王桂林 : ウィキペディア(Wikipedia)
王 桂林(おう けいりん)は、中華圏の人名。中華民国において、同姓同名の2名の著名軍人が存在する。
- 王桂林 (天津) - 本記事において詳述する。
- 王桂林 (浙江) - 中華民国の軍人。1887年生。浙江省東陽県出身。字は悦山。浙江陸軍の軍人で、嘉湖鎮守使・寧台鎮守使をつとめた。
王 桂林(おう けいりん、生没年不詳)は、清末民初の軍人・官僚。字は清泉外務省情報部編(1937)、26頁。。北京政府では陸軍中将。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。
事績
北京政府時代の活動
保定法政学堂、北洋警務学堂、江蘇陸軍教育団をそれぞれ卒業している。1913年(民国2年)8月、天津警察庁署長として任用され、翌月には江蘇省城警察庁庁長(後に江蘇全省警務処処長)として抜擢された。翌1914年(民国3年)、陸軍少将の位を授与されている。
江蘇全省警務処処長には1920年(民国9年)2月時点でも在任していることから中華民国政府官職資料庫「姓名:王桂林」※浙江軍軍人の王桂林に加え、何人かの同姓同名の人物が検出されていることに注意。、時期的には江蘇督軍・李純麾下であり、斉燮元とも同僚であった。これ以外にも、南京市政籌備処長や江蘇省戒厳副司令、江蘇省防疫局長、江蘇省防司令、直魯皖三省鉱政監督などをつとめたとされる。
1920年(民国9年)6月に陸軍中将位を、更に1924年(民国13年)1月には将軍府将軍位を、それぞれ授与された。
親日政権での活動
王克敏が創立した中華民国臨時政府に、王桂林も参加した。ただし臨時政府創設当初においては、王桂林の任用は見受けられない。臨時政府創設から1年弱が経過した1938年(民国27年)11月17日、治安部(総長:斉燮元)に新設されていた警政局において、王桂林は局長として抜擢された臨時政府令、令字第294号、民国27年11月17日(『政府公報』第44号、民国27年11月21日、臨時政府行政委員会情報処公報室、3頁)。東亜同文会業務部編『新支那現勢要覧 第二回(昭和十五年)』、945頁。。
1940年(民国29年)3月30日、臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流し、華北政務委員会に改組される。臨時政府治安部は華北政務委員会治安総署に改組されたが、5月4日、王桂林は同総署警政局局長に重任した華北政務委員会任用令、任字第61号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会18頁)。。また、公報上は確認できないが、陸軍中将位を授与されたとされる。
1943年(民国32年)2月、華北政務委員会委員長が王揖唐から朱深に交替した際に大規模な人事異動があった。また、この際に警政局は治安総署から内務総署へ移管されている。3月11日の人事発令時点では、王桂林は内務総署警政局局長に重任(留任)していたが『日文国民政府彙報』第169号、民国32年3月29日、中国和文出版社、2頁。、3月27日に局長を免ぜられた華北政務委員会令、会字第1071号、民国32年3月29日(『華北政務委員会公報』第211期、民国32年6月1日、華北政務委員会政務庁情報局、本会5頁)。(後任は劉鳳池)。
当該委員会令によれば、この免職は別途任用を予定としていた。しかし、その後の王桂林の処遇は公報上から確認できず、動向不詳となる。
著作
- 『警務心得』
- 『留学紀要』
注釈
出典
参考文献
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/10/01 10:36 UTC (変更履歴)
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