高木公男 : ウィキペディア(Wikipedia)

高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、岐阜県'87プロ野球 12球団全選手百科名鑑 日本スポーツ出版社出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。

来歴・人物

享栄商業高ではエース金田正一を擁し、一塁手として夏の甲子園県予選準決勝に進むが一宮高に惜敗。金田以外のチームメートに二塁手の鵜飼勝助がいた。

卒業後はに名古屋ドラゴンズへ入団プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、313ページ。には一塁手、左翼手として4試合に先発出場を果たすが、同年限りで退団した。

は社会人野球の愛知産業に在籍し、に東映フライヤーズへ入団。は8月から一軍に定着。には自己最多の107試合に出場し、うち50試合に一塁手として先発。その後も準レギュラーとして起用され、には打率.284を記録する。は山本八郎が一塁手に回ったこともあり出場機会が減少、同年限りで現役を引退。

引退後は、東映→日本ハム( - 二軍コーチ補佐, - ・二軍打撃コーチ, 一軍打撃コーチ, 二軍監督, ヘッドコーチ)、ロッテ(・・ - 二軍監督, ・一軍総合コーチ, 二軍コーチ)で監督・コーチを務めた。

ユニフォーム生活の合間を縫って、ダイエースカウト( - )や、古巣・中日で二軍育成担当兼寮長を務めた。

詳細情報

年度別打撃成績

名古屋1724222400171000--2--050.182.250.318.568
東映302724220002101002--051.083.154.083.237
6011410620273103283310700133.255.301.302.603
1072572381854730671779401500284.227.273.282.554
86185163174084056996001901221.245.328.344.671
68146134153873154220021801170.284.329.403.732
611271188264103293001810121.220.270.271.541
731491329251012942671900170.189.241.220.461
3220000000000000000.000.000.000.000
通算:9年50510319399121630123279712425143701211910.230.285.297.582

背番号

  • 22 (1951年 - 1952年、1957年 - 1961年)
  • 41 (1952年)
  • 1 (1954年 - 1955年)
  • 59 (1955年 - 1956年)
  • 40 (1962年 - 1963年)
  • 64 (1964年 - 1970年)
  • 74 (1971年)
  • 81 (1973年 - 1982年)
  • 82 (1987年)
  • 71 (1992年)

関連項目

  • 愛知県出身の人物一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/05 09:10 UTC (変更履歴
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