ジョージ・ストーン : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョージ・ロバート・ストーン(George Robert Stone、 1877年9月3日 - 1945年1月3日)は、アメリカ合衆国アイオワ州ロストネイション出身のプロ野球選手(外野手)。左投げ左打ち。

ニックネームは、"Silent George"(サイレント・ジョージ)。

球歴

ストーンがプロの野球選手になったのは26歳になってからで、それまではネブラスカ州で銀行員をしていた。1903年にボストン・アメリカンズに入団したが、アメリカンズでは代打として2度出場しただけで、その後はマイナーリーグのミルウォーキーに送られていた。この年ストーンはミルウォーキーで打率.405、17打席連続出塁という成績を残して注目されるようになり、1904年オフにジェシー・バーケットとのトレードでセントルイス・ブラウンズ(現オリオールズ)に移籍した。

ブラウンズには1905年から6年間在籍した。バッティングスタイルは独特で、バットを肩に載せ、本塁に覆いかぶさるように立って静止して構えていたそうで、正確なミートから多くのヒットをたたき出した。1905年シーズンは打率は3割に満たなかったが、189安打はリーグ最多となった。翌1906年には打率.358を記録し、ナップ・ラジョイの.355を抑えてアメリカンリーグの首位打者となる。1907年にも191安打(リーグ2位)、打率.320(リーグ3位)の記録を残している。

その後ストーンは1909年のシーズン中に足首を捻挫し、翌1910年は復帰してフルシーズン出場したものの、この年を最後にメジャーから退いた。選手を辞めた後は、1916年にウェスタンリーグのリンカーン・タイガースの所有者となった。1945年にアイオワ州で57歳で死去。

詳細情報

打撃成績

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

試合打数安打二塁打三塁打本塁打得点打点盗塁三振四球死球犠打打率出塁率長打率
84932749861066823428268133-2822290.301.361.396

タイトル

  • 首位打者:1回(1906年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧
  • ユダヤ系の野球選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2019/12/02 22:04 UTC (変更履歴
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