フェルン・アンドラ : ウィキペディア(Wikipedia)

フェルン・アンドラFern Andra、1893年11月24日 - 1974年2月8日)とは、アメリカ合衆国の女優、映画監督、脚本家、プロデューサー。 、アスタ・ニールセンに続く、ドイツ・サイレント映画時代の人気女優のひとりだった。

生涯

1893年11月24日、イリノイ州に生まれる。父は電気技師だったウィリアム・P・アンドリュース、母"セイディ"ことサラ・エミリー・エベット。出生名はヴァーナル・エドナ・アンドリュース(Vernal Edna Andrews)。父方はイングランドとスコットランド、母方はイングランドとドイツの家系。

1898年に父親が亡くなった後、母親がヴォードヴィル役者でサーカス芸人のフランク・セントクレアと再婚。義父の指導でフェルンは綱渡りを覚え、リトル・エヴァとしてステージに立った。

綱渡り芸人としてミルマン・トリオに帯同してアメリカ、ヨーロッパを巡業。1913年からベルリンで映画に出演しはじめる。1915年には自身の映画会社を設立し、映画を製作。そのうち何本かは監督した。

ドイツでは80本近くの映画に関わったが、第一次世界大戦末期にはスパイと疑われ投獄されたStars and Stripes Forever: "Von Richthofen's mother, actress Fern Andra meet November 14, 1954; Retrieved November 17, 2016。しかし、フェルンがFriedrich von und zu Weichs男爵(1917年に戦死)の妻だったことと、皇帝ヴィルヘルム2世の介入で釈放された。

戦後の1922年7月4日、「レッド・バロン」として知られる撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの弟ロタール・フォン・リヒトホーフェンがハンブルクからベルリンへの飛行中、墜落して死亡した。フェルンはその郵便飛行機に同乗していて、当初、死亡と報じられたがNew York Times/Chicago Tribune (July 5, 1922) Fern Andrea, Formerly of Illinois, Killed [sic] by Fall-Richtoff, Airman, Also Killed Hamburg-Berlin mail plane accident for original article、無事だった。1954年、リヒトホーフェンの母親と面会したフェルンは「いつかマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの生涯を映画化したい」と母親に語っている。

結婚は4回したが、いずれとの間にも子供はいなかった。

  • Friedrich von und zu Weichs男爵(1917年死別)
  • クルト・プレンツェル(1923 - 1924離婚) - ドイツのボクサー
  • (1932 - 1934離婚) - アメリカの俳優
  • Gen. Samuel Edge Dockrell(1938 - 1973死別)

1974年2月8日、サウスカロライナ州エイキンで死去。80歳だった。

主な作品

出演

特記のないものはすべてドイツ映画で主演かヒロイン

  • Frühlingsstürme im Herbste des Lebens (1918)
  • Um Krone und Peitsche (1919)
  • ゲニーネ Genuine, die Tragödie eines seltsamen Hauses (1920)
  • マダム・ルカミエー Madame Récamier (1920)
  • 秘めたる情熱 Die Nacht der Königin Isabeau (1920)
  • Saferndri, die Tänzerin von Dschiapu (1920)
  • Des Lebens und der Liebe Wellen (1921)
  • Des Lebens und der Liebe Wellen (1921)
  • Praschnas Geheimnis (1922)
  • Der rote Reiter (1923)
  • Die Liebe ist der Frauen Macht (1924)
  • Der Traum der Zalavie (1924)
  • Frauen der Leidenschaft (1926)
  • Funkzauber (1927)
  • Spangles (1928、イギリス)
  • The Warning (1928、イギリス)
  • The Burgomaster of Stilemonde (1929、イギリス)
  • The Eyes of the World (1930、アメリカ) - 助演
  • Lotus Lady (1930、アメリカ)

監督

すべてドイツ映画で脚本と主演も担当

  • Eine Motte flog zum Licht (1915)
  • Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht (1915)
  • Ernst ist das Leben (1916)
  • Wenn Menschen reif zur Liebe werden (1916)
  • Frühlingsstürme im Herbste des Lebens (1918)
  • Um Krone und Peitsche (1919)
  • Zwei Menschen (1919)
  • Die Rache des Titanen (1919)

外部リンク

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