太田恵介 : ウィキペディア(Wikipedia)
太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。福岡大学サッカー部でコーチを経て現在、佐賀県の龍谷高校サッカー部監督を務めている。
来歴
福岡大学在学中の2001年にユニバーシアード北京大会で日本代表に選出され、チームの優勝に貢献。2002年、その年J2に降格したばかりの福岡に入団した。2004年4月24日の大宮戦にて、古賀誠史からのフリーキックを得意の頭で合わせゴールを決めた際、ポストに腹部を強打し脾臓損傷という全治3ヶ月以上の大怪我を負うが同年8月1日の横浜FCより戦線復帰。2005年チームはJ1復帰を果たしたが、本人はJ1でプレーする事無く同年に戦力外通告を受ける。2006年1月、群馬に移籍するも、同年11月、契約満了に伴い退団。2007年3月トライアウトを経て、アメリカの二部リーグにあたるUSLのミネソタ・サンダーに入団。クラブ側より翌シーズンも再契約の意思を伝えられるが、本人は監督への不信感から退団を決意する。2008年からは当時Kyuリーグの長崎に籍を置き、3年ぶりに九州の地でプレーすることになった。
2008年末、チームは悲願のJFL昇格を果たすが、太田自身はシーズン終了後に退団しそのまま現役引退。プロサッカー選手としてのキャリアを終えた。2009年より母校である福岡大学サッカー部でコーチに就任し指導者の道を歩め、2013年から佐賀県の龍谷高校に教員として赴任し、同年に創部されたサッカー部監督に就任。2018年の第97回全国高等学校サッカー選手権大会佐賀県大会で初優勝に輝きチームを全国大会に導いた。2024年の全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会佐賀大会で初優勝を決め、九州大会では惜しくも準優勝に終わった。
エピソード
- 2002年から2006年までのJリーグ在籍期間、全選手の中で最も身長の高い選手であった。
- 同音の名前のJリーガーでジェフ千葉に太田圭輔選手がいる。
- 普段の優しい人柄と試合での熱いプレーぶりから、今でも一部の福岡及び草津サポーターからは高い人気がある。
- スケートボードが趣味。
所属クラブ
- 清水商業高校
- 福岡大学
- 2002年 - 2005年 JPN アビスパ福岡
- 2006年 JPN ザスパ草津
- 2007年 USA ミネソタ・サンダー
- 2008年 JPN V・ファーレン長崎
個人成績
|- |2002||rowspan="4"|福岡||rowspan="5"|24||rowspan="5"|J2||4||1||colspan="2"|-||0||0||4||1 |- |2003||11||2||colspan="2"|-||1||0||12||2 |- |2004||24||5||colspan="2"|-||2||2||26||7 |- |2005||24||2||colspan="2"|-||0||0||24||2 |- |2006||草津||38||4||colspan="2"|-||1||0||39||4
|- |2007||ミネソタ||24||USL1部||19||2||||||||||19||2
|- |2008||長崎||32||九州||1||0||colspan="2"|-|||||||| 101||14||colspan="2"|-||4||2||105||16 1||0||colspan="2"|-|||||||| 19||2||||||||||19||2 120||16||||||4||2||124||18 |} その他の公式戦
- 1999年(福岡大学)
- 天皇杯 1試合0得点
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- Jリーグ初出場 - 2002年9月11日 J2 第30節 対水戸ホーリーホック戦(博多の森球技場)
- 83分、アレンに代わり途中出場。
- Jリーグ初得点 - 2003年7月26日 J2 第24節 対アルビレックス新潟戦(新潟スタジアム)
- 先発出場し、73分にゴールを決める。
代表歴
- ユニバーシアード(サッカー競技)日本代表
関連項目
- アビスパ福岡の選手一覧
- ザスパクサツ群馬の選手一覧
- V・ファーレン長崎の選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/16 14:36 UTC (変更履歴)
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