中村修一郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12日 - 2009年12月22日)は、長野県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。

来歴

松商学園高ではの夏の甲子園に三塁手としてエース堀内庄、木次文夫らとともに出場した。1回戦で鳥取西高に敗退「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年。

高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に進む。の都市対抗野球ではエース嵯峨健四郎を擁し準々決勝に進出するが、大昭和製紙に延長11回サヨナラ負けを喫する「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年。の都市対抗野球でも1回戦で本塁打を放つなど活躍。

に国鉄スワローズに入団した。1年目から内野の控え選手として活躍、2年目には背番号が9になるなど、強い腕力を生かした打撃で期待された。ただ守備・走塁に難があり、また選球眼にも欠けていた。に早大から徳武定之、立大から杉本公孝が新入団、さらに同郷の土屋正孝が読売ジャイアンツから移籍すると専ら代打中心となった。には代打本塁打を2本記録、さらに初めて盗塁もしているものの翌は一軍出場すらなくこの年限りで現役を引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

国鉄283635310001133010010071.286.306.371.677
5312312082860034130010200147.233.246.283.529
424644491011312000110071.205.222.295.518
7380778153122691001210220.195.215.338.553
通算:4年1962852762362101486371112610509.225.239.312.551

背番号

  • 55 (1959年)
  • 9 (1960年 - 1963年)

関連項目

  • 長野県出身の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/25 09:43 UTC (変更履歴
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