岸洋子 : ウィキペディア(Wikipedia)

岸 洋子(きし ようこ、1935年(昭和10年)5月23日 - 1992年(平成4年)12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード岸 洋子 - KING RECORDS OFFICIAL SITE。本名は小山 洋子(こやま ようこ)。山形県酒田市出身。

来歴・人物

姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生「新人国記82 山形県② 海と山、二つの顔」『朝日新聞』夕刊 1982年10月22日 1頁。

東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが「「夜明けのうた」「希望」の実力派 岸洋子さん死去」『朝日新聞』夕刊 1992年12月11日 15頁、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ。

1961年(昭和36年)、キングレコードの専属となり、『たわむれないで』でレコード・デビュー。石井好子が設立した石井音楽事務所に所属する。64年、『夜明けのうた』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、一躍、実力派の流行歌手として脚光を浴びた。翌年には『恋心』もヒット。その後は、テレビ番組の司会やミュージカルなど幅広い活動を続ける。

1970年(昭和45年)9月末、酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。膠原病と診断され、闘病生活を余儀なくされる。この年、『希望』が約70万枚売り上げる大ヒットとなり、2度目のレコード大賞歌唱賞を受賞したが、入院中のため授賞式には出席できず、『第21回NHK紅白歌合戦』への出場も辞退した。高熱にうなされ闘病半年余、歌への執念が生への活力につながり、奇跡的に再起を遂げ、71年には『甦える明日』などをレコーディング、加えて『希望』が「第43回選抜高校野球大会」の入場行進曲に採用された。以後は、レコード発売や公演数は減ったものの、活動は重ねた。

1989年(平成元年)、歌手生活30周年を記念して全国ツアーを展開。公演の途中、激痛に襲われ打ち切りとなったが「同じ難病をかかえる人たちの心の支えになるためにも、私は歌い続ける」と91年にカムバックし、その秋には東京厚生年金会館の舞台に立った。

1992年11月19日、自宅玄関で転倒し肋骨を骨折損傷し、膠原病の後遺症悪化による腎臓病治療のため再入院した。入院中も年末のディナーショーの準備を行い、当初12月12日に退院が決まっていた。しかし、退院2日前の12月10日に意識不明の重体となり、翌11日に敗血症のため急死した。57歳没。生涯独身だった。

没後に故郷の酒田市にて「岸さんの楽曲を歌い継ぎ、その功績を多くの人に知ってもらいたい」として『岸洋子を歌いつぐ会』が結成され、活動が続けられている。

日本のシャンソン界において越路吹雪と人気を分け、「魅せる越路、聴かせる岸」と評価されていた。

略歴

  • 山形県立酒田東高等学校卒業。
  • 1958年:東京藝術大学大学院声楽専攻科修了。
  • 1961年:シャンソン歌手としてキングレコードと契約。
  • 1962年:『たわむれないで』でレコード・デビュー。
  • 1964年:『夜明けのうた』で第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
  • 1969年:芸術祭優秀賞を受賞。
  • 1970年:酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。膠原病と診断され、闘病生活を余儀なくされる。
  • 1971年:膠原病を一時克服、退院して再起する。
  • 1983年:自叙伝『さくらんぼの楽譜』を出版。
  • 1984年:歌手生活25周年記念リサイタルを開く。芸術祭優秀賞を受賞。
    • 25周年のための歌は「アンデスの風になりたい」(作曲・小島常男 作詞・とべあきよ)。この曲はサンリオ出版『月刊詩とメルヘン』(現在は廃刊)に出ていた詩に、小島常男が曲をつけレイニーブルーというフォークバンドが歌っていたのを、岸が偶然耳にして25周年記念の歌としたもの。
  • 1992年12月11日:敗血症のため急死。57歳没。

代表曲

  • 夜明けのうた BS-7044
  • 恋心 BS-7120
  • 想い出のソレンツァーラ BS-7152
  • 希望 BS-1198
  • わかっているの BS-7172
  • 私の回転木馬
  • マリネロ
  • 黒い鷲
  • トワ
  • そして今は
  • 笑わないで
  • 愛は限りなく
  • アリヴェデルチ・ローマ
  • アル・ディ・ラ
  • ケ・サラ
  • コマン・サ・バ
  • ラストワルツ
  • アンデスの風になりたい
  • 今宵あなたが聞く歌は

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回曲目出演順対戦相手備考
1964年(昭和39年)/第15回夜明けのうた08/25立川澄人
1965年(昭和40年)/第16回2恋心13/25アイ・ジョージ
1966年(昭和41年)/第17回3想い出のソレンツァーラ08/25立川澄人(2)
1967年(昭和42年)/第18回4わかっているの11/23フランク永井
1968年(昭和43年)/第19回5今宵あなたが聞く歌は17/23春日八郎
1969年(昭和44年)/第20回6夜明けのうた(2回目)10/23坂本九
1971年(昭和46年)/第22回7希望05/25西郷輝彦

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

NHKみんなのうた出演歴

初放送曲目コーラス再放送
1965年(昭和40年)6月 - 7月レロンレロンシンタ原曲:Leron Leron Sinta(フィリピン民謡)(1965年版)(なし)(なし)
1965年(昭和40年)12月 - 1966年(昭和41年)1月ピエロのトランペット原曲:La tromba del pagliaccio(道化師のトランペット)- ゼッキーノ・ドーロ第7回(1965年)入賞楽曲(1965年版)2022年(令和4年)2月▲
1966年(昭和41年)2月 - 3月ドナドナ2006年(平成18年)8月23日△2006年(平成18年)12月12日△2007年(平成19年)1月2日△2008年(平成20年)12月 - 2009年(平成21年)1月2021年(令和3年)10月テレビのみ『それ行け3組』・『たのしいね』・『はじめての僕デス』と合わせて放送、『ドナドナ』は『それ行け3組』・『たのしいね』と共にメドレーで放送
1966年(昭和41年)4月 - 5月春のそよ風原曲:Vårvindar friska(スウェーデン民謡)(なし)
1973年(昭和48年)4月 - 5月レロンレロンシンタ(1973年版)2022年(令和4年)8月 - 9月▲
1974年(昭和49年)4月 - 5月ぼくの町スクールメイツ(なし)

(注意点)

  • ▲マークはラジオのみの放送
  • △マークはNHK衛星第2テレビ(現:BSプレミアム)で2006年 - 2007年に放送された『懐かしのみんなのうた』で放送

著書

  • 『さくらんぼの楽譜』報知新聞社、1983年7月。

関連項目

  • 1962年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手

外部リンク

  • - キングレコード

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