村木与四郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
村木 与四郎(むらき よしろう、1924年8月15日 - 2009年10月26日)は、日本映画の美術監督。東京府出身。第9代日本映画・テレビ美術監督協会理事長。村木忍は妻。
生涯
1944年に千葉大学工学部村木与四郎さん死去 黒沢映画の美術監督 読売新聞 2009年10月27日 東京夕刊12ページ建築科を卒業し、東宝撮影所の美術助手として入社、主に松山崇の助手として参加する。1951年に同僚の村木忍(旧姓は長岡)と結婚、1954年に美術監督に昇進した。1955年から1993年までの黒澤明監督作品(『デルス・ウザーラ』を除く)には欠かせない人物となる。アカデミー賞には、人生で4度、美術賞と衣装デザイン賞でノミネートされている。1999年に勲四等旭日小綬章を受けた。
2009年10月26日、心不全のため東京都内の自宅で死去。
告別式は10月31日に世田谷区砧の耕雲寺で行われた。
主な作品
美術助手作品
- 1948年 - 「醉いどれ天使」
- 1949年 - 「野良犬」
- 1952年 - 「生きる」
- 1954年 - 「七人の侍」
美術監督作品
- 1954年 - 「魔子恐るべし」
- 1955年 - 「生きものの記録」
- 1957年 - 「蜘蛛巣城」
- 1957年 - 「どん底」
- 1958年 - 「隠し砦の三悪人」
- 1959年 - 「上役・下役・ご同役」
- 1960年 - 「悪い奴ほどよく眠る」
- 1961年 - 「用心棒」
- 1962年 - 「椿三十郎」
- 1963年 - 「天国と地獄」
- 1965年 - 「赤ひげ」、「けものみち」
- 1967年 - 「上意討ち 拝領妻始末」
- 1970年 - 「どですかでん」
- 1970年 - 「トラ・トラ・トラ!」
- 1971年 - 「誰のために愛するか」
- 1971年 - 「激動の昭和史 沖縄決戦」
- 1973年 - 「日本沈没」
- 1980年 - 「影武者」
- 1983年 - 「小説吉田学校」
- 1985年 - 「乱」
- 1986年 - 「子象物語 地上に降りた天使」
- 1986年 -「恋する女たち」
- 1990年 - 「夢」
- 1991年 - 「八月の狂詩曲」
- 1993年 - 「まあだだよ」
- 1994年 - 「四十七人の刺客」
- 1999年 - 「雨あがる」
受賞歴
- 1994年 - 紫綬褒章
- 1999年 - 勲四等旭日小綬章「秋の叙勲 晴れの受章者 勲四等-勲七等(都内分)」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
文献
- 『東京の忘れもの 黒沢映画の美術監督が描いた昭和』(画集)、村木忍共著、浜野保樹編、晶文社、2002年
- 『村木与四郎の映画美術 「聞き書き」黒沢映画のデザイン』丹野達弥編、フィルムアート社、1998年
出典・参考文献
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/11/24 10:56 UTC (変更履歴)
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