友田二郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

友田 二郎(ともだ じろう、1891年9月10日[ 『大衆人事録 第12版』]海外6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。[ 『人事興信録 第12版 下』]ト64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月4日閲覧。 - 1969年2月5日『日高町史 下巻』(日高町教育委員会、1983年)p.808)は、日本の外交官。

兵庫県会議員や但馬銀行監査役を務めた友田一郎(友田酒造工場主[ 『兵庫県工場一覧 昭和4年12月末日現在』]209頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月23日閲覧。)の弟[ 『人事興信録 第11版 下』]ト82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月4日閲覧。。妻・盛子は子爵・曾我祐邦の二女。長女・二三子(1927年~2023年)は鳥取滋治郎の妻。二三子の長女・憲仁親王妃久子は孫である。

略歴

兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)出身。俊蔵の二男。東京外語卒業。1915年、外務省に入る著者略歴、『国際儀礼とエチケット』。。終戦直後に退官した。

1939年には、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した。義父の曾我祐邦もレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受賞している。

その後外務省研修所講師、宮内庁式部官を兼任した。1966年、勲三等瑞宝章を受賞した。

人物

宗教は仏教。「国際儀礼の大家」とも呼ばれ、著書に『国際儀礼とエチケット』がある。

参考文献

  • 兵庫県内務部統計課編『兵庫県工場一覧 昭和4年12月末日現在』兵庫県、1931-1934年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。

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