第85回アカデミー賞(2013年) 全部門ノミネート・主演男優賞

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第85回アカデミー賞の全部門ノミネート

主演男優賞

ブラッドリー・クーパー 世界にひとつのプレイブック

ブラッドリー・クーパー

米フィラデルフィア出身でアイルランド系アメリカ人の父とイタリア系アメリカ人の母を持つ。ジョージタウン大学を卒業した後、ニューヨークへ移りニュー・スクール大学で演技を学ぶ。在学中にTVシリーズ「セックス・アンド・ザ・シティ」(99)でデビューを果たし、「エイリアス」(01~06)や「NIP/TUCK マイアミ整形外科医」(07~09)など人気シリーズに出演。「Wet Hot American Summer(原題)」(01)でスクリーンデビュー後、「イエスマン」(08)、「そんな彼なら捨てちゃえば?」(09)などコメディ作品に多く出演する。「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(09)でブレイクすると、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」(10)や「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」(11)などで活躍。「世界にひとつのプレイブック」(12)で、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞やサテライト賞で主演男優賞を受賞し、アカデミー主演男優賞にも初ノミネートを果たした。

ダニエル・デイ=ルイス リンカーン

ダニエル・デイ=ルイス

父親は桂冠詩人、母親は女優、祖父はイギリス映画界の大物という芸能一家に育つ。ケントの演劇学校在学中から俳優として活躍し、13歳の時、「日曜日は別れの時」(71)で映画デビューを果たす。以降は主に舞台で活躍し、82年にリチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」で映画に復帰。「マイ・ビューティフル・ランドレット」(85)や「存在の耐えられない軽さ」(88)で注目され、89年の「マイ・レフトフット」でアカデミー主演男優賞を受賞する。以降はマイケル・マンの「ラスト・オブ・モヒカン」(92)やジム・シェリダンの「父の祈りを」(93)、スコセッシの「エイジ・オブ・イノセンス」(93)「ギャング・オブ・ニューヨーク」(02)など作品を厳選して出演。07年のポール・トーマス・アンダーソン監督作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で2度目のアカデミー主演男優賞を手にする。スピルバーグ監督の「リンカーン」(12)で米第16代大統領エイブラハム・リンカーンを演じ、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門の主演男優賞など受賞したほか、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。

ヒュー・ジャックマン レ・ミゼラブル

ヒュー・ジャックマン

大学卒業後、ウエスタンオーストラリア・アカデミー・オブ・パフォーミングアーツなどで演技を学ぶ。94年、TVドラマで俳優デビュー。「Paperback Hero」(99)でスクリーンデビューを果たし、出演3作目の「X-メン」(00)でウルヴァリン役に大抜てきされハリウッドに進出する。スピンオフ作品「ウルヴァリン X-MEN ZERO」では主演だけでなく、プロデュースも務めた。そのほかの出演作に「ニューヨークの恋人」(01)、「プレステージ」(06)、「オーストラリア」(08)など。ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」で主人公ジャン・バルジャン役で見事な歌声を披露、アカデミー主演男優賞に初ノミネートされた。TVドラマ「Correlli(原題)」で共演したデボラ=リー・ファーネスと96年に結婚した。舞台作品の評価も高く、04年「The Boy From Oz(原題)」でトニー賞主演男優賞を受賞。

ホアキン・フェニックス ザ・マスター

ホアキン・フェニックス

子役時代は、リーフ・フェニックス名義で活動。「スペースキャンプ」(86)で映画デビューし、続く「ラスキーズ」(87)で主演を務める。「バックマン家の人々」(89)出演後にしばらく休業。兄リバー・フェニックス(「スタンド・バイ・ミー」)の死を乗り越え、ガス・バン・サントの「誘う女」(95)から本名のホアキンで活動を再開する。「グラディエーター」(00)でアカデミー助演男優賞、「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」(05)で同主演男優賞にノミネートされ、後者ではゴールデングローブ主演男優賞を受賞した。その後の活躍が期待されるなか、突如ラッパーへの転向を表明。しかし、これは義弟ケイシー・アフレックと仕組んだ嘘で、周囲の反応を収めたドキュメンタリー映画「容疑者、ホアキン・フェニックス」(10)として発表される。再び俳優に復帰し、「ザ・マスター」(12)でベネチア国際映画祭の男優賞を共演者のフィリップ・シーモア・ホフマンと受賞、改めて実力を示した。

デンゼル・ワシントン フライト

デンゼル・ワシントン

父親は牧師、母親はゴスペル歌手という信心深い家庭に育つ。ニューヨークのフォーダム大でジャーナリズムを専攻していたが、演劇に興味を持ち、卒業後にサンフランシスコのアメリカ・コンサバトリー劇団で学ぶ。その後、ニューヨークの舞台に立ち、81年「ハロー・ダディ」でスクリーンデビュー。同年、好評を博した舞台「ソルジャー・ストーリー」が84年にノーマン・ジュイソン監督によって映画化される際もキャスティングされた。87年、「遠い夜明け」でアカデミー賞に初ノミネートされ、「グローリー」(90)で同賞助演男優賞を受賞した。以降、「マルコムX」(92)、「クリムゾン・タイド」(95)、「マーシャル・ロー」(98)などに出演。01年、「トレーニング・デイ」でアカデミー主演男優賞を受賞し、「フライト」(12)で再び同賞にノミネートされる。

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Photo:Getty Images/アフロ