • 「軽便の記録」(1974年、丹沢新社)のうち「軽便鉄道ノート」
  • 「茨城の科学史」(1978年、常陸書房)のうち「日清製粉と山の工場」「石岡第一発電所と鉱山事業」「サクションガスと茨城電気」「日立鉱山電気鉄道」「川蒸気と通運丸」「水戸鉄道の記念碑」「那珂湊の運河・万右衛門川」「横利根の閘門と水運」「竹内権兵衛と茨城交通」
  • 「すてきな旅・北欧」(1979年、世界文化社)のうち「山岳美を満喫するベルゲン鉄道」
  • 「横浜フランス物語」(1979年、産業技術センター)のうち「フランス産業遺跡」
  • 「Travel Agent Manual 1980」(1980年、森岩トラベル・エンタープライズ)のうち「世界のガイドブック」
  • 「海外旅行事典」(1981年、アルク)のうち「旅の参考書」
  • 「東京の国電」(1981年、ジェー・アール・アール)のうち「東京の国電-消えた線区」
  • 「地下鉄ガイド」(1982年、ジェー・アール・アール)のうち「地下鉄とは何か」
  • 「霞ヶ浦-自然・歴史・社会」(1984年、古今書院)のうち「霞ヶ浦水域における定期船運航史」
  • 「続茨城の科学史」(1985年、常陸書房)のうち「日立鉱山の架空索道」「ガソリン代用の木炭ガス」「交流・直流の車上切り替」「霞ヶ浦の女王さつき丸」「八溝山麓の水車」「初期の発電用水車」「電化は鉱山から」「喜寿を迎えた中里発電所」「太田の七人組と里川発電所」「水資源の有効活用」「電 力のフォッサ・マグナ」「日立火力発電所」「日本最初のガス力発電」
  • 「日本の水車」(1985年、ダイヤモンド社)のうち「現代の水車、筑波・多賀の山麓」
  • 「北海道地方・新日本地誌ゼミナール」(1985年、大明堂)のうち「交通の変遷」
  • 「地域をめぐる自然と人間との接点」(1985年、網井淳志郎先生退官記念論文集出版事業会)のうち「伊東水力電気の成立と展開」
  • 「オリエント急行」(1985年、教育社)のうち「路線の変遷」
  • 「小田急・車両と駅の60年」(1987年、大正出版)のうち「豆電車とモノレール」
  • 「箱根の鉄道 100年」(1988年、大正出版)のうち「水力発電と箱根の電車」
  • 「水戸の近代 100年」(1990年、茨城新聞社)のうち「水戸をめぐる鉄道開業の経緯」「水戸の電力史」
  • 「東京駅と辰野金吾」(1990年、東日本旅客鉄道)のうち「新橋万世橋-ドイツ人技師ルムシュッテル」
  • 「民営鉄道の歴史と文化 東日本編」(1992年、古今書院)のうち「京王帝都電鉄-その成立と多角経営の変遷」
  • 「技術の文化史」(1993年、アグネ)のうち「輸入鉄道トラス橋の系譜」
  • 「多摩の鉄道百年」(1993年、日本経済評論社)のうち「郊外電車の発展」「高度経済成長と鉄道の役割」「ケーブルカー」「基地と鉄道」「小河内ダムと鉄道」「失われた五日市線」
  • 「水戸市史・下巻(一)」(1993年、水戸市)のうち「常磐線の開通と交通網の発展」
  • 「鉄の橋百選」(1994年、東京堂出版)のうち「東武鉄道大谷川橋梁」「伊達橋」「第一松木川橋梁」「古河橋」「石ヶ瀬川橋梁」「近江鉄道愛知川橋梁」「南海電気鉄道紀の川橋梁」「第二渡良瀬川橋梁」
  • 「水戸市史・下巻(二)」(1995年、水戸市)のうち「水浜電車・茨城鉄道の建設と水郡線の拡充」「自動車交通の発展」
  • 「特別展 水戸駅-開業から百十年-」図録(1999年10月、水戸市立博物館)のうち「水戸にゆかりの明治のSL」
  • 「特別展 激動の昭和鉄道史 時代を走り抜けた軌跡を追って」図録(2008年、水戸市立博物館)のうち「「はつかり」登場以前-幻の「超特急」から準急「ときわ」まで」

座談会記録

  • 「道と文化」(1986年、日本経済評論社)のうち「鉄道と文化現象」
  • 「水戸の近代100年」(1990年、茨城新聞社)のうち「近代の意味するもの」

講演記録

  • 「伝統と未来」(1991年、八戸市教育委員会)のうち「絵はがきの歴史から文化をみる」

交通、鉄道、旅行、産業考古学に関する雑誌投稿

もはゆに

もはゆには、東京鉄道同好会の会誌。第1号から第16号までは別冊。第17号以降はRomanceCarの一コーナーとして収録。

  • 第5号(1948年8月)「五日市線に乗る」

ClubCar

ClubCarは、関西鉄道同好会の会報。

  • 第33号(1949年7月)「西遊日記」
  • 第35号(1949年9月)「続西遊日記」

RomanceCar

RomanceCarは、東京鉄道同好会(1953年に鉄道友の会に吸収)の会誌。

  • 第14号(1951年1月)もはゆに22<ニュース欄>「岳南鉄道・富士電車区・駿豆鉄道訪問記」「西武のおとぎ電車と安比奈砂利ホッパー等」「武蔵野スクラッブ」
  • 第15号&第16号(1951年8月)もはゆに23<ニュース欄>「川越近郊を探る」「駿河紀行」「武蔵野スクラッブ2」
  • 第17号(1951年11月)もはゆに24<ニュース欄>「西武キハ111形探究記」
  • 第18号(1951年12月)「鹿島参宮鉄道探訪」「信濃路より東北の旅へ」もはゆに25<ニュース欄>「奥多摩ニュース」
  • 第19号(1952年4月)「武蔵野スクラップ3」「相模鉄道の改番と国電譲受車」「訂正と補足」「鉄道日記抄」
  • 第20号(1952年6月)「房総半島をめぐって」「武蔵野スクラップ4」「常陸の電車」
  • 第21号&第22号(1952年12月)「再び房総をめぐって」
  • 第23号(1953年2月)「みちのくへ1」
  • 第24号(1953年5月)「みちのくへ2」「沼尻鉄道B71をめぐって」もはゆに30<ニュース欄>「R.C.No.21・22を読んで」
  • 別冊1(1953年8月)「奥羽路をゆく-青森から鶴岡まで」「小名浜臨港鉄道探訪」(共著)

機関車

機関車は、金田茂が主宰した「“機関車”刊行会」の会誌。大阪府工業奨励館にその事務局があった。

  • 第7号(2-1号)(1951年8月)相模鐵道の車輌に関する訂正‥中川の指摘を受けて編集部が訂正

RAILFAN

RAILFANは、鉄道友の会の会報。第1号は1954年(昭和29年)1月発行。

  • 別冊1(1954年8月)気動車物語 私鉄編1
  • 第10号(1954年10月)営業復活の魚沼線を訪ねて
  • 第11号(1954年11月)日帰りの甲府行き
  • 第12号(1954年12月)「もはゆに」幽霊弥彦線を歩く
  • 第14号(1955年2月)初詣成田山
  • 第16号(1955年4月)早春の水戸行
  • 第19号(1955年7月)日立の電気機関車
  • 別冊2(1955年9月)気動車物語 私鉄編2
  • 第27号(1956年3月)蒸気動車について
  • 第28号(1956年4月)蒸気動車について補足
  • 第29号(1956年5月)蒸気動車物語
  • 第30号(1956年6月)蒸気動車物語
  • 別冊3(1956年9月)気動車物語 私鉄編3
  • 第34号(1956年10月)信州から岩代へ
  • 第34号(1956年10月)「もはゆに」野村薫・三宅恒雄両氏へ
  • 第47号(1957年11月)いばらき短信1
  • 第52号(1958年4月)いばらき短信
  • 第52号(1958年4月)九州旅行のスナップから
  • 第95号(1961年11月)房総レポート
  • 第137号(1965年5月)ゲテモノ探訪記1 鞍馬鋼索鉄道の巻
  • 第139号(1965年7月)ゲテモノ探訪記2 近畿日本鉄道生駒鋼索鉄道の巻
  • 第141号(1965年9月)ゲテモノ探訪記3 近畿日本鉄道生駒山雲上リフトの巻
  • 第142号(1965年10月)新幹線開通1周年に当たって アンケート
  • 第143号(1965年11月)ゲテモノ探訪記4 [続]吉野大峰ケーブル自動車架空索道の巻
  • 第145号(1966年1月)ゲテモノ探訪記5 生きていたEとK
  • 第147号(1966年3月)ゲテモノ探訪記6 大井川鉄道井川線(前)
  • 第149号(1966年5月)ゲテモノ探訪記7 大井川鉄道井川線(後)
  • 第151号(1966年7月)ゲテモノ探訪記8 “加藤”は単数ではない
  • 第154号(1966年10月)ゲテモノ探訪記9 徳島市営眉山ロープウェイ(前)
  • 第156号(1966年12月)ゲテモノ探訪記10 徳島市営眉山ロープウェイ(後)
  • 第161号(1967年5月)ゲテモノ探訪記11 立山開発鉄道鋼索線 前
  • 第162号(1967年6月)ゲテモノ探訪記12 立山開発鉄道鋼索線 後
  • 第168号(1967年12月)ゲテモノ探訪記13 能勢電気軌道鋼索線・索道線
  • 第175号(1968年7月)ゲテモノ探訪記14 関西電力黒部鉄道
  • 第201号(1970年9月)保存蒸機をたずねて18 静岡鉄道B15
  • 第203号(1970年11月)ブルーリボン賞授賞式と試乗会 大阪

JRCリポート集 1 (1957年8月発行)

鉄道友の会車両調査部客貨車気動車グループの部会で配付された資料を取りまとめたもの。

  • 最初の山陽特急客車について
  • J.G.Brill会社製三軸ボギー台車の鉄道院基本型に就いて
  • 電車型客車と客車型電車
  • 私鉄の省型客車
  • 関東大震災の災害客車と其の復旧に就いて-特に変形大型ボギー車と其の由来について-

鉄道ピクトリアル

鉄道ピクトリアルは、電気車研究会が発行する月刊鉄道趣味雑誌。1951年(昭和26年)7月創刊。

  • 第25号(1953年8月)南武線-買収国電を探る6
  • 第31号(1954年2月)字部・小野田線-買収国電を探る11(共著)
  • 第37号(1954年8月)常磐紀行
  • 第38号(1954年9月)常磐紀行(続)
  • 第44号(1955年3月)ケーブルカー物語1
  • 第45号(1955年4月)花園列車
  • 第45号(1955年4月)ケーブルカー物語2
  • 第46号(1955年5月)ケープルカー物語3
  • 第50号(1955年9月)関東大震災を受けた(客車)たち
  • 第105号(1960年4月)私鉄気動車に関する12章-その発達史的考察
  • 第115号(1961年2月)多彩をきわめた気動車群 特集;東武鉄道
  • 第118号(1961年5月)五日市線の想いで
  • 第120号(1961年7月)電車化された常磐線を見る
  • 第124号(1961年11月)身延線と山梨交通をみる
  • 第127号(1962年2月)「日本の客車」落穂集1 木製客車の再吟味
  • 第127号(1962年2月)「日本の客車」編集に参画して
  • 第128号(1962年3月)セミナー「車両調査」-この一文を故田島貞次氏に捧げる
  • 第129号(1962年3月)「日本の客車」落穂集2 地方鉄道のボギー客車の究明
  • 第130号(1962年4月)「日本の客車」落穂集3 地方鉄道のボギー客車の究明
  • 第131号(1962年5月)私設鉄道のC11、C12(共著)
  • 第131号(1962年5月)「日本の客車」落穂集4 70系3等客車とその製造事情
  • 第132号(1962年6月)ローカル線DCの種々相
  • 第132号(1962年6月)変り種のDCを追って
  • 第134号(1962年8月)新潟電化を現地にみる
  • 第136号(1962年9月)ロープウェイ物語
  • 第137号(1962年10月)特別急行列車50年概史 明治・大正時代の特急列車
  • 第137号(1962年10月)水戸電気鉄道(失われた鉄道・軌道を訪ねて2)
  • 第138号(1962年11月)続 ロープウェイ物語
  • 第139号(1962年12月)私設鉄道などにおけるディーゼル機関車の発達
  • 第140号(1963年1月)失われた鉄道・軌道を調べるには(失われた鉄迫・軌道を訪ねて5)
  • 第141号(1963年2月)付記 静岡電気鉄道時代の電車について
  • 第143号(1963年4月)鉄道記念碑めぐり6 “雨宮敬次郎”記念碑
  • 第144号(1963年5月)1年後の伊豆急行
  • 第147号(1963年7月)私鉄特急ロマンスカーの歩み
  • 第148号(1963年8月)鉄道記念碑めぐり10 碓日嶺鉄道碑
  • 第151号(1963年11月)続 私鉄特急ロマンスカーの歩み
  • 第153号(1964年1月)鉄道動力考
  • 第154号(1964年2月)釜石線とD50
  • 第155号(1964年3月)常総筑波鉄道1(私鉄車両めぐり62)(共著)
  • 第157号(1964年5月)常総筑波鉄道2(私鉄車両めぐり62)(共著)
  • 第158号(1964年6月)常総筑波鉄道3(私鉄車両めぐり62)(共著)
  • 第159号(1964年7月)ケーブルカー物語 続
  • 第159号(1964年7月)常総筑波鉄道(私鉄車両めぐり)
  • 第160号(1964年7月)茨城交通・水浜線
  • 第160号(1964年7月)丸山車両覚書
  • 第161号(1964年8月)内地の私鉄に譲渡された満鉄の客車
  • 第162号(1964年10月)新幹線通し試運転に乗る
  • 第166号(1965年1月)私鉄高速電車発達史(1)-第3部-終戦から現在まで
  • 第167号(1965年2月)私鉄高速電車発達史(2)
  • 第168号(1965年3月)私鉄高速電車発達史(3)
  • 第169号(1965年4月)私鉄高速電車発達史(4)
  • 第170号(1965年5月)私鉄高速電車発達史(5)
  • 第171号(1965年6月)私鉄高速電車発達史(6)
  • 第172号(1965年7月)私鉄高速電車発達史(7)
  • 第174号(1965年8月)東京台空襲と省線電車-私の備忘メモから-
  • 第175号(1965年9月)私鉄高速電車発達史(8)
  • 第176号(1965年10月)日本電力時代の黒部鉄道
  • 第176号(1965年10月)復活した大山ケーブルカーに乗る
  • 第177号(1965年11月)国鉄型機械式ガソリン動車変遷史
  • 第179号(1966年1月)私鉄高速電車発達史(9)
  • 第180号(1966年2月)私鉄高速電車発達史(10)
  • 第181号(1966年3月)両国駅断想
  • 第181号(1966年3月)成田への鉄路をめぐって(上)
  • 第182号(1966年4月)長野電鉄OSカーを見る
  • 第185号(1966年7月)鉄道ピクトリアル創刊15周年記念懸賞論文入選発表
  • 第185号(1966年7月)私鉄高速電車発達史(11)
  • 第187号(1966年8月)建設面からみた樺太鉄道の40年
  • 第188号(1966年9月)私鉄高速電車発達史(12)
  • 第190号(1966年11月)四国の私鉄の80年
  • 第192号(1967年1月)私鉄高速電車発達史(13)
  • 第194号(1967年3月)私鉄高速電車発達史(14)
  • 第196号(1967年5月)運輸部門からみた樺太鉄道の40年
  • 第197号(1967年6月)台湾鉄路寸見
  • 第198号(1967年7月)私鉄高速電車発達史(15)
  • 第201号(1967年9月)《清水ずい道開通前史》上越軽便線の記録
  • 第207号(1968年3月)私鉄高速電車発達史(16)
  • 第207号(1968年3月)ヨーロッパのマイカー輸送作戦
  • 第209号(1968年5月)私鉄高速電車発達史(17)
  • 第211号(1968年7月)私鉄高速電車発達史(18)
  • 第211号(1968年7月)富山地方鉄道ノート
  • 第213号(1968年8月)私鉄高速電車発達史(19)
  • 第213号(1968年8月)富山電気鉄道所属車ノート
  • 第214号(1968年9月)書評「資料・日本の私鉄」和久田康雄著
  • 第214号(1968年9月)北陸における民営鉄道の系譜
  • 第214号(1968年9月)資料 北陸の“失われた鉄道・軌道”一覧
  • 第218号(1968年12月)私鉄高速電車発達史(20)
  • 第218号(1968年12月)北陸鉄道ノート(3)
  • 第219号(1969年1月)近畿日本鉄道系譜
  • 第220号(1969年2月)赤字線を考える
  • 第221号(1969年3月)私鉄高速電車発達史(21)
  • 第222号(1969年4月)商用周波数交流電化発祥地ヘレンタール線
  • 第224号(1969年5月)私鉄高速電車発達史(22)
  • 第225号(1969年6月)九州地方における民営鉄道の系譜(上)
  • 第226号(1969年7月)九州地方における民営鉄道の系譜(下)
  • 第227号(1969年8月)韓国における鉄道網の形成過程
  • 第230号(1969年11月)西武鉄道の系譜
  • 第234号(1970年2月)西武鉄道の蒸気機関車
  • 第235号(1970年3月)京阪神急行電鉄の系譜
  • 第236号(1970年4月)日本におけるモノレールの沿革
  • 第237号(1970年5月)日本における蒸気機関車保存の沿革
  • 第238号(1970年6月)私鉄高速電車発達史(23)
  • 第240号(1970年8月)私鉄高速電車発達史(24)
  • 第241号(1970年9月)私鉄高速電車発達史(25)
  • 第244号(1970年11月)ボルネオ・サバ州営鉄道をみる
  • 第244号(1970年11月)私鉄高速電車発達史(27)
  • 第245号(1970年12月)私鉄高速電車発達史(28)
  • 第245号(1970年12月)クワイ川橋りょうを見る
  • 第246号(1971年1月)名古屋鉄道の系譜
  • 第247号(1971年2月)私鉄高速電車発達史(29)
  • 第248号(1971年3月)私鉄高速電車発達史(30)
  • 第250号(1971年5月)書評「RAIL FAN別冊 鉄道研究」鉄道友の会
  • 第250号(1971年5月)私鉄高速電車発達史(31)
  • 第253号(1971年7月)私鉄高速電車発達史(31)
  • 第254号(1971年8月)私鉄高速電車発達史(32)
  • 第255号(1971年9月)書評「私鉄ガイドブックシリーズ6」慶應大学鉄研編
  • 第255号(1971年9月)私鉄高速電車発達史(33)
  • 第256号(1971年10月)日本における蒸気動車の沿革
  • 第257号(1971年11月)私鉄高速電車発達史(34)
  • 第258号(1971年12月)大都市圏における通勤路線の特性
  • 第261号(1972年2月)私鉄高速電車発達史(35)
  • 第264号(1972年4月)私鉄高速電車発達史(36)
  • 第266号(1972年6月)私鉄高速電車発達史(37)
  • 第267号(1972年7月)私鉄高速電車発達史(38)
  • 第268号(1972年8月)私鉄高速電車発達史(39)
  • 第269号(1972年9月)東京急行電鉄の系譜
  • 第273号(1972年12月)東シベリアの鉄道を見る
  • 第274号(1973年1月)変身した開発鉄道 日本の黒部・台湾は阿里山
  • 第274号(1973年1月)お召し列車100年
  • 第275号(1973年2月)日本列島改造論と国有鉄道
  • 第276号(1973年3月)京成電鉄の系譜
  • 第278号(1973年5月)京王帝都電鉄の系譜
  • 第280号(1973年7月)中央線快速電車への道
  • 第287号(1973年12月)貨主客従の横顔ー貨物に賭ける中小私鉄
  • 第294号(1974年6月)悲願は潰えた公共企業体
  • 第296号(1974年8月)戦争と鉄道(上)
  • 第297号(1974年9月)戦争と鉄道(中)
  • 第298号(1974年10月)戦争と鉄道(下)
  • 第299号(1974年11月)"TOY"Railway後日談
  • 第301号(1975年1月)戦争と鉄道-日本編(1)-
  • 第302号(1975年2月)戦争と鉄道-日本編(2)-
  • 第306号(1975年5月)戦争と鉄道-日本編(3)-
  • 第307号(1975年6月)戦争と鉄道-日本編(4)-
  • 第308号(1975年7月)戦争と鉄道-日本編(5)-
  • 第311号(1975年10月)戦争と鉄道-日本編(6)-
  • 第312号(1975年11月)戦争と鉄道-日本編(7)-
  • 第314号(1975年12月)戦争と鉄道-日本編(8)-
  • 第320号(1976年5月)相模鉄道の系譜
  • 第321号(1976年6月)3等寝台車の設計事情とその就役
  • 第323号(1976年8月)戦争と鉄道(続1)
  • 第324号(1976年9月)戦争と鉄道(続2)
  • 第325号(1976年10月)戦争と鉄道(続3)
  • 第326号(1976年11月)幹線電化論の推移ー交流電化登場以前
  • 第329号(1977年1月)〈資料〉世界の鉄道博物館
  • 第329号(1977年1月)地下鉄に初めて乗った日本人
  • 第330号(1977年2月)戦争と鉄道(続4)
  • 第331号(1977年3月)戦争と鉄道(続5)
  • 第333号(1977年5月)戦争と鉄道(続6)
  • 第334号(1977年6月)戦争と鉄道(続7)
  • 第336号(1977年7月)戦争と鉄道(続8)
  • 第337号(1977年8月)日本ロープウェイ繁盛誌
  • 第338号(1977年9月)戦争と鉄道(続9)
  • 第339号(1977年10月)戦争と鉄道(続10)
  • 第340号(1977年11月)戦争と鉄道(続11)
  • 第341号(1977年12月)戦争と鉄道(完)
  • 第349号(1978年6月)空港に逐われた鉄道
  • 第349号(1978年6月)絵はがき切抜帳(6)
  • 第350号(1978年7月)鉄道開業式を報じた外人記者
  • 第350号(1978年7月)朝倉希一翁を悼む
  • 第353号(1978年10月)常磐線80年のあしどり
  • 第353号(1978年10月)絵はがき切抜帳(10)
  • 第355号(1978年12月)紀勢本線の系譜
  • 第355号(1978年12月)絵はがき切抜帳(12)
  • 第358号(1979年2月)台湾鉄路の近況
  • 第366号(1979年10月)鉄道エッセイ・漱石渡欧の途をたどる
  • 第366号(1979年10月)絵はがき切抜帳(23)
  • 第369号(1979年12月)食堂車走って100年-記念行事でにぎわうイギリス-
  • 第372号(1980年2月)ロムニー豆鉄道を訪ねる(上)
  • 第373号(1980年3月)ロムニー豆鉄道を訪ねる(下)
  • 第374号(1980年4月)10代気動車栄光のころ
  • 第375号(1980年5月)M'etro開業80年
  • 第376号(1980年6月)Tubeがたどった90年
  • 第376号(1980年6月)絵はがき切抜帳(30)
  • 第379号(1980年9月)ロケット150の産業考古学
  • 第382号(1980年11月)新・鉄道講座(32)
  • 第382号(1980年11月)京阪間競争における京阪電車
  • 第385号(1981年1月)足尾銅山観光をみる
  • 第386号(1981年2月)曳索鉄道と架空索道
  • 第388号(1981年4月)国鉄の外人観光客誘致
  • 第391号(1981年7月)ケーブルカー物語を執筆のころ
  • 第395号(1981年10月)水郡線・真岡線に見るローカル線政治史
  • 第395号(1981年10月)書評「日本の私鉄」和久田康雄著
  • 第398号(1981年12月)鉄鋼索線(ケーブルカー)の史的考察
  • 第399号(1982年1月)外人墓地に眠るエドモンド・モレル
  • 第402号(1982年4月)土浦駅回想
  • 第403号(1982年5月)ホームズ「最後の事件」への道
  • 第404号(1982年6月)東京馬車鉄道が走り出したころ
  • 第406号(1982年7月)ホテル経営と鉄道事業
  • 第408号(1982年9月)釜石への遠く険しい道-岩手軽便鉄道・釜石西線回顧
  • 第409号(1982年10月)「特命全権大使」山岳鉄道に乗る
  • 第410号(1982年11月)日本統治時代の臺東線
  • 第410号(1982年11月)長崎電気軌道・熊本市交通局寸見
  • 第411号(1982年12月)ライヘンバッハの滝を訪ねる-「最後の事件」実地探索
  • 第412号(1983年1月)新潟県鉄道網の発達一国有鉄道編
  • 第414号(1983年3月)バイエルンのローカル私鉄に乗る-「獨逸日記」ゆかりの地を歩く
  • 第415号(1983年4月)4つもある鉄道発祥地の碑
  • 第416号(1983年5月)飯田線形成への途
  • 第417号(1983年6月)筑肥線-その今昔
  • 第418号(1983年6月)写真解説 茨城交通茨城線の沿線から-廃止路線の記録
  • 第418号(1983年6月)写真解説 昭和20年代あの日あの時あの車両
  • 第418号(1983年6月)関東地方ローカル私鉄紀行 車両を育てて30余年(座談会)
  • 第418号(1983年6月)標準電車・気動車設定の背景
  • 第418号(1983年6月)直通客はたった1人
  • 第419号(1983年7月)異境に残る明治の情景(まらそん・るぽ/ここにこんなものが4)
  • 第421号(1983年9月)日本近代鋼索鉄道史-1918年〜1954年
  • 第422号(1983年9月)「みみずのたはごと」が描く京王沿線
  • 第423号(1983年10月)専用列車が走る日製水戸工場(まらそん・るぼ/ここにこんなものが7)
  • 第425号(1983年12月)大阪地下鉄の系譜
  • 第426号(1984年1月)写真解説 流線型無残
  • 第428号(1984年2月)写真解説 暖房車マヌ34形のおいたち
  • 第429号(1984年3月)キハ55系と準急「日光号」
  • 第431号(1984年4月)地方私鉄の盛衰(甲信越・東海地方の私鉄)
  • 第431号(1984年4月)写真解説 昭和20年代 あの日あの時あの車両-甲信越・東海地方ローカル私鉄紀行
  • 第432号(1984年5月)写真解説 貨物列車・その良き時代
  • 第433号(1984年6月)写真解説 大雄山線思い出のシーン
  • 第436号(1984年9月)大井川鉄道を語る(座談会)
  • 第437号(1984年10月)国電の始祖-デ963形
  • 第440号(1984年12月)東海道線-その歴史的役割
  • 第441号(1985年1月)鉄道趣味(座談会)
  • 第445号(1985年3月)関西圏ローカル民鉄8社の推移
  • 第451号(1985年8月)史実でつづる通勤・通学輸送
  • 第451号(1985年8月)写真解説 新交通システム化で消えた西武山口線762mmの記録
  • 第452号(1985年8月)資材欠乏時にでも窓にガラスがついていた!(阪神電車と私)
  • 第454号(1985年10月)山手線の形成と役割
  • 第456号(1985年12月)都営地下鉄への道
  • 第456号(1985年12月)写真解説 都営地下鉄新宿線の前世-江戸川区の路面電車と無軌条電車
  • 第458号(1986年1月)漱石も見た筈の情景-ハイランドの印象(鉄道のある情景1)
  • 第459号(1986年2月)「密柑」の踏切を探す(鉄道のある情景2)
  • 第460号(1986年3月)「盲目の皇帝」を求めての旅(鉄道のある情景3)
  • 第462号(1986年4月)碓水峠を越えた鉄道馬車(鉄道のある情景4)
  • 第463号(1986年5月)舞子駅長は師団軍医部長に優る-鴎外、小倉赴任の足どり(鉄道のある情景5)
  • 第465号(1986年6月)あまりにも高いユングフラウ鉄道(鉄道のある情景6)
  • 第466号(1986年7月)バデイントン発4時50分(鉄道のある情景7)
  • 第466号(1986年7月)キハニ36450形無残!
  • 第467号(1986年8月)中央線開業の歴史過程
  • 第467号(1986年8月)木曾谷の鉄路をたどる-「夜明け前」の舞台(鉄道のある情景8)
  • 第468号(1986年8月)写真解説 流線型トリオの活躍-あの時の相鉄
  • 第469号(1986年9月)存在を無視された横浜停車場-ニュース・ソースが古い「八十日間世界一周」(鉄道のある情景9)
  • 第469号(1986年9月)写真解説 思い出のカラースライドから4
  • 第470号(1986年10月)寅彦ループ線に驚く(鉄道のある情景10)
  • 第470号(1986年10月)写真解説 思い出のカラースライドから5
  • 第471号(1986年11月)草の野にもどったターミナル(鉄道のある情景11)
  • 第471号(1986年11月)写真解説 思い出のカラースライドから6
  • 第472号(1986年12月)鶴見線の形成過程-臨海工業地域と鉄道とのかかわり
  • 第472号(1986年12月)寝台車で旅をしたカナリヤ(鉄道のある情景12)
  • 第473号(1986年12月)博物館明治村と鉄道文化財
  • 第474号(1987年1月)分野別に見た技術史 気動車
  • 第474号(1987年1月)車窓から貝塚をみつけた動物学者(鉄道のある情景13)
  • 第475号(1987年2月)「ドナウの泉」を訪ねる旅(鉄道のある情景14)
  • 第475号(1987年2月)幻の野岩鉄道
  • 第476号(1987年3月)公子ビュッフェでたじろぐ(鉄道のある情景15)
  • 第477号(1987年3月)東北6県ローカル私鉄の歴史過程
  • 第478号(1987年4月)鉄道趣味も育てた「小学国語読本」(鉄道のある情景16)
  • 第478号(1987年4月)富士急行に在籍したキハ58系
  • 第479号(1987年5月)日光への結構な旅(鉄道のある情景17)
  • 第481号(1987年6月)ギリシャからの手紙を読む(鉄道のある情景18)
  • 第481号(1987年6月)写真解説 回想の筑波鉄道
  • 第483号(1987年8月)1・2等寝台「18」列車の思い出
  • 第483号(1987年8月)東中野駅閑景(鉄道のある情景19)
  • 第483号(1987年9月)「奇巌城」への道-少年探偵がリュバンと対決(鉄道のある情景20)
  • 第485号(1987年10月)余りにも無茶な出来事-横車を押した進駐軍幹部(鉄道のある情景21)
  • 第486号(1987年10月)写真解説「旧京成電鉄」のころ
  • 第486号(1987年10月)荷風がえがく「玉の井」への道-「墨東綺譚」の取材路を探る
  • 第487号(1987年11月)汽車も出てくる「フランス通信」(鉄道のある情景22)
  • 第488号(1987年12月)阪和線形成への道
  • 第489号(1987年12月)営団地下鉄の史跡をたどる
  • 第491号(1988年2月)反戦を訴える少女の像-二宮駅戦災の悲愴な証言(鉄道のある情景23)
  • 第492号(1988年3月)修学旅行を彩る連絡船(鉄道のある情景24)
  • 第493号(1988年3月)中国地方ローカル私鉄の歴史過程
  • 第494号(1988年4月)ストーブと旅した少年(鉄道のある情景25)
  • 第497号(1988年6月)イタリアの御殿場線に乗る
  • 第498号(1988年7月)途中下車の散財で路銀消滅(鉄道のある情景26)
  • 第500号(1988年9月)鉄道ピクトリアル編集委員会座談会 創刊500号を語る
  • 第501号(1988年9月)再生の転機を培う「湘南電車」
  • 第503号(1988年11月)横須賀線の歴史過程
  • 第503号(1988年11月)いまは昔の視野内風景(鉄道のある情景27)
  • 第507号(1989年2月)奥羽線福島-米沢間(板谷峠)の建設、政良史
  • 第509号(1989年3月)九州・四国・北海道地方ローカル私鉄の歴史過程
  • 第510号(1989年4月)水戸をめぐる鉄道開業の経緯-常磐線100年の軌跡
  • 第513号(1989年6月)写真解説 かつて見たローカル線 国鉄川俣線の記録
  • 第514号(1989年7月)私が記録した列車編成記録ノート2 変り種客車を追って
  • 第516号(1989年9月)わたらせ渓谷鐵道沿線を探る
  • 第516号(1989年9月)写真解説 わたらせ渓谷鐵道沿線を探る
  • 第520号(1989年12月)大阪環状線の形成過程
  • 第520号(1989年12月)写真解説 旧形荷物電車のアルバムから
  • 第522号(1990年1月)電車100年の名車列車伝-私鉄高速電車(20選)
  • 第525号(1990年3月)総説:日本の地下鉄
  • 第526号(1990年4月)写真解説 磐越西線、只見線の施設探索
  • 第526号(1990年4月)磐越西線、只見線の施設探索
  • 第535号(1990年11月)紙碑 高松吉太郎さんを悼む
  • 第536号(1990年12月)関西本線成立の経緯
  • 第537号(1990年12月)写真解説 大規模改番直後のゲテモノ編成-あの時の東武鉄道
  • 第541号(1991年3月)北海道内鉄道網の歴史過程
  • 第543号(1991年5月)紙碑 田中隆三さんを偲んで
  • 第545号(1991年7月)写真解説 橋梁・隧道を訪ねて天竜渓谷瞥見
  • 第545号(1991年7月)橋梁・随通を訪ねて天竜渓谷瞥見
  • 第546号(1991年7月)写真解説 1800系の生い立ち-あの時の小田急
  • 第548号(1991年11月)東北本線成立の歴史過程
  • 第554号(1992年1月)在来線特急80年の軌跡
  • 第557号(1992年3月)九州におけるJR在来線の歴史過程
  • 第557号(1992年3月)写真解説あの頃の熊本市電
  • 第557号(1992年3月)九州紀行から
  • 第560号(1992年5月)写真解説 1950年代の西武鉄道各線
  • 第560号(1992年5月)写真解説 上石神井車庫1949年
  • 第560号(1992年5月)「武蔵野夫人」と西武鉄道
  • 第561号(1992年6月)ポートサイド往復
  • 第562号(1992年7月)京浜東北線への歴史過程
  • 第569号(1992年12月)南武、青梅、五日市線の歴史過程
  • 第569号(1992年12月)写真解説 近鉄電車1949年(あの時の近鉄)
  • 第569号(1992年12月)幻に終わった関急電車利用の参宮旅行
  • 第570号(1993年1月)碓氷峠100年:アプト式鉄道の形成
  • 第572号(1993年3月)「臨海鉄道」前史
  • 第573号(1993年4月)北陸本線の形成
  • 第574号(1993年4月)四国における鉄道網の歴史過程
  • 第579号(1993年8月)房総の鉄道 路線網の歴史過程
  • 第579号(1993年8月)写真解説 1950年代の房総地区
  • 第586号(1994年1月)鋼索鉄道の遺構がある箸蔵山(まらそんるぽ/ここにこんなものが71)
  • 第587号(1994年3月)写真解説 台湾とタイでみた日本形蒸機
  • 第592号(1994年7月)写真解説 おもいでの貨車を拾う
  • 第594号(1994年8月)山陽本線の歴史過程
  • 第594号(1994年8月)「八ヶ岳馬車トロッコ」をめぐる記録
  • 第595号(1994年3月)信州の鉄道 路線網の系譜
  • 第596号(1994年10月)岩倉使節団ダブルデッカーの展望を楽しむ-121年前の乗車記史
  • 第600号(1994年12月)写真解説 営業廃止直前の砧線
  • 第600号(1994年12月)江分利満氏が乗る昭和30年代の東横線
  • 第601号(1995年6月)写真解説 佐貫駅の表情
  • 第602号(1995年2月)同床異夢な水郡線活性化対策検討委員会
  • 第608号(1995年7月)東京地下鉄道成立前史を語る「東京地下鉄」
  • 第609号(1995年8月)函館、千歳、室蘭線の歴史過程
  • 第609号(1995年8月)写真解説 昭和30年道央の路面電車
  • 第617号(1996年2月)22私鉄「戦時買収」の経緯
  • 第623号(1996年7月)写真解説 日立電鉄モハ13形の足跡
  • 第623号(1996年7月)日立電鉄モハ13形の足跡
  • 第626号(1996年9月)北陸地方鉄道網の歴史過程
  • 第629号(1996年11月)信越本線の歴史過程
  • 第629号(1996年11月)写真解説 信越本線 鋳鉄柱橋脚の跨線歩道橋
  • 第631号(1997年1月)蒸気機関車転向の立役者-ターンテーブルの機構と来歴
  • 第631号(1997年1月)写真解説 ターンテーブルあれこれ
  • 第632号(1997年1月)京成本線荒川橋梁の謎
  • 第636号(1997年4月)松尾鉱業(鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々
  • 第638号(1997年6月)写真解説 1950年代当初の秋田市電
  • 第638号(1997年6月)1950年代当初の秋田市電
  • 第640号(1997年7月)起点・終点を地下ターミナルとした最初の事例(特集:阪神電気鉄道
  • 第641号(1997年8月)写真解説 峠の釜めし」 包装紙コレクション
  • 第641号(1997年8月)「峠の釜めし」包装紙コレクション
  • 第641号(1997年8月)「アプト式歯軌条鉄道」採用の経緯
  • 第642号(1997年9月)富山地方鉄道の歴史過程
  • 第645号(1997年11月)宇部・小野田・可部・福塩線の歴史過程-3路線の私鉄時代から現在に至る路線形成
  • 第645号(1997年11月)写真解説 1970年当時のペナン島のケープルカー
  • 第647号(1997年12月)電化当初の越生線探訪記
  • 第648号(1998年2月)まもなく架設100年になる鈑桁の清見寺跨鮮歩道橋(まらそん・ルポ/ここにこんなものが84)
  • 第650号(1998年3月)写真解説 JR西日本宮島航路を訪ねて
  • 第651号(1998年4月)日本最初のガソリン動車導入をめぐって
  • 第652号(1998年4月)頸城鉄道(鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々)
  • 第652号(1998年4月)伊豆箱根鉄道軌道線(鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々)
  • 第654号(1998年6月)常磐線普通列車の思い出-1950・1970代を中心に
  • 第656号(1998年7月)京急穴守線(空港線)をめぐって
  • 第658号(1998年9月)キハ10000形と私
  • 第661号(1998年11月)秩父鉄道の歴史過程
  • 第661号(1998年11月)写真解説 1951年-秩父鉄道の車輌たち
  • 第665号(1999年2月)奥羽本線の形成
  • 第672号(1999年7月)昭和20年代中期の相模鉄道
  • 第674号(1999年9月)笹子隧道貫通への途-峠越え路線の系譜
  • 第681号(2000年2月)「湘南電車」処女運転の出発地となった富士見仮乗降場
  • 第682号(2000年3月)紀勢本線形成への歴史過程
  • 第684号(2000年5月)モハ63形電動客車の特性と功罪
  • 第696号(2001年1月)占領軍が導入した車両技術
  • 第697号(2001年2月)上越線の路線形成
  • 第703号(2001年7月)「鉄道ピクトリアル」創刊期の人々
  • 第709号(2001年11月)小海・飯山・大糸線の形成と変遷
  • 第716号(2002年4月)昭和20年代半ばの多摩湖線-半世紀前への回想
  • 第717号(2002年5月)写真解説 小田急向ヶ丘遊園を彩った「鉄道」
  • 第717号(2002年5月)小田急向ヶ丘遊園を彩った「鉄道」
  • 第719号(2002年7月)写真解説 スハ43系と同時期に登場した列車別時間表
  • 第719号(2002年7月)スハ43系と同時期に登場した列車別時間表
  • 第720号(2002年8月)北府中駅にかかわる特異な経緯と事物
  • 第722号(2002年10月)川越電気鉄道の残影
  • 第726号(2003年1月)私鉄高性能電車出現の意義
  • 第726号(2003年1月)新聞広告にみる鉄道史の興味-関東圏の鉄道企業が掲載した昭和20年代半ばの新聞広告
  • 第728号(2003年2月)八戸駅が尻内駅だった頃
  • 第731号(2003年5月)校庭に捨てられていた省線電車の車側方向板
  • 第731号(2003年5月)鉄道史研究 車両不足に対応しえた常総筑波鉄道の戦災復旧車
  • 第732号(2003年6月)鉄道史研究 西武鉄道の気動車を調べる
  • 第736号(2003年9月)鉄道史研究 買収国電の変わり種を拾う
  • 第741号(2004年1月)新聞記事に見る1950年代鉄道の世相
  • 第744号(2004年3月)大阪市政だよりNo.85附録「市電50年のあゆみ」から
  • 第746号(2004年5月)鉄道史研究 誤読されがちだった旧版地形図
  • 第751号(2004年9月)貨物列車しか通らなくなったループ線通過の思い出
  • 第756号(2005年1月)桜木町事故とモハ63のかかわり
  • 第757号(2005年2月)回想 私の鉄道趣味史 バイブル役を果たした「半鋼製省線電車」-鉄道少年基礎作り-
  • 第758号(2005年3月)回想 私の鉄道趣味史 社会人鉄道ファンとの出会い-交通科学研究会にあきたらず東京鉄道同好会に入る-
  • 第759号(2005年3月)丸ノ内線池袋-お茶ノ水 着工から開業まで
  • 第760号(2005年4月)回想 私の鉄道趣味史 地理学野外実習に便乗した調査旅行-ローカル私鉄を主体にコースを組む-
  • 第761号(2005年5月)回想 私の鉄道趣味史 卒業論文を野菜の鉄道輸送で書く-足かけ3日の輸送試験で大阪市場に行く-
  • 第762号(2005年6月)回想 私の鉄道趣味史 本務遂行が精一杯で趣味活動は不調-旅行も写真もままならなぬ5年間-
  • 第763号(2005年7月)回想 私の鉄道趣味史 ピクトリアル編集委員の立場で数多くのレポートを書く-車両史から地域別鉄道史への転向-
  • 第764号(2005年8月)回想 私の鉄道趣味史 乗り歩きから調査にまで広がった外国旅行-産業遺産への着目-
  • 第765号(2005年9月)回想 私の鉄道趣味史 文学作品と鉄道のかかわりを究明する-内容抽出から内容分析へ進化-
  • 第766号(2005年10月)回想 私の鉄道趣味史 歴史的な鉄道橋梁の実地探索に励む-それでも手つかずが目立ったプレートガーター-
  • 第768号(2005年11月)回想 私の鉄道趣味史 「おそかりし由良助」だが…-調べ続けてきた転車台と鋳鉄柱-
  • 第769号(2005年12月)回想 私の鉄道趣味史 あまりにもマニアック-駅弁掛紙収集と駅前旅館探索-
  • 第773号(2006年3月)「峠」を下りたシェルパ列伝
  • 第775号(2006年5月)海外の「グリーン車」めぐり(共著)
  • 第777号(2006年7月)1942年(昭和17年) 鐵道博物館見学記
  • 第778号(2006年8月)「グリーン車学入門」への補説
  • 第779号(2006年9月)スハ32系客車への補説
  • 第780号(2006年10月)401〜415系とともに常磐線通勤30年
  • 第782号(2006年11月)上野駅地平ホーム綺談二題
  • 第783号(2006年12月)余部橋梁建設・保守への謎解き
  • 第784号(2007年1月)国鉄急行列車 編成記録ノート(共著)
  • 第790号(2007年6月)回想 中央本線のスイッチバック停車場
  • 第796号(2007年11月)薄命だった武蔵野競技場支線
  • 第804号(2008年6月)蒸気機関車に欠かせない舞台装置 転車台抄論
  • 第808号(2008年9月)秋葉原貨物駅の記録

鉄道ファン

鉄道ファンは、交友社が発行する月刊鉄道趣味雑誌。1961年(昭和36年)創刊。

  • 第494号(2002年6月)関東地方建設局荒川工作事務所とB形タンク機関車-日本の蒸気機関車製造史のしめくくりとしてのある記録
  • 第502号(2003年2月)河港と連絡したエンドレスの蒸気鉄道

トランヴェール

トランヴェールはJR東日本エリアの新幹線(東北・山形・秋田・上越・長野)の座席配備されている雑誌

  • 第25号(1990年5月)鴎外「ベルリン市中の汽車」に乗る
  • 第26号(1990年6月)「斜陽」ふるさと津軽
  • 第27号(1990年7月)東アルプスの谷間にデートした茂吉
  • 第28号(1990年8月)少年に追いつかれかけたへつつい
  • 第29号(1990年9月)漱石、英仏海峡を渡る
  • 第30号(1990年10月)デモ隊上京を駅頭で阻止
  • 第31号(1990年11月)ラップランドを旅した寅彦
  • 第32号(1990年12月)ねたみがこうじて駅名を聞き達う
  • 第33号(1991年1月)有料特殊サービスもあったシペリア鉄道
  • 第34号(1991年2月)美人に引かれた客引きの旅
  • 第35号(1991年3月)虚子父娘も乗ったビークトラム
  • 第36号(1991年4月)「水上」よりひなびていた「湯沢」
  • 第91号(1996年11月)鈍行列車のぜいたく
  • 第92号(1996年12月)パック旅行の発明者

週刊鉄道の旅

週刊鉄道の旅は、講談社が2003年1月30日から2004年4月8日にかけて50冊+別巻10冊を毎週刊行した。

  • 第5号(2003年2月27日)鉄道メモリアル(5)そこのけ、そこのけ、陸蒸気が通る
  • 第7号(2003年3月13日)鉄道メモリアル(7)“マッチ箱の”中の不純異性交遊
  • 第9号(2003年3月27日)鉄道メモリアル(9)畑の中に停まって野菜を積んだ貨物列車
  • 第11号(2003年4月10日)鉄道メモリアル(11)長旅42年、たたまれた“お座敷列車”
  • 第13号(2003年4月24日)鉄道メモリアル(13)二度も引導を渡された「盲腸線」
  • 第15号(2003年5月8日)鉄道メモリアル(15)2度も日本最東端になった国鉄根室駅
  • 第17号(2003年5月29日)鉄道メモリアル(17)最北端の駅あれこれ
  • 第19号(2003年6月12日)鉄道メモリアル(19)海水浴客争奪バトル
  • 第21号(2003年6月26日)鉄道メモリアル(21)新婚旅行専用列車も走った「温泉準急」
  • 第23号(2003年7月10日)鉄道メモリアル(23)早朝でも駅弁が買えた静岡駅
  • 第25号(2003年7月24日)鉄道メモリアル(25)いざ出発! 修学旅行専用列車
  • 第27号(2003年8月7日)鉄道メモリアル(27)国鉄の客車を引いた私鉄の電車
  • 第29号(2003年8月21日)鉄道メモリアル(29)バッテリーで乗った列車
  • 第31号(2003年9月11日)鉄道メモリアル(31)「走る喫茶室」の半世紀
  • 第33号(2003年9月25日)鉄道メモリアル(33)お転婆娘の「虫よけ」に使われた、京浜線の二等車
  • 第35号(2003年10月9日)鉄道メモリアル(35)帰省客とゴミを満載した急行「津軽」
  • 第37号(2003年10月23日)鉄道メモリアル(37)公害訴訟に勝利した「信玄公旗掛松」
  • 第39号(2003年11月6日)鉄道メモリアル(39)どちらも“トデン”と申します
  • 第41号(2003年11月20日)鉄道メモリアル(41)日本一高く上った日光の路面電車
  • 第43号(2003年12月4日)鉄道メモリアル(43)貨車でもお客を運び続けた記録
  • 第45号(2003年12月18日)鉄道メモリアル(45)山陽ホテルと下関駅前盛衰史
  • 第47号(2004年1月1日)鉄道メモリアル(47)『津軽』で見くびられた芦野公園駅
  • 第49号(2004年1月22日)鉄道メモリアル(49)日本一短い鉄道の記録
  • 第50号(2004年1月29日)鉄道メモリアル(50)『塩狩峠』実地検証

[L]EXPRESS

[L]EXPRESSは、茨城大学鉄道研究会の会誌。1981年(昭和56年)11月創刊。

  • 第1号(1981年11月)鉄道研究会設立にあたってII

[L]SUPER EXPRESS

[L]SUPER EXPRESSは、茨城大学鉄道研究会OB会の会誌。1991年(平成3年)11月創刊。

  • 第4号(1996年3月)山岳展望の旅

クラリオンバス機器ニュース(BUS WAVE)

第151号から「BUS WAVE」と改題

  • 第86号(1988年8月)車内のモラルいまむかし
  • 第87号(1988年10月)お江戸へ参上の急行バス
  • 第88号(1988年12月)車掌さんが競った車窓案内
  • 第89号(1989年2月)復興にひと役買った軍用自動車
  • 第90号(1989年4月)昭和30年〜40年代の長距離パス
  • 第91号(1989年6月)運転者が唱う佐渡おけさ
  • 第92号(1989年8月)50年代に東京、大阪などにトロリーバス登場
  • 第93号(1989年10月)相互乗り入れの先祖は通勤バスだった
  • 第94号(1989年12月)バスに追われた路面電車
  • 第95号(1990年2月)自動化が解消させた車掌哀史
  • 第96号(1990年4月)プラットホームにバスが横づけ。
  • 第97号(1990年6月)思い出の「木炭バス」
  • 第98号(1990年8月)昭和初年、代替バス走る
  • 第99号(1990年10月)不特定多数の乗客で貸切バスが動く
  • 第100号(1990年12月)思い出の中野乗合自動車
  • 第101号(1991年2月)よき時代修学旅行に百貨店見学が
  • 第102号(1991年4月)美幌駅のレールパス
  • 第103号(1991年6月)スキー置場にも使えた展望台
  • 第104号(1991年8月)雲上バスの口あけは乗鞍岳
  • 第105号(1991年10月)レールのない鉄道会社 昔の名前で出ています
  • 第106号(1991年12月)新宿西口大変身
  • 第107号(1992年2月)酷道、険道、損道のころ
  • 第108号(1992年4月)省営パスは開業にあたって国産車を採用
  • 第109号(1992年6月)「わんわんバス」のご先祖「グレイハウンド」
  • 第110号(1992年8月)今昔感無量の踏切風景
  • 第111号(1992年10月)電車営業廃止前に代替バスが走る
  • 第112号(1992年12月)永持ちしていたSLとCOE
  • 第113号(1993年2月)水上バスvs陸上バス
  • 第114号(1993年4月)小河内ダム工事現場見学ツアーへ
  • 第115号(1993年6月)村営バス、マイクロバスが珍しかったころ。
  • 第116号(1993年8月)むかしはここがパスターミナル
  • 第117号(1993年10月)“いっそ小田急で逃げましょか”のころ
  • 第118号(1993年12月)「玉電」変身を支えたバス
  • 第119号(1994年2月)クランクに悩まされたバス
  • 第120号(1994年4月)主役の座を失った鋼索鉄道(ケーブルカー)
  • 第121号(1994年6月)途中が切れても五新線
  • 第122号(1994年8月)女子車掌が乗車していたレールバス
  • 第123号(1994年10月)今も健在杖突峠のレストストップサービス
  • 第124号(1994年12月)プラットホームは残った
  • 第125号(1994年2月)山合いに響くメロディ
  • 第126号(1994年4月)割り込み横行で市電もバスも四苦八苦
  • 第127号(1995年6月)よくみてください。ちがうでしょう
  • 第128号(1995年8月)韓国高速バス事情
  • 第129号(1995年10月)一般道を走り 鉄道よりも安い 代替長距離パス
  • 第130号(1995年12月)四十年後、同じ場所で 写しました。
  • 第131号(1996年2月)バスばなれ対策にスペシャル・クーポン
  • 第132号(1996年4月)どちらも裏焼きではありません
  • 第133号(1996年6月)日本にもある頭端式バスターミナル
  • 第134号(1996年8月)郵袋積みこみトレーラーを牽くローカルバス
  • 第135号(1996年10月)オレンジ色舗装のバスレーン
  • 第136号(1996年12月)台湾中部ローカルバス事情
  • 第137号(1997年2月)富士にはボンネットバスもよく似合う
  • 第138号(1997年4月)パークアンド・トレインライドで清里へ
  • 第139号(1997年)ヤマネコバスが走る国境の島
  • 第140号(1997年)山梨県の過疎地へのぴる東京の路線バス
  • 第141号(1997年)思い出の大阪市営トロリーバス
  • 第142号(1997年)工業都市を走ったトロリーバス
  • 第143号(1997年2月)バス発祥記念碑が建つ浦川原
  • 第144号(1998年4月)安全ドアを設けたバスターミナル
  • 第145号(1998年6月)鉄道車両にも応用されたパス用のアンダーフロアエンジン
  • 第146号(1998年8月)トンネルバスが転じて鉄道の待合室となる
  • 第147号(1998年10月)韓国も走ったグレイハウンド
  • 第148号(1998年12月)最後まで残った横浜市のトロリーバス
  • 第149号(1999年2月)35年も働き続けーたレールバス
  • 第150号(1999年)全国共通のバス・路面電車回数券のあるオランダ
  • 第151号(1999年6月)好調に走るワンコインバス
  • 第152号(1999年8月)起死回生策にならなかった「レール&バスシステム」
  • 第153号(1999年10月)営業廃止の電車路線を代替運行するオレンジバス
  • 第154号(1999年12月)バスターミナルの屋根二態
  • 第155号(2000年2月)観光客が上得意の100円バス
  • 第156号(2000年4月)最東端の岬へ行バス
  • 第157号(2000年6月)ワンコインで走るコミュニティバス
  • 第158号(2000年8月)様変わりした駅前広場
  • 第159号(2000年12月)駅という名のバスターミナル
  • 第160号(2001年2月)ダブルライナーvs直通高速バス
  • 第161号(2001年4月)Part2 昔の名前で出ています
  • 第162号(2001年6月)安いJR vs 高速連絡パス
  • 第163号(2001年8月)漢字表記もある釜山のバス
  • 第164号(2001年12月)列車を降りたらワンコインバスで善光寺へ
  • 第165号(2002年2月)ゼッケンを腰につける釧路のバス
  • 第166号(2002年4月)バス窓がではじめたころ
  • 第167号(2002年6月)傘貸します 傘売ります
  • 第168号(2002年8月)バスターミナルの隣がターミナルホテル
  • 第169号(2002年10月)一般道を快走運行した「なんごく」号
  • 第170号(2002年12月)蜜柑の駅前に停まるバス
  • 第171号(2003年2月)どれにもバスが描かれる姫路駅舎の油絵
  • 第172号(2003年4月)ガイドさんと同行した修学旅行の下調べ
  • 第173号(2003年6月)民宿の軒先で折り返す路線バス
  • 第174号(2003年8月)50年前に写した箱根行きの急行バス
  • 第175号(2003年10月)観光にはパーク&バス・電車ライドを利用しよう
  • 第177号(2004年2月)乗客は全員下車ソロリソロリと吊り橋を渡るバス
  • 第178号(2004年4月)JR最北・最南の駅を発着する路線バス
  • 第179号(2004年6月)「バスリンコ」が支えた観光路線
  • 第180号(2004年8月)甲府駅前広場大変身
  • 第181号(2004年10月)「バス」を路線に乗せたローカル私鉄
  • 第182号(2004年12月)屋根付プラットホーム 高速バスの専用駐車場
  • 第183号(2005年2月)終戦後まもなくPR誌を刊行した東海自動車
  • 第184号(2005年4月)雲海をたどり千仞の谷を見下ろす山岳道路
  • 第185号(2005年6月)路線延長で不要になった駐車スペースに賃貸フラットが建つ
  • 第186号(2005年8月)三世代プラスα(ネイビー)のバスが陣取った弘前駅前広場
  • 第187号(2005年10月)運賃を払えば自由に乗れた旅館のバス
  • 第188号(2005年12月)「バスっ子」に追い払われた「汽車っ子」
  • 第189号(2006年2月)手動式で手渡し併用の乗車券発売
  • 第190号(2006年4月)国鉄急行列車VS私鉄長距離バス
  • 第191号(2006年6月)半世紀も前にイメージペインティング
  • 第192号(2006年8月)観光客の利用に気くばりするポストバス
  • 第193号(2006年10月)「氷河特急」VSフルカ越えのポストバス
  • 第194号(2006年12月)駅と中心市街地を結ぶ重要手段のバス
  • 第196号(2007年4月)日本人は二人だけの都心観光記念写真
  • 第197号(2007年6月)観光バスをカーフェリーに乗せて修学旅行
  • 第201号(2008年2月)鉄板の線路をゴムタイヤで走るマイクロバス

常陽藝文

  • 第86号(1986年6月号)茨城の鉄道 過去、現在、未来

東京人

  • 第11号(1988年1_2月新春号)発揚と受難の東京駅史 焼けた丸屋根(ドーム)に灰色の月が・・・

参考文献

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/18 03:57 UTC (変更履歴
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