ジョン・オリアリイ : ウィキペディア(Wikipedia)
ジョン・オリアリー(John O'Leary、1947年1月16日 - 2005年4月2日)は、アメリカの政治家。メイン州ポートランドの市長、またビル・クリントン大統領の下でチリ駐在大使を務めた。
経歴
ポートランドで生まれ、1969年にイェール大学を卒業した。メロン奨学金でケンブリッジ大学クレアカレッジに入学し、1971年に修士号を取得した。1974年に イェール・ロー・スクールから学位を受けた。ロー・スクールで勉強しながら、イェールディベート協会コーチを務め、その後弁護士を個人開業した。
イェール大学の同期生パトリシア・セペダと結婚した。彼女の父はコロンビアの作家アルバロ・セペダ・サムディオであり、ノーベル賞受賞者ガブリエル・ガルシア=マルケスの友人であり、パトリシアはガブリエルの元で翻訳家として働いていた。2人の娘アレハンドラ・セペダ・オリアリーとガブリエラ・ジョイス・オリアリーがおり、長女アレハンドラはマルケスが名付け親となった。
政治
民主党に所属し、ポートランド市議会議員、市長を務めた。1982年、メイン州第一選挙区からアメリカ合衆国下院議員に立候補したが、民主党予備選挙で敗れた。
ワシントンD.C.で死去した。
参考文献
外部リンク
- "John O'Leary: Working towards justice for Pinochet's victims" David Sugarman, ガーディアン, 20 May 2005
- "Tale of Two Ambassadors: One exposed the death squads, the other covered them up" Marc Cooper, LA Weekly, 14 April 2005
- "Nomination of John O'Leary to be United States Ambassador to Chile" オリンピア・スノー, Congressional Record, 26 June 1998
- John O'Leary Papers ジョージタウン大学
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/15 00:15 UTC (変更履歴)
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