原一民 : ウィキペディア(Wikipedia)
は日本映画の撮影監督。東京都出身。
経歴
1953年に東宝の撮影助手として入社。1969年に映画『死ぬにはまだ早い』で撮影技師へ昇格する。以後、黒澤明、今井正、出目昌伸らの監督作品で撮影を務めた。
本編撮影を務めた映画『ゴジラ』(1984年版)では、従来の東宝特撮映画は本編が特撮に押されていると考え、特技監督の中野昭慶と打ち合わせを密に行い、本編と特撮を対等に作ることを目指した。
映画
公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 役職 |
---|---|---|---|
1954年4月26日 | 七人の侍 | 東宝 | 撮影助手 |
1955年11月22日 | 生きものの記録 | ||
1958年12月28日 | 隠し砦の三悪人 | ||
1961年4月25日 | 用心棒 | 東宝黒澤プロダクション(東宝) | |
1962年1月1日 | 椿三十郎 | ||
1963年3月1日 | 天国と地獄 | ||
1965年4月3日 | 赤ひげ | ||
1969年6月14日 | 死ぬにはまだ早い | 東宝 | 撮影 |
1969年7月12日 | ハーイ!ロンドン | 東京映画渡辺プロダクション(東宝) | |
1969年11月1日 | 日本一の断絶男 | 東宝渡辺プロダクション(東宝) | |
1970年4月4日 | 豹は走った | 東宝(東宝) | |
1970年7月4日 | 悪魔が呼んでいる | ||
幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形 | |||
1971年1月9日 | 若大将対青大将 | ||
1971年4月1日 | 誰のために愛するか | ||
1972年4月5日 | ヘアピン・サーカス | 東京映画(東宝) | |
薔薇の標的 | |||
1973年2月10日 | 卒業旅行 Little Adventure | 東宝映画(東宝) | |
1973年7月7日 | 忍ぶ糸 | 東宝映画俳優座(東宝) | |
1974年4月6日 | 神田川 | 東宝国際放映 | |
1974年7月20日 | 血を吸う薔薇 | 東宝映像俳優座(東宝) | |
1974年11月2日 | 沖田総司 | 東宝映画俳優座(東宝) | |
1974年12月28日 | エスパイ | 東宝映像(東宝) | |
1975年3月15日 | アグネスからの贈りもの | 東宝映像俳優座(東宝) | |
1975年9月6日 | 動脈列島 | 東京映画(東宝) | |
1976年10月23日 | 星と嵐 | 東京映画M・M・C(東宝) | |
1976年10月23日 | あにいもうと | 東宝映画(東宝) | |
1979年1月20日 | 子育てごっこ | 五月舎俳優座(独立映画センター) | |
1979年11月3日 | 遠い明日 | 東宝映画(東宝) | |
神様なぜ愛にも国境があるの | |||
1981年7月11日 | ブルージーンズ メモリー | ||
1981年7月21日 | 裸の大将放浪記 山下清物語 | 現代ぷろだくしょん | |
1982年6月12日 | ひめゆりの塔 | 芸苑社(東宝) | |
1982年10月23日 | ユッコの贈りもの コスモスのように | 現代ぷろだくしょん(共同映画) | |
1984年3月17日 | さよならジュピター | 東宝映画イオ(東宝) | |
1984年11月10日 | しのぶの明日 | 活人堂シネマ(日本ヘラルド映画) | |
1984年12月15日 | ゴジラ | 東宝映画(東宝) | |
1985年10月26日 | 想い出を売る店 | サンリオ | |
1988年7月23日 | 優駿 ORACION | フジテレビ仕事(東宝) | |
1990年5月25日 | 夢 | 黒澤プロダクション(東宝) | 撮影協力 |
1995年6月3日 | きけ、わだつみの声 Last Friends | 東映バンダイ | 撮影 |
受賞歴
- 1971年 - 三浦賞
- 1973年 - 富士フイルム映画技術賞、日本映画技術賞奨励賞
- 1980・1987年 日本テレビ部門技術賞
- 1989年・1996年日本アカデミー撮影賞
- 2005年 - 文化庁映画部門功労賞
- 2012年 - 日本映画テレビ技術協会第4回 栄誉賞
参考文献
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/28 23:50 UTC (変更履歴)
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